私の前世
私が前世の記憶に触れたのは、六歳。高熱がきっかけだった。
四十度近い熱に苦しみながら、夢を見た。
キラキラと輝く一面の銀世界、私はソリ滑りやスキーをして遊んだ。
太陽が燦々と降り注ぐ夏、広い庭に置いたビニールプールで水遊びをした。
次々と場面が変わる。体格の良い男子とトンボを捕まえたり、カブトムシの世話をしたり。
夢の中で、これは夢なのだと思った。私はスキーをしたことがないし、マンションの八階に住んでいるから庭がない。トンボを捕まえたことはあるけれど、母は虫が苦手なのでカブトムシを飼ったことはない。
夢は終わらない。
夜空に次々と打ち上がる花火。黒縁眼鏡をかけた男子が、隣にいる私に話しかける。
「村のお祭りで、花火やるよね。一緒に見に行こう」
あれ? と不思議に思った。花火を見ているのに、花火に行く約束をするの?
場面が変わった。
私は棺桶の中に寝ていて、私はそれを上から眺めている。
「めぐみー! めぐみぃー!」
棺桶に縋りついて慟哭している、三十代ぐらいの女性。その女性の肩に手を置いているのは、夫だろうと思われる男性。
その二人のすぐそばにいるのは、トンボを捕まえたりカブトムシの世話を一緒にした体格の良い男子。泣きすぎたのか、充血した目が腫れぼったい。
「及川めぐみさんは、明るくて元気な生徒でした」
沈痛な顔をした、四十代ぐらいの女性。
葬式の場にいる人たちが私の死を悼み、棺桶の中に花を入れていく。
学校の制服を着た黒縁眼鏡の男子が、私の顔の横に白い花を置いた。
「めぐみさんのこと、絶対に忘れない」
身を切るような悲しみに襲われる。上から眺めていた私が「わぁぁぁ〜ん!!」と泣き声をあげた。
「ごめんね! 裕史、ごめんね! 花火一緒に見に行こうって約束したのに、破ってごめんね! ごめんね、私、謝れなかった。ひどいこと言って、ごめんなさい!」
どんなに謝っても、届かない声。手を伸ばしても、彼の体をすり抜けてしまう。
いつの間にか、目を開けていた。白い天井がぼんやりと歪んでいる。目元に手をやると濡れている。
夢の中で感じた強烈な悲しみが尾を引いていて、私はしばらく泣き続けた。
高熱のため、火がついたように体が熱い。涙が顔を伝い落ちていく最中に熱を吸い、耳の穴に落ちたときにはお湯のようにあたたかい。
「めぐみって、誰?」
私の名前は、渡瀬友那。それなのに、及川めぐみは自分だと思った。
その日からしばしば、及川めぐみの夢を見るようになった。その夢があまりにも現実的なものだから、起きてもしばらくは余韻が抜けていかない。めぐみの夢を見た日の午前中はボーッとしてしまう。
九歳のときに、前世の記憶を持った子供がいることをテレビ番組で知った。
母のスマホをこっそりと借りて、『おいかわめぐみ』と音声検索をする。
そうして出てきたのは、大型トラックに追突されて軽自動車が押し潰された事故写真と、被害者の名前。
軽自動車に乗っていた三人が亡くなり、そのうちの一人が、及川めぐみだった。
「私、事故で死んだの?」
どうしたらいいのかわからず、母に「前世ってあると思う?」と尋ねた。
「あるかもしれないけれど、ないかもしれない。科学では証明されていない」
母らしい答えが返ってきて、私は悩んでしまった。
──及川めぐみは、私の前世なのかな?
気になるが、じっくりと考え込む余裕がない。私は忙しい。学校の宿題をしないといけないし、塾とピアノとスイミングと英語教室とダンスの習い事がある。
小四になると吹奏楽部に入り、クラリネットを吹いた。習い事は、塾とピアノと英語だけにした。
さらには小四の冬、喧嘩の多かった両親が離婚した。
忙しい毎日が、前世の記憶を隅へと追いやっていく。
気がついたときには、めぐみの夢を見なくなっていた。
「めぐみの名字って、なんだっけ? オイダ、じゃなくて……カワウチ……違う違う! ええっと……そうだ、及川だ!!」
めぐみが記憶の層に沈んでしまう。消えてしまう。
このとき、私は小六。めぐみを記憶から消さないために、紙に書いた。
『及川めぐみ。福島県。交通事故で、十五歳で亡くなった。祖父と祖母も一緒に亡くなった。両親と兄がいるっぽい。さえきひろしと花火を一緒に見に行く約束をしたらしい。でも見に行けなくて、それが後悔で、夢の中でいつも謝っている。めぐみはたまに、さえきひろしをぴろりんと呼んでいる』
大人になったら、サエキヒロシに会いに行こう。めぐみの想いを伝えよう。
そのときまでに紙を失くさないよう、机の引き出しに入れた。だがすぐに、思い直す。
「間違って捨てちゃいそう。本の間に入れとこう」
母は本好き。私の部屋の本棚には、友那も読みなさいとばかりに勝手に本が置かれている。
私は、江戸川乱歩短編集に紙を挟んだ。
その後。中学生になり、めぐみのことを思い出すことはほとんどなかった。
けれど、中三の夏。交通事故遺族のドキュメンタリー番組を見て、めぐみのことを思い出し、考え込んでしまった。
「ぴろりんに会いたくない。及川めぐみの生まれ変わりだって言っても、信じてくれないかも。それに、亡くなった人の名前を語るなんて、傷口に塩を塗るみたいで嫌だ」
遺族は喪失の痛みを抱えている。それでも、生きていくために前に進んでいる。
サエキヒロシも、きっとそう。めぐみの死を乗り越えて、自分の人生を生きている。
そういう人に会って、亡くなった人との間に起こった出来事を蒸し返すのはどうなのだろう。
「無神経だよね。それに、めぐみはわざと約束を破ったわけじゃない。死んだから、花火を見に行けなかった。ぴろりんも、わかっているよね」
サエキヒロシに会って謝罪することに、意味があるとは思えない。お互いに嫌な気持ちになる想像しかできない。
心がズシリと重くなる。モヤモヤして晴れない心に連動するように、夕立が降る。
夕立は、一時間もしないで止んだ。
マンションのベランダに出て、街を見下ろす。濡れた家々。行き交う人々。街を縦横に走る車と電車。
セピア色の景色が広がっている。
「緑色じゃないんだ……」
なぜ、夕立が上がった後の景色が緑色だと思ったのだろう。
空を見上げれば、ぼやけたオレンジ色に染まっている。空はどこまでも続いていて、風は北へと流れている。
「この空の下のどこかに、ぴろりんがいるんだよね。会わなくても元気でいてくれたら、それでいいんだけど……」
希望ある言葉とは裏腹に、急に寂しくなった。口をついて出てきたのは、「帰りたい」
どこに帰りたいか、知らない。でも帰った先には、会いたい人がいる。そんな気がする。
谷川俊太郎の詩が思い浮かぶ。
「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに、何かとんでもないおとし物を僕はしてきてしまったらしい」
私ももしかしたら、空のどこかに大切なものを落としてしまった。
だから求めて、でもこれじゃないと捨てて、また求めて。いつまでたっても満たされない、心の穴。
サエキヒロシに会ってみたい。そう思った。




