結ばれる誓約
体を這い回る冷たい感覚があるが、意識が朦朧として何も考えることができない。
誰かに首を掴まれても抵抗できず、それを受け入れてしまう。
(………?)
不意に違和感が生まれ、僅かに身じろぎした。
『心を壊されたか。……だが、まだ手遅れではない』
自分とそう変わらない少年の声が聞こえてきた。
『我を呼び覚ました人の子に免じ、また主より授けられた我が義に従い、汝の魂を人界へと連れ戻す』
紗がかかったように遮られ、曖昧だったすべてがはっきりしていった。
声の主だろうか、誰かが自分に傍らに立っていことがわかる。
その誰かに抱きかかえられると、触れ合った部分から温もりが広がっていくのを感じ、安らぎを得たように微笑を浮かべて眠りについた。
「んっ……」
再び目を開けると、白い大理石の天井が見えた。体を包むのはさわり心地のよいシルク。
「姫様? 姫様!」
「……よかった。目を覚ました」
聞き覚えのある二つの声。起き上がって確認してみると、心配そうに覗き込んでくる顔が二つ。
「リーゼとアンリ、どうしたの? あと、伯爵の館で休んでいたはずだけれど、いつの間に王城へと戻ってきたのかしら?」
侍女たちの名前を呼び、自分の置かれた状況を把握しようとする。民を統べる者としての判断力がそうさせた。
「……姫様、何も覚えていらっしゃらないのですか?」
リーゼの表情に困惑の色が見て取れた。
(いったい、何があったというの?)
自分は何も覚えていない。眠っている間に何があったというのだろうか、と思考を巡らせて記憶を掘り返そうとしたところに、
コン、ココン、コン
特徴的なノックの音が響いて中断させられる。しかし、それはセフィアの疑問を解消してくれる人物の訪れを意味していた。
「入りなさい」
許可してすぐにドアが開き、入ってきたのは自分を守護する青年。
「気が付いたのか?」
驚いて目を丸くするグランに、新鮮さを感じて少し前に考えていたことを忘れてしまう。
「起きてて大丈夫か? 一週間ほど寝込んでたんだから横になってろ。目だった外傷は無いにしろ体力を奪われえているから、しばらく安静にしておけ」
有無を言わさない勢いで近寄り、ベッドに優しく押し倒されて布をかけなおす。その強引さに早鐘を打つように鼓動が高鳴った。
「ん? 顔が赤いな熱があるんじゃないか?」
過保護に心配してくる彼の変わりように、混乱して耳まで熱くなるのを自覚する。
「~~~っ。わ、わかった。だから、少し離れて! 離れなさい!」
「こほん」「姫様、真っ赤」
思わず廊下まで響いてしまう声を出し、釘を刺すような咳払いと指摘が飛んでくる。見れば、二人の侍女が距離を取ってこちらを見守っていた。
何とも言いがたい感情を押し隠し、命令に従って離れたグランの方へと意識を戻す。
「と、とにかく、心配はいらないわ。……いったい、何があったのか教えて」
仮面を被ったように無表情で無関心だった彼が、自分を異常に心配するようになったのだ。何も無かったはずがない。
「わかった。……お前が賊に誘拐されていたんだ」
グランの口から語られたのは、絶望を思わせる悪夢だった。本当に起こったとは思えない夢語りのようだが、それを裏づけるように欠落していた記憶が戻る。
思い出すだけで体の芯から凍りつきそうな恐怖に耐え、話を最後まで聞き終えたセフィアは深く息を吐く。
「……そう、そんなことがあったの」
あの不気味な悪魔の手から自分を救い出してくれた守護者。
悪意に慣れていたつもりだったが、彼は遥かに強い心の持ち主だったのだろう。そうでなければ、語られた悪夢に立ち向かうことなんてできなかったはずだ。
専属の騎士なんて不要だと言っていた浅ましさを痛感すると同時に、彼が自分の騎士だったことに感謝した。
何かを恩返しをしたいと思ったが、彼は父との誓約に従ってくれたに過ぎない。気持ちを抑え、主従の契約に則って褒美の代わりに言葉を与える。
「私をあの恐ろしい悪魔の手から救い出してくれたことに、改めて感謝を述べます。神々から〈剣〉を授けられし騎士グラン=スワード」
形式上、主の言葉が終わると同時に従者は跪かなければならない。しかし、目の前にいる騎士はそうしなかった。
「……礼なんていらない」
形式に従わないどころか、下賜した言葉を否定した。
あまりにも予想しなかった状況に、セフィアは悪夢を忘れて彼の顔を見る。
「俺はアンタを守ることができず、賊の手に落としてしまった。本来なら誓約を破棄されて追放されるところを、あの婆さんの権威でここにいる」
他者に押し付けるわけでもなく、捻じ曲げて隠し通すわけでもない。
仮面を着けたように眉一つ動かない無表情で、淡々と事実を語って強く否定する。
「それに、俺は自分で決めたことのために剣を振るっただけだ。誓約は関係無い」
「スワード殿、いくらなんでも――むぐっ」
「邪魔したらダメ」
儀礼を無視し誓約を軽んじる発言に、リーゼが注意しようとしてアンリに口を塞がれる。
「ここで俺に誓約してくれ。命ある限り守護するように」
誓約は騎士にとって呪縛にしかならない。それを増やすことは命の危険を伴う。
(……何を考えているの? そんなことをすれば――)
青年の言葉に呆然とし、彼の顔を正面から見ていたセフィアは気が付いた。
青年の言葉に呆然とし、彼の顔を正面から見ていたセフィアは気が付いた。その瞳に宿る強い意志が見える。
以前のような感情さえ覆い隠していた仮面を外し、彼は内面を曝け出している。
そこから読み取ることができるのは、今まで誰からも感じたことのない熱。
「……わかったわ」
セフィアは頷いた。ここで自分が何を言っても、目の前の青年を曲げることさえできないと感じたからだ。
「でも、一つだけお願いがあるわ」
曲げることはできないならば、彼が押し通したように自分も押し通す。
絶対に譲ることのできない条件を突きつける。
「私を守るなら、まず自分自身を守りなさい。自分を守れない人間に他人を守ることなんてできないわ」
王族としての地位に甘んじることなく、様々な思惑が渦巻く王城の中で自分を守れるよう律してきた。その日々の努力が実ったことで、数年前に拾った出自不明のアンリを自分の傍らに置くことができている。
「貴方が死ねば、私も死んでしまう。それを心得なさい」
不快感を込め、命じるように強く言う。
グランは「命ある限り」と言った。それは自分の命を賭して守るという意味で、そんな誓約を受け入れるつもりはない。
たとえ命を賭して民を守るのが騎士の役目だと理解していても、それを以前から疑問に思っていたセフィアにとって拒むには充分な理由だった。
まだまだ外の世界の話は聞き足りない。ようやく見せる感情をもっと見てみたい。何よりも身の安全と引き換えに、大切な友人を失うなど考えたくなかった。
そして、それを軽々しく言ってのけるのではなく、覚悟を持って言っているのであれば余計に腹立たしい。
「私を守ると言うのなら、生涯を終えるまで守りなさい。それが約束できないなら、お父様に誓約を破棄してもらうわ」
お互い自分の覚悟を見せ、決して退こうとしない。主従の関係を忘れ、二人は無言で視線による交渉戦を行った。
ここで退けば、どちらの矜持を曲げなければいけない。そして、どちらかが曲げなければ終わらない。
「……わかった。それでいい」
長いやりとりの末に折れたのはグラン。
彼は自分の意思を捻じ曲げ、不満げな口調で渋々とセフィアの提示した条件を承諾した。
よく見てみると悔しさが滲み出ているような気がするが、そんなことを気にするよりも彼が約束してくれたことに安堵する。
「貴方の気が変わらないうちに、誓約を結んでしまいましょう」
言いながら上体を起こし、グランの方へ利き手を差し出した。
「神々が定めし理に則り、グリオード第二王女セフィアの名において守護者グラン=スワードと誓約を交わす」
長く形骸化した主従の誓約をなぞり、彼女の白く細い手を取って跪いた。そのまま主の言葉に耳を傾ける。
「貴方はこの守護する騎士であり、かけがえのない友人でもあることを決して忘れることなく、私を守るように自分自身も守りなさい」
内容に承諾すれば、誓約は結ばれることになる。それが現代における誓約の形式だ。
「この身に〈剣〉を授けし天界の神々に誓い、違えし時は魂に永劫の烙印を刻み、この身は冥界の亡者となるでしょう」
誓約の言葉の後、グランはうっすらと呪力を体に纏った。それを見た全員が驚きに息を飲む。
「――我は一振りの剣。地上の民を守る者。ゆえに、この誓約は我が枷となれ」
呪文の詠唱を行い、触れているセフィアの手に魔法陣が展開する。中心に鎖に絡まった剣の紋章がある特徴的なものだ。
長く形骸化して王族や貴族には忘れ去られ、騎士でさえ知る者が少ない誓約の魔術。
これによって結ばれた誓約は絶対的な強制力があり、多くの騎士が使用することを拒絶し、また王族や貴族も好まなかったそれを使用した。
グランは魔法陣の中心――中指に口付けると、彼の体に太古の文字が走って魔法陣と共に消滅する。
「これで誓約は成った。俺はアンタの物だ」
顔を上げて宣誓する彼の顔を、セフィアは呆然と見つめることしかできなかった。
第一章はこれにて終幕です。
物語は第二章に繋がりますが、ここまで読んでいただいた方には、評価していただけると嬉しいです。Twitterでも感想やアドバイスを受け付けていますので、辛口だろうとなんだろうと遠慮なくどうぞ。
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