王国の現状と王女の行く先
体が浮遊する感覚。意識が定まらず、しばらく天井を見つめていた。
そして、飛び跳ねるようにして起き上がって胸元に触れる。
(……傷が無い)
〈討滅英霊〉の剣によって貫かれた胸元は、万霊界で受けたからか傷一つ無かった。記憶は鮮明に残っているにも関わらず傷が無いというのは、グランにとってなんとも言えない苦さが残る。
(………あの焔が暴走したから、だよな)
記憶自体が暴走と共に漠然としているため、貫かれる以前の状況を思い出していく。
『体の方に異常は無いか?』
頭の中に声が響き、その思考を遮られてしまった。しかし、グランはそれほど不都合に感じない。
声の主が事情を知っているからだ。
(異常は無いな。世話をかけて悪かった)
『あのまま暴走すれば地上にも影響する。我らは、それを食い止めただけに過ぎない』
『てめぇら、何すっとぼけてんだ』
新たな声が割り込み、そこに含まれる苛立ちが伝わってきた。凪のように落ち着いた〈討滅英霊〉に対し、〈簒奪偽王〉は直情的な傾向がある。
使用者と〈剣〉は同調しているため、直に伝わってきてしまう。
以前までは〈剣〉を表層のみ行使していたが、同調が高めて本来の力を引き出せるようになった。これは、それによって生まれた弊害とも言える恩恵である。
害とも言える恩恵である。
戦闘時であれば心強いのだが、今のように日常的な対話では支障が出る。二つの刷り絵が重なっているような状況で、形容しがたい混乱に陥るからだ。
『あれが、どれだけ危険か理解したんだろ。さっさと体を寄こせ』
(断る。暴走するとはいえ、使えないよりましだ)
相変わらずとも言える要求に、即答して突き放した。すると、混じっていた敵意とも取れる感情が抜け落ちていく。
『……てめぇ、さっきの面は演じてやがったのか?』
(……何のことだ?)
いくら感情が伝わるとはいえ、よほど明確でなければ伝わって来ず、思考などが筒抜けになるわけでもない。
言葉にしなければ、その意味が伝わらないのだ。
『……もしや、先ほどの記憶が抜け落ちているのではないか?』
(記憶? お前らが暴走を止めてくれたことは覚えてるぞ)
何かに気が付いたらしい〈討滅英霊〉の問いに、「なぜ、そのような発想が出てくるのか?」という疑問を持ちながら答える。
『その後については、どうだ?』
(ここで起きて、お前らと話してるだろ)
これも淀みなく答えを返すと、長い沈黙があった。
『……………やはり、な。そういうことであれば説明がつく』
『てめぇ。一人で納得してないで説明しやがれ』
『よかろう。ただし、此奴から離れるぞ』
(おい、俺にも説明してくれ。「記憶が抜け落ちている」って、どういうことなんだ?)
自分に関係することだというのに、除け者にされかけて口を挟んだ。
『汝には、刻が来れば話す。今は、まだ早い』
言葉を残し、二柱の神との繋がりが途切れた。すぐに繋ぎなおそうとするが、拒まれているのか上手くいかない。
(……くそっ、向こうは遮断できるのか)
何度も試して上手くいかず、あきらめたグランはベッドへ体を倒した。
そして、ようやく自身の体に起こった異変に気が付く。先ほど、何の苦労もなく体を起こすことができたということに。
「……体が動いている」
通常であれば当然のことだが、彼はつい先日の戦いで体を酷使しすぎていた。魔術の行使も満足にできなかったため、回復には少なくとも半月はかかるという見立てだったのだ。
それが、一つの支障もなく動かすことができるようになっている。
グランは立ち上がり、窓へと近づいて行って身を乗り出した。太陽の位置を確認すると、時は日が昇りきっていて昼前といったところである。
「外を見て、何をしてるんだい? 黄昏るにしては、随分と早いよ?」
耳に入ってきた声に振り向くと、そこには白衣を来た青年がいた。中性的な見かけではあるが、彼はれっきとした男である。
「……何をしに来たんだ? お前は、騎士団と行動しているはずだろ」
何となくであるが、苦手意識を持っているグランは警戒して距離を取る。
「ははは、嫌われてるみたいだね? 騎士団の方は落ち着いたから、医者としての仕事に来ただけだからよ?」
現在、騎士団は壊滅状態である。統率していた団長を含む多くの騎士が死亡し、残っているのは十数名。
教会に収容されている者たちと比較して傷が軽微な者たちは、専属である医師シャルルによって処置を施されて復帰している。
「……まあ、そうだろうな。それで、具体的には何をするんだ?」
「経過観察のため、軽く問診と触診だね? まあ、その様子なら大丈夫だと思うけど、やっておいて損は無いんじゃないかな?」
物腰柔らかな口調で語られる言葉に、グランは苦い顔で溜息をついた。
「まあ、どうしても嫌だと言うのなら力づくで――」
「わかった。従うから、勘弁してくれ」
口調と共に変化する雰囲気を察知し、両手を挙げて戦意が無い事を示した。ここで拒否したとして、次に起きることは想像がついている。
無理やりベッドに押し付けられ、触診と問診をされる構図だけは想像しただけで鳥肌が立つものだ。
(いくら回復したとしても、現状で適う気がしねぇ)
全快しているとしても、病み上がりの体では逃げ切れるはずがない。たとえ逃げ切ったとしても、後で何があるのかわからない以上は愚策である。
「それじゃ、ベッドに腰かけてもらっていいかな? 天井のしみを数えている間に終わらせるから安心していいよ?」
別の意味を含んでいるような気がしてならない言葉に、口元を引き攣らせながら従う。すると、シャルルは体から呪力を部分的に纏った。
「それじゃあ、始めようか。問診とは言ったけれど、君が僕に質問していいよ」
言いながら、呪力を纏っている手で体へと触れてくる。胸の中心から呪力を流し込まれ、生命活動に必要ない体の隅々まで動きを封じられた。
「おっと、これだと声を出せないよね」
喉元から熱が引く感覚と共に、声を発する部位が動くようになる。一言でも文句をつけたくなるが、
「………セフィア様たちは、どこにいるんだ?」
「それは、さすがにわからないかな。あれだけのことが起こった後だし、民衆の心情も考慮すれば当然だけどね」
事が大きすぎたため箝口令を布くこともできず、グリオード王国は混乱に呑み込まれている状態だ。
王城が襲撃されたことにより、結界が無意味と証明されてしまった。これにより、民衆たちの心情は荒れている。
国外に逃げ出す者もいれば、奮い立って自警団を形成する者や乗じて王政を覆そうとする者まで出てくる始末。
「数を減らした騎士団は、騒動の鎮圧と王族の警護に引きずり回されているよ。まあ、王城の再建は見送りだろうね」
「……………」
語られる内容に沈黙しするしかない。
つい最近まで根無し草だった彼にとって、国の情勢は旅路への影響を考慮する材料に過ぎなかった。避けるか通るかの二つの選択肢だったものが、現在では強制的に一方を選ばされてしまうのだ。
(まったく、面倒だな。……指名手配の問題さえなければ、国境を越えることも可能なんだが)
関所では身分証明などや旅の目的などを問われる。もし、指名手配でもされれば間違いなく面が割れてしまい、関所で足止めされてしまうだろう。
第二とはいえ、王族を誘拐するとなれば騎士団が動く。数を減らしたとはいえ、それは王都に限ってである。
どれだけの実力者が何人いて、どこに分布されているか把握していない以上は下手に動くことができない。一人なら切り抜けることはどうにでもなるだろうが、連れが箱入りなら尚更である。
「――というわけだけど、聞いてるのかな?」
「………やっぱり無理だ。もし婆さんにまで出てこられたら、余計に面倒なことになる」
「おーい、聞いてるかい? 君のために話してるんだけどね? 押し倒してあげようか?」
思考に没頭するグランの耳元に口を近づけ、口調と雰囲気を変えて息を吹きかけるよう囁いた。生ぬるい刺激を受け、思考から現実へと意識が引き戻される。
「……っ、それだけはやめろ!?」
「っと、呪力の流れが乱れたね。うん、正常そのものだよ」
再び抑揚ない口調に切り替わり、診断結果を伝えて体を離した。
「さてと、さっきの話に戻らせてもらうね。きっと、君の役に立つだろうからさ」
「………」
遅れて立つ鳥肌にの感覚に、グランは沈黙で耐える。生理的嫌悪による拒絶反応は、施設の耐性訓練では受けることのなかった苦痛だったのだ。
「さすがに三度も同じ内容を話すつもりは無いから、聞いておいた方が身のためだよ」
「……わかった。聞かせてもらおう」
脅迫のような言葉に、なんとか耐え凌いで返事をした。
嫌悪感が一層強まったが、有用な情報を聞けることに比べれば匙だと合理的に判断して抑え込む。
「セフィア様の上には後継者である兄と、他国に嫁いだ姉がいることは知っているよね」
「一応な。確か、兄の方は与えられた土地で領主をやってるんだよな?」
「その通り。まあ、そっちは今のところ関係ないよ。おそらく釘付けにされているだろうからね」
王族という立場でありながら、領主の地位に就いている王子は動くに動けない状況に追い込まれていることは間違いない。逃げたとなれば、領民たちからの信頼が地に墜ちるからだ。
「継承権が無いとはいえ、セフィア様が王族なのは動かない事実だからね。そうなると、怪物以外の危険に脅かされる可能性は高い。なら、避難先は十中八九――」
「嫁いだ第一王女のいる国か」
「その通り。まあ、高いとはいえ可能性の一つだよ」
「いや、充分だ。確実に通る関所の付近に行けば、確実に合流できるだろうしな」
言うが速いか、ベッドの横に置かれていた荷物から衣服を取り出した。騎士服は目立つため、民衆に紛れるよう中流以下に見えるものと旅装束を纏う。
「もし修道女が来たら、適当に誤魔化しておいてくれ」
言い残し、最低限の荷物を持って開いた窓から飛び出す。それを見送ったシャルルは無表情に呟いた。
「……随分と興味深いね」
修道女や司祭から聞いた話では、騎士たちは話をすることはできてみ身じろぎ一つできない様態だったはずである。それにも関わらず、グランは全快して動くことができるようになっているのだ。
「まあ、目下の問題は言い訳を考えることかな……?」
面倒を押し付けられたと、珍しく眉を寄せて溜息をつく。仕事柄で興味の対象がいるというのに、それを邪魔されるというのは彼にとって苦痛以外の何でもないのである。




