明日はこない
緑鮮やかな田んぼが、山裾まで広がっている。
田んぼと田んぼの間の舗装された道を、茶太郎と散歩する。真司にポテトチップスとアイスをあげて、晩御飯運び屋と犬の散歩を交換してもらったのだ。
「ぴろりん、どうしているかな……」
裕史に会いたくないのに、気になる。真司に裕史のことを尋ねても、「普通」とのぶっきらぼうな返事しかない。
「急に来なくなったんだから、気にしていると思うんだけど……。それともお兄ちゃんの言うとおり、気にしないで普通にしているの!? 薄情なヤツ!!」
茶太郎が人間語がわからないのをいいことに、ブツブツ文句を言っていると、道の向こう側から裕史が走ってきた。
「やばっ! 茶太郎、帰るよっ!」
「ワンワン!」
「そっちじゃない! 逆ー!!」
茶太郎は裕史に懐いている。嬉しそうに尻尾を振って、裕史の元へと駆けて行こうとする。
「ダメだってばーっ! そっちじゃない!」
リードを引っ張るものの、茶太郎の力が強すぎる。さすが雑種犬のオス、三歳。
私は引きずられるようにして、裕史と対面した。
「めぐみさん! 話があるんだけど!」
四日ぶりの再会。たった四日なのに、懐かしく感じる。
茶太郎は裕史の足にじゃれつき、裕史は茶太郎の頭を撫でる。私は俯いて、バクバクする心臓と緩みそうになる涙腺に耐える。
「僕のこと、避けている?」
「そんなことない」
「真司先輩と交換したのは、どうして?」
「茶太郎の散歩もいいかなって」
「めぐみさんが来るのを、楽しみにしているんだけど……」
なんでそんなことを言うの!
耐えていたものが決壊して、声を張りあげる。
「なんで期待させることを言うの! 私のこと、好きじゃないくせに!! 引っ越すんでしょう! お母さんから聞いた!」
「そう、なんだ……」
裕史は茶太郎の頭を撫でるのをやめると、気まずそうに視線を逸らした。
私を好きじゃないことを、否定しない。そのことが、悔しくて悲しくて。涙に濡れる顔を見られるのも厭わず、真正面から睨みつける。
「千葉に引っ越せて良かったね! 遊ぶところも買い物するところも、たくさんあるもんね! 可愛い女の子もたくさんいるから良かったね! 私のことなんて忘れて、楽しく遊べばいいよ!」
「そんなこと……」
私は手の甲で目元をぐいっと拭うと、視線をさまよわせている裕史を見据えた。黒縁眼鏡に前髪がかかっている。
眼鏡に前髪がかかっている男なんて、世の中にたくさんいる。でも、眼鏡にかかる前髪に胸がときめくのは、裕史ただ一人。
「私のこと、忘れるんでしょ……」
「そんなことない! 忘れない!」
「嘘だね! 千葉には、可愛い女の子がたーっくさんいるもん! 私のことなんて忘れる。でも、別にいいよ。私だって、裕史のこと忘れる。高校に入ったら、素敵な彼氏を作る。彼氏は年上じゃないと。年下なんて頼りないもん!」
「…………」
裕史は耐えるように唇を引き結んだ。
私たちは仲の良い幼馴染。だから、知っている。裕史は自分さえ良ければいいという人間ではない。その場逃れの口約束なんてしない。
私を忘れないと言ったら、忘れないだろう。
でもそのことに、なんの意味があるだろう。私たちは十五歳と十四歳で、まだ子供で、昭和村と千葉市は遠い。
「……どうして、花火に誘ったの?」
「引っ越すことを話そうと思って……」
「そうだよね。うん、そうだよね」
私は空を仰ぐと、モコモコの積雲を見ながら鼻をスンッと啜った。それから、にっこりと笑う。
「茶太郎の散歩を任せる!」
「えっ?」
無理矢理に茶太郎のリードを持たせると、二、三歩下がって、笑顔で手を振る。
「見たいテレビが始まっちゃう! 悪いけれど、散歩は任せた! じゃっ、帰る!」
くるりと踵を返すと、一度も振り返ることなく、家へと走って帰った。
◆◇◆◇
私は裕史の家に行かない。裕史も来ない。
隣の家だからよく会うと思っていたが、そうではなかった。会いたいから、私たちは会っていたのだ。
真司は野生児だけあって、勘が鋭い。私たちが喧嘩したことに気づいた。
「裕史と喧嘩しただろ? 早く謝れよ。このまま別れたら、一生後悔するぞ」
「だって……どうせ仲直りしたって、引っ越したら、お別れだもん……」
「は? 縄文時代じゃねぇんだぞ! メールとか電話とか手紙とか、いくらでもやりとりできるじゃん!」
「だって……ふぇぇぇ〜んっ!!」
泣きだした私の頭を、真司はわしゃわしゃと豪快に撫でた。犬と同じ撫で方であることに気分が悪くなるが、兄はこういう人だ。
「両思いなんだからさ。頑張れよ。裕史が浮気したら、俺が殴りに行ってやるし。裕史は火星に移住するんじゃない。福島と千葉の距離なんか、たいしたことない。自転車で行こうと思えば、行ける距離だ」
ツッコミどころがたくさんあるが、それらをすべて無視して、私は泣き止んだ。
真司は勘が鋭い。その真司が『両思い』と言うのだから、きっとそうだ。
冴木家に謝りに行ったが、出かけていて不在。
次の日。私は祖父母と一緒に、宮城県白石市に住む親戚の家を訪ねた。
その帰り道。暮れていく高速道路の風景をぼんやりと眺めながら、決めた。
「仲直りしよう。花火見ようねって、私からも誘おう」
軽自動車の運転は祖父。祖母は助手席に座っている。ラジオから流れているのは、昔の歌。
「綺麗な歌だね。なんていう曲?」
「木綿のハンカチーフ」
祖母から返ってきた曲名。
私は耳を澄ませて、聴き入る。聴きとった歌詞に胸が熱くなり、じんわりと涙が滲む。
田舎を出て都会に行った男が、楽しすぎて帰れないと、同郷の女性に別れを告げる歌だった。
裕史が引っ越した後、私たちがどうなるかなんて、わからない。でも、未来に踏み出したい。裕史とさよならしたくない。
「絶対にゼーッタイに、明日謝ろう。……うぁっ!?!?」
前触れなんてなかった。いきなり背後から、凄まじい衝撃が襲ってきた。
迫力ある巨大な物体に押され、体が運転席の椅子へと叩きつけられた。おかしな方向にぐにゃりと曲がった体。挟まれた体が潰れて、骨が砕ける。
痛みは感じなかった。感じる暇がなかった。テレビのスイッチを切ったかのように、プツっと目の前が真っ暗になったから。
だが意識は明瞭で、透明な泉のように澄み渡っている。
広大な意識の中で、私は叫んだ。
──死にたくない!! 裕史に謝っていない!! 喧嘩別れしたまま、死ぬなんてイヤっ!! 神様、お願いします。裕史に会わせてください。素直になりますから。ひどいことを言ってごめんなさいって謝りますから。だからお願いします。裕史に会わせてください。お願いします!!




