封じられし存在
同刻、黄金の奔流が消えうせた薄暗い広間で決着がついた。
「ははは、こりゃ俺の負けか?」
薄暗い広間の中心で、黄金の刀身に胸を貫かれた青年が力なく笑った。戦闘中に凶気に満ちていた表情が嘘のようだ。
「……ああ、お前の負けだ」
誇りもせず淡々と告げ、グランは刀身を彼の体から引き抜いた。支えを失って膝から崩れた〈簒奪偽王〉は、息も絶え絶えに語りかける。
「ぐふっ……、鏡があれば、見せてやりたいぜ……。今のお前の顔を」
返り血を浴びながらも平然としている顔には、表情と言うものがこそげ落ちていた。死を宣告するように、瞳に冷酷な輝きが宿っている以外は何も無い。
それを見て嘲笑を浮かべながら、青年はグランへと語りかける。
「……それが、お前の、本性だ。…傷つける、ことはできても、守ること、なんて、できや……しない」
「………かもしれない」
沈黙の後に肯定を返し、手に持っていた〈討滅英霊〉を地面に突き立てた。そして、視線をあわせるためにしゃがみこんだ。
「でも、それがどうした?」
「な、に……?」
意図を理解することができずに問い返す〈簒奪偽王〉に、グランは深く息を吐いてから話し始める。
「確かに過去は否定できない。今の俺があるのは、その過去があったからだ」
冷酷さは陰を潜め、その表情に浮かぶのは呆れ。
「……………」
未だに意味が掴み切れないのか、青年は沈黙を返すことしかできない。
「でも、未来はどうだ? 過去から逃避するか引きずるか、向き合うかは誰が決める?」
施設から解放されて路頭に迷った先、〈剣姫〉の称号を持つ女騎士に出会った。
「誰かに決められた道を歩んだとしても、いつかは自分で決断する時が来る。そこで決断できなかったら、そこで道は終わっちまうんだよ」
彼女に稽古をつけられ、ある程度の実力を持ってからは放り出された。そして、行く先々で色々な人や物を見て周り、決断してきたからこそ今のグランはある。
「ただ決断するだけなら、誰にだってできる。問題は、どれだけの想いがあるかだ」
〈簒奪偽王〉が倒れたからか、世界が歪んで亀裂が走る。建物のあちこちで紅蓮の焔が上がり、退路が塞がれていく。
「強い想いを持って決断すれば、後は真っ直ぐ突き進むだけだ。それが、あの婆さんから教わったことだよ」
戦う力があるから、怪物を討伐することを選択したと思っていた。自分の居場所を持たない青年は、ここで自身の真意に気が付く。
(……俺は、居場所が無いという苦しみを誰にも感じて欲しくないから、自分の持つ力を使って怪物を討伐してきたんだ)
理由を誤っていた自身に苦笑し、グランは横たわる青年の腕を掴んで自分の首に引っかけた。
肩を貸すことで強引に立たせ、引きずる様に歩き出す。
「だから、俺の想いを押し通すことができるなら、背負ってでも引きずってでも行くよ。過去だろうと、何だろうとな」
すでに周囲は炎に包まれ、すべてを焼き尽くさんと言わんばかりに迫りくる。それを見たグランは突き刺していた〈討滅英霊〉を引き抜き、呪力を迸らせて流し込む。
「前みたいに力を貸してくれ、〈討滅英霊〉」
『……よかろう。其方の信念に免じて、此度も力を貸し与える』
黄金の輝きが、宙に星雲を思わせるよう太古の文字を描く。そして、そのすべてが刀身へ吸収された。
(…こいつは、とんでもねぇ馬鹿だ。……自分を殺そうとした野郎を助けようとするなんてな)
嘲笑うよう口を歪ませた――瞬間、それを感じ取ったように視線を向けられる。
紫色の瞳に感情は映っておらず、見透かすような底知れなさに息を飲まされた。
「ここを切り抜けた後、話があるから死ぬなよ」
耳に入ってきた言葉も頭に入らず、グランの動作一つ一つを追いかける。
呼吸が刃のように研ぎ澄まされ、〈剣〉を頭上に振り上げて眼前に迫っていた炎に斬撃を浴びせた。
神とその眷属の権能を無力化する聖剣の刃は、燃え盛る紅蓮を断ち切っていく――が、それでも完全に消しさることができなかった。
身を熱に焦がされ、勢いに押されて後退を余儀なくされる。
しかし、炎は前方だけでなく左右や後方からも迫ってきており、このままでは骨すら残さず灰となってしまう。
「うおぉぉぉおっ―――!」
大音声を放って全身から呪力を迸らせ、黄金の刀身に注ぎ込んでいく。果てしなく底の見えない甚大な力に、それを直に浴びせられている〈簒奪偽王〉は言葉を失っていた。
(……なんなんだ、こいつは。……ただの人間が、こんな……)
『此奴は、ただの人間ではない。其方も感覚を研ぎ澄ましてみろ』
驚愕に返ってきたのは、グランが振るっている〈討滅英霊〉のもの。その言葉の意味を確かめるために意識を傾けた。
黄金に注ぎ込まれる白銀の流れを認識し、それを遡って奥へと入り込んでいく――と、そこには固く閉ざされた門があった。
鎖が幾重にも巻きつけられ、それは頑丈な錠前によって門の端々で繋ぎとめられていた。まるで、強大な何かを封じているかのようだ。
(これは……、封印か? いったい、何が……っ!?)
風すらも通ることすらままならないほどに密閉されているが、奥からは漏れだす気配に全身の毛が逆立つ。
バキンッ
何かが砕ける音に目を向けると、そこに鎖を繋ぎ止めていた錠前の一つが破壊されていた。
門の奥に存在する何かが、その圧倒的な力により破壊したのだ。
奥で上げられる唸りと共に、僅かな隙間から紅い輝きが漏れ出る。
「こいつは、まさか……!?」
炎と同じ色のそれに、〈簒奪偽王〉は見覚えがあった。忘れることもできないそれは、死ぬ間際に奪うことのできなかった片鱗。
「そう、此奴の中に眠る力……。あれが持っていたものと同質。いや、そのものと言っても差し支えなかろう」
いつの間にか隣に立っていた少年に振り返り、取り乱すようにして胸倉を掴み上げた。
「てめぇ、何を知ってやがる!? なんで、あれが人間のガキなんざに封じられている!?」
「我にもわからぬ。ただ、言えることは一つであろう」
なんの抵抗もせず、されるがままの〈討滅英霊〉は抑揚無く告げた。
「あれが出てきた時、始末するのが我らの役目。ゆえに、死した我らの魂は呼び戻され、剣という形を与えられたのだ」
「っ………、くそがっ!」
英雄神を突き放し、再び門へと視線を向けた。そして、その手に牙刃剣を構える。
鋼色の輝きを纏わせ、連刃剣へと変化させて伸ばした。
「無駄だ。門が開いていぬ以上、あれに刃を通すことはできぬ。汝の権能も行使することさえかなわぬ」
制止の言葉も聞かず、武器を振るって紅い輝きに斬りつけた――が、触れた切っ先が一瞬で蒸発してしまった。
「ちぃっ……」
ほとんど反射的に腕を引き、刀身を縮めて牙刃剣へと形状を戻す。最初から存在していなかったかのように、切っ先から刀身の半ば近くまでが消え失せていた。
その様子を目にした少年は、苛立つ青年に向かって言葉の続きを伝える。
「あれの力に触れれば、次こそは魂をも焼かれて転生もできぬ。安易に手を出せば、その身を滅ぼすぞ」
耳に入ってくる言葉など聞こえないというように、剣の形状を頭蓋へと変化させて再度の攻撃を試みる。
その様子を見かね、〈討滅英霊〉は剣を抜いて間に割って入った。柄頭で頭蓋を叩き割り、〈簒奪偽王〉を押し戻す。
「……てめぇ、何しやがる」
「随分な物言いだな。我が止めていなければ、其方はその存在ごと消えていたぞ?」
床に仰向けになったまま問う彼に、少年は呆れ気味に言いながら門へ目をやる。
「今の我らがあれに手を出すことはできぬ。下手すれば、我ら諸共森羅万象が焼き尽くされるであろう」
「なら、あのガキを殺せばいいだろ!? あいつが死ねば、この封印ごと――」
「あれの力が暴走したら、どうするのだ? 次こそ世界が消え失せる」
思いつくままに言葉を口にしてみたが、それは冷静に否定されてしまう。
年に似合わない物言いで青年は諭され、自身の無力さを認めることに苛立ちを覚えた。
「……くそがっ!?」
怒りの矛先を向けることができず、地面へと拳を叩きつける。
「ここで嘆いていても、何も為せぬ。人の子を生かさなければ、遅かれ早かれ――」
「どうしろって言うんだよ!? あの炎は、俺らの力でどうにもできないだろうが!?」
声を荒げて掴みかかった瞬間、頭上に日輪が現れたかのように周囲が明るくなった。
白銀の輝きが上から降り、人の形を取って二柱の神の前に立ち上がる。
「お前は……!?」
「やはり、来たか」
〈討滅英霊〉と〈簒奪偽王〉が宿る〈剣〉の所持者―グランが、力の片鱗が漏れ出す門へと手を伸ばす。そして、白銀の呪力を迸らせて放った。
白銀の輝きが門へぶつかり、こじ開けようというように激しく揺らす。
「やめろ!? 自分が何してんのかわかってんのか!?」
掴みかかった青年は、不可視の障壁によって弾き飛ばされた。
「やめておけ。我らでは、人の子を止めることはできぬ」
「封印が解けたら終わりなんだぞ!? なのに、なんで冷静にっ――!?」
錠前が悲鳴を上げて鎖に亀裂が走り、門の内側から真紅の本流が氾濫を起こした川のように溢れだす。
そのすべてがグランの体へ吸い込まれ、白銀の輝きが真紅へと染まっていく様に絶句せざるをえない。
理の外にあり、理に反した力を人の体に納める。人はおろか神ですらも扱えぬそれは、たった一人によって行使されようとしているのだ。
「人の子が片鱗を引き出し、行使した後に封印は修復される。そのように術式は組まれているようだ。我らが手を出さなくとも、さして問題は無い」
「……なんだってんだ。あのガキは、いったい何なんだよ!?」
神の業すら超える力。それを行使する人の子。
森羅万象の理を崩壊させるがごとく、その事象は眼前で起こっていた。
「人の子は、今まで何度もあれを行使していた。そして、その度に自らの寿命を削っている。……やはり、対価を払わずに行使できるものではない」
対価を支払っていたところで、目の前の事象については何の解決も存在しない。
茫然と〈簒奪偽王〉が見つめる中、人の子は紅い輝きに姿を変化させて流星のごとく宙を翔けた。
「人の子が己の存在について疑問を持ち、それを知れば糸口が見つかるやもしれぬ」
〈討滅英霊〉の声を聞いて振り向くと、そこには黄金の輝きがあった。
「我は、それまで付き従う。……其方に我と共にあれとは言わぬし、己の義に従えば良い」
言葉を残して輝きは追いかけるように翔ける。
跡に残された咎神は、魂が抜けたかのようにその場で立ち尽くした。




