伸び来たる魔手
長い昔話を聞きながら時は過ぎ去り、一行は目的地までの道中にある町に宿泊。グランは王女が寝る部屋の前に立っている。
セフィアは泣き疲れたのか館に到着するなり眠ってしまい、そのあどけない顔を見てルディアは優しく微笑んでいた。
(王女様も、あんな風に泣くんだな)
いくら王族とはいえ、年齢は自分と三つしか変わらない少女なのだ。儚く脆い心を守るため、自分の周囲に壁を築いてきたはずだ。
ほとんど記憶の無い母親の話を聞き、その壁に僅かな綻びが生まれてしまったのだろう。
(……母親か)
グランには両親の記憶が無いが、まるで放浪中に何度も目にした親子のようだと感じたことを思い出す。
同時に湧き上がってくるのは、暗く重い自分自身の過去だ。
全身から血の気が引き、指先が凍ったような感覚に襲われた。徐々に体の芯まで熱を奪われていく。
「……何をそんな難しい顔をしているんだ?」
声に反応して腰に吊るしたサーベルではなく、袖に隠し持っていた短剣で振り向きざまに薙ぎ払った。鋭く鳴り響く金属音と共に、失われた熱が戻ってくる。
「いきなり斬りつけるなど、ご挨拶だな?」
「……あんたか」
短剣の刃を呪力を纏った右手で受け止めている彼女を見て、グランは体を強張らせたまま睨みつける。
「前にも言ったと思うが、いつまでも過去を引きずるな。前に進めなくなるぞ」
ルディアの言葉に舌打ちをして、短剣を袖へと納める。そして、今までになく弱い声で言葉を放った。
「…前に進むための目的が見つからない」
「理由がなくとも人は前に進むしかない。とも、私は言ったはずだ」
昼間の戯れを楽しんでいた人物とは同一と思えない口調。青年を弄ぶ一面もあれば、年相応の見識を持つ一面もある彼女の言葉に顔を背けた。
「それに、当分の目的は用意してやったんだ。弱音を吐くのはいいが、その目的を失うまでは頑張ってみろ」
「……わざわざ説教しにきたのか?」
「いいや、少し聞きたいことがある。騎士団の連中に聞いてもはぐらかされるんで、お前に聞いた方が手っ取り早いだろ?」
ずいぶんと身勝手な言い分に、怒りもせず呆れもせずに黙り込む。
「最近、グリオード周辺の守りが手薄になっている噂を耳にした。そこで、借りを作っている騎士から面白い話を聞いてきた」
彼女の話に思い当たる節があった。それも、つい最近に身近で起こったことだ。
「……意識不明になった騎士が〈剣〉を失ったのか?」
〈剣〉を失った騎士は必然と呪力を失い、ただの人間へと成り下がってしまう。
守りが薄くなるということは、その要である騎士に何か問題が起こったと考えるのが自然。そして、疑問を持つまでもなく確信へと至る。
「やはり、王城でも同様の現象が起こっていたのか。あの発情した獣が姫君の護衛についていないのも納得できるな」
「……発情した獣?」
「騎士団団長アルバート・レガリアだ」
「………」
大抵の人間は己に仮面をつけることで生きている。むしろ仮面をつけずに生きることなど不可能。
アルバートの着ける仮面の下には、獣の持つ獰猛さがあったことをグランは知っている。しかし、発情という言葉には結びつかない。
「まあ、その話は今のところ忘れておけ。いずれ嫌でも知ることになる」
自分で脱線させた話を元へ戻すルディアに、言われた通り忘れることにした。
「……アンタはそれが何なのかを調べているのか?」
「……まあ、私の大切な姫君のことも心配してな」
「親馬鹿。それで、何かわかったのか?」
くすぐったそうに言いながら脱線しそうになる彼女に、即座に引き止めて話を戻す。
「いいや、何もわかっていないさ。お前が何か知っているかと思ったが、どうやら見当違いだったらしい。本当に役立たずな弟子だ」
「…俺は道具じゃない」
あまりの言い草に思わず反抗すると、先ほどとは逆に睨みつけられた。まるで切り裂かれたように息が詰まる。
「…なら、過去を思いつめるな。過去は変えることができないのだからな」
「………」
再び訪れた沈黙。二人は何も言わずに視線を合わせたままドアの前に立っていると――
ごぽり ごぽっ
何かが湧き上がる音が聞こえてきた。頭の中で警鐘が鳴り響き、グランはその場から飛びのいた。
さきほどまでいた場所に、黒く巨大な蛇の咢が床から飛び出して閉じる。あの場にいたら、抵抗することもなく呑み込まれていたはずだ。
がっ
鈍い音が耳に突き刺さり、振り向くとルディアが黒い何かを細剣で受け止めていた。直立歩行するそれは、異様に太い腕で二撃目を与える。
〈鋼王の鉄壁〉の呪文を詠唱する声が聞こえ、巨大な鋼の盾が出現して彼女を守った。
その様子を見ながら着地と共に短剣を握り、呪文を詠唱し〈鋼王の剣〉を発動させる。
(…こいつらは怪物か? …いや、それにしては出現の仕方がおかしい)
瘴気と呼ばれる黒い靄が発生し、それが一つの箇所に渦巻いて凝縮することで怪物は生まれる。しかし、そのような前兆を全く感じなかった。
疑問に思っている暇はなく、背後に危険を感じて呪力を迸らせて振り向きざまに蹴りを放った。
ごっ
鉄を蹴りつけたような衝撃が返ってきて、天井を破壊して上へ吹き飛ばされる。偶然にも、自分が開けた穴から正体を確認できた。
(…牛?)
さらに、驚くべき現象が起こる。
周囲の風景が黒く塗りつぶされ、瞬時に天まで届きそうな壁に取り囲まれたのだ。壁は広がり、果てがない一本の道を作り上げる。
(…何が起こっている!?)
状況がわからないまま地面へ降りようとすると、黒い何かが群れをなして向かってくるのが見えた。
ウオォォン
遠吠えは犬に似ているが、明らかに大きさが違う。
チャキッ
鳴り響く金属音に振り返ると、そこには二つの甲冑が立っていた。いずれも顔が無く、一方は巨大な剣を構えており、もう一方は両方の篭手から湾曲した刃を生やしている。
前方には得体の知れない獣の群れ。後方には二体の甲冑。このままでは挟み撃ちにあう。
(…一か八か、やってみるしかないな)
状況がわからない上に、考えている暇はない。グランは覚悟を決め、深く息を吸って己の全神経をそれに集中した。
後方にいた二体の甲冑が駆け出し、その刃で切り刻もうと迫って来る。
危機が迫っているにも関わらず、短剣を持つ手を下ろして体から力を抜く。その動作とは正反対に、纏う呪力は輝きと勢いを増していった。
前方から迫って来た獣の群れが囲んで爪牙を突き立ててくるが、呪力が強固な防御壁となって阻む。
目を閉じて心臓の鼓動を感じながら、自分とそれを繋ぐ門を無理やり開いて辿っていった。そして、意識で捕らえて引き寄せる。
(…来い。……こっちへ来い!)
後方から迫って来た二体の甲冑が獣の群れを飛び越え、刃を振り下ろして防御壁へと突き立てた――瞬間、迸る呪力の色が真紅へと変わる。
ドッ ドッ ドクンッ
「ふっ…」
一際高い鼓動と共に鋭く息を吐き、紅い輝きが爆ぜて周囲を染め上げた。
破壊の力が荒れ狂い、獣の群れと二体の甲冑が吹き飛び、取り囲んでいた壁に亀裂が走って消滅していく。
一言で言い表すなら、意思無き力の暴走。
無差別に破壊をもたらし、すべてを無に還そうとするがごとく止まることはない。
制御しきれない力は自分をも滅ぼしてしまう。
ゆえに、グランは早口で太古の言語による詠唱を行った。
―来たれ、討滅英霊―
「災禍を討ち滅ぼせ!」
顕現した〈剣〉の放つ呪力が静かに広がり、紅を切り裂いて相殺していく。
やがて二色の輝きが鎮まると、元いた館の上に立っていた。
幻を見ていたのか疑ったが、屋根に空いた大きな穴と手に持つ〈剣〉が現実だと伝えてくる。
「……ずいぶんと無茶をしたようだな。危うく死ぬところだったぞ」
横から聞こえてきた声に振り向くと、そこには明らかに疲労した様子のルディアが腰を下ろしていた。彼女の手にも〈剣〉が握られている。
「……生きてたのか」
「これでも、まだまだ現役だからな。…それより、何か言うことがあるんじゃないか?」
「何も問題無かっただろ。強いて言うなら、さっさと引退してくれ」
ちくちくと小言を言ってくる彼女に、皮肉を返して体から力を抜こうとした。
その時――、
ごぽりっ
不吉な音が聞こえた。
まるで水中で眠っていた凶悪な何かが、覚醒と共に水面へとでてきたかのような音だ。
『………どうやら、我が軍は任務を遂行できたようですねぇ?』
この世のものとは思えない声に、全身の肌が粟立つ。
『ふふふっ、そう怯えないでください?』
「貴様、何者だ?」
どこからともなく聞こえてくる声に対し、ルディアが立ち上がりながら尋ねた。
その意図を理解したグランは、目を閉じて瞬時に集中力を高める。
『名乗るほどの者でもありませんよぉ? あえて述べさせてもらうなら、あなた方の敵ですかねぇ?』
「……私たちの敵なら、そんなに悠長に喋り方をせずに逃げたらどうだ? こう見えても、それなりに腕が立つ騎士だぞ」
低い声で脅しをかけるように言うと、何がおかしいのか耳を障る笑い声が聞こえてくる。
『ええ、存じておりますよぉ? …ですから、あなた方が大切になさっている者を手中に納めた。と言ったら、どうでしょうねぇ?』
「何?」
謎の声に集中力が乱され、やろうとしていたことが中断される。
『ふふふ、返して欲しければ取引をしましょう』
「………」
言っていることが真実か偽りか判断できず、ルディアは下手に刺激することを恐れて沈黙してしまった。
『このまま行程通りに目的地へ向かってください。その場で要求を述べさせていただきます。お互いに、いい取引ができることを祈ってますよぉ?』
何度も頭の中で響いて聞こえた声と共に、いつから感じていたのかわからない重圧から解放される。
師弟の間に重い空気が流れ、まるで示し合わせたかのように駆け出した。




