小さき侍女の使命
(……ここ、だ!)
白光に視界を焼かれながら、弾かれそうになる剣を力づくで引き戻した。そして、無理やり鍔迫り合いへ持ち込む。
「うぉああぁっ!」
空いている左手で拳を作り、賊の鳩尾に向けて叩き込む。
「…ほぉ? 少しは成長したようだな」
感心したような声が耳に入ってきた次の瞬間、なぜかグランの体は吹き飛んだ。
背中から地面へ落ち、胸を踏まれて身動きを封じられた。さらに、首に切っ先を当てられて詰み。
「かはっ……」
「Ⅶ式改・紫電だ。見せるのは一回きりだから、体で感じて習得するといい」
言いながら、賊は顔に巻いていた布を解いて放り投げる。正体を現した彼女を睨みつけた後、グランはあきらめたようにため息をついた。
(……やっぱりな。どういうつもりか知らねーけど、面倒なことをしてくれたな)
「……鍔迫り合いの状態から放つ迅雷で、防御ごと吹き飛ばしただけだろ」
「ほぉ? どうやら、感覚は鈍っていないようだな」
「どうでもいいけど、さっさと足をどけてくれ」
仮面を取っ払って半眼で文句を言うと、ルディアは笑顔を浮かべて体重をかけてきた。
「随分とつれない態度だな。せっかく褒めてやったのに、少しは喜んだらどうだ?」
肺から空気が抜け、息苦しくなるのも気にせずぶっきらぼうに言い放つ。
「あんたが奇襲してきたことを、王女様に報告しないといけないんだ。それと、そっちの二人にも説明する必要があるだろ」
「ふむ…」
視線を横へ向けて説明すると、それに納得したのか足をどける。そして、グランは首根っこを掴まれて起き上がらされた。
ぞんざいな扱いに文句を言わず、服に付着した土埃を手で払う。
「…どういうことなのか、さっさと説明してもらおうか」
苛立ちを隠そうともしないエドリックの声に、思わず肩をすくめて道化の仮面を着けなおした。
「……お騒がせしてすみません、師匠が俺の様子を見に来たみたいです」
「ただ様子を見に来ただけで、この騒ぎか?」
眉間にしわを寄せ、爆発寸前という様子。質問の形を取っているが、有無を言わさず納得のいく説明をするよう命令してきている。
「………本当に、すみません」
選択肢が他に思い浮かばず、頭を可能な限り低くして謝罪した。絶妙なタイミングで、元凶であるルディアが助け舟を出す。
「すまない。コイツが王族付きになったはいいが、放浪でどれだけの力をつけたか気になってな…」
この説明に納得できるはずはないが、師弟の謝罪を受けてエドリックは溜飲を下げた。ずれた眼鏡をくいっとかけ直し、その冷めた瞳を向けて事務的な対応を行う。
「……時と状況、場所を考えてください。このことは帰還後に上へ報告させてもらいます。場合によっては反逆罪となることもあるので、そのつもりでいてください」
「それは構わないさ。……姫君へ謝罪するために謁見を願ってもよいだろうか?」
「…お伺いしてみましょう。グラン=スワード、さっさとセフィア様に報告しにいけ」
指示を受けたグランは、サーベルを鞘に納めて馬車の方へ走り出した。そして、御者と馬の様子がおかしいことに気がつく。
一度も瞬きをせず、身じろぎさえしていないのだ。近づいて確認してみると、白目を剥いて失神していることがわかった。
(…呪力を浴びせて意識を刈り取ったのか)
間近で戦闘が起こっていたににも関わらず、馬が暴走することはなかったことを思い出す。
ルディアの周到さに感心するも、眉間にしわを寄せてため息をついた。
「どうしたの?」
「御者と馬が気絶している。しばらく足止めだな」
馬の陰から現れたアンリに驚きもせず、現状を簡単に説明して肩をすくめてみせる。
「そう。…セフィア様には、私が報告しておくから」
「頼む。あと、〈剣姫〉が謁見を願ってることも伝えてくれ」
余計な仕事が増えたため、彼女が引き受けてくれたのをいいことに押し付けた。
「〈剣姫〉って、あなたの師匠?」
「……まあ、そういうことにしておいてくれ」
一瞬だけ苦い顔をして沈黙したが、甘んじて不本意な関係を受け入れることにした。
そんな彼の様子を見たアンリは、首を傾げながら顔を覗き込んだ。詮索されるのを避けるため、グランはそっと彼女の頭を押し返しながら言う。
「早く報告に行ってくれ。セフィア様が不安がってるはずだ」
「ん。わかった」
素直に頷いて子猫のように駆け、鍵を開けて馬車に乗り込んだ。それを見送って息をつきながら、右手に呪力を纏わせて馬の頭部を撫でた。
「――癒しの手よ。この者の命に火を灯せ」
対象の潜在的な治癒回復能力を活性化する〈御使いの燐光〉。
火の粉が舞うように、呪力が粒子となって馬の体に吸い込まれていく。
その状態のまま少し経つと、淡い光に包まれた馬は瞼を閉じて首をぶるぶると振った。
(いったい、何がどうなっているの?)
グランの予想通り、セフィアは馬車の中で不安を感じていた。
馬車が関所を通過した次の瞬間、急停車して剣戟の音が鳴り響いたのだ。
「姫様、きっと大丈夫です。スワード殿が守護してくださっていますから」
リーゼが安心させようと声をかけてくるが、彼女の表情は緊張で強張っている。
剣戟の音が止み、不自然なほど静かになった。しかし、気を抜くことはできない。
「…私、様子を見てきます」
そっと声が聞こえてきたと思うと、馬車のドアが開いて閉まった。施錠の音が聞こえ、誰かが出て行ったことがわかる。
「待ちなさい、アンリ!」
「姫様!」
出て行った少女を追いかけ、セフィアはドアへ飛びついて悲鳴を上げるように名前を呼んだ。それを引き止めようと、侍女は母親が子どもにするように背後から抱きしめる。
「姫様、落ち着いてください」
「でも、あの子は……!」
「落ち着きなさい!」
「……っ!?」
小さな侍女が飛び出していったことに取り乱す主に、リーゼは絶対に引きとめようと声を荒げた。
雷に撃たれたように体を震わせ、セフィアは暴れるのをやめて振り返る。そんな彼女を安心させようと侍女は微笑んだ。
「……大丈夫よ。グラン殿が私たち守ってくださるわ」
幼い頃を思い出させる言葉遣いに目を見開くと、痛いぐらいに抱きしめている腕から解放された。そして、手を引かれて座席へ座らされる。
がちゃっ、きぃぃ
「ただいま戻りました」
いきなり開錠の音とドアの開く音が聞こえてアンリが戻ってきた。振り向いて固まった二人の様子に首を傾げる。
無事な姿に安堵すると共に、リーゼは眉間にしわを寄せて彼女を手招きした。
「アンリ、こっちに来なさい」
「…? はい」
素直に先輩侍女の指示に従って近づいていくと、
ぱんっ
一瞬のうちに彼女の頬は張り飛ばされて顔が横を向く。
「立場をわきまえなさいっ!」
先ほど主に向けて放ったのと同じように声を上げ、目線を合わせて子どもを諭す母親のように静かに言い聞かせる。
「貴女は私と同じセフィア様に仕える侍女。その中でも特別な存在です。この意味はわかりますね?」
アンリは、三年前に空腹で力尽きて倒れていたところをセフィアに拾われた。だからこそ、彼女を絶対の主と心に決めたのだ。
命を拾ってくれた恩返しに、悲壮なほどの決意を彼女は抱いた。
(この人のためなら、私のすべてを使い尽くしてもいい)
もし危険が迫れば命を捨てて守る覚悟をし、心を許した相手を心配するようならば危険を顧みず駆ける。
そんな自分の使命だという誇らしさからの行動は、結果としてセフィアを傷つけてしまったのだと気が付かされた。
「それと、私が言ったことを忘れましたか? 貴女は物ではなく人です。他者から愛情を注がれていることを自覚しなさい」
そして、主と姉妹のように育ったリーゼも優しく受け入れた。時には厳しく育てた親のような存在である。
内心では心配していたことを知らされた。
「……はい」
叱られた子どものように小さく頷いて俯アンリに、そっと彼女の背中を押し導く。そして、子猫のように主の膝へ乗せられた。
「姫様に報告することがあるのでしょう?」
膝の上で姿勢を正して頷き、外で起こったことについて報告を始める。
「奇襲してきた賊は、グランの師匠である〈剣姫〉でした」
「ルディア様が…?」
耳を疑うような事実を聞きながらも、直接会って話をしてみたいと思っていた相手の名前に驚きを隠せない。
「グランの成長を見るのが目的だったみたいです」
「……なんというか、ずいぶんと弟子想いなお方のようですね」
リーゼが驚きを通り越して呆れたように言うと、アンリは同意して首を縦に振った。
外に母の親友がいると聞いたセフィアは、落ち着き無くそわそわとし始める。
「それで、ルディア様はまだ外にいらっしゃるの?」
「はい、謝罪も含めて姫様に謁見したいと仰っています」
アンリの報告を聞いた彼女の表情は、花が綻ぶような笑顔を浮かべた。
〈御使いの燐光〉・・・治癒回復の魔術。使用する場合は、対象に呪力を纏った手を向ける必要がある。




