花火を、二人で
あの肝試しから、ちょうど一年。また夏がやってきた。
背は高いがひょろりとしている裕史に、いつの間にか筋肉がついている。
「ねぇ。筋肉がついている気がするんだけど、なにかしている?」
「……うん」
裕史は首にかけていたタオルで顔の水分を拭くと、手のひらを上に向けた。私は預かっていた眼鏡を返して、続きの言葉を待つ。
顔を洗っても、裕史の顔はまだ赤い。前髪の先から、ポタポタと垂れている雫。
「続きを待っているんですけど」
「うん」
「うんって、なによ!? なんで細マッチョになっているの? お姉さんに教えなさーい!」
「……筋肉トレーニングしている」
「なに? よく聞こえなかった。にんにくトレーニング?」
「すごい聞き間違え」
「小声で言うほうが悪い! はっきり言って!」
イラついている私に配慮したのか、裕史は声量を上げた。
「筋肉トレーニング」
「筋肉トレーニング!? なにそれ? なにしているの?」
「別にたいしたことはしてないよ。腕立て伏せとか、腹筋とか、スクワットとか」
「いいじゃん! かっこいいよ! でもなんで? 筋肉作りに目覚めたの?」
「……おんぶできなかったから」
「え?」
意味がわからなかった。けれど十秒ほど間を置いてから、去年の肝試しで私をおんぶできなかったことを指しているのだと気づいた。
かぁぁぁっと頬が熱くなる。
「あぁっ、ああ、あぁ、そ、そうなんだぁ!! わぁーっ、あり、ありがとう!!」
動揺して、だいぶ吃ってしまった。
裕史は笑顔を浮かべた。私を見つめる瞳が、寂しそうに揺れている。
「裕史?」
「ぴろりんって呼ばないの?」
「わぁぁっ! そうだった!! なんで私ってすぐに忘れるの!? おバカすぎる!!」
裕史は笑顔を弾けさせると、軒下に置いてある天ぷらの皿を持った。
「いつもありがとう。豪華だね」
「でしょー。お店で食べたら一万円しますから!」
「ははっ。心して食べます」
家の中に入ろうとする裕史。その背中に、疑問を投げる。
「ねぇ、なにかあった?」
裕史の足が止まった。振り返らない。
「……別になにも」
「ふーん。話したくないことを、無理には聞かないけど。一人で抱え込むのは、ぴろりんの悪い癖だよ。本当は苦しいのに、なんでもないふりをするよね。私じゃ力になれないかもしれないけれど、話を聞くことはできるし。話したくなったら、いつでもウェルカムだから」
「…………」
裕史の母親が癌で亡くなる、一年ほど前。
裕史の様子がおかしかった。笑っているし、話すし、落ち着いている。普段と変わらない態度だったけれど、目に力がなかった。
だから、私は尋ねた。
「どうしたの? なにかあった?」
それに対して、裕史は笑いながら言った。
「なんでもない。大丈夫だよ」
「我慢しているのを、大丈夫っては言わないよ」
なにげなく口から出たものだったけれど、裕史は目を大きく見開いた。その目がみるみるうちに潤み、俯いた顔から涙が落ちた。
「……お母さん。癌が再発した……」
裕史は口をつぐんだ。
私は、震えている彼の体を抱きしめた。それが懸命に抑えていた感情を解放する鍵だったようで、裕史は涙声で叫んだ。
「怖いんだ! お母さんが死んだら……」
裕史は声をあげてわんわんと泣き、私はその背中をトントンと叩いた。
生きているといろんなことがある。楽しいことも、悲しいことも。
裕史は、いい子だから。心配させないために、話さない。なんでもないふりをして、笑う。
裕史は私よりできることがたくさんあるのに、不器用。
背中を向けたままの裕史に、明るい声音で話しかける。心に届きますようにと、祈りながら。
「去年の肝試しでさ。パニックになって泣いたのに、ぴろりんは私を見捨てなかったよね。すごく嬉しかった。だからね、私も見捨てないよ。どんなことがあっても、ぴろりんの味方だから。私を頼っていいからね。これでも先輩ですから」
裕史の反応はなく、背中を向けたまま。
私は冴木家の門を出ると、空を見上げた。
「一番星だ。綺麗」
夕方になってもセミは元気に鳴いているし、そよぐ風には熱と湿度がある。
夏が薄れていく気配がしない。それでも歴史上、季節が止まったことは一度もない。季節は確実に移ろい変わっている。
──秋風が吹く前に、裕史が元気になっているといいな。
そんなことを考えながら歩いていると、唐突に名前を呼ばれた。
「めぐみさん!」
裕史だった。息を切らせながら走ってくると、勢いのある声で言った。
「村のお祭りで、花火やるよね!」
「うん。そうだね」
「一緒に見に行こう!」
いつもの裕史なら「見に行かない?」と尋ねる言い方をするのに……。
断定的な物言いに面食らいながらも、頷く。
「いいけど……。メンバーは? お兄ちゃんも誘う?」
「ううん、二人で。めぐみさんと、僕で」
「二人で……」
「うん」
見つめ合った視線を先に逸らしたのは、私だった。声が上擦る。
「あ、そう、二人で。へぇー……」
「ここだと、高く上がった花火しか見えないから。川のほうに行ってみない?」
「そうだね。そっからだと、よく見えそう」
裕史は地面に視線を落とすと、おでこを掻いた。
「そのー……大切な話があるんだ。花火のときに話してもいい?」
「えっ、あ、うん。いいよ」
「ありがとう。じゃ、そういうことで」
「うん。そういうことで」
裕史の背中を見送る。裕史は家の門をくぐる手前で、振り返った。慌てて胸の前で手を振ると、裕史はちょこんと頭を下げた。
裕史の姿が見えなくなるや、私は家へと全力疾走した。
「おうっ、めぐみ! 海老の天ぷら、うまいぞー」
台所横の廊下を通った私に、真司が呑気に声をかけてきた。予想どおり、つまみ食いをしている。
だが、兄の相手をする暇などない。
私は両親の部屋に入ると、父親のパソコンを開いた。父は役場に勤めており、まだ帰って来ていない。
何度か間違えながらキーボードを打ち、『花火大会 男女二人』で検索した。出てきたのは……。
・花火デートを成功させる秘訣。
・花火デートは恋愛進展の大チャンス!
・質問です。男友達に花火大会に誘われました。どういう意味がありますか?
答え。なんとも思っていない人を花火には誘わないです。仲を進展させたいのかも。




