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コ ト ノ ハ  作者:
2/10

朝一杯のコーヒーと笑顔。

「おはようございます」



「在室」と書かれたプレートが掲げられたドアのノック音と同時に、彼女が彼の研究室に入ってきた。

それには、Hayashi’s roomと書かれている。



「おはよう」



朝、8時45分。



彼女は林の研究室にいた。



「コーヒー、ここに置いておきますね」



毎朝、一杯のコーヒーを先生の為に入れるのが彼女の役目。

正確には、彼女が勝手にやっていることなのだが。



「うん、ありがとう」



彼はいつものように優しく微笑むと、ぼさぼさのままの髪を掻きむしりながら、机の上を見回す。



アイロンがきちんと掛けられていないのだろう、ワイシャツのところどころが皺になっている。



「先生、ここです」



彼女が指差した先には、既に数冊の本と判例六法が1冊積み重なっていた。



「あぁ、ありがとう。いつもごめんね、木幡さん」



にこにこ、と笑顔を崩さないまま、彼はよいしょ、と掛け声とともに、それを両手で持ち上げた。

不満げな顔をしながら、彼女はその様子を見つめる。

不満げな表情―眉間に皺を寄せ、両腕を組み、鋭い目つきをして相手を見る―は、

彼女の癖であることは、4年目の付き合いになる彼にとって、既に慣れたものとなっている。



「それじゃあ、これから昼まで授業だから、それまでに論文上げといてくださいね」

「はーい」



両手に大量の本を抱えたまま、彼がドアを足で開けようとする。



急いで彼女が代わりにドアを開けた。



「ありがとう」



今朝だけで三度目の、穏やかで優しい笑顔。



「先生、鞄にでも入れたらどうですか?」

「ですよねぇ。僕もそう思うんですけど」

「持ちます」



彼女は彼に有無を言わさず、本の山の頂にある何冊かの本を取り上げ、彼の前を歩いた。

彼はありがとう、と呟き、にこにこと笑顔を浮かべて、彼女の後を歩く。



「ここからは、先生1人です」



彼女は持っていた本を、本の山に戻した。



「おっと」



よろけつつも懸命にエレベーターまで歩く後姿を途中まで見送って、

彼女は院生専用の部屋まで来た。



まだ、誰も来ていない。



その中で、彼女はドアを閉めると同時に、大きくため息をつく。



「・・・はぁ」



そして急いで彼女は自分の眉間に両手を乗せて、懸命にそこを伸ばすのだった。



朝から、本当に朝から、コーヒーのカフェイン摂取より、刺激的なもの。



彼女にとって、それは林の「笑顔」だった。



朝一番に、誰よりも早くあの笑顔を見たい。

あの笑顔を見ると、目が覚めると同時に、今日も一日頑張ろうという気になれる。



そう思って始めたのが、先生の為のコーヒー淹れ。

無類のコーヒー好きの林には、それはすんなり受け入れられた。

そして、1限目に授業がある日は、

教科書を山のように積み重ねて持っていく彼の為に、教科書を準備しておいてあげる。

直ぐに、教室に行けるように。



自分は出来が悪いから、こういう風にしておくことで、

修士論文の審査を甘く・・・とか何とか彼女自身の中で理由をいくつか考えてはみたが。



・・・とどのつまり。



「・・・やっぱり私、先生の事が好きなんだなぁ」



確かめるように独り言をつぶやいた。

気が付けば、片想いを初めてもう3年近く経つのかもしれない。



学部時代、ゼミの抽選で漏れて、泣く泣く入ることになった刑法ゼミ。



最初は刑法に興味がなくて、ゼミがつまらなかった。

ゼミ発表のため、いやいや触れていた刑法の世界に、いつの間にか魅せられて、

今では大学院にまで進学し、林の元で刑法を勉強している。

人生とは、いつどこで分岐点があるのか、本当に分からない。



「よし、・・・いっちょ推敲仕上げますか」



そう掛け声を上げて、彼女はパソコンの電源を立ち上げた。



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