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 私こと、月本多恵(つきもと たえ)が、1年C組の担任である佐山(さやま)先生の後に続き教室に入ると、そこには極普通の教室の風景が広がっていた。何かを期待していた訳では無かったけれど、若干、がっかりしたのは仕方がないと思う。

 実は私、先日ある事由により、記憶の極一部を失ったのだ。意識が戻った当初こそ、家族や自分の事をも思い出せないというドラマのような状態に、私ってばヒロイン!?的な情緒不安定に陥っていたのだけれど、今では生活に全くもって問題が無さ過ぎるくらいにまで回復している。 所謂(いわゆる)黒歴史である。

 とは言え私がそうなるに至った原因を覚えていない現状は、はっきり言って、気持ちが悪い。それを学校に来たら思い出せるかもしれないと淡い期待を抱いていただけに、自分の頭にがっかりである。

 そんな私の葛藤を余所に、一見普通に見える教室内が、妙な緊張感に包まれているのを感じた。何故か皆が一様に私を驚愕の眼差しで見ている。酷い者になると二度見する始末である。先程、両親に付き添われて校長室で記憶の一部が残念な事になってしまっている事を話してきたばかりであるが、未だその事実を皆が知り得ている可能性は皆無だと思う。思うのだけれど、何等かの方法でその情報を知り得た人間が、事前にクラス内で話したのだろうか。常日頃、注目を浴びるような人間ではない為、正直、居心地が悪い。

 取り敢えずどうしようかと思案していると、佐山先生が何やら私に関する話を皆にしているところだった。

「……と言う訳で、月本は、現在、記憶の一部が欠落している状態だ。まあ、日常生活自体は全く問題無いらしいが、皆、その辺、気を付けてやってくれ」

 最後は弱り切った様子で頭をガシガシと掻いた。

「すげー、サスペンスドラマみてえ!」

 一人の男子生徒の台詞に、しんと静まり返った教室内は、一気に騒がしくなった。木下(きのした)君だった。クラス一のお調子者の彼は、実に空気の読めない男だと、常々感じていたものだが、夏休み明けでもその空気の読めなさは健在のようだ。困ったものである。

 しかしこの反応を見る限り、クラスの皆は私の記憶の一部が欠落している事を今初めて知ったばかりのようだった。であるならば、先程の反応はいったい何だったのだろう、と首を捻る。

「詐病なんじゃないの?」

 一人首を捻っていると、一際大きな声で、一人の女子生徒が声をあげた。浅野(あさの)さんだった。その言葉に再び教室内が静まり返った。彼女も別の意味で空気が読めない困ったちゃんである。

 言いたい事は分かるが、それを言うなら寧ろミュンヒハウゼン症候群の方が正しいと思うのだが、ここで私がそれを言ってしまうと、私も空気の読めない人間になってしまうので、口に出さないでおく。

「だってそうでしょう。そんな嘘みたいな話、信じられる訳ないじゃない!」

 皆の視線に耐えかねたのか、彼女が叫ぶように告げた。

 そりゃそうだ。当事者じゃなければ、私自身、そう思う。しかしだからといって、思ったままその事を口にしたりしないだけの分別は持っているつもりだ。その辺、思ったまま考えを咀嚼せずダイレクトで口にしてしまう辺り、浅野さんは相変わらず空気の読めないお子ちゃまのようだ。

 ま、兎に角、浅野さんは私の事が嫌いなんだという事は、理解出来た。休み前は、ここまで露骨じゃなかったような気がするけれど、決して好きな部類には分類されてはいなかったとは感じていた。

 だからといって、私が彼女に対して、何等かの悪感情を持っていた訳でもない。好きだとか嫌いだとかいう以前に、どうでもいい対象だったからだ。と言うか、基本的に、学園内に特に興味のある人物はいなかったのだ。考えてみると、私って、なかなかに寂しい高校生活を送っていたような気がする。

 クラス委員長という立場上、平等に接してきたつもりではあるので、何故そのような感情を持たれなければならないのか、疑問に思ってはいたが。

「おい、浅野、決め付けはいかんぞ。現に……」

「みんな酷いよ!」

 諫めようとする佐山先生の言葉を遮るように突然一人の女子が叫んだ……ついでに立ち上がった。

 ……あ、原因が分かった気がする。

 軽くこめかみを揉みつつ、溜め息を吐く。

 私の心の声を知ってか知らずか、三人目の空気を読めないクラスメートは熱く語り始めた。

「多恵ちゃんはそんな嘘を吐くようなこじゃないわ! みんなだって知っているでしょう!」

 そう言って何時の間に傍に来ていたのか、私の腕をとって絶叫する。

「私の親友に酷い事言わないで!」

 掴まれた腕に嫌悪を覚えたのか、彼女の言う“親友”という言葉に嫌悪を覚えたのか……。虫唾が走る。

「貴女には関係無いでしょう! 黙ってて!」

「関係無くなんかない! 私の大事な親友に酷い事を言われたんだから!」

 浅野さんと、自称親友であるとされる彼女が、口論を始めるに至り、教室内がカオスと化していた。嗚呼、帰りたい。

「おいおい二人ともいい加減にしろ。それに姫宮(ひめみや)、月本から手を放してやれ。困っているだろう」

 佐山先生の言葉に、自称親友――改め、姫宮さんが頬を膨らませ、反論する。どうやら彼女の仮想敵国は、浅野さんから佐山先生に代わったらしい。

「先生は黙っていて下さい! 親友に酷い事を言われて、黙っている訳にはいきません!」

 姫宮さんはそう言うと、益々私を掴んだ手に力を入れた。それに呼応するかのように、掴まれた箇所から一気に鳥肌が広がる。

 これは生存本能的に不味いのではないだろうかと、我に返ると、その手を無言で無理矢理剥がし、掴まれていた箇所をもう一方の手で擦った。

「多恵ちゃん、顔色が悪いけど、大丈夫?」

 体調不良の原因である当の本人が、心配気に顔を覗き込んでくるに至って、本気で寝込みそうになった……気分的に。

 姫宮華恋(ひめみや かれん)さん――自称私の親友が原因で、浅野さんのみならず、学内の女子の大半から嫌われる結果になっていたのだったと、思い出した。

 これも(ひとえ)にクラス委員長を押し付けられていた己が不運を嘆くほかない。

「あの……下の名前で呼ばないでいただけますか。親しい方以外に、名前を呼ばれるのは反吐(へど)が出る程嫌いなんで」

 我慢出来ずに彼女から遠ざかろうと後退りながら口から出た言葉に、言われた本人のみならず、教室内にいた人間の全てが息をのんだような気がした。

「え? た、多恵ちゃん?」

 何時も意識的に作ったような表情をしている姫宮さんの顔から、その不自然さが消えた。つい先程まで大声を上げていた時ですら、どこかしら作られたような不自然さを感じていたのだけれど、今この瞬間、彼女からその不自然さが消えていた。

「何か誤解があるようなので訂正させて頂きたいのですが……」

 彼女だけでなく、この場にいる全員に向かって言葉を紡ぐ。

「確かに私の記憶の一部に欠如があるのは事実ですが、それは私が頭を打った前後に限られます。目が覚めた当初は、もっと広範囲に渡って記憶が混乱していましたが、全てを忘れてしまっている訳ではありません。それに聞いた話によると、私が倒れている間、このクラスの誰一人として私の心配をしていた人間はいなかったと聞いています。勿論、貴女もです。そんな貴女が、仰るように私の親友だったとしたら、それは少し……いえ、かなりおかしな話ではないでしょうか」

 責めるつもりは特に無かったのだけれど、結果的には責める形になってしまっていたらしい。その証拠に、今や姫宮さんの顔は驚きを通り越し、恐怖しているようにすら見える。しかしそもそも、常に一方的に負担を強いられる関係であった彼女に何かを期待する訳もなく、そんな彼女の表情は、滑稽にすら思えた。

「別に責めている訳ではありません。今まで貴女の一方的な主張を面倒だからという理由だけで、敢えて否定しなかったのも事実ですし。それに、私の事を心配してくださらなかったのは、別に貴女だけではありませんから」

 そう言って今度は呆気にとられているクラスメートに目を向ける。

「という訳で、今まで、クラスの委員長をやってきましたが、以降は、私以外の方でお願いします」

 教室のざわめきが、先程のものとは別種のものに取って代わった。

 記憶喪失というものが、一種、非日常的現象である事は容易に想像がつく。対して、私がクラス委員長なる単なる係を降りる事等、たいした話ではない筈だ。なのに皆の表情を見る限り、記憶喪失よりも驚いているように見える。何でだ。

 内心首を捻りつつ、佐山先生の言葉を待つも、先生でさえも私の言葉が信じられないのか、一向に言葉が返ってこない。記憶喪失だという話をした時でさえ、もう少しましなリアクションをしていた気がする。

「先生もよろしいですね」

 念押すと、佐山先生からは否定の言葉が返ってきた。

「しかしだな、委員は四月の時点で決められているのが慶雲学園(うち)の慣例だから、途中で代わるっていのは不味いだろう」

「校長先生にも役職に着かなくてもよいという許可をいただいているので、特に何も問題は無いと思いますが」

 後で確認しておいてくださいね、と言いおいて、返事も聞かずに歩き出す。教室の一番後ろ、窓際の席が、私の席だ。クラスの役職と同じく、一年を通して変わらな席。そんな席に着き、騒がしくなった教室内を眺める。

 この中に、犯人がいるかもしれない。

 クラスメートの背中を見ながら、ふとそんな事が頭を過ぎった。この中の誰かが、私を故意に傷付けたのかもしれない。そう思い軽く、身震いする。

 私の怪我は私の不注意ではなく、第三者に仕組まれた物だと言うのが、家族の見解らしい。実際、私は不自然な場所で、倒れていたという。事故では有り得ない――そう言われた。

 これは、事件後、家族が調査員を雇って調べた結果であって、公式の見解ではない。その為、私の一件はその怪我に対して、単なる事故として処理されている。

 家族は徹底的に闘う気満々のようなのだけれど、恐らく有耶無耶のまま終わるんじゃないかと思う。何せ、良家の子息子女の通う名門、慶雲(けいうん)学園だから、やっぱり外聞が悪いのは不味いだろうし。とは言え、本心は学校の不名誉になるような事はしたくないんじゃないかなとも思う訳で。だって、両親のみならず、姉も慶雲出身なのだから。

 けれど、そのお蔭で、役職全て免除という好待遇を得たので、私的にはラッキーだったのだけれども。

『使えるものは何でも使いなさい』

 ふと、姉の言葉が頭を過ぎる。

 何があっても自分の身を守り抜きなさいと、今朝も有り難いお言葉を頂いた。

 いったい私はどうなるのだろうかと、大きく溜め息を一つ吐いたのだった。

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