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二十年後の約束  作者: 遊井そわ香
第一章 及川めぐみだった
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明日はこない

 緑鮮やかな田んぼが、山裾まで広がっている。

 田んぼと田んぼの間の舗装された道を、茶太郎と散歩する。真司にポテトチップスとアイスをあげて、晩御飯運び屋と犬の散歩を交換してもらったのだ。


「ぴろりん、どうしているかな……」


 裕史に会いたくないのに、気になる。真司に裕史のことを尋ねても、「普通」とのぶっきらぼうな返事しかない。

 

「急に来なくなったんだから、気にしていると思うんだけど……。それともお兄ちゃんの言うとおり、気にしないで普通にしているの!? 薄情なヤツ!!」


 茶太郎が人間語がわからないのをいいことに、ブツブツ文句を言っていると、道の向こう側から裕史が走ってきた。


「やばっ! 茶太郎、帰るよっ!」

「ワンワン!」

「そっちじゃない! 逆ー!!」


 茶太郎は裕史に懐いている。嬉しそうに尻尾を振って、裕史の元へと駆けて行こうとする。


「ダメだってばーっ! そっちじゃない!」


 リードを引っ張るものの、茶太郎の力が強すぎる。さすが雑種犬のオス、三歳。

 私は引きずられるようにして、裕史と対面した。


「めぐみさん! 話があるんだけど!」


 四日ぶりの再会。たった四日なのに、懐かしく感じる。

 茶太郎は裕史の足にじゃれつき、裕史は茶太郎の頭を撫でる。私は俯いて、バクバクする心臓と緩みそうになる涙腺に耐える。


「僕のこと、避けている?」

「そんなことない」

「真司先輩と交換したのは、どうして?」

「茶太郎の散歩もいいかなって」

「めぐみさんが来るのを、楽しみにしているんだけど……」


 なんでそんなことを言うの!

 耐えていたものが決壊して、声を張りあげる。


「なんで期待させることを言うの! 私のこと、好きじゃないくせに!! 引っ越すんでしょう! お母さんから聞いた!」

「そう、なんだ……」


 裕史は茶太郎の頭を撫でるのをやめると、気まずそうに視線を逸らした。

 私を好きじゃないことを、否定しない。そのことが、悔しくて悲しくて。涙に濡れる顔を見られるのも厭わず、真正面から睨みつける。


「千葉に引っ越せて良かったね! 遊ぶところも買い物するところも、たくさんあるもんね! 可愛い女の子もたくさんいるから良かったね! 私のことなんて忘れて、楽しく遊べばいいよ!」

「そんなこと……」


 私は手の甲で目元をぐいっと拭うと、視線をさまよわせている裕史を見据えた。黒縁眼鏡に前髪がかかっている。

 眼鏡に前髪がかかっている男なんて、世の中にたくさんいる。でも、眼鏡にかかる前髪に胸がときめくのは、裕史ただ一人。


「私のこと、忘れるんでしょ……」

「そんなことない! 忘れない!」

「嘘だね! 千葉には、可愛い女の子がたーっくさんいるもん! 私のことなんて忘れる。でも、別にいいよ。私だって、裕史のこと忘れる。高校に入ったら、素敵な彼氏を作る。彼氏は年上じゃないと。年下なんて頼りないもん!」

「…………」


 裕史は耐えるように唇を引き結んだ。


 私たちは仲の良い幼馴染。だから、知っている。裕史は自分さえ良ければいいという人間ではない。その場逃れの口約束なんてしない。

 私を忘れないと言ったら、忘れないだろう。

 でもそのことに、なんの意味があるだろう。私たちは十五歳と十四歳で、まだ子供で、昭和村と千葉市は遠い。

 

「……どうして、花火に誘ったの?」

「引っ越すことを話そうと思って……」

「そうだよね。うん、そうだよね」


 私は空を仰ぐと、モコモコの積雲を見ながら鼻をスンッと啜った。それから、にっこりと笑う。


「茶太郎の散歩を任せる!」

「えっ?」


 無理矢理に茶太郎のリードを持たせると、二、三歩下がって、笑顔で手を振る。


「見たいテレビが始まっちゃう! 悪いけれど、散歩は任せた! じゃっ、帰る!」


 くるりと踵を返すと、一度も振り返ることなく、家へと走って帰った。

 


 ◆◇◆◇



 私は裕史の家に行かない。裕史も来ない。

 隣の家だからよく会うと思っていたが、そうではなかった。会いたいから、私たちは会っていたのだ。

 真司は野生児だけあって、勘が鋭い。私たちが喧嘩したことに気づいた。


「裕史と喧嘩しただろ? 早く謝れよ。このまま別れたら、一生後悔するぞ」

「だって……どうせ仲直りしたって、引っ越したら、お別れだもん……」

「は? 縄文時代じゃねぇんだぞ! メールとか電話とか手紙とか、いくらでもやりとりできるじゃん!」

「だって……ふぇぇぇ〜んっ!!」


 泣きだした私の頭を、真司はわしゃわしゃと豪快に撫でた。犬と同じ撫で方であることに気分が悪くなるが、兄はこういう人だ。


「両思いなんだからさ。頑張れよ。裕史が浮気したら、俺が殴りに行ってやるし。裕史は火星に移住するんじゃない。福島と千葉の距離なんか、たいしたことない。自転車で行こうと思えば、行ける距離だ」


 ツッコミどころがたくさんあるが、それらをすべて無視して、私は泣き止んだ。

 真司は勘が鋭い。その真司が『両思い』と言うのだから、きっとそうだ。

 

 冴木家に謝りに行ったが、出かけていて不在。

 次の日。私は祖父母と一緒に、宮城県白石市に住む親戚の家を訪ねた。

 その帰り道。暮れていく高速道路の風景をぼんやりと眺めながら、決めた。

 

「仲直りしよう。花火見ようねって、私からも誘おう」


 軽自動車の運転は祖父。祖母は助手席に座っている。ラジオから流れているのは、昔の歌。

 

「綺麗な歌だね。なんていう曲?」

「木綿のハンカチーフ」


 祖母から返ってきた曲名。

 私は耳を澄ませて、聴き入る。聴きとった歌詞に胸が熱くなり、じんわりと涙が滲む。

 田舎を出て都会に行った男が、楽しすぎて帰れないと、同郷の女性に別れを告げる歌だった。


 裕史が引っ越した後、私たちがどうなるかなんて、わからない。でも、未来に踏み出したい。裕史とさよならしたくない。


「絶対にゼーッタイに、明日謝ろう。……うぁっ!?!?」


 前触れなんてなかった。いきなり背後から、凄まじい衝撃が襲ってきた。

 迫力ある巨大な物体に押され、体が運転席の椅子へと叩きつけられた。おかしな方向にぐにゃりと曲がった体。挟まれた体が潰れて、骨が砕ける。

 痛みは感じなかった。感じる暇がなかった。テレビのスイッチを切ったかのように、プツっと目の前が真っ暗になったから。

 だが意識は明瞭で、透明な泉のように澄み渡っている。

 広大な意識の中で、私は叫んだ。


 ──死にたくない!! 裕史に謝っていない!! 喧嘩別れしたまま、死ぬなんてイヤっ!! 神様、お願いします。裕史に会わせてください。素直になりますから。ひどいことを言ってごめんなさいって謝りますから。だからお願いします。裕史に会わせてください。お願いします!!


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