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二十年後の約束  作者: 遊井そわ香
第一章 及川めぐみだった
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隣の家の年下男子

 真夏の暑さに耐えきれずに、空が破裂したかのようだった。雷鳴が(とどろ)き、バケツをひっくり返したような雨が降る。

 しかし土砂降りの雨は長くは続かず、じきに止んだ。


 うだるような八月。連日の暑さといい、気まぐれな雷雨といい、人類がどんなに文明を発展させようが、天気に振り回され続けるのだろう。慌てふためく人間を見て、雷様が笑っているかもしれない。

 そんなことを考えながら、慎重に階段を上がっていく。古い田舎の家なので、階段の傾斜が急だ。

 二階の窓からなにげなく外を見て、私は息を呑んだ。


「綺麗……」


 雨上がりの村が、緑色に染まっている。

 激しい雷雨が青々とした稲と山の緑を溶かし、そよぐ風がその溶けた緑色を村中に行き渡らせたようだった。


 私は開け放してある窓の枠に手を置くと、大きく息を吸った。緑色の風を肺に届ける。

 

 ──今日のこの美しさを心に焼きつけよう。大人になっても、覚えておこう。


 私は体の向きを変えると、目的のドアをノックする。


「夕飯のおすそ分け、持ってきたよー」


 窓の外からミンミンゼミの元気な鳴き声が聞こえてくるだけで、部屋の住民からの返事はない。

 私はそっと、ドアを開けた。足音を立てないように気をつけながら、ベッドにいる住民に近づく。


 この部屋の住民の名前は、冴木裕史。

 私、及川めぐみは侵入者であり、隣家の住民である。


「寝ている? 中二男子の生態を探るチャーンス!」


 裕史は、半袖短パン姿で寝ている。

 日焼けの境界線がくっきりとついた太ももにドキリとするものを感じて、慌てて本棚の前に立つ。エロ本を探す。


「うーん……」


 本棚に並んでいるのは、小説と漫画。どちらも歴史に関するものが多い。裕史は歴史好きだ。

 本棚にないのなら、本棚の後ろにエロ本が隠してあるに違いない! 

 そう思って覗いてみたら、本棚は壁にピタリとくっついている。本を差し込む隙間がない。


「お兄ちゃんは水着のお姉さんの雑誌を、本棚の後ろと机の中に隠しているんだけど……」


 机を見ると、ドリルが置いてある。表紙には『一学期の総復習! 中二数学ドリル』と書いてあるが……。


「わかったぞ! ドリルは仮の姿。カバーをめくると、中身はエロ本だな!」


 私は敵の大将の首でも取ったかのようにほくそ笑むと、ドリルを手に取った。パラパラと捲る。


「あれ? 数学のドリルだ」

「……うぅ……」


 裕史の瞼がピクピクと動き、半開きの口からうめき声が漏れる。

 やばい、独り言が多すぎた!

 私は急いで本棚の影に隠れた。


「……なにやってんの?」

「ミーンミンミン、私はセミです」

「めぐみさんでしょ?」

「もぉ、ノリが悪いなぁ。セミで対抗してよ。ツクツクオーシって鳴いて!」

「ははっ」


 隠れていた本棚から出ると、裕史は上半身を起こしたところだった。目が合う。


「なにしているの?」

「中二男子の生態を探っていた」

「なにそれ?」

「この部屋にはズバリ! エロ本があるでしょう!」

「ないよ」


 裕史はバッサリ切ると、枕元に置いてある眼鏡をかけた。私も「つまらない男」とバッサリ切ると、扇風機の前に座った。


「ワレワレハ宇宙人ダ」


 回転する扇風機の羽が、私の声をロボットのような声に変える。おもしろくてしばらく「あ〜っあ〜っ」と声を出し続ける。

 裕史は欠伸をすると、目尻の涙を擦った。擦る指に押されて、眼鏡が動く。


「裕史、もう夕方だよ。夜、眠れるの?」

「おじいちゃんが、夜起きることが多くて」

「睡眠不足?」

「うん」

「じゃあ、私が代わりにたっぷりと寝てあげる」

「それなんか意味ある?」

「ある。私のお肌がピカピカになる」

「寝過ぎも良くないよ。頭にキノコが生えるよ」

「そんなわけない」

「あっ、しめじ!」

「えぇっ!? ウソ!?」

「……が、冷蔵庫にあった。早く食べないと」

「バカ!! 最悪っ!!」


 頭にしめじが生えるわけがない。それなのに、まんまと騙されて頭を触ってしまった。

 裕史は中二男子で、私は中三女子。

 年下男子に弄ばれた悔しさから、近くにあったタオルを投げつける。


「しめじになってしまえ!!」

「サンキュー。汗を拭きたかったんだ」


 裕史は笑顔でタオルをキャッチした。しかも、片手。

 私は負けず嫌い。颯爽とかっこ良くタオルを受け取った年下男子を、やり込めてやりたい。

 そういうわけで私は、部屋を出ようとする裕史の背中に抱きついた。


「裕史く〜ん! 大好きぃー!」

「わっ!?」

「ハハっ! 驚いたか!」

「うん、まぁ……」

「冗談だよ〜ん! 騙されたぁ!」

 

 私は両手を顔の横でひらひらと振りながら笑うと、裕史より先に階段を降りた。

 時計が、ボーンボーンボーン……と五回鳴った。

 台所の壁にかかっているレトロな振り子時計が五時を知らせたわけだが、私は知っている。この時計は十分遅れている。

 裕史は台所に入ってくると、テーブルに置いてあるちらし寿司に顔を輝かせた。


「わっ、スゲー!!」

「へへー、豪華でしょう! おばあちゃんお手製のちらし寿司。プリプリの海老とイクラ乗せでーす!」

「誰かの誕生日?」

「そう、誰かの誕生日。誰だと思う?」

「誰だっけ? イエス・キリストとか?」

「おいっ!」


 私は寿司桶を持ち上げると、帰るふりをする。


「没収でぇーす! さようなら」

「ごめんごめん! で、今日は誰の誕生日だっけ?」


 裕史の黒縁眼鏡の奥にある目が、笑っている。


「私の誕生日だよ! プレゼントがあるなら、もらってあげますけど?」

「サイダーあるけど、飲む?」

「豪華な夕飯が待っているのに、炭酸でお腹いっぱいにしたくなーい!」


 裕史の母親は一年半前に癌で亡くなっており、私は祖母が作った料理の運び屋をしている。

 私と裕史は隣人であり、中学校の先輩と後輩。気が合うけれど、ただの幼馴染にすぎない。


 運び屋の仕事を終えたので、居間のこたつに座っている裕史の祖父に声をかける。


「おじいちゃん、ちらし寿司食べてくださいね。じゃ、帰ります。お邪魔しました」


 裕史の祖父は背中を丸めて、ボーッとテレビを見ている。母が言うには、認知症が進んでいるらしい。

 返事がないのはいつものことなので気にすることなく、冴木家を後にした。


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