枢機卿の強制執行
「しかし、愚問だな。思慮が足りない」
安堵したのも束の間、遠慮が微塵にも無い言葉が放たれた。場に緊張が走り、畳みかけるように続く。
「我らは常に怪物の出現を監視し、諸国に属する騎士団の討伐を記録している。つまり、そういうことだ」
「「……………」」
主を守るように立つ侍女二人は、放たれる威圧に押されて言い返すことができなくなる。
「…………どういうことですか?」
恐怖のあまり出せなくなっていた声が、止まった会話へと割り込んでくる。
「そちらこそ、質問の意味を明確にしてくれないか? 王族たる者の言葉とは思えないな」
セフィアが辛うじて発した言葉は弱々しく、一蹴されてしまった。次の言葉は出てこず年相応に怯えを見せる。
その様子を意に介さないというように、リカルドは侍女二人の背中に隠れる少女から視線を外さない。
それは貴族のように値踏みするようなものではなければ、慰問先で向けられる崇敬するようなものでもない。まるで、出会った頃のグランのような光を素通りさせる瞳。
言葉が返ってこないことに質問は無かったこととし、場を支配した聖教の使徒は命じるように言った。
「御身に王族としての自覚があるのなら、包み隠さず話してもらおう。それが、互いにとっての最善だ」
それを期に査問されるように、三人は怪物の襲撃によって起きた知りうることを聞きだされた。
大陸にある諸国の中で、なぜグリオード王国が襲われたのか? なぜ、その前に第二王女セフィアが攫われたのか?
答えなど知るはずのない問いに責められ、解放された後はベッドに伏せてしまった。主に仕える侍女二人は、どうにか気をもたせて仕事をこなしたのだ。
立場や肩書などを無視し、一方的に話を勧められてしまった。その結果として、馬車の外には騎士団に混じって二人が歩いている。
彼らは言葉を交わすわけでもなく、黙々と護衛の任務をこなしているわけなのだが、双方の間には壁ができてしまっていた。
その原因としては少なくとも三つは挙げられる。
一つは、聖教の教義。守るべき地上の民さえも犠牲にするというそれは、神々との誓約に反するからだ。
二つ目は、騎士団の矜持。そもそもカリバ聖教は、カリバ聖国を拠点とする宗教集団なのである。
三つ目は、聖教側の発言。この原因によって決定的になったのだ。
ただでさえ嫌悪を抱く部外者であるにも関わらず、出発前に放たれた言葉は関係を相容れないものとした。
「ここからは我らが警護を行う。騎士団の面々は引き取り願おう」
この言葉を発端とし、火がついたように騒動が起こったのである。
言い放ったリカルド自身は手を出すことなく、掴みかかった者や剣を抜いた者たちはジーニャによって叩き伏せられた。
「……この程度? すごく弱い」
自分たちよりも小柄で華奢な少女に、体術だけで退けられたのだ。冷静な者や出遅れた者たちは、その実力に沈黙してしまう。
騎士にとっては剣技が戦う術であり、それ以外は修錬することはない。それを鍛えるこに意味が無い上に、どうしても半端になってしまうからである。
しかし、その半端な技量によって制圧されてしまった。
「ジーニャに勝てないようであるなら、我々の足手まといにしかならない。これは命令ではなく警告だ」
それぞれに刻むよう重い言葉がのしかかる。
その場にいた者たちは違えることなく理解したが、それでも僅かながらの矜持は残っていたのか交渉した。そして――、
「腕が立つものを三名。それ以上は認めない」
という譲歩を引き出し、現在の状況に至ったのである。
顛末の一部始終を見ていたアンリは、車窓を開けて後方を歩く聖教側を見た。
馬車は下級貴族という身分に偽装するために外見を変え、人目を避けて使われることの少ない道を通っている。
お世辞にも整備が行き届いていとは言えず、道程を稼ぐことは難しく野宿も何度か行われていた。貴族の屋敷に宿泊しても夜明けと共に発つため、加わった聖教側以外の者たちは負担が重くなっている。
負担は精神面に影響するが、アンリは訓練によって軽減する術を身に着けているため、彼女を不安定にしているのは別の理由だ。
(……何を考えてるのかわからない。イライラする)
他国からの使者ということもあり、リーゼから余計なことはしないよう止められている。
宥められるほど感情が露わになっているらしいことは、本人も自覚しながらも抑えることができていない。
実力差を理解していながらも、自分の縄張りを侵された猫のように敵意を向けてしまう。
(……グランがいたら、良かったのに)
短い付き合いではあるが、傍に寄り添いたいと思える青年のことを思い浮かべてしまう。当然ながら、それはアンリ一人だけではない。
特にセフィアは変わりを用意されたように感じてしまい、先日のこともあって体調を崩しかけているのだ。
「セフィア様、こちらをお食べください。少しだけ楽になりますよ」
言いながら、リーゼは常備している干し果物を差し出した。
下流階級では保存食として重宝されるが、間違っても王族や貴族が口にするものではない。しかし、零落した貴族の出である彼女にとっては身近だった。
王城の庭園で育てられた小粒の実を摘み取り、干して自作したものである。
「干した果物は、普通の物よりも栄養価が高いそうです。どうぞ、お食べください」
やや味に癖があるため紅茶と共に出したいが、生憎と茶葉は荷馬車の方だ。失念していたため、湯の入った魔法瓶も用意していない。
セフィアは震える手でつまみ、おそるおそる薬を飲むよう口へ入れた。
「……甘酸っぱい。少し味が違うけど、もしかしてベリの実?」
口に広がる食べたことのある味に、少し驚きながら尋ねた。
「はい、お口にあったようで何よりです。よろしければ、もう一ついかがですか?」
普段は仕事の合間にこっそりと一人で食べるのため、こうして勧めるのは初めてのことである。
「……リーゼ、私の分は無いの?」
アンリが乗り出していた身を戻して尋ねると、リーゼは浮かべていた微笑を消して手を払った。
駄々をこねた幼児が親を叩くよう軽い音がする。当然ながら大した痛みもない。
「昨日、勝手なことをした罰です。今日はお預けです」
「……昨日じゃなくて一昨日」
「言い訳は無用。どちらにせよ、同じです」
飴はセフィアが十分すぎるほど与えているので、それを配慮しての行動をするのも侍女としての役目だからである。
とはいえ、あまり厳しくしすぎて嫌われたくもない。そんな自分の甘さを自覚しながらも、リーゼは先輩として後輩に鞭を入れる。
そんな心情を知るはずもなく、アンリは不満を募らせた。
(……いっぱい怒られたし、頭も叩かれた。すごく我慢してるのに褒めてもらえない)
聖教の干渉によって乱れる心は落ち着かず、今にも馬車から飛び降りそうな衝動に駆られ続けている。
かつて暮らしていた施設では、ここまでの感情を抱かなかった。弱肉強食が常であり、彼女は強者の部類に入っていたのだ。
死は常に生と隣り合わせであり、その中で心を失っていた。向かってくる者は無感情に相手し、弱者であれ手心など加えなかった。
セフィアに拾われる以前であれば、陰に隠れて逃げを選んでいただろう。
(……でも、今は違う。逃げるなんてできない)
もう言いなりの人形でもなければ、本能のままに動く獣でもない。アンリは自我を持った一人の人間なのだ。
一緒にいたいと思う存在がいる。守りたいと思う存在がいる。そして――、
ヒヒイィィィンッ
気持ちを落ち着けようとしているところに、不意に馬が悲鳴を上げ急停車した。車体が大きく揺れてリーゼの膝から転げ落ちそうになる。
「きゃっ…!?」
「姫様!?」
体調を崩し気味のセフィアは転げ落ち、向かいの座面に額をぶつけた。
「だ、大丈夫よ。ちょっと打っただけだから」
答えは返ってくるが、額を押さえ蹲っている。馬車が停まっているため、揺れる心配がないと判断して助け起こしにかかった。
「セフィア様! 急いでお降りください!」
急停車に続けて焦りを帯びた声が響く。明らかに緊急事態である。
「何があったの?」
「いいから、早く! すでに囲まれています!」
問答をしている暇は無いと言いたげに、馬車の戸が強引に開けられた。そして、侍女たち二人と共に騎士団に連れ出される。
しかし、その進路を阻むように獣が現れた。
騎士団の一人が召喚した〈剣〉を手に立ち向かうが、その脇から飛び込んできた獣に動きを封じられる。
さらに、どこから集まってきたのか獣は群がって騎士を喰らい尽くした。
ウゥゥゥゥゥッ
響く唸りは悶え苦しむようで、修錬している騎士たちでさえ怖気づく。
「グリオードの騎士団は、この程度なのか。迅速な判断は評価に値するが、その後の行動は稚拙だな」
声と共に白銀の奔流が怪物たちへと駆け抜け、塵すら残さず消滅させた。渦巻く中から現れたのは、大剣を振りかざす少女。
法衣を翻し、彼女は弾かれたよう動きだす。高密度の呪力を纏い、一気に獣たちを蹂躙し始めた。
体当たりで吹き飛ばし、大ぶりな一撃で数体を切り伏せる。その様子に、騎士たちは動くことさえ許されない。
一歩でも動いてしまえば、巻き添えに失命することを理解したからだ。
「征け〈天兵団〉。一匹たりとも逃すな」
十の輝きが現れ、セフィアたちに近づいた獣が切り裂かれる。一瞬のできごとだったため、何が起こったのか理解できない。
「掃討完了。――天より遣わされし化身よ。その刃を納めよ」
声に応じるように、十の輝き霧散して虚空へと溶けた。
立ち尽くしていた騎士たちは、唐突に我へと返って声の主へと振り向く。彼らが向ける視線の先に立つのは、瞳に冷ややかな輝きを宿した法衣の男。
「カリバ教団枢機卿の権限を行使させてもらおう。今すぐ、この場から立ち去れ。ここから先、そちらの死者が増えるだけだ」
リカルドは自身が身に着けていた手袋を外し、その下に隠していた物を騎士たちに見せつける。
そこに描かれているのは、八芒星と失われたはずの文字。その意味するところは、〈強制執行〉あるいは〈絶対なる服従〉。
大騎士以上の位階を持つ者ならともかく、この場において抗うことのできる者は一人もいなかった。
ベリの実・・・穏やかな気候で育つ赤い実で、上流階級で好まれて食される。




