猫
「来世は猫になりたい」
真っ黒になった空で信号が青になるのを待つ間、諸々のむしゃくしゃを可愛く圧縮して、ポストボタンを押した。
さっきまで確かに私のものだったむしゃくしゃが、ありふれた言葉になってTLに溶けていくのを、私はぼーっと眺めていた。
空っ風が制服の裾を揺らす。
赤信号の向こうにいる人たちは皆一様に「思ったより寒いな!」というくしゃくしゃな顔をしていて、なんか、ばかみたいだった。
大人って天気予報見ないの?
ほんと、全部、ばかみたい。
母が私の身体に合わせて縫い直してくれたスカートが、風を受けて身体に貼り付く。
信号が青になる。
真正面から吹き付ける風。
こうやって人の波に流されるみたいに歩いていると、まるでベルトコンベアを流れる商品みたいだ。スカートが、私の太いふくらはぎの特に一番太い部分に纏わりついて、歩きにくくて仕方ない。
「歩き方が醜いから、醜い足になるのよ」
「自分を甘やかすから、そんなに肉がつくの」
私の一番嫌いな声を、脳が勝手に反芻して。
ああ、帰りたくない。
「にゃぁぁ、にゃぁぁ」
甲高い鳴き声。媚びたそれが私の耳を汚す。
人間様が陰鬱になってるんだからこんな時くらい控えてほしい。
可愛いは暴力だ。
可愛いは罪だ。
でも、可愛いは正義だ。
ああ私またかっこつけて、本当にかっこ悪い。
ほら、ここだけ人混みの流れがゆっくりになる。
猫なんか大嫌い。猫を見ないように、画面を見つめる。
てかガキならともかく大人はいい加減動いてよ!私たちさっきまでベルトコンベアだったじゃん!!
いい大人が猫如きで足止めてんじゃねーよ!!
「にゃぁぁ、にゃぁぁ、にゃぁぁ!」
うるさい!!!
顔を上げた瞬間そこにいたのは、
四つん這いになった、ブリーフ一丁のおっさんだった。
たるんだ出っ腹に生えた大量の縮れ毛たちが、からっ風に吹かれて肌に張り付いている。
これは…確かに、大人も渋滞する訳だ。
私の目の前のおっさんは変わらず「にゃぁぁ、にゃぁぁ」と鳴き続けている。
私と猫おじさんの間には誰もいない。触れる距離で、バッチリ目線が合ってしまっている。
「……にゃぁぁん?」
あ、これだめなやつだ。
私は真横のローソンに駆け込んだ!!
「いらっしゃいませー」
良かった。日常だ。
私は反射的に棚に身を隠す。
……いや、良くはない。何も良くなってない。外にはまだ奴がいる。
幸い店内に入ってくるつもりはない様子だが、撤退する様子もなく、相変わらず薄っすらと「にゃぁぁ、にゃぁぁ」が聞こえてくる。なんでだよ。猫は寒いのが苦手なはずでしょ?
なんで皆平気なんだよ?おかしいだろ。
誰か対処しろよ!店員は?
警察は何してるんだ?
私の膝は情けなく笑ったまま動けない。
もはや変質者の域を超えてるだろアレ。
妖怪だよ。
妖怪・自認おっきい猫おじさんだよ。
あんなキモい猫がいてたまるか。
全然可愛くない。
むしろ醜い。
きしょい。
気色悪い。
醜くて気持ち悪くて気色悪くて汚くて可愛くなくて、なのに、必死に「可愛い」にしがみついて、それがどうしようもなくグロくて一つも可愛くなくてそんなんじゃ誰にも愛されなくて……
私、みたい。
愛想なんか振りまかなくても、相手の思い通りになんかならなくても、媚びへつらわなくても、太っても痩せても可愛いって言われて、どんなことしてもずっと愛されて大切にされるから、私は猫になりたいの。
あの妖怪は、私だ。
「猫」になりたくて、なったのに、失敗した、気持ち悪い奴。
いや、何を考えているんだ私
アレと似てたら人生終わるわ!
おかしいだろ!
私までおかしくなってるだろ!!
なのに身体は勝手に紙の浅皿を取り、小さい牛乳を取り、Suicaを翳し、レンジの前で、まだ震えてる指で乱暴に牛乳パックを空けて、「あたためボタン」を押していた。
何やってんだ。
何やってんだ。
何やってんだ。
ああ、もう。
乱雑に紙皿の袋を空けて、湯気の立つ牛乳を注ぎ、私は妖怪・自認おっきい猫おじさんの目の前に皿を置いて、しまった。
「にゃん……。」
妖怪・自認おっきい猫おじさんは、皿に一瞥くれた後、嘘みたいに背を向けて、闇夜に消えていった。茶ばんだ白ブリーフを風に靡かせて。
……そりゃそうだ。
妖怪・自認おっきい猫おじさんは、「猫」 なんだから。
とっくに冷めきったミルク。
人並みに踏まれてぐちゃぐちゃになる紙皿を眺めながら、
私は1、1、0とスマホをタップした。
―了ー




