道化の生む悪夢
『ふふふ、そろそろ目を覚ましていただけますかねぇ?』
おどけた気味の悪い声が耳に入り、背筋が震えてセフィアの意識は覚醒した。
うつ伏せの状態から体を起こし、周囲を見回して言葉を失う。
地面が無いのだ。
いや、地面が遥か下方にあると言った方が正しいのだろう。彼女は足場の無い空中に寝かされていた。
『おやおや、どうしましたぁ? 顔が真っ青ですよぉ?』
何がおかしいのか、声は笑いを含んでいる。
『ああ、人間にとっては異常な光景ですからねぇ?』
指を鳴らす音と共に、セフィアを取り囲む檻籠が出現する。そして、その外に黒い道化が現れた。
目元は仮面をつけ、口は横たえた三日月の形に歪んでいる。
『ご機嫌よう、人間の姫君よ。ふふふ』
甲斐甲斐しく頭を下げる姿に、得体の知れない恐怖で震える唇がようやく動いた。
「…あ、あなたは、何者なの? 私を、どうするつもりなの?」
『平静を装うとしていますが、声が震えていますねぇ?』
指摘を受けて呼吸が止まり、意識が遠のきかける。
『おっと、気を失ってもらっては困ります』
道化の声と共に、無理やり意識が引き戻された。
体に走る不快感に悲鳴を上げようとするも、唇が鍵をかけたように動かない。手足も指一本にいたるまで、自分の意思で動かすことができなかった。
「~~っ」
騎士団団長アルバートに触れられるよりも、遥かに恐ろしい感覚が全身を這い回り続ける。
声にならない声。自由に動かすことのできない体。気を失うことも許されず、恐怖に精神が侵されていく。
『ふふふ。少し気持ち悪いかもしれませんが、我慢してくださいねぇ? ああ、なんと心地よい気分なのでしょう!』
彼女の儚く脆い心が壊れていく様に、道化は肩を抱いて天を仰いだ。
その姿を瞳は映さず、焦点が狂い、虚ろとなって感情が消失した。
『おっとぉ、心が壊れてしまったようですねぇ。…ふふふ』
道化は檻籠の上に跳び乗り、両手で空に大きな円を描いた。
すると、黒い靄が生まれて円盤状に固まる。そして、その表面に地上の様子が映し出された。
草一本も無い荒野に立つのは四人。黒い衣服を纏った青年と美しい淑女、戦闘用の装備をした二人の男。
『…ふむ。援軍を連れて来るかと思ったのですが、当てが外れてしまいましたねぇ』
顎に手を当てて首を傾げるが、すぐに肩を震わせて嗤った。
『まあ、いいでしょう。特に支障はありませんし、始めましょうかねぇ』
道化が一回転すると、ドロッと頭から溶けて檻籠と共に跡形も無く消えた。セフィアの姿も無い。
『ふふふ。ふふふ。ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ』
まるで狂乱したかと思わせる嗤い声が、天高くから地上まで響き渡った。
どこからともなく瘴気が噴き上がり、地上を満たして四人を囲みこんだ。道化が生み出した悪夢が、現実となって彼らに襲いかかる。
少し時間軸が跳びましたが、その辺りはご愛嬌ということで。
さて、次は今作品で一番の見せ場となります。お付き合いください!




