道化と傀儡の獣
「……さてと、諸君には夜も明けぬうちから集ってもらって申し訳ない」
早朝になろうかという時間に、騎士団は中庭に集まっていた。その中央に立つのは、戦闘用の装備に身を包んだ団長の姿。
「ある筋からの情報により、近日中に怪物が現れることがわかった。四人一組の小隊を作り、この時より警邏を行うことにする」
厳かに宣言する声は、微塵にも軽薄さが感じられない。騎士たちは息を飲み、異論を唱えることはなかった――が、
「少し待ってもらおう。団長殿に尋ねたいことがある」
「おい、エド。やめとけって!」
静謐な空気を乱す声が響き、それを制止しようとする声も上がった。
全員の視線が、銀髪と赤髪の青年二人に集中する。
「何かな? エドリック第三席」
アルバートは自身を睨むような鋭い視線を受け止めながら、獰猛さを体から滲ませて威圧する。
「事は一刻も争う。もし何かあるのなら、後ほど書類にして提出してくれるかい?」
一切の反論すらも許さない雰囲気に、その場にいたほとんどの者が身を震わせた。
「……妙に固い言葉で繕っているな。お前は――」
「わー! 待った待った。何でもありません! すみませんでしたっ!」
鋭く切り入れようとしたエドワードの声に被せ、アーサーは彼の押さえて自身も共に頭を下げた。
「なら、いいんだけどね。……なお、僕を含む第三席までは王城に残るので、それ以外の者は弛むことなく任務を全うしてくれ」
「「「了解しました」」」
乱れた空気を塗りなおし、命じたアルバートに一同は声をそろえて応じる。やがて四人一組にの小隊を作り、備え付けられている隠し通路へと入って行った。
騎士団の上位にいる三名だけが残る。
「いい加減に放せ」
「わかったよ。……突っ走んなよ」
強引に頭を提げさせられたエドワードが抗議し、アーサーは放しながら彼に釘を刺す。
「さてと、君たちは疑問点について書類をまとめておいてくれ」
言葉を残して立ち去ろうとするアルバート。その進路に二人は割り込んで足を止めさせた。
「いちいち些細な疑問まで書類にまとめるのは、手間以外の何でもないと思いますが? その場で答えることができないほど、後ろ暗い事情があるのですか?」
「言ったそばからかよ……。まあ、否定はしねーけどな。それで、実際のところはどうなんですか?」
鋭く質問を切り入れるエドワードに、呆れ気味のアーサーは打って変わって加勢する。
いくらアルバートが大騎士であろうと、上位騎士の二人を相手取るのは厳しい。
「やれやれ、妙な言いがかりをつけないでくれないかい。後ろ暗いことなんて何も無いよ」
肩をすくめて質問に否定を返す――と、すかさず疑問が突き入れられる。
「なら、質問させてもらっても構わないですよね?」
「お前の言った「ある筋」とは、どこのことなのか教えてもらおう」
語調を強めながら、いつでも〈剣〉を抜けるよう構える。
そんな二人に黙り込んだアルバートは、一歩退きながら表情をこそげ落とした。そして、表情を歪ませて笑う。
「……君たち二人を残しておいて正解だったよ。少し――」
言葉を遮るように瘴気が立ち昇って渦巻き、包み込まれた彼の姿が変化する。
突如として現れた死の気配に、上位騎士である二人は反射的に呪力を纏った。
「力試しに付き合ってもらおうか? 殺しはしないから、安心してくれていい」
鋭い牙の生えた口腔が開き、そこから響くのはグリオード騎士団団長アルバートのもの。
黒い獣は大木のように太い腕を振り上げ、叩き潰すように振り下ろす。
ドゴッ
軽々と地面に大穴が穿たれ、尋常で無い土煙が舞った。その中から、呪力の輝きを纏った二人が飛び出す。
「やはり、あの医師からの情報は事実だったか……。気をつけろ、次が来るぞ!」
「っていうか、この状況はまずいだろ! どうすんだよ!?」
「ここで仕留めるか、最悪の場合は相打ちを覚悟しろ!」
「……だよなっ!」
二人は言い合いながら、獣の一挙手一投足をひらりひらりと避ける。そして、その手に〈剣〉を召喚した。
「無駄だよ。君たち程度なら、軽く吼えるだけで充分だ」
鼻で笑うかのように否定し、獣は宣告した通りの行動を起こす。
グオォォォォォンッ
渦巻く瘴気が衝撃と共に空震を起こし、斬りかかった二人は飲み込まれて吹き飛んだ。
「ぐあっ…!」「くっ…!」
不可視の壁にぶつかった衝撃で肺から空気が抜け、そのまま二人は気を失ってしまう。
力なく横たわる彼らを睥睨し、獣は唸りながら笑いを漏らした。
「〈剣〉を抜いた上位騎士を圧倒し、殺さずに下すことのできる力。……これなら――」
『ふふふっ、そろそろ人型になってもらえますかねぇ?』
悦に入って様子で爪をかけようとしたところに、遮る耳障りな声が頭に響いた。
『結界を張るのは、かなり労力が必要なのですからぁ。貴方を始末して、そちらの二人を作り変えてもいいんですよぉ?』
「……申し訳ありません、レンヴィー様様」
獣は頭を垂れて瘴気へと変化し、再びアルバートの姿を構築した――直後、何も無い空間に檻が出現した。
格子は網目状になっており、鼠一匹すら通れないほど隙間が小さい。先ほどエドワードとアーサーがぶつかったのは、この檻だったのである。
道化が虚空より出現し、指を鳴らすと檻はドロリと溶けて消えた。
『強力なのは確かですが……、素体となった人間の妄執が影響していますねぇ。これは、進言したほうがよろしいでしょかぁ?』
人の姿をした異形を観察し、首を傾げて悩む素振りを見せる道化。
しばらくして何か思いついたのか、ポンと手を打って笑う。
『ふふふっ。せっかくですから、人形劇と洒落込みましょうかねぇっ』
言いながら右手を振り上げて下ろすと、その手には二つの棒を交差させた道具が握られている。
道化が軽く動かすと、四つの先端から糸が伸びた。
ズバッ
糸はアルバートの体を貫き、体内に潜り込んでいく。
カチャッ、カチャカチャッ
手を軽く開いたり閉じたりすると、まるで操り人形のように動く。それを見て満足したように頷くと、道化はもう片方の手にも同じ道具を持った。
新たな四本の糸が伸び、アルバートの体内へと潜り込む。
それを確認して両手の道具を同時に動かすと、先ほどよりも動きが滑らかになった。
『ふふふっ、これで大丈夫でしょうぅ。演目は、《英雄の叛乱》とでも名づけましょうかねぇ? 貴方は、どう思いますかぁ?』
尋ねながら道具を動かすと、アルバートが忠誠を誓うかのように跪いた。
「まさに、絶望をもたらすに相応しい演目だと思います」
その答えを聞いて、道化――咎神レンヴィーは不気味な笑いを漏らす。
『ふふふっ、貴方には期待していますよぉ。我らが盟主のために、一人でも多くの騎士を道連れにすることを願っていますぅ』
「このアルバート、僅かながら尽力させて頂きます」
両手の道具を動かして操作し、アルバートに返事をさせた。そして、両腕に地面に横たわっている二人を抱え上げさせる。
『それでは、決行までは姿を眩ませる事にしましょうぅ。……その騎士たちを造りかえる必要もありますしねぇ』
「御意」
粘着質な黒い液体が足元から噴き上がり、飲み込んで地面に染み入るように消えた。跡には何も残らず、穿たれた地面も何も無かったかのように元通りになっている。
そこへ手に短剣を握った白衣の人影が現れ、地面に膝をついて撫でるように調べた。
「あの二人でも無理だったみていだね? ……というよりも、彼らに情報を伝えたのは間違いだったかな」
口調の変化と共に、僅かでも痕跡が残っていないかシャルルは探る。そして、何も無いことに落胆しながら立ち上がった。
地面が脆くなってもいなければ、黒い獣の体毛すら落ちていない。
灯り代わりにしていた短剣を宙に放ると、それは光の粒子になって拡散する。
「……あれを中断させて連れ戻すしかないか。症例の研究としても不十分だけど、働き口が無くなると面倒だしね」
言いながら茂みの中へ潜り込み、万が一にも人目につかないよう忍び足で立ち去った。
空も白み始めて新たな一日が始まるが、その光景とは裏腹に不吉な闇が蠢く。




