潜む毒牙と表裏の代行者
次話から大きくアクションを起こしていきますので、振り落とされないように気をつけて読んでください。くれぐれも、章を読み終えるまではお付き合いください!
王族が食事を取る部屋のドアの前に、一人の壮年が立って盗み聞きしていた。
やっている事は感心出来ないものの、その凛々しさの中にある甘い顔立ちに侍女たちは俯いて遠巻きに眺めている・
「……ふむ。姫君が、グラン=スワードと誓約を交わしたのか。……思った以上に小癪で薄汚いな」
言葉の端々から滲み出るのは、野性味を感じさせる獰猛さ。
ここで誰かが声をかけたとしたら、次の瞬間に牙をむいて食い殺しそうな雰囲気を纏っている。
『そのようですねぇ? あの忌まわしき騎士が不在の今、絶好の機会だというのに手を出せなくてもどかしいのでしょうぅ?』
そんな状態の壮年に、耳障りで苛立ちを誘うふざけた声がかかる。
殺気を伴って彼が振り返ると、どこにも声の主らしき人物はいない。曲がり角の陰に隠れている侍女たちがいるが、聞こえてきた距離とあまりにも違いすぎた。
『ふふふっ、探しても無駄ですよぉ? なぜなら、貴方の意識に直接話しかけているのですからぁ』
(……君は誰かな? あまり長話をされるのは困るし、もし敵であれば探し出して殺してあげるよ。今、とてつもなく不愉快なんだ)
言葉通り頭の中で響くため、壮年は念じるようにして話しかける。
会話方法が通常と異なり、他に向ける意識が疎かになってしまう。もし部屋の中から誰かが出てきて、自分がいることを報告されるのは面倒だったからだ。
『ふふふ、敵になるかどうかは貴方しだいですよぉ。〈獅子王〉の名を冠する大騎士様ぁ』
声はそんな事情を知ったことではないと言うようで、壮年―アルバートは殺気立っている上に苛立ち始めた。
(薄気味悪い声だけ聞こえてくるね。…まさかとは思うけど、君が姫君を攫った賊かな?)
『…仮にそうだったとしたら、どうなさるつもりですかぁ? 貴方には私の姿は見えていませんし、このような場所で〈剣〉を抜くわけにもいきませんでしょうぅ? ふふふっ』
脅しをかけるように話しかけると、声はそれを逃げるように正論で勢いを押し殺した。
アルバートは思わず苛立ちに舌を打ちをし、頭を切り替えて声の言った内容を何度か反芻する。
(……敵になるかどうか、私次第だと言ったね? それは、どういうことなのかな?)
やや交渉に興味をそそられ、尋ねるとすぐに耳障りな返答がある。
『ふふふっ、至極簡単なことですよぉ? あの騎士のことを忌まわしく思っているのは、私も同じですからねぇ。ここは手を取り合って始末しませんかぁ?』
提案に沈黙を返し、しばらく歩いて滅多に人の来ない聖堂へと入ってドアに体を預けた。
精緻な装飾のされたステンドガラスの美しさに目もくれず、己の内に湧き上る衝動に駆られていることを自覚して口の端を吊り上げる。
「……なるほど、そういうことなら話だけでも聞いてあげるよ。まあ、私が簡単に靡くと思わないでくれよ? 君が怪物たちを従えていることは、部下達から聞いているからね」
粘りのある黒い靄が影から湧き出て、人の形を取って目と鼻の先に現れる。
『ふふふっ。もちろん、そのことは承知しておりますよぉ』
大仰に礼をするそれは、聖堂に似つかわしくない声を響かせた。
アルバートの内にあった衝動が狂気へと変わっていく。
時が刻まれるのは早く、夕日に染まった空を見上げながらセフィアはため息をついた。
「グラン、いつになったら戻ってくるの……?」
今この場にいない友人の問いかけるが、必然として答えが返ってくることは無い。憂鬱さが増すばかりで、何一つ気持ちに明かりを灯すことはなく暗く沈んでいく。
今朝と比べて恐怖を感じる程ではないが、心の内で不安が蟠っているのだ。
「セフィア様、もう日も低くなっております。体を冷やす前に中に入られて、紅茶を飲んではいかがですか?」
背後に控える侍女が話しかけるが、聞こえていないのか振り返らない。
この部屋に初めて配属された侍女は、勝手がわからずに戸惑うばかりだ。そもそもリーゼやアンリが常にいたため、他の侍女は仮面を着けたセフィアしか知らない。
主の素顔を知る二人は罰として謹慎を言い渡されているため、彼女たちを部屋に呼ぶことすらできない。追放されず城内に留まることができていることを考慮すれば、事が穏便に済んだと言えるだろう。
心の安穏を得ることができず、城下の風景を見つめて物思いに耽ることぐらいしかできない。セフィアはそんな自分の弱さを痛感し、仮面を外した素顔を見られないようにしながら涙を流す。
「っ―、っ――」
漏れそうになる声を押し殺し、泣いていることを悟られないようにするだけで精一杯だ。
王族とは名ばかりの少女は騎士のように武力を持たず、商人のように財力を持たず、貴族のように権力を持つこともできない。
意志を喪失した彼女は、無力な存在へと成り果てかけていた時――
コン、ココン、コン
特徴的なノックの音が聞こえ、セフィアは驚いたように振り返った。
見知らぬ侍女が傍にいるため、ドアに駆け寄りたい気持ちを押さえ込んだ。ここで簡単に部屋へ入れてしまっては、ノックの意味を知られて城内に噂として流れてしまう。
希望と期待に胸が熱くなり、不安と無力感が払拭されるのを感じながら、淑女の仮面を着けて貴き王女を演じる。
「……誰かしら? これから紅茶にするつもりだから、火急の用でなければ遠慮してほしいのだけれど」
『医師のシャルル=ジョンソンです。グラン=スワードから伝言を託されて来ました』
聞き覚えの無い声に、高所から突き落とされたかのように気持ちが沈む。しかし、それは次の言葉を聞いて一転した。
『先ほど、謹慎中の侍女二名も往診してきたところです。伝言を預かっているのですが』
「入室を許可します。今、侍女にドアを開けさせるので待ちなさい」
ドアの外にいる人物に命じた後、室内へ入りながら侍女へ視線を送る。
「囀れ〈静鳴雀鳥〉」
ドアが開いた瞬間に声が響き、淡い輝きが放たれて侍女が床に倒れ伏す。それを抱き起こして移動させるのは、手に特殊な形状をした短剣を持つ男性。
「少し手荒な真似をしてしまい申し訳ありません。人の口に戸は立てられないと言いますからね?」
なんとも奇妙な喋り方に顔を強張らせ、セフィアは警戒心を強めて後ずさった。部屋に入ってくるなり侍女を気絶させた相手に、気を許せという方が無理な話である。
さらに言うなら、手に持った凶器が恐れを抱かせるのに充分な理由だ。
「自分は医者ですから、貧血で倒れたとでも診断しておきますよ? こういう時に言い訳ができるから、医者というのは立場的に楽でいいですよね?」
部屋の隅に倒れないよう体勢を整えてもたれさせ、白衣の男性―シャルル=ジョンソンは振り返って短剣を手放した。床へ落下するそれは白銀の粒子となって消える。
何も持っていないことを示すように、彼は降参するかのように両手を挙げた。
「お初にお目にかかります。騎士団を担当する医師のシャルル=ジョンソンと申します」
中性的な顔立ちからは想像できない声と共に口調と雰囲気が一変し、恐怖が背筋を駆け上がって悲鳴を上げかける。しかし、それは交錯した視線で捻じ伏せられてしまった。
心音が耳に響くのを聞きながら、震える唇でどうにか言葉を紡ぐ。
「……ふ、二人から伝言があると言っていたわよね?」
仮面などとっくに剥がれ落ち無力な少女の素顔が現れ、それを見たシャルルは一度瞬きをしてため息をつく。
「そう怖がらないでくださいよ? グラン=スワードに言われた通り、素顔を見せただけですから?」
おどけたような口調は黒い悪魔を思い起こさせ、セフィアは体を恐怖に震わせて動けなくなってしまった。
「……姫君、あまり怯えないでくださいよ? 別に取って食いはしませんから」
どちらの口調も怯えさせてしまうので、思案しながらどうずればいいか探る。極端な二面性というのは、こういった時に面倒なのだ。
「とりあえず、立ち話もなんですから座りませんか? 三人分の伝言は長話になりますし」
代行を果たすべく上げ下げを繰り返し、冷たすぎず温すぎないよう調整していく。
不敬罪に当たるかもしれないと考えながら、先に提案した自身がイスに腰掛けた。
「紅茶が欲しいところですが、無いものねだりなので諦めます。さて、どれから話しましょうかね」
やや低めの声で固定して話し、内容には癖を持たせることに決めた。
彼がしばらく考える素振りを見せていると、セフィアは恐る恐るといった様子で反対側に座る。まるで人見知りをしながら好奇心を持つ子供のようだ。
「じゃあ、まずは侍女二人からの伝言からにします。歳が上の方から、「謹慎はすぐに解けますから、毅然として王族でいなさい」だそうです」
付き合いの長い侍女の笑顔を思い浮かべ、目の前にいる男から意識が一瞬だけ逸れる。
「歳が下の方は、「私は謹慎でも関係ないから、しばらくは白い変人を頼って」だそうです。なんとも失礼な女の子でしたよ」
言いながら鼻を鳴らし、おどけたように肩をすくめてみせた。
慣れない役柄に苦労して額に汗をかいているが、見知らぬ相手に気を許せないセフィアは気がついていない。
「まあ、二人はそんな感じでした。たぶん、そのうち小さい方が抜け出して来ると思いますよ」
冗談のつもりであろう言葉に、たまに神出鬼没な小さい侍女を思い出す。
同じ部屋で傍に置いていても姿を消す彼女であれば、ありえない話ではないように思えて僅かばかり心に余裕が生まれた。
「あと、最後にグラン=スワードからです。これを伝える前に、一つだけ報告しなければいけません」
行方知れずだった青年の名前を聞いて反面、後に続いた含みのある言葉に不安を抱かされる。
「グランの身に、何かあったの?」
じわじわと滲み出してくる恐怖を感じながら、セフィアは今朝と同じ問いを口にした。
常人ならば躊躇するだろうが、シャルルは医師兼研究者として伝える。
「騎士でも稀な障害が起き、しばらくは〈剣姫〉のもとで療養させることにしましたよって、しばらくは〈剣姫〉のもとで療養させることにしました」
「死」という言葉はあまりにも現実感が無さすぎる。
理解が追いつかないのか、信じることができないのか、言葉が出ず視線が空を彷徨う。
「そんな顔をしないでやってくださいよ。「心配をおかけして申し訳ありません。すぐに戻ります」と言っていましたし、誓約を結ぶほどの信頼があるんですよね?」
耳に響く声に無意識に頷き、利き手を胸に引き寄せた。
王錫の紋章が浮かび上がり、鼓動するかのように明滅する。まるで、主従の絆を表しているかのように。




