鼓動せし力と旧き者
――――、っ―――、どっ―――
体に受けた衝撃で軽く脳震盪を起こしているのか、グランの朦朧とした意識に鼓動が鳴り響いていた。
視界は霞んでおり、ちらりちらりと赤い明滅が舞っている。
ほとんど思う通りに動かさないが、なぜか手を伸ばすことはできた。
(おれは、なにをしている。ここはどこだ)
意識の境界も曖昧で、伸ばした手の指先が赤い明滅に触れる。
すると、不安定だったそれらは力を得たように輝きを放ち始めた。
燦然と赤銅と黄金が混じったような光は、熱を伴ってグランを包み込んだ。
視界を意識と共に一度焼かれ、気がつくと荒野に立っていた。
草木は一本も生えておらず、生ける物すべてが存在しない。足下は黒土で踏みしめると、砂を踏んだかのように足が沈んでいく。
見渡す限りは果てなき天地。いっさい遮られることのない世界。
ドクン――ッ
ひときわ大きな鼓動が響き渡り、再び光がグランを飲み込む。
絶対的な強制力を持っており、どういう仕組みかも理解できないため抗いようがない。
(次は、どこへ飛ばされる?)
視界が戻ると、熱風を真正面から受けた。顔の前で腕を交差させてやり過ごす。
肌が焦げ付きそうなほどの熱量を持つそれを浴びたが、火傷特有の引き攣るような痛みは存在しなかった。むしろ熱が馴染むように体の芯へ吸い込まれていく。
そのことを怪訝に思いつつも腕を下ろし、周囲を見回して確認する。
八方を真紅の焔が取り巻き、形容しがたい光沢を持つ地面には同色の線が走っていた。
先ほどに比べれば、どういった空間なのか理解できる。
(あの焔の根源がここにいる)
確信を持って体に呪力を纏い、自身の内にある二本の〈剣〉を意識した。しかし、繋がりができかけたところで何かに弾き飛ばされる。
「つっ――」
頭の奥に雷に打たれたような衝撃が走り、その痛みに膝をついてしまう。
痛みが引くのを待ってから、再び試みるも何かに遮られているように〈剣〉の存在を感じ取ることができなかった。
(……どういうことだ?)
グランの現状の装備は、軍刀も短剣もない丸腰だ。無手で戦うことも可能だが、人外を相手にするには心許ない。
『……武具が無い事が不安か? 人の子よ』
抑揚なく響く声。年若い娘のものに聞こえ、老婆のものにも聞こえる。
焔の根源となる存在だろう相手に、グランは身構えて周囲を確認した。いくら現実ではないとはいえ、臨死体験をするなど冗談ではないからだ。
『案ずるな。妾に其方を傷つけつもりはないし、この〈霊界〉の主でもない』
見透かしたような女性の声に、グランは構えを解きつつ警戒したまま問いかける。
「だったら、アンタは誰だ」
『ふむ……、名乗ってもよいものだろうか。まあ、〈忘れ去られし旧き者〉とでもしておこうか』
「長くて呼びづらい。真面目に答える気があるのか?」
問いへの答えが、あまりにも適当なので思わず文句を言った。
『此方にも色々と制約があるのだ。時間もあまりないゆえ、其方は問いはせず妾の言葉を聞くがよい』
「………わかった。アンタに付き合おう」
あまりにも大きな態度に反抗する気も起きず、肩をすくめて黒土の上に座り込む。長話になることを見越しての行動だ。
(年寄りの話は長いらしいし、話なら座ってても聞けるからな。っと、この思考も読まれてるか)
『………汝、素直に従ったと思えば妾を年寄り扱いしおったな』
「自分で〈忘れ去られし旧き者〉って言ってただろ。 だったら、相応の扱いをするのが礼儀じゃないのか?」
予想通り思考を読まれていたことに驚きもせず、声の主の怒りを買うことも恐れずにグランは飄々と言いのけてみせた。
『ふん、よいだろう。少し手荒になるが、汝の魂に直接刻み付けてやる。泣き喚こうがどうしようが許してやらん』
「……自分で言っておいてキレるなよ」
あまりの短気に呆れて言い返すと、脳裏で何かが燻るような感覚に襲われた。それは徐々に強まっていき視界が明滅する。
この感覚は命の危機に瀕した時の警鐘。生き延びるために自然と磨かれた危機意識。
普段はこれと同時に反射で警戒体勢に入るのだが、それすらも超えて体を貫く衝撃と激痛が走る。
仮死状態になって痛覚を切ろうとしたが、激痛は内部から発せられて叩き起こされた。
『それは魂への刻印。其方を導くことになるであろう力』
意識を手放すこともできず、神経が焼ききれるような激痛に苛まれ続ける。
地面にのたうち、胸を搔きむしるグランの体を中心に火の粉が舞う。
『目覚めたときに寝惚けんようにな。でなければ同朋を失うことになるぞ』
声が意味の無い音として聞こえたかと思うと、視界が黄金と赤銅を混ぜたような輝きに染まった。
――――――――っ
表現しがたい獣の咆哮を聞きながら、ようやく意識を手放して痛覚が消失する。
キイィィンッ
金属同士のぶつかり合う音が響いて拮抗し、ジーニャと公王は互いに弾き飛ばされるように離れた。
「……意外。ここまで手こずるのは」
「そう言ってもらえるとありがたい。伊達に並大抵の鍛え方をしていないのでな」
再び少女が斬りかかり、それを受け止めた公王は力のかかり具合を利用して下がる。ただ下がるだけでなく、横へ半歩動いて少女の放つ剣閃をやりすごした。
そして、瞬時に放つ反撃は関節部分を狙ったもの。いくら呪力によって強化されているとはいえ、関節のような接続部分は弱い。
それを理解してかジーニャは反射的に身を引き、大剣の切っ先を〈剣〉で弾いた。
「……その剣、ただの金属じゃない」
〈剣〉と共に呪力を纏う少女に対し、公王は体を鍛えただけの人でしかない。幾度も切り結んでいるのだが、彼の得物には僅かな傷があるだけで折れることはなかった。
「ほう、わかるか? 一月ぐらい前に、ある素材が手に入ったので鍛えなおしたのだ」
自慢げに語る公王にジーニャは〈剣〉に注ぎ込む呪力を増やし、より鋭く速い動きで斬りかかる。
しかし、それすらも見切っているのか防がれ対応されてしまう。
(消費した呪力の累乗で身体強化…だっけ? してるのに、なんで対応される?)
彼女の〈剣〉の能力は、グランの見立て通り身体能力の強化だ。その強化は呪力の消費量に累乗し、能力を使用せずとも全力であれば一万倍まで引き上げられる。
そんな急激な強化にさえ反応できる感覚は人の域を超えている。もはや人外の道へ踏み込んだも同然だ。
先ほど戦闘不能にしたばかりの青年を視界に捕らえ、ただの人でしかない男に阻まれていることで焦りが増していく。
「やあぁぁあ――――っ!」
(はやく、リカルドの所に連れていかいと、いけないのにっ!)
考えずに感覚に任せて斬りかかり、フェイントを交えて押していく。刃が触れあった瞬間に引いて弾き、踏み込んで次の一撃へ繋いだ。
すると、公王が勢いに負けて後退し始めた。先ほどまでの一撃に特化した攻勢から、連撃による攻めへの急転換が功を奏したのである。
「邪魔っ――!」
「我が魂を喰らいて、目覚めよ。黒き片鱗」
勢いのまま決着をつけようとしたところに、公王が言葉を発した――途端、黒い靄が渦となってジーニャの斬撃を阻んだ。
そのまま押し込めようとするも、勢いを増した渦に体ごと弾き飛ばされてしまう。
「魔性の力よ。我が剣を染めよ」
再び公王が放った言葉に呼応し、黒い靄が収縮していき彼の持つ大剣を侵食していく。
黒い剣身を持つそれは、まるで生きているかのように脈動する。
ジーニャの本能が危険だと警鐘を鳴らし、神々との誓約がそれの正体を告げた。
「その剣、怪物と同じ? でも、どうやって?」
「先ほど言ったであろう。ある素材で鍛え直したと」
答えになっていない答えに、鍔迫り合いを続けて互いに弾かれた。
呪力による身体能力を強化をしている騎士でないにも関わらず、公王は足で床を削りながら体勢を立て直し壁際で踏みとどまる。
剣身から漏れる瘴気が外套のように纏わりつき、双眸に鈍い輝きを宿して自身の得物を見つめた。
「おかげで怪物と同じ性質を持ちながら制御可能な力が手に入った。騎士の〈剣〉と交えても刃こぼれ一つしないとは、予想以上の業物になったな」
その様子は物語に出てくる魔王の兵のようであり、徐々に圧力を増しながら一歩踏み出してきた――かと思うと瞬く間にジーニャを捕らえた。
小さく皺が刻まれた表情に感情はなく、片手で掴んだ首を奴隷に着ける枷のように強く締める。
「さて、これ以上は手をかけさせないでもらおうか。人の血を流すことは構わないのだが、聖教につけ入る隙を作りたくないのでな」
いつの間にか挟みこむように二名の騎士が立っており、その手に構えた武器から呪力の鎖を生み出して拘束する。
「陛下、後は我々で処理しておきます。その力は――」
「邪魔する、なら斬るっ……! 猛り狂え〈万錬武皇〉」
聖句を口にした途端、その体に纏った呪力が爆ぜて拘束を解いた。そして、爆発的に上昇した身体能力で公王を突き飛ばす。
「ふむ、聞き分けのない娘だ。少し灸をすえてやるとしよう」
公王の言葉に呼応するように、長衣を象った瘴気が渦巻いて勢いを増した。迎撃のために力を収束させ、刀身の脈動と共に高まっていく。
「無駄! 全力で叩き潰す!」
鬼神のごとき列泊の気合いで声をあげ、ジーニャは駆けて聖句を口ずさんだ。
―武勇を示す者よ。戦場を好む猛き者よ―
彼女の〈剣〉が輪郭をほどいていき、呪力となって体へ吸い込まれて循環する。
―汝が放つ一撃はすべての障害を打ち砕く鉄槌なり―
循環が急激に加速していき、比例して身体能力が上昇した。残像を引きながら駆けて拳を構える。
―汝は双腕を以て落ちる天を支える不屈の戦士なり―
魔剣を構える公王が一歩踏み出すと同時に降り下ろし、刃を象った瘴気が膨張ながら地面を一直線に抉っていく。
―今こそ、汝の力を振るえ―
成人した男の数倍はある腕の幻影が出現し、ジーニャの動きに同調して向かってくる力を殴りつけた。
力と力がぶつかり合い均衡を取って余波が蹂躙し、咄嗟に防御の魔術を使用した騎士たちまでもが呑み込まれる。
そして、次の瞬間には余波ごと真紅の輝きに塗りつぶされた。




