夏空の下の会話
夏休みが半分以上過ぎた。
受験生なのだから、宿題だけでは足りない。母がドリルを数冊買ってきたが、やる気が家出中。ドリルを開いては、「そうだ。アイスを食べよう」「そうだ。掃除をしよう」と別なことをしてしまう。
頑張らないといけない。頭ではわかっている。それなのに、焦る気持ちとは裏腹に、テレビを見てしまう。
「だってさー、高校野球が気になっちゃう。だって、甲子園だよ? 結果を見てから、勉強すればいいよね」
居間には私しかいないのに、誰に言い訳をしているんだか。
ともかく今日は、地元福島の高校である聖光学院の二回戦。相手は神奈川の桐光学園。勉強を後回しにしてでも、応援しなくてはならない。
聖光学院が先制して、私はテンション高く騒ぐ。
「この勢いのまま、勝っちゃって!」
だが、七回の裏で同点に追いつかれてしまった。
手を組んで、神様に祈る。
「お願いします! 聖光学院が勝ちますように!」
しかし、祈りむなしく。八回の裏に一点を取られて、逆転されてしまった。
窮地に心臓が悲鳴をあげる。見ていられなくて、テレビを消す。けれど気になるので、数分置きにテレビをつけては、点数を確認して消す。
それを繰り返しているうちに、試合が終了した。聖光学院は二対三で敗れた。
燃え尽きて灰になった私は勉強する気になれず、漫画を読んでダラダラと過ごす。
夕方になり、台所にいる祖母が私を呼んだ。
「めぐみぃー! 夕飯、持って行ってー!」
母は老人ホームで働いている。フルで働いている母の代わりに、祖母が夕食を作っているのだ。
台所に行くと、天ぷらを揚げている祖母がテーブルの上を指差した。
「それ、冴木さんちに持って行って」
祖母が指差した大皿には、海老とナスとオクラとインゲンとシイタケと大葉の天ぷらが乗っている。
「わあーっ、海老の天ぷらだっ! だーい好き!! 十本食べるから! お兄ちゃんを台所に入らせないで!」
「そんなに食べられないでしょうが」
「食べるもん!」
真司は茶太郎の散歩に行っている。帰ってきたら、「天ぷらは熱々のうちに食べないとな!」と、間違いなくつまみ食いをするだろう。
「お兄ちゃんに食べられないよう、別なお皿に取っておこう」
「食い意地が張っているんだから」
「お兄ちゃんには負けますぅー!」
海老の天ぷらを十本、別皿に確保してから、裕史の家に向かった。
私は忍者の末裔であるかの如く冴木家に忍び込んで、天ぷらをさっと置き、すばやく家に帰ろうとした。
だが、庭に裕史がいた。麦わら帽子をかぶって、草むしりをしている。
土木作業員をしている父親が不在の日は、裕史が祖父の面倒を見ている。それだけでも大変だろうに、庭の手入れまでするなんて、裕史は働き者だ。
頑張り屋の裕史を無視することはできない。そういうわけで、天ぷら皿を軒下に置くと、草むしりをしている裕史の前に座った。
「懺悔します。私はさっきまで、クーラーの効いた部屋でテレビを見ていました。おまけにアイスも食べました。おいしかったです」
「なんの報告?」
「受験生なのに、夏休みをダラダラと過ごしているという反省の報告」
「残りの夏休み、頑張ってください」
「家出中のやる気が戻ってきたらね。で、裕史はなにしているの?」
「草むしり」
「見たまんまだった。違う答えを期待していたのに」
「たとえば?」
「地下帝国の兵士、ザッソウマンをやっつけている」
「五点」
「五点って低すぎ! ブーブー! 一億百八十点にしろー!!」
「めぐみさんって、なんでいつも元気なの?」
「だって……それぐらいしか取り柄がないもん」
唇を噛んで、視線を下げる。草刈り鎌を動かしている裕史の手を、睨む。
「私と違って、裕史はいいよね。勉強ができるし、顔もいいし、落ち着いているし」
「そんなことないよ」
「そんなことある! だって、私一重だよ! 裕史みたいな綺麗な二重瞼が良かった! それに鼻も低いし! 私の気持ちなんて、イケメン君にはわからないよ!」
裕史に怒りをぶつけたってしょうがないのに。
悪いのは、遺伝子。なんで二重瞼の母親ではなく、一重瞼で鼻の低い父親の遺伝子を私に受け継がせたんだか。まったくもって意味がわからない。
裕史は草刈り鎌を動かしていた手を止めると、麦わら帽子の下にある火照った顔を私に向けた。
「めぐみさんは愛嬌があっていいと思う」
「アー、ソウデスカァ」
「…………。僕のこと、ぴろりんって呼ぶんじゃなかった?」
「うわっ!! そうだった!! 自分で言って忘れていた!!」
両手で「私ってバカバカ!」と頭をポカポカ叩くと、裕史は吹きだした。だがすぐに、真面目な顔に戻る。
「僕は……めぐみさんのこと、いいと思っている」
「裕史、じゃなかった。ぴろりんは優しいね!」
裕史はいきなり立ち上がると、歩きだした。草むしりが半端だが、疲れたのだろう。
裕史は納屋の棚に草刈り鎌を戻すと、麦わら帽子を脱いだ。それから、外にある水道の蛇口をひねった。水が勢いよく流れ落ちる。
「眼鏡を持ってあげる」
「……ありがとう」
顔を洗うのに眼鏡は邪魔だろうと思ったのだが、裕史はなぜか、うろたえた。
「なに?」
「気が利くなって思って……」
「村一番の気が利く女めぐみって呼ばれていますから!」
「ははっ! 初耳なんだけど」
私は黒縁眼鏡を受け取り、裕史は赤い顔をジャバジャバと洗う。
汗で張りついている、裕史のTシャツ。白シャツ越しに動いている筋肉を見て、おかしな気分になった。
裕史は本の虫なのに、いつの間に筋肉がついたのだろう?
去年の肝試しのことを思い出す。




