静かなる脅威
(…城の外に出るとなると、やっぱり危険が増すよな。王女様のためにも、護衛の選抜は慎重にしてほしいよな)
グランは鍛錬場へと向かいながら、自分を取り巻く状況を改めて実感していた。
放浪していた頃は、他人とは深く関わることもないまま次の目的地へと旅立つ。特に守護する対象も存在せず、近くで気配を感じ取った怪物を端から討伐するという繰り返し。
そんな日々は先日のルディアから届いた手紙によって終止符が打たれた。
守護する対象ができ、それが人々の崇拝する象徴である王族。それゆえに強い責任感が必要とされ、自分の意思とは関係なく人と繋がりを持つようになった。
グリオード王国第二王女セフィアと彼女に仕える二人の侍女。そして、騎士団に所属する騎士たち。
歩くだけで使用人や貴族たちと顔を合わせ、あるいは呼び止められて言葉を交わす。
「…でも、ここは俺なんかがいるべき場所じゃないよな」
自分の置かれた状況を受け入れようとしていることに気づき、それを否定するように呟いた。それをきっかけに、昨日の鍛錬場と深夜の奇襲のことが呼び起こされる。
神々から〈剣〉を与えられようと、本能的な恐怖が消えてなくなるわけではない。鍛錬を終えた後の騎士たちの表情は、まるで世界を蹂躙する怪物を見ているかのようだった。
昨夜の奇襲に関しても、私欲以外に異質すぎるグランに対する恐怖が理由として挙げられるだろう。
自分の異質さを理解しているがゆえに、人との距離を気にせずにいられる放浪は気楽だったのだ。
(……今さら勅命を放棄することはできないしな。結局はあの婆さんに、いいように扱われてるわけか)
八つ当たり気味に心中で毒づき、反抗できない空しさを感じながら肩を落として歩く。
「……考え事?」
「っ……」
いきなり聞こえてきた声に振り向くと、首を傾げたアンリが立っていた。
「…まあな。それより、王女付きの侍女がこんな所にいていいのか?」
「大丈夫。私の仕事は、あなたを観察すること」
「……ずいぶん楽な仕事だな。…これから鍛錬場に行くけど、お前もついて来るか?」
もし今が冗談でなければ、彼女に一日中観察されていることになる。そのことを想像したグランは、少し呆れながら質問すると頷いた。
再び鍛錬場に向かって歩き出すと、音も無くアンリが横に並んで歩く。
「他の仕事はサボってもいいのか?」
黙って歩いていると見失いそうな気がしたので、ふと気になったことを質問してみた。
「ん。私がやるよりも、リーゼがやった方が速いからサボった」
「そんな理由でサボったらダメだろ。あとで侍女長に報告しておくからな」
堂々とサボりを宣言したので注意すると、彼女は音も無く跳んでグランの前へと周って進路を塞いだ。
「セフィア様からの命令だから仕方がない。大目に見て?」
騎士服の裾を掴み、上目遣いで頼んでくるアンリ。そんな彼女の様子に、どうしたものかと後頭部を掻いた。
主からの命令ならば責めることはできない。少し考えて話題を変えた。
「………ところで、リーゼって誰だ?」
「私と同じ侍女で、セフィア様の幼馴染み。朝に必ず紅茶を淹れてる」
「ああ、アイツか。リーゼって名前なんだな」
決闘のおかげで自己紹介の手間は省けていたが、声をかけてくる使用人や貴族たちは名乗らないので把握できていない。
放浪していた頃には、すぐに次の目的地へと向かうので名前を聞いても覚える必要が無かった。しかし、一箇所に留まり続けるなら相手の名前を知らないと不便だ。
「そういえば、お前の名前は?」
目の前にいる少女の名前も知らないことを思い出して聞くと、彼女は一回瞬きをして小さく笑って答えた。
「アンリ。アンリ=エレスタ」
「アンリか。改めてよろしくな」
言いながら右手を差し伸ばすと、小さな手が握る。
「ん。よろしく」
結局、アンリは鍛錬場の前までついて来た。
「……大丈夫?」
「まあ、なんとかなるさ。それより、そろそろ放してくれないか?」
なぜか腕に抱きついている彼女の質問に答え、困惑気味に離れるように頼む。名前を聞いて握手を交わした後から、まるで子猫が懐くように今の状況になった。
小柄な彼女に抱きつかれても歩くのに支障はなく、すぐに離れてくれると思って注意していなかったのだ。
(さすがに、鍛錬場に連れて入るわけにはいかないからな)
幸いなことに、ここまで来るのに誰とも会わなかった。しかし、ここから先は騎士たちが集まる鍛錬場だ。この状況のまま入れば、間違いなく噂が王城だけでなく王国中に響き渡る。
注目を集めている今、根も葉もない噂が立った上に任を解かれて追い出されれば、どこへ行っても面倒なことが起こってしまう。
「なんで?」
「……察してくれ」
アンリが腕に抱きついたまま不思議そうに首を傾げたので、肩を落としながら頼んだ。
「ん。いってらっしゃい」
ようやく心情を察したのか彼女はあっさりと離れ、歩いて来た方向へと小走りで去って行った。
「本当、変なやつだな」
ついさっき名前を知ったばかりの少女が見えなくなってから、苦笑しながらドアを開けて鍛錬場へと入って行く。
ヒュッ
空を裂きながら迫る切っ先に反応し、わずかに横へずれながら木剣の刀身部分で受けた。鍔迫り合いに持ち込もうとするが、すぐに離れて別方向から切っ先が迫る。
(……相変わらず速いな。でも、太刀筋が鈍ったままだ)
グランは相手の速さに舌を巻きながら、冷静な分析を行って息を止めた。そして、追いつくために一瞬で感覚を研ぎ澄ます。
木剣を持つ手を引き寄せ、その柄を相手の切っ先に向けて打ち付けた。
「くっ…、またか」
相手が呻いて動きが止まったところに、自身の切っ先を突きつけて勝利を宣言する。
「王手です」
自身の敗北を知った相手―エドリック=ステインは、グランの握る木剣を見た後に一歩退いた。
「…一晩考えても、どうやって対応されたのかがわからない。いったい何をした?」
エドリックは瞳に渦巻く激しい感情を押し殺し、静かに尋ねて来た。
「大したことじゃないですよ。刃が間に合いそうにないから、柄を使っただけです」
「……なるほど、おかげで疑問が氷解した。…しかし、愚かだな」
「何がですか?」
冷たく鋭い視線を向けられ、それを甘んじて受けながらエドリックに言葉の意味を問う。
「自分の手の内を易々と曝すとは愚の骨頂だと言った。いくら騎士団団長を下したとはいえ、少し頭に乗っているのではないか?」
まるで斬りつけるかのような言葉を浴びせられ、そこからグランは感情を読み取った。
彼の目に映るのは、彼を敗北させた相手―つまり、自分自身だ。苦渋で心を満たしたままの質問を受け、それに答えたのは偽りで己を飾る道化。
軽薄にも見える態度に、おそらく勤勉であるエドリックの押し殺した感情が爆ぜようとしていた。
(ここで頭を下げないと、後で話がこじれるかもしれないな)
「……若気の至りと思ってください」
判断すると共に、グランは自分の迂闊さを反省して謝罪した。しかし、荒れ狂う感情を鎮めることはできない。
「やはり、お前のようなどこの骨とも知れない輩に――」
「おいおい、負けたからって噛みつくもんじゃないぜ」
今まさにしようとしたところに、陽気な声と共に一人の騎士が割り込んできた。赤みを帯びた癖のある髪が印象的な青年に、エドリックは口を閉じて目をそむける。
「別に噛みついてなどいない。弛んだ精神を叩き直してやろうとしただけだ」
「そうは言うけどよ。お前が聞いたから、こいつは親切に教えてくれただけだろ?」
「…それを弛んでると言うのだ」
「杓子定規を押し付けるのは良くないぜ? それと、何年の付き合いだと思ってんだ?」
決して厳しい態度を崩さない彼に、赤髪の騎士―アーサー=ガレットは砕けた口調で説得を試みる。
「やれやれ、本当に強情なやつだなっ。そんなんだから、俺以外に仲のいいやつがいないんだぜ?」
「………余計なお世話だ」
「おっ? ようやく認めたか?」
「何の話だ?」
「自分が強情だってことを、ようやく認めたんだろ?」
「……強情で何が悪い? 強い意志を持ってこそ、騎士道を行くことができる」
「悪くはねーけど、少しは柔軟性を持とうぜ。自分の負けを認められないで、騎士道を行こうなんて天界の神様たちも許してくれねーんじゃないか?」
対照的な印象の二人が言い合っている様子に、なんだか奇妙な感じがしてグランは口を挟むことができなかった。
一見して頑ななエドリックの方がヒエラルキーが高いように見えるが、彼はアーサーを苦手としているらしい。つまり、実際のところは拮抗しているのだ。
(いや、徐々に赤髪の方が押してるか?)
「鍛錬もせず、何をしているのかな?」
また誰かが割り込んできた。視線を向けると、この騎士団の筆頭が歩いてきた。
その姿を認め、言い合いしていた二人は口を噤んで頭を低くする。彼らにならってグランも同じようにした。
「神々が我らに与えし〈剣〉は、この地上を守る唯一無二の神器。それを振るう者が鍛錬を怠ることは許されない。わかっているね?」
口調こそ砕けているが、その顔には統率者としてのカリスマ性が満ちている。
「はい、我ら全員が心に刻んでいます」
三人を代表して問いかけに答えたのはエドリックだった。
「なら、すぐに鍛錬を再開すること。騎士団の第二席と第三席がそんなんじゃ、他の団員たちに示しがつかないから」
「申し訳ありませんでした」
謝罪の言葉に背を向け、アルバートは自分が鍛えている団員の下へ戻ろうとして足を止めた。
「ところで、グラン=スワード」
「なんでしょうか?」
「昨夜、我が騎士団の団員五名が意識不明で見つかった。何か知っているかな?」
昨夜の奇襲については心当たりがあるすぎるが、その事実を話せば決定的な亀裂を生みかねないので頭を上げて肩をすくめる。
「侵入者がいて取り逃したと聞いてますけど、そうじゃないんですか?」
「表向きには、そうしてるんだけどねぇ。その騎士たちは――」
「団長、この場では――」
「いいんだよ。彼も〈剣〉を持つものだ」
エドリックが頭を上げて話を遮ろうとし、それを制する様子にただなるぬ気配を感じた。ここで取り残されれば、この先で命を落としかねないと警鐘が鳴り響く。
「いったい、何があったんですか?」
グランの質問に騎士たちの表情が翳った。そんな中、彼らの筆頭としてアルバートは告げる。
「見つかった騎士たちは、全員が〈剣〉を失っていたんだよ」




