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「彩芽ちゃん、お昼、食べに行こう」
次の日の昼休み、姫宮さんのここ最近のお馴染みの台詞をBGMに、終わったばかりの授業の片付けをしていた。平和だ。私も一学期は、この台詞を言われ続けてきた。その度に、胃の痛みに襲われたものだ。
今朝から、何だかんだと、頑張って姫宮さんを躱し続けてきた滝さんだったが、ここへきて捕まってしまったようだ。なむー。
「あ、私……」
「滝さん、先程の授業でお聞きしたいところがあるのだけれど、お昼を食べながら教えてくださらない?」
言いよどんでいた滝さんを遮るように、浅野さんが口を挟んだ。
幼稚園から大学院まである慶雲学園は、入学試験を重ねる毎にそのレベルが上がる。大学が最難関ではあるが、門戸が狭い分だけある意味、高等部が一番入学困難だと言われている。そんな狭き門を勝ち残ってきただけあって、滝さんはすこぶる頭の出来がよろしい。故に浅野さんの発言は、ナイスアシストと言えるだろう。
どうやら浅野さんは律儀にも昨日の私のお願いを守ってくれるつもりのようだ。私の時も守って欲しかったが、今更なのでここは心の中で涙を拭うに止めよう。
「え……っうん! 良いよ」
滝さん、滝さん、その返事だと、貴女の気持ちはだだ漏れだから。もうちょっと、空気を読もうね。
「え、でも……。あ、だったら、みんなで学食に……」
「ごめんなさい。私、今日、お昼を持って来ているの」
だから貴女だけでどうぞ、と浅野さんが続ける。
怖い、怖過ぎる! 生粋のお嬢様がその気になったら、そんじょそこらの可愛いだけの女の子なんかよりも、迫力があり過ぎて怖い。
「あ、じゃあ、お弁当を学食に持って行けばいいよ」
いや、姫宮さんも負けてはいない。さも良い事を思い付いたと、今までの困惑気味に引き釣った顔を満面の笑みに変えて言った。この顔だけを見れば、一部の男子生徒が構うのも頷ける。美少女とまでは言わずとも、かなり可愛いのだ。また、良家の子女の中に於いては、その元気過ぎるキャラクターは、良い意味で個性的に映らなくもない。
とは言え、それは極一部の男子に限られる為、現在のこの攻防に繋がっているのだと、浅野さんの小馬鹿にした顔を見て、再認識した訳だが。
「ただでさえ人が多いのに、食事を購入しない人間が席を占領するのはどうなのかしら。遠慮させていただくわ」
そんな事も分からないの、非常識な人間ね、と言外に匂わせるあたり、相当なテクニシャンとみた。何故この高等テクニックを私に対しては使わないのか、甚だ疑問である。私に対しては、激しくお子ちゃま対応だと言うのに。これはあれか? 私がお子ちゃまだとでも言いたいのか!?
「でも、彩芽ちゃんはお弁当持ってきてなかったよね?」
姫宮さんの方が一枚上手だった。元々、滝さんは弁当持参派だったと記憶している。他クラスにいる同じ中学出身の女の子達と、中庭等で昼食をとっているのを以前はよく見掛けたものだ。けれど、クラス委員長を押し付け……いやいや、引き受けてから、自然、学食派にならざるを得なくなっている。そして、浮き気味だったクラスのみならず、仲良くしていた他クラスの女の子達とも、疎遠になっているようだった。もう、何か色々と申し訳ない。
「ご心配頂かなくて結構よ。滝さんが食べる分くらい充分ございますから」
でん、と効果音が鳴りそうなくらいに巨大な……と言うより、三段重並の物が包まれているであろう風呂敷包みを取り出した浅野さんは、尚もいい募ろうとする姫宮さんに対して追撃の手を緩めない。
「月本さんもご一緒する予定なのよ」
と。
……はい? ちょっと待て。何時の間に私の背後を取ったんだ!?
呑気に事の成り行きを見守っていたら、椅子の背を浅野さんが支えるようにして立っていた。浅野さん、恐るべし。
「多恵……ちゃん?」
そんな化け物を見るような目で見なくても……。
「ですから貴女とご一緒するかどうか、私の一存では決められませんわ」
「え!?」
ここまで女王さ……いやいや、上流階級然と断ってきていたのに、ここへきて丸投げって、貴女……。
とは言え、ここまで彼女を増長させた一端を図らずも担った自覚が無い訳ではないので、渋々、口を開く。
「月本です」
取り敢えず訂正から入ると、背後で、そこから!?、という呟きが聞こえたが、聞かなかった事にする。
けれど言われた本人は、目をそらし、小さな声で、ごめんなさいと謝ったが、謝罪と言うよりも、形式的に口にしたに過ぎないようだった。この調子では、直ぐに忘れて“多恵ちゃん”呼びをされそうだが、そもそも新学期初日の一件以来、極力私を避けて過ごしているらしい彼女と早々言葉を交わす機会はこないだろうと、深く追及するのは止めた。
「購買部でパンを買ってくるという選択肢は無いのですか?」
「……え?」
「ちょっと!」
私の言葉に、姫宮さんは固まった。ついでに頭上で浅野さんの苛立った声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
「そんなに皆と一緒に食べたいのなら、購買部でパンを買ってくればよろしいのではないか、と言っているのですが」
固まったまま返事をしようとしない姫宮さんに、後ろを振り向き尋ねた。
「意味は通じていますよね?」
「そりゃあ、日本語を喋っているのだから、通じているでしょうよ」
何故か声を潜める浅野さんの言葉に、安心して改めて姫宮さんに向き直ると、理解しているであろう彼女の顔が今度は何故か引き攣っていた。
「姫宮さん、聞いてらしたでしょう? 一緒に召し上がるのでしたら、急いで買いに行かれた方がよろしいくてよ」
「……でも」
「迷っている時間は無いと思いますが」
急かすと不思議そうな顔が返ってきた。
確かに、今までずっと、生徒会の方々にまじって優雅に学食で食事を食べていたから、その辺の事情に疎いのは仕方がないのかもしれない。
「購買部は何時も戦場なんです。急がないと、何も買えずに終わってしまいますよ」
この学園の生徒で弁当を持参しない学生は、基本的に食堂で昼食をとる為、購買部で昼食を購入したりしないのが一般的だ。その為、そもそも購買部でそんなに多くのパンを仕入れていないのだ。だったら、登校時に何処かで買ってくればいいようなものだが、そこは腐っても慶雲学園である。お口が肥えたお子ちゃまが多く在籍するが故に、仕入れの量より質を追求しているパンが美味しくない訳がないのだ。因って学食派以外の学生にとっては、毎日が戦いなのだ。
「それに買えたとしても、今のままじゃ、食べる時間が無くなるかもしれませんよ」
教室の時計を確認し、付け加えると、姫宮さんは慌てて教室を出ていった。その背中に向かって、先に食べていると声をかけるも返事はなかった。
「貴女、本気で一緒にお昼を食べるつもり?」
姫宮さんの姿が消えた途端、呆れたような浅野さんの声がした。その声には殺気を感じなくもない。
「そうだけど、何か問題でも?」
傍迷惑な人ではあるが、一緒に食べたいと言うであれば、一緒に食べる事もやぶさかではない。教室で、と言う条件が付きはするが。
「まあ、いいわ。どうせ来ないでしょうし」
さあ、食べるわよ、と包みを広げると、期待を裏切らない豪華過ぎる弁当……もといお重を前に、遠慮する滝さんをせっつき、箸を構えるのだった。
結局、その日、姫宮さんが昼食の席に戻ってくることはなかった。
けれど、この昼食スタイルが定着し、昼には何故かこの三人でご飯を食べるに至っている。
姫宮さんはというと、相変わらず生徒会の方々の前に現れては、その空気の読めなさを遺憾無く発揮しているらしく、それに対する非難も相変わらず我がクラスにまで届いている。
「月本さん、一つ聞いていいかな」
初日以来、各々が自分の弁当を持参するようになっていた。
そもそも、慶雲では外部組くらいしか、弁当を持参なんてする人間がいない為、内部組でこうして教室内で昼食を食べている人間は珍しい筈だった。だと言うのに、私達が教室で弁当を食べ始めて暫くすると、クラスの内部組からもちらほら弁当持参が増えてきている。実に煩わしい現象である。
「ちょっと、聞いているの!」
昼食に握ってきたお握りを食べながら、思考の海に浸っていたらしく、浅野さんに怒られた。決して、彼女の弁当が今日も一際輝いているな、とか、一口くださいって言うべきか迷っていた訳ではない。多分。
取り敢えず口一杯に頬張っていたお握りをお茶で飲み下し、「え? 何が?」と聞き返すと、また怒られた。
「貴女って、基本的に他人の話を聞かないわよね。それでよく委員長なんて務まっていたわよね」
「誰もやらないからやらされていただけですから。で、何の話ですか?」
浅野さんだと埒が明かない為、滝さんに水を向けた。
「あ、ああ、えーっと、その髪、染めたのかなって」
「今更!?」
口にしようとする前に、先に言われた。浅野さん、ありがとう。今の台詞、正しく私の心の声です。
いや、実際、病欠明けの再登校初日から、ずっとこの色だけどね。誰も何も言われないから特に自分からは何も言ってはいなかったけれど。
「地毛です」
答えると、教室に残っていたクラスメートから、一斉にどよめきが起こった。うん、きっと気のせいに違いない。
元々、目立ちたくない一心で、茶色い髪を黒く染め、女学生の鏡と、癖のある髪を三つ編みにしていたのだけれど、入院生活中に、面倒になってショートにした上、毛染めをしなくなってしまった為、印象がかなり変わってしまったであろう自覚はある。
「まあ、毛染めは校則違反ですものね」
そう言う浅野さんの口調は、何故か棒読みだった。何だか信用されていないみたいだけど、気のせいだよね?
「それよりも私はその男子用のネクタイの方が気になっているのだけれど」
何処からわいてきたのか……いやいや、いきなりクラスメートの長谷部さんが割って入ってきた。
長谷部さんも滝さんとおなじ外部進学組である。外部組とは言っても、別のお嬢様学校からの転校に近い扱いらしく、直ぐにこの学校に馴染んでいるあたり、ご実家もさぞや、な方だと想像に難くない。
が、見た目の派手さから言えば、外部組や、内部進学組からも、飛び抜けて派手である為、正直、元の学校で何かやらかしてこちらに来たのではないかと、穿った推測をしている訳だが。
「これだから、外部進学の方は嫌ね」
私が失礼な事を考えていると、浅野さんが、面倒臭いことに、長谷部さんに喧嘩を売っていた。
「どういう意味よ!」
漫画なら、吹き出しに手書きの漢らしい字体で「あ″あ″ーん!!」等と、書かれていそうなシチュエーションだなと、妙に感心していると、「それは代々、慶雲に伝わる伝統に関係する話を外部生は知らされていないからですよ」と、話に割って入る者がいた。