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王女と異端の騎士  作者: 瀧野せせらぎ
第二章 簒奪の咎神
26/61

永劫の烙印

序盤で重すぎるかもしれませんが、この章に必要な要素ですのでお付き合いください。

……重いなぁ。暗いなぁ。

 修錬場のドアを開けて外に出ると、上から何かが降ってきた。音も無く地面へ落ちたそれは、すくっと立ち上がって埃を払い落とす。

「ん。やっぱり天井は埃っぽい。この服で潜り込んだのは失敗だった」

「……ずっと天井裏にいたのか?」

 グランはドアを後ろ手で閉めながら、カチューシャやリボンがずれていないか確かめるアンリに話しかけた。

「セフィア様の命令だから仕方が無い」

「……………そうか」

 自慢げに小柄な体相応の胸を張る彼女に、微妙に視線をそらしながら考える。

(…いくら命令だからって、天井裏に潜り込む必要は無いんじゃないか?)

 信用されて無いと考えるのは早計。

 右手に呪力を纏うと、輝く剣の紋章が浮かび上がった。先日、セフィアとの間に結んだ誓約の証だ。

 この誓約が結ばれている以上、彼は裏切ることができない。つまり、信用を得るにたる覚悟は示している。

「セフィア様の命令だけじゃないよ? グランが騎士団で苛められてないか気になったから」

 紋章の浮かんだ右手を掴み、見上げてくるアンリにグランはため息をついた。そして、苦笑を浮かべる。

「とりあえず、サンキュな。……でも、天井に潜り込むのはやめとけ。野良猫と間違えられて捕まるぞ」

 空いている左手で髪の毛についた埃の塊を取ってやり、注意も兼ねて少し乱暴に撫で回して解放した。

 乱された髪を整えた見上げて来る顔には、ありありと不満が浮かんでいたが、それをは無視して鍛錬場の横にある井戸へ向かう。

 アンリと話したおかげか、彼の複雑だった心中はいくらか楽になったらしく、無表情の裏に隠していた感情が溢れた。

(……いくら恐れられようと構わない。これは自分で決めた道だ)

『随分とご立派だな? あれこれと理由をつけて、自分自身を誤魔化してるだけのくせに』

 己が進む騎士道を見極めたグランの頭に、不意に響いた嘲笑うような声。まるで釘を打ち込まれたかのような頭痛に襲われ、思わずよろめいてしまう。

「グラン?」

 背後から聞こえてくる少女の声に構わず、頭の中で声の主に話しかけた。

(誰、だ……?)

『おっと、聞こえちまったか。もう少しかかると思ったが……』

 声は夢の中に出てきた少年のものではない。暴力的な気質を露にしつつ、声はグランに干渉し続ける。

『本当は気がついているだろ? 適当な理由をつけて自分を正当化してるだけだってことに』

(何の、ことだ……?)

 言っている意味がわからず、問い返すとため息をつく音が聞こえてきた。

『……やれやれ、随分とあの野郎に洗脳されているみたいだな。まあ、いい』

 ふと声と共に痛みが引いた。一瞬、意識が遠のいて体が傾く。

 肩で息をしながら地面に膝をつきかけて耐えると、腰のあたりに誰かが抱きついて支えてくれた。視線を動かすと、見上げてくるアンリの姿が視界に入る。

「グラン、大丈夫?」

「……ああ、少し眩暈がしただけだ。それより、声が聞こえなかったか?」

 自分を支えようと動いたことから想像はついているが、グランは念のために彼女に確認を取った。ここで返ってくる答えによっては、二つの可能性が生まれるからだ。

「? 何も聞こえなかったけど……。医務室に行く?」

 ますます心配になったのか、小さい侍女は支えようと全身に力を入れる。その瞬間、いつも曖昧な彼女の気配が一つに焦点を結んだ。

 その小さい体からは考えられない存在感。強い意思を宿していることが伝わってきた。

「っ…! いや、そこまで深刻じゃない」

 油断していたため一度は飲まれかけてしまったが、鍛え上げられた精神力を動員して正気を取り戻した。

 崩れていた姿勢を修正し、頭痛によって浮かんだ額の汗を布で軽く拭う。そして、気がつかれないよう息を整えながら歩き始めた。

 アンリが追いかけて来るのを感じながら、彼は先ほどの声について思考する。

(…あの声、アンリには聞こえなかった。ということは、呪力を持たない人間には聞こえないのか?)

 先日、黒い道化と相対した時はルディアにも聞こえていた。そのことから可能性としては高いが、まだセフィアに確認を取っていないので確信できない。

 捕われていた彼女は心に傷を負っている心配もあり、無理に思い出させるのは気が引ける。そう考えながら、グランはもう一つの可能性を思い浮かべた。

(…俺にしか聞こえない声だったのか?)

 これには思い当たる節があった。

 確認を取っておらず、そんな話は聞いたことが無い。しかし、ありえないと切り捨てることもできない。

 結局、二つの可能性のどちらか判断がつかなかった。

 これ以上は考えても無駄と思考を打ち切り、井戸の前で立ち止まって騎士服の上を脱いだ。持っていた木剣と共に置こうとした――ところで、後にいたアンリが素早く奪って近くにある木の枝にかけた。

 それを横目で見ながら桶を落とし、滑車を経由して繋がる縄を引いて水を汲み上げる。布を水に浸そうとしたところで、今度は横から桶と共に奪い取られた。

「……おい」

 ことごとく取り上げられるので睨むと、小さい侍女は何でも無いように布を水に浸して絞っていた。そして、さも当然そうにグランの体を拭い始める。

 自分より小さいとはいえ、異性の顔が息がかかるほど至近距離にある。グランは複雑な気分になりながら、ふと気になったことを彼女に尋ねた。

「…そういえば、アンリは何歳なんだ?」

「………わからない」

「わからない。って、まさか……」

 自分の年齢がわからない。そういった人間は二種類に分けられる。

 一方は戦争や内乱で物心つく前に親を亡くした孤児。もう一方は、裏社会で特殊技能を身につけるために鍛えられた人間。

 無音移動や曖昧な気配、無意識へと滑り込む歩法、手に持った物をすり取る手わざ。そのどれもが彼女が、どちらなのかを示す材料になった。

「私、三年前にセフィア様に拾われた。それより前は孤児院みたいなところにいた」

 気がついたことに気がついているのか、アンリはあえて誤魔化すような表現を使って手を止める。

「だから、セフィア様に言えないことは私に話して。協力する」

 自分を見上げて訴えかける彼女に、グランは何も言わず布を奪い取った。首から上を手早く拭って桶の水で洗い清める。

 水を付近にある植木の根元に捨て、木にかけられた騎士服を取ろうとして手が空を掻いた。見てみると、木剣共々消えてしまっている。

「グラン、こっちだよ」

 聞こえてきた声に振り向くと、アンリが騎士服と木剣を持って立っていた。

 返してもらおうと手を伸ばすと、彼女は後ろへ跳んで逃げる。一歩近づくと一歩退き、抱えた物を決して放さないというよう抱きしめた。

「……何のつもりだ?」

「ちゃんと約束するまで返さない」

 威圧するよう語気を強めて問いかけると、返ってきたのは頑なな拒絶。

 アンリは自分と同質の何かを彼に感じ、同じ主に仕える従者として秘密の共有を提案してきた。それを無視して流そうとしたので、強硬手段を取ってきたのだろう。

 彼女の意図を正確に理解した上で、グランは諭すような口調で言った。

「お前と俺じゃ、同じ従者でも責任の重さが違う。話したところで、どうにもならないことだってあるだろ」

 騎士と侍女。この二つは同じ従者でも、その役目はあまりにも違いすぎる。

 侍女は主の傍らで傅き、身の回りの世話をする使用人。決して手に武器を持つことは無く、その手を汚すことはない。

 騎士は主の傍らに控え、迫り来る脅威を断ち切る守護者。常に剣を携行し、必要があれば手を汚すことさえある。

 同じような過去を辿ってはいても、二人が今いる立場は違いすぎた。

「それでも、グランと私は同じ」

「気持ちはありがたく受け取っておく。だけど、これとそれは別の話だ」

「でも――っ!?」

 互いに平行線を辿ろうとしたところで、グランは鋭く一歩踏み込んだ。反応してアンリが横へ跳んで躱そうとしたところで、身体を深く沈めて回し蹴りの要領で彼女の足を払った。

 踏ん張りを利かせていなかったため、騎士服と木剣を構えたまま地面へと倒れこむ。

 ぽすっ

「……受け身ぐらい取れよ。っていうか、すげー軽いな」

 地面との間に入って受け止めたグランは、腕の中にいる少女が軽すぎることに驚いた。

 抱きしめた感じから、しなやかな筋肉がついているのがわかる。しかし、その割に体重が無さすぎるのだ。彼女が小柄だということを考えても異常である。

「ちゃんと食べてるのか?」

「……普通の量だと多すぎて食べきれない」

「あー、小食なのか……」

 思わず心配して尋ねると、納得の答えが返ってきた。

「グラン、レディに体重の話はマナー違反。セフィア様とリーゼが言ってた」

「……そうなのか?」

 唐突な豆知識に聞き返すと、アンリは首を縦に振って肯定した。

「ん。グランはデリカシーが無い。女の敵」

「……そこまで言われるのか。まあ、否定はできないな」

 ルディアに拾われる前にいた場所では、心を壊すほど生きるために必死で考える暇が無かった。そもそも、周囲に気にするような人間がいなかったのだ。

 拾われた後は最低限の生活能力と常識を身に教わったが、授かった〈剣〉の扱いと剣術の稽古でほとんど頭の中から吹っ飛んだ。

 放浪している間は色々とあったが、それほど学ぶ機会は無かった。

「このことセフィア様に報告していい?」

「……勘弁してくれ。リーゼさんがおっかない」

 セフィアに報告されるということは、リーゼに伝わる可能性が高いということだ。もし彼女に伝わったら、今朝の比でない剣幕で説教を受けるのは目に見えている。

 今朝のことを思い出すだけで、グランは砂を食べたような気分になった。

「じゃあ、報告しない代わりに約束する?」

「……………」

 首を傾げるアンリの口調は質問に聞こえるが、言っている内容は脅迫そのものである。

 相手は自分が守る少女の従者だ。口封じをするわけにもいかない。

『何を躊躇う必要がある? 目障りだと思うなら殺せばいい』

 再び声が頭の中で響いた。反射的に奥歯を食いしばって頭痛に耐える。

『殺し、奪う。かつてのお前がやっていたことだ』

(黙れ……!)

 凄まじい痛みに耐え切れず、体に薄っすらと呪力を纏った。

 呪力は騎士にとって生命力と同義。体に巡らせることで身体能力を強化でき、余剰分が体から流出して鎧となる。

 強化しているのは自己治癒能力。

 荒くなった息が整い、頭痛が少しだけ和らぐが――

『そんなことしたって無駄だ。無駄』

 頭の中で響く声までは消すことができない。

 呪力で魔術を行使することはできるが、この声へ対処する方法は無い。

『いくら御託を述べようが、血塗れの過去は消せねぇ。その証拠に、お前が――』

「黙れ! そんなことはわかってる!」

「…っ? グラン?」

 掻き消そうと大声を出し、呪力を途切れさせてしまった。過呼吸になって膝が笑い、あの感覚に襲われる。

 体の芯から凍てつき、指先の感覚が喪失。そして、最後に意識が霞んで消えた。

『お前の過去こそ、永劫に消えない烙印。血に穢した手で何を守るつもりだ』

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