煉獄からの帰還
王城が混乱と恐怖に包まれる中、王都の郊外にて光の輪が回っていた。精緻な装飾のように文字が刻まれており、一定の間隔で明滅を繰り返している。
その中心には一人の青年が座り込み、眠ったように目を閉じて俯いていた。
「……これ以上は、待っても無駄か」
細剣を手に構えた女性が、輪の外で何かを諦めたように呟く。
そして、手に持っていた剣を横へ振ろうとした――瞬間、輪の中にいる青年から紅い輝きが立ち上った。
やがて煌々と燃え盛る炎の如く輝くそれは、徐々に苛烈さを増して熱量を持つようになる。囲みこむ光輪に触れると、跡形も無く蒸発させた。
「これはっ……!? 審判を降せ〈天輪王妃〉!」
咄嗟に〈剣〉の能力を使い、青年の周囲に何重もの円を展開した。円はそれぞれが異なる動きをし、障壁を作って真紅の焔を阻む。
「この距離で暴走されると、さすがに厳しいな……! この借りは高くつくぞ、馬鹿弟子」
女性―ルディアは悪態をつきながら、〈剣―天輪王妃〉へと呪力を注ぎ込んだ。
輪が数を増やし、拘束するかのように中心へと縮んでいく。真紅に触れた傍から蒸発し、それと同時に上回る速さで数を増やす。
―断罪を司どる者よ。真実を見透かす者よ―
能力を使用する片手間で、完全解放を行うための詠唱を始めた。
―汝の天輪を回し、罪科に審判を下したまえ―
―罪無き者たちを救い、我らと共に導きたまえ―
百を裕に超える光の輪が収束し、帯状になって紅い輝きを覆うように巻き付いていく。その様子を見ながら、最後の一節を唱えた。
―今こそ、汝の罰と救いを与えよ―
帯は外周に出現した光の輪に繋がり、決して動くことのないように固定された。
ジャキンッ
金属音と共に、光の輪から伸びた刃が光の繭を四方から串刺しにする。
「……生きていたなら、いくらでも文句を受け付けてやる」
聖書の一節に、審判と裁きを司る王妃について記されている。
かの女神、その瞳に罪人を映せば罪科を見抜く。
かの女神、その身に背負いし輪によりて罪人へ慈悲を与える。
かの女神に罪科を見抜かれし者、その身に裁きを下されて転生の理へと還る。
この伝承通りに、罪科を背負う青年は〈天輪王妃〉の能力で裁かれた。並の騎士であれば、記されたように転生へと導かれる。
そう、並の騎士であればの話だ。
ゴウッ
繭が焼き破られて真紅の焔が荒れ狂い、刃と光の輪が蒸発する。
「やはり、ダメか……」
一瞬の間があったため、ルディアは安全な場所まで退避することができた。
しかし、二度目の完全開放を行うことは不可能だ。
そもそも完全開放というのは、〈剣〉の中に納められた神とその眷属の魂を活性化させ、本来の力を引き出すものだ。
その制御を行うのは、恩恵を与えられているだけの人間。無理に行使を続ければ、死に至るのは当然の摂理。
まして、真紅の焔は尋常ではない。僅かな時間とはいえ、抑え込むだけでも消耗が激しすぎる。
押さえていた延焼が起こり、空間が熱に歪んで地面が蒸発した。このままでは周囲一帯が消滅してしまう。
「悪く思うなよ。さっきも言った通りだ」
息を吐きながら自身の心臓を叩き、身体に纏う呪力を一点へ集中する。――と同時に、〈天輪王妃〉を構えて火柱の中心を見据えた。
「覇帝剣技・三重式:――」
地を蹴って力強く二歩踏み込み、最速の疾駆を以て火柱へと飛び込む。火柱の中で身を焦がしながら、押し返されないよう力任せに突き進んだ。
Ⅴ式:奔槍とⅦ式:疾風の合わせにより、中心にいる青年の元へたどり着いた。
「威吹」
Ⅰ式:穿千の突きを放ち、切っ先に収束させていた呪力を爆発させた。
残された全力を使い切り、ルディアは火柱の外へ放り出されて地に叩き付けられる。呪力を使い果たしたため、〈剣〉の顕現を維持できず淡い輝きとなって消滅した。
全霊を尽くした一撃を放ち、身じろぎすらできない彼女に焔は容赦なく押し寄せる。死を覚悟して目を閉じ、唇を噛み締めて襲うであろう苦痛に備える。
「奪え〈簒奪偽王〉」
焦熱が肌を撫でた瞬間、聞きなれた声が響く。
覚悟を忘れて驚きに目を開けると、そこには理を超えた現象が起きていた。荒れ狂う焔が中心へと吸い込まれ、使役するかのように青年が持つ〈剣〉に宿る。
融けたようなクレーターの中心で、煤汚れた姿でグランは立っていた。
「悪い、遅れた」
疲労を帯びた声で短く言い、焔を宿した剣を横に薙いで消滅させて近づいてくる。
「……馬鹿弟子、あまり心配させるな」
「弟子になった覚えは無い。…まあ、心配かけたのは悪かった」
普段通りの返しをした後に歯切れが悪く謝罪する彼に、ルディアは微笑を浮かべて意識を手放した。
真紅の焔が眼前に迫り、〈討滅英霊〉で斬ろうと呪力を迸らせていた時だ。
グランは自身に宿る二つの〈剣〉以外の力を引き出した。
「うおぉぉぉぁぁあっ――!」
〈剣〉の能力で無理やり制御して相殺し、呪力で身体能力を強化して押し返す。
「……見てらんねぇな」
肩を貸している〈簒奪偽王〉が、生気を取り戻した声で呟いた。
「自分で引き出した力を制御できてねぇ。そんなんじゃ、押し返す前に自滅するのが落ちだ」
(……そんなことは、わかってる。でも、ここでやらなきゃ死ぬんだよ!)
冷静な分析を聞いて一瞬だけ気が逸れ、腕が弾かれてしまう。
「馬鹿野郎、よそ見してんじゃねぇ!」
焦って声を荒げ、グランの首根っこを掴んで上へ跳躍する。
切り裂こうとしていた前方だけでなく、膨大な呪力で遮っていた左右と後方からも焔が押し寄せ、広場の床一面が紅蓮に染まった。
「らっ……!」
ジャラララッ
いつの間にか出現させた牙刃剣を振り、刀身を変化させて天井の隅へ突き刺した。振り子の原理で壁へ向かう。
「壁に剣を突きたてろ!」
大声で出された指示に従い、勢いを利用して突き立てる。黄金と真紅が混在する刃が、根元まで突き刺さって壁を爆散させた。
勢いのまま外へ飛び出すと、意志を持っているかのように真紅の焔がが眼前に噴き上がる。
「ちっ……!」
舌打ちをしながらも〈簒奪偽王〉はグランを引き寄せ、伸ばした刀身を縮めて回避した。
ある程度縮まって刀身が元の形状へと戻ると、二人は宙ぶらりになって下を見ることになる。
「突き立てろって言ったのに、壁を壊すんじゃねぇ! 危うく焦げ死ぬところだったぞ!」
「うるさい! こっちだって、制御できなくて必死なんだよ!」
必死に守ろうとしていた相手に、罵声を浴びせられて堪忍袋の緒が切れた。
「身に合わねぇ力を使おうとするからだ!」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ!」
力を引き出すことはできても、完全な制御はできていない自覚は彼にもある。しかし、使わなければ二人して死んでいた。
〈討滅英霊〉の能力を全開にしても断ち切れない焔には、それと同じ力で対応するしか方法を思いつかなかったのだ。
「てめぇの剣は、そこにいる野郎だけじゃねぇだろ」
怒りに荒いでいた声が、凪いだように告げた言葉にグランは目を見開く。
どんな心境か先ほどまでと打って変わった態度に、沈黙すると〈簒奪偽王〉の表情が怒りに染まった。
「勘違いすんじゃねぇ。お前の体は、いつか奪ってやる」
「……わかった」
思惑を理解できたわけではないが、言葉が真実であると信じることにした。ここで言い争いを続けていても何も無い。
「お前を捻じ伏せてでも使ってやる」
奪いに来ると言うのなら、それを迎え撃てばいいだけの話である。そう覚悟を決め、自身の中に潜む冷徹さを表に出すグラン。
「へっ…、いちいち癇に障るガキだ」
『友誼を結ぶのはいいが、現状を忘れるでないぞ』
言い争いを黙って聞いていた〈討滅英霊〉の声が響き、咎神の一柱である青年が睨みつける。
『あれ程の無茶な扱いを受けたのだ。我は眠りにつく』
「文句は聞かないぞ。黙って眠っとけ」
一言多いことは気にせず、英雄神の宿る〈剣〉を手放した。黄金の輝きに変化し、グランの体へと吸い込まれる。
「……使わせてもらうぞ」
「ああ、さっさと済ませろ」
煉獄と化した下方を見つめて言葉を交わすと、〈簒奪偽王〉は鋼色の輝きとなって天井に突き刺さる〈剣〉へと吸い込まれた。
意思を持つかのように自然と抜け落ち、所有者の手へと収まる。
生きた焔が噴きあがり、火柱となって襲い掛かってきた。その数は六つ。
それを見ても脅威とすら映らず、頭は冷えきっていた。
「奪え、〈簒奪偽王〉」
全身から呪力を放出して鎧と成し、鎖刃へ変化させた刀身を六つに分裂させて伸ばす。
―王を騙る者よ。殺戮を繰り広げる者よ―
―汝の凶気をもって、神とその眷属すら殺めたまえ―
―彼の敵より権能を奪い、新たな殺戮の糧と為したまえ―
〈剣〉を介して焔と自身を呪力で繋ぎ、制御を端から奪っていく。そして――、
―今こそ、汝の咎を曝け出せ―
〈簒奪偽王〉の能力を完全開放し、取り戻される前に奪い尽くす。
『ちっ…、随分と多いな。いい加減、破裂しそうだ』
息苦しそうな声が頭の中で響いたが、意識は眼前の焔を捉えたまま返す。
(もう少し辛抱しろ。一気に薙ぎ払う)
『あの野郎も言ってたが、随分と扱いが荒いな……』
やりとりを行っている間に、容量一杯までに焔が吸収された。伸ばしていた刀身を縮め、一つにして構え直す。
焔に包まれて熱に肌を焦がされながら、呪力を一気に〈剣〉へ流し込んだ。
―偽りの王よ。汝が簒奪せし権能を行使したまえ―
鋼色の刀身が真紅に染まり、その形を失って陽炎のように揺らめく。さらに呪力が注ぎ込まれ、封じた焔を燃え立たせた。
やがて呪力が白銀の巨大な刀身を生み出し、その周囲に焔が螺旋を描いて纏わりつく。
「覇帝剣技Ⅸ式・散華」
一息に放たれた六つの斬閃。白銀が世界を切り裂き、真紅が灰燼と為す。
灰が舞う視界が晴れると、そこは見覚えの無い場所だった。自身を中心として窪みがあり、焼き払われて焦土と化している。
グランはため息をつき、それが自分の起こした惨状だと受け入れたと同時に、この程度で済んだことに安堵する。
被害の規模を確認すると、横たわる女性を発見した。手に持っていた〈剣〉の顕現を解いて近づく。
「悪い、遅れた」
短く帰還を伝えると、女性―ルディアは文句を言って意識を失った。グランは彼女を焼け残った木の幹にもたれさせ、簡単に外傷が無いかを確認する。
微弱ではあるが、呪力による回復が始まっている。無意識なのだろうが、それほどの重傷でもない。
手当の必要が無いと判断し、空を見上げて星の位置を確認する。
「王城は、あっちか」
王城のある方角を見ると、昏い靄が立ち上っていた。嫌な予感に突き動かされ、地を蹴って駆け出す。
「――伝令者の長靴を履き、我は風よりも疾く翔けん」
魔術〈伝令者の長靴〉を発動し、障害を跳び越えて自分が守るべきものの元へ翔けた。




