君と夕食を、君と恋の相談を。
「・・・幸さん?」
その声に、はっと我に返る。
目の前には、待ち人が既に現れていた。
「待たせてしまってごめんなさい」
「ううん。全然待ってないよ」
そこは食堂だった。
約束の時間より早く来てしまった木幡は、
食堂の中の席に座って、ぼうっと窓の外に映る都会のネオン街を眺めていた。
毎週水曜日、彼女たちは一緒に夕食を取ることを約束している。
「もう食券は買いました?」
そう尋ねるのは、木幡の友人である中村珠美だった。
彼女は、学部時代からの木幡の親友である。
彼女も一緒に大学院に残った、数少ない友人の一人。
もっとも、専攻は木幡とは違って、憲法だった。
「まだ。一緒に買いに行こうと思って」
木幡も立ち上がり、2人は食券売場へと急いだ。
「おいしそうだね」
木幡が頼んだのは、ディナープレート。
500円なのにもかかわらず、
メインディッシュが肉と魚から1つずつ選べ、
サイドメニューとして小鉢とサラダが付き、
主食であるご飯とお味噌汁ももちろんある、というかなりのお得なセットである。
一方、珠美はスパゲッティセットを頼んでいた。
今日はカルボナーラらしい。
2人は元の席に戻り、互いに向かい合って、食事を始めた。
「ところで、どうしてさっきはぼうっとしていたのですか?」
「うん、ちょっと、昔の事を思い出して」
木幡の表情が少し変わったところを、珠美は見逃さなかった。
「何を、思い出していたのですか」
少しためらったのだろう、
木幡はほうれん草のおひたしを少し口にすると、言葉少なに語り始める。
「初めて、刑法が面白いと思った時のこと」
「あぁ、ゼミでの初めての発表の時、ですか?懐かしいですね」
珠美は、その前から、何となく木幡の彼に対する感情は気が付いていた。
初めて会った時に、良さそうな感じがする、と話していたのだが、
次第に笑顔が嫌いと言いだす。
何故かと問えば、八方美人だから、とのこと。
しかし、嫌いと言う割には、林の話題が多いのである。
会うたびに、京のゼミで林の笑顔がいかにむかつくか、
何を言っていて、それがいかにむかつくか、等を報告してくるのである。
一見、彼女のそんな悪態からすれば、林は嫌な教授のように思える。
しかし、林の、皆からの評判は悪くない。
むしろ、大学内で、断トツで人気のある准教授として有名である。
では、何故嫌い嫌い、と文句を言っているのか。
よくよく考えてみれば、その理由は簡単だった。
いわゆる、「嫌い嫌いも好きのうち」というものである。
彼女の性格を考えてみれば、それなりに納得できるものだった。
木幡はあまり素直ではない。
好きなものを好きだと認めない傾向がある。
だから、彼女から林を好き『なのかもしれない』と告白された時も、さして驚きはしなかった。
むしろ、驚かない珠美に、木幡が驚いていた。
「もう4年前のことなんて、信じられないですね」
「うん。今でもちゃんと思い出せる。すごく嬉しそうな顔をして、褒めてくれた」
頬がほころんでいる。
今でも、彼女にとってはとても嬉しい思い出なのだろう。
そのゼミの発表以来からだった。
とっくに刑法の単位を修得済みなのに、木幡が珠美を誘って、刑法を聴講し始めたのは。
珠美が休んでも、彼女は一人で聴講していた。
教室の最後尾の方で、真剣に。
「懐かしいですね」
「うん」
もう、あれから4年も経つのか、と珠美も感慨深くなる。
親友の恋を応援してきて、一向に実らないままだけど、それでも応援せずにはいられない。
何故かは、彼女自身も理解していなかったが。
「・・・本当、懐かしいなぁ」
ため息をつきつつ、木幡が昔を懐かしむ。
珠美は、今だと思った。
「・・・大丈夫ですよ。私はいつも、幸の味方です」
珠美以外の前では決して見せることのない、
自信のなさそうな笑顔を浮かべながら、彼女は呟いた。
「ありがとう」
笑顔に交る、悲しみと切なさ。
その理由を知っている彼女だからこそ、いい加減なことは言えなかった。
それを取り除くことができるのであれば、とっくにしてあげている。
「さ、ご飯を食べましょう。冷めますよ」
相談を受けた日からずっと続いている、何もできないもどかしさを感じながら、
2人は箸を進めるのだった。