紅が運び来る絶望
視界を埋め尽くす真紅。煌々と輝きながら揺らめくそれは、世界を焼き払っていた。
世界が灰燼となって散滅していく中、生ける存在はいない。須らく焔に焼かれて葬られたのだ。
ゴアァァァ――ッ
意思無き躰は首を巡らせ、地響きのような咆哮を上げた。遅れて、それを反射するよう地上と空中の六方向から響く。
そして、焔と同色の獣たちが集うよう近づいてきた。その姿は共通して鉱石のような鱗に覆われ、額から鋭い円錐状の角を生やしている。
まるで、御伽噺に出てくる龍のようだ。それらを尾で薙ぎ払い、爪で引き裂き、牙を突き立てて噛み砕いた。
そして、己のみとなった獣は我が身を焔の中へと伏せる。そして、焔と化して世界と共に消え失せた。
朦朧とする意識が現れて揺蕩い、徐々に強くなって自我が形作られていく。
「………っ、今のは」
囁きに似た呟きが反響し、自身へ返ってくる。そんな奇妙な現象も気にする余裕もなく、先ほど体験した死を伴う記憶に思考を奪われていた。
これが、ただの夢であれば大したことはない。そうであった場合は、すぐに認識して乖離することができるからだ。同調による介入であったとしても、この技能が有効であることは以前に証明済み。
しかし、今回は完全に同一の存在となっていた。認識することさえできないなど、今まではありえなかったことだ。
同化していた獣には、悪意や殺意などといった明確な意思が存在していない。ただ、焔を放って世界を焼いていただけだ。
乖離することができなかったため、正体を確認することもできなかった。
(………けど、わかっていることが一つだけある)
焔を形成する力の質は、今まで窮地の際に何度も行使してきたものだ。
グランは目を閉じた。研ぎ澄ますよう呼吸を細く鋭いものへと変え、集中して自身の内を巡る呪力の流れを意識する。
流れを辿り、その根源へと遡っていく。
(……………見つけた)
目の前に現れたのは巨大な門。空間に太い杭が打たれ、それを繋ぐよう錠前のついた鎖が固く閉じていた。
「……いつもは意識してなかったけど、随分と厳重に封がされてるな」
威容に圧倒されつつ、呟いた言葉は不自然に響いた。その違和感に気がつき、顔をしかめながら観察する。
伝わってくる圧力は強大で、門の向こうにいる存在を物語っていた。それを封じるための門には、力の宿った精緻な文字が描かれている。
グランには文字の意味が理解できいないが、文字は円陣や紋様を形成されていることは理解できた。
ッ――――
「っ………、壊れてるのか?」
不意に門から放たれた圧力に息を吞み、僅かな綻びに目が留まった。
注視しなければ見つからないほど、細い亀裂が門の前提に広がっている。時折、そこから漏れ出る紅い輝きが圧力の正体だ。
(やっぱり、この門の向こうに何かがいるのか……。呪力でもなければ、瘴気でもない何かだな)
これが呪力であれば、このような封をされる必要は無い。また、瘴気にしては質が違いすぎる。
介入によって見た記憶の一端が確かであれば、門を挟んだ向こうに存在するのは地上を焼き尽くす化け物。
制御は困難を極め、暴走すれば周囲一帯を灰燼と成す滅びの焔の正体。
「……………」
グランとて力について考えなかったわけではない。ただ、力が想像を遥かに超越していただけだ。
これだけの封印さえ綻びを見せていることを考慮すれば、何かのきっかけさえあればは弾け飛ぶことは自明の理。
今まで、どんな怪物が立ちはだかっても感じなかった恐怖。全身の毛が逆立ち、膝が笑い始めた。
(………無理だろ)
先日、〈剣〉に宿る魂を屈服させる修行において暴走し、師であるルディアを思い出した。溢れだした焔の暴走を止めるため、彼女は身を焼かれながら体を張ったのだ。
今まで暴走させながらも制御していた力が、漏れだした一端だと知って心を侵す。
自身が守ると決意し、禁忌とされる誓約を結んだ少女の顔が脳裏を過った。次に、彼女に仕える侍女や騎士団の面々が浮かぶ。
グランの内を満たすのは力に対する恐怖ではなく、力によって奪われるかもしれないことに対する恐怖。
「今、其方は諦めたか?」
背後から響く声に振り返らず、返事をすることなく立ち尽くす。
「てめぇが諦めるなら、その体は俺のものだ。それで、お前の守ろうとしていたものは壊してやる」
二つ目の声に、ようやく振り返った。そして、瞬き一つの間に手刀を喉元へと突きつけている。
それに驚愕の色を示すことなく、相手の瞳はグランを映していた。その喉元には黄金の刀身が突きつけられている。
「聞きたいことがある。あれは何だ?」
怒りも怯えもない静かな問いかけ。濁りのない瞳には何も映さず、ただ光を通して反射する。
「なぜ、おれの中に封印されている」
手刀を解いて腕を下ろし、短い問いかけを重ねた。
「その問いに、我らは答えを持たない」
「………どういうことだ?」
「どういうことも何も、俺たちも詳しいことは知らねぇんだよ」
問いかけの答えを聞くことができず、希望を絶たれてしまう。
いや、希望と呼ばれるものは存在していなかった。ただ、自身の疑問を解消しようとしただけだ。
急激に身体から力が抜け、崩れるよう昏倒して意識が沈む。




