永劫の烙印
序盤で重すぎるかもしれませんが、この章に必要な要素ですのでお付き合いください。
……重いなぁ。暗いなぁ。
修錬場のドアを開けて外に出ると、上から何かが降ってきた。音も無く地面へ落ちたそれは、すくっと立ち上がって埃を払い落とす。
「ん。やっぱり天井は埃っぽい。この服で潜り込んだのは失敗だった」
「……ずっと天井裏にいたのか?」
グランはドアを後ろ手で閉めながら、カチューシャやリボンがずれていないか確かめるアンリに話しかけた。
「セフィア様の命令だから仕方が無い」
「……………そうか」
自慢げに小柄な体相応の胸を張る彼女に、微妙に視線をそらしながら考える。
(…いくら命令だからって、天井裏に潜り込む必要は無いんじゃないか?)
信用されて無いと考えるのは早計。
右手に呪力を纏うと、輝く剣の紋章が浮かび上がった。先日、セフィアとの間に結んだ誓約の証だ。
この誓約が結ばれている以上、彼は裏切ることができない。つまり、信用を得るにたる覚悟は示している。
「セフィア様の命令だけじゃないよ? グランが騎士団で苛められてないか気になったから」
紋章の浮かんだ右手を掴み、見上げてくるアンリにグランはため息をついた。そして、苦笑を浮かべる。
「とりあえず、サンキュな。……でも、天井に潜り込むのはやめとけ。野良猫と間違えられて捕まるぞ」
空いている左手で髪の毛についた埃の塊を取ってやり、注意も兼ねて少し乱暴に撫で回して解放した。
乱された髪を整えた見上げて来る顔には、ありありと不満が浮かんでいたが、それをは無視して鍛錬場の横にある井戸へ向かう。
アンリと話したおかげか、彼の複雑だった心中はいくらか楽になったらしく、無表情の裏に隠していた感情が溢れた。
(……いくら恐れられようと構わない。これは自分で決めた道だ)
『随分とご立派だな? あれこれと理由をつけて、自分自身を誤魔化してるだけのくせに』
己が進む騎士道を見極めたグランの頭に、不意に響いた嘲笑うような声。まるで釘を打ち込まれたかのような頭痛に襲われ、思わずよろめいてしまう。
「グラン?」
背後から聞こえてくる少女の声に構わず、頭の中で声の主に話しかけた。
(誰、だ……?)
『おっと、聞こえちまったか。もう少しかかると思ったが……』
声は夢の中に出てきた少年のものではない。暴力的な気質を露にしつつ、声はグランに干渉し続ける。
『本当は気がついているだろ? 適当な理由をつけて自分を正当化してるだけだってことに』
(何の、ことだ……?)
言っている意味がわからず、問い返すとため息をつく音が聞こえてきた。
『……やれやれ、随分とあの野郎に洗脳されているみたいだな。まあ、いい』
ふと声と共に痛みが引いた。一瞬、意識が遠のいて体が傾く。
肩で息をしながら地面に膝をつきかけて耐えると、腰のあたりに誰かが抱きついて支えてくれた。視線を動かすと、見上げてくるアンリの姿が視界に入る。
「グラン、大丈夫?」
「……ああ、少し眩暈がしただけだ。それより、声が聞こえなかったか?」
自分を支えようと動いたことから想像はついているが、グランは念のために彼女に確認を取った。ここで返ってくる答えによっては、二つの可能性が生まれるからだ。
「? 何も聞こえなかったけど……。医務室に行く?」
ますます心配になったのか、小さい侍女は支えようと全身に力を入れる。その瞬間、いつも曖昧な彼女の気配が一つに焦点を結んだ。
その小さい体からは考えられない存在感。強い意思を宿していることが伝わってきた。
「っ…! いや、そこまで深刻じゃない」
油断していたため一度は飲まれかけてしまったが、鍛え上げられた精神力を動員して正気を取り戻した。
崩れていた姿勢を修正し、頭痛によって浮かんだ額の汗を布で軽く拭う。そして、気がつかれないよう息を整えながら歩き始めた。
アンリが追いかけて来るのを感じながら、彼は先ほどの声について思考する。
(…あの声、アンリには聞こえなかった。ということは、呪力を持たない人間には聞こえないのか?)
先日、黒い道化と相対した時はルディアにも聞こえていた。そのことから可能性としては高いが、まだセフィアに確認を取っていないので確信できない。
捕われていた彼女は心に傷を負っている心配もあり、無理に思い出させるのは気が引ける。そう考えながら、グランはもう一つの可能性を思い浮かべた。
(…俺にしか聞こえない声だったのか?)
これには思い当たる節があった。
確認を取っておらず、そんな話は聞いたことが無い。しかし、ありえないと切り捨てることもできない。
結局、二つの可能性のどちらか判断がつかなかった。
これ以上は考えても無駄と思考を打ち切り、井戸の前で立ち止まって騎士服の上を脱いだ。持っていた木剣と共に置こうとした――ところで、後にいたアンリが素早く奪って近くにある木の枝にかけた。
それを横目で見ながら桶を落とし、滑車を経由して繋がる縄を引いて水を汲み上げる。布を水に浸そうとしたところで、今度は横から桶と共に奪い取られた。
「……おい」
ことごとく取り上げられるので睨むと、小さい侍女は何でも無いように布を水に浸して絞っていた。そして、さも当然そうにグランの体を拭い始める。
自分より小さいとはいえ、異性の顔が息がかかるほど至近距離にある。グランは複雑な気分になりながら、ふと気になったことを彼女に尋ねた。
「…そういえば、アンリは何歳なんだ?」
「………わからない」
「わからない。って、まさか……」
自分の年齢がわからない。そういった人間は二種類に分けられる。
一方は戦争や内乱で物心つく前に親を亡くした孤児。もう一方は、裏社会で特殊技能を身につけるために鍛えられた人間。
無音移動や曖昧な気配、無意識へと滑り込む歩法、手に持った物をすり取る手わざ。そのどれもが彼女が、どちらなのかを示す材料になった。
「私、三年前にセフィア様に拾われた。それより前は孤児院みたいなところにいた」
気がついたことに気がついているのか、アンリはあえて誤魔化すような表現を使って手を止める。
「だから、セフィア様に言えないことは私に話して。協力する」
自分を見上げて訴えかける彼女に、グランは何も言わず布を奪い取った。首から上を手早く拭って桶の水で洗い清める。
水を付近にある植木の根元に捨て、木にかけられた騎士服を取ろうとして手が空を掻いた。見てみると、木剣共々消えてしまっている。
「グラン、こっちだよ」
聞こえてきた声に振り向くと、アンリが騎士服と木剣を持って立っていた。
返してもらおうと手を伸ばすと、彼女は後ろへ跳んで逃げる。一歩近づくと一歩退き、抱えた物を決して放さないというよう抱きしめた。
「……何のつもりだ?」
「ちゃんと約束するまで返さない」
威圧するよう語気を強めて問いかけると、返ってきたのは頑なな拒絶。
アンリは自分と同質の何かを彼に感じ、同じ主に仕える従者として秘密の共有を提案してきた。それを無視して流そうとしたので、強硬手段を取ってきたのだろう。
彼女の意図を正確に理解した上で、グランは諭すような口調で言った。
「お前と俺じゃ、同じ従者でも責任の重さが違う。話したところで、どうにもならないことだってあるだろ」
騎士と侍女。この二つは同じ従者でも、その役目はあまりにも違いすぎる。
侍女は主の傍らで傅き、身の回りの世話をする使用人。決して手に武器を持つことは無く、その手を汚すことはない。
騎士は主の傍らに控え、迫り来る脅威を断ち切る守護者。常に剣を携行し、必要があれば手を汚すことさえある。
同じような過去を辿ってはいても、二人が今いる立場は違いすぎた。
「それでも、グランと私は同じ」
「気持ちはありがたく受け取っておく。だけど、これとそれは別の話だ」
「でも――っ!?」
互いに平行線を辿ろうとしたところで、グランは鋭く一歩踏み込んだ。反応してアンリが横へ跳んで躱そうとしたところで、身体を深く沈めて回し蹴りの要領で彼女の足を払った。
踏ん張りを利かせていなかったため、騎士服と木剣を構えたまま地面へと倒れこむ。
ぽすっ
「……受け身ぐらい取れよ。っていうか、すげー軽いな」
地面との間に入って受け止めたグランは、腕の中にいる少女が軽すぎることに驚いた。
抱きしめた感じから、しなやかな筋肉がついているのがわかる。しかし、その割に体重が無さすぎるのだ。彼女が小柄だということを考えても異常である。
「ちゃんと食べてるのか?」
「……普通の量だと多すぎて食べきれない」
「あー、小食なのか……」
思わず心配して尋ねると、納得の答えが返ってきた。
「グラン、レディに体重の話はマナー違反。セフィア様とリーゼが言ってた」
「……そうなのか?」
唐突な豆知識に聞き返すと、アンリは首を縦に振って肯定した。
「ん。グランはデリカシーが無い。女の敵」
「……そこまで言われるのか。まあ、否定はできないな」
ルディアに拾われる前にいた場所では、心を壊すほど生きるために必死で考える暇が無かった。そもそも、周囲に気にするような人間がいなかったのだ。
拾われた後は最低限の生活能力と常識を身に教わったが、授かった〈剣〉の扱いと剣術の稽古でほとんど頭の中から吹っ飛んだ。
放浪している間は色々とあったが、それほど学ぶ機会は無かった。
「このことセフィア様に報告していい?」
「……勘弁してくれ。リーゼさんがおっかない」
セフィアに報告されるということは、リーゼに伝わる可能性が高いということだ。もし彼女に伝わったら、今朝の比でない剣幕で説教を受けるのは目に見えている。
今朝のことを思い出すだけで、グランは砂を食べたような気分になった。
「じゃあ、報告しない代わりに約束する?」
「……………」
首を傾げるアンリの口調は質問に聞こえるが、言っている内容は脅迫そのものである。
相手は自分が守る少女の従者だ。口封じをするわけにもいかない。
『何を躊躇う必要がある? 目障りだと思うなら殺せばいい』
再び声が頭の中で響いた。反射的に奥歯を食いしばって頭痛に耐える。
『殺し、奪う。かつてのお前がやっていたことだ』
(黙れ……!)
凄まじい痛みに耐え切れず、体に薄っすらと呪力を纏った。
呪力は騎士にとって生命力と同義。体に巡らせることで身体能力を強化でき、余剰分が体から流出して鎧となる。
強化しているのは自己治癒能力。
荒くなった息が整い、頭痛が少しだけ和らぐが――
『そんなことしたって無駄だ。無駄』
頭の中で響く声までは消すことができない。
呪力で魔術を行使することはできるが、この声へ対処する方法は無い。
『いくら御託を述べようが、血塗れの過去は消せねぇ。その証拠に、お前が――』
「黙れ! そんなことはわかってる!」
「…っ? グラン?」
掻き消そうと大声を出し、呪力を途切れさせてしまった。過呼吸になって膝が笑い、あの感覚に襲われる。
体の芯から凍てつき、指先の感覚が喪失。そして、最後に意識が霞んで消えた。
『お前の過去こそ、永劫に消えない烙印。血に穢した手で何を守るつもりだ』




