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出戻り令嬢の心残り

誤字報告ありがとうございます!

感謝いたします。

 わたくし、シャンテル・オブ・パーキスは「出戻り」だ。


 実のところは婚姻を結ぶ前の婚約破棄なのだが。

 どういうわけか、わたくしには「出戻り令嬢」という不名誉なあだ名が付けられてしまった。


 そう、婚約破棄。


 わたくしは元々は、隣国であるハウエル王国の王太子だったランスロット・エス・ハウエル殿下に嫁ぐ予定だった……のだ。


 我が国の国王陛下の妹である母、公爵家の父を持つわたくしだ。

 公爵家の娘であるわたくしが政略に使われるのは、幼い頃からわかっていたこと。


 隣国との友好のために、政略結婚の駒にされることなど、全く不満はなかった。それどころか、国のために働けることを誇りに思っていた。


 それに、隣国の王太子に嫁ぐのであれば、わたくしは後の王妃となる。

 両国の架け橋となるために、厳しい教育が施されたが、それも当然と受け止めた。


 公爵家の娘として、国のために生きよう。


 それが、わたくし自身の願いでもあった。


 けれど、ランスロット殿下は王女ではなく、公爵家の娘というだけで、わたくしに不満を持ったらしい。

 更に、自由恋愛ではなく、政略という点も気に入らなかったようだ。


 わたくしが結婚式の半年前、ハウエル王国の謁見室にて、国王陛下や王妃殿下、将来の夫となるはずだったランスロット殿下に到着のご挨拶をさしあげた時。


「シャンテル・オブ・パーキス! 俺様はお前など愛することはないっ! 俺様は愛するニコラと婚姻を結ぶ! キサマとの婚約など破棄だっ! さっさと自国に帰れっ!」


 ……両国の友好のための政略結婚。そのためにやってきた隣国の公爵令嬢たるわたくしに、婚約者であるはずのランスロット殿下がいきなり怒鳴りつけてきた。

 しかも、その腕に、一人の娘を抱きしめて。


「も、申し訳ありません、あたしとランスロットは愛し合っているのです!」


 申しわけないと言いつつ、娘の顔は優越感に満ちている。


「そうだっ! 俺様は一生涯ニコラだけを愛すると決めた!」


 初対面の婚約者に対して、よくもまあ、厚顔無恥に。


 余りに怒りが大きすぎると、怒りを取り越して「無」になるようだ。


 わたくしは、ランスロット殿下に……ではなく、頭を抱えているハウエル王国国王と王妃に向かって、淑女の礼を執った。

 暴言を吐いてきたランスロット殿下もニコラという小娘も無視だ。


「発言をお許しくださいませ、陛下。わたくしは両国の友好のためハウエル王国へと嫁す予定でございましたが。このような仕儀では友好など無理でございますわね。貴国の王太子殿下であり、政略上のわたくしの婚約者であったはずの殿下のお言葉は、このまま我が国の王へと伝えさせていただきますわ」


 婚約破棄を受け入れる権限はわたくしにはない。

 婚約破棄を拒絶する権限も同じくない。


 隣国との関係をどうするのか。


 それを判断するのは我が国の国王陛下だ。


 わたくしはそのまま馬車に乗り込み、国へと帰った。


 何の瑕疵もなく、しかも初対面のわたくしの対する暴言。更に婚約者であったはずのランスロット殿下が女性を抱きしめていたこと。


 それをそのまま報告し、わたくしはパーキス公爵家の屋敷に帰った。

 父や母や兄たちが怒りを見せてくれたのは幸いだった。


 特に母は、陛下にかなり文句をつけたらしい。

 ありがたい。

 少なくとも、何もなかったかのように、ランスロット殿下と再び婚姻を結ばされることはないだろう。


 結局、ランスロット殿下は廃嫡され、断種されたとだけ、後日父から教えてもらった。

 ニコラという娘がどうなったかは知らないが、ろくなことにはなっていないだろう。

 何せ、我が国と隣国の友好のための婚姻を、ランスロット殿下とニコラとかいう娘のせいで、足蹴にされたようなものなのだから。


 わたくしとランスロット殿下の婚姻……つまり両国の友好のために、いくつもの条約やら契約やらが結ばれていたはずだ。


 平民や商人たちも、婚姻に際し、パレードだの祭りだのが行われ、貴族も衣装を新調したりだのなんだの、経済活動を行い、儲けが出るはずだったのに。


 わたくしが一方的な婚約破棄をされて、面子を汚されたと我が国の国王が怒りでもすれば、戦争だって起こりかねなかった。


 まあ、両国とも平和主義ではあるし、戦争など起こさないようにと文官たちも相当な苦労をしたらしい。


 様々な調整が行われ、新たな条約が結ばれ、ハウエル王国からの多額の慰謝料が支払われ……、それがすべて落ち着くまで約二年。


 わたくしはその間、パーキス公爵家の領地の屋敷で過ごしていた。


 気持ち的にはざわつきはあったけれど、表面上はのんびりと。


 そう、のんびりと。


 次の縁談を申し付けられることもなく。


 公爵家の娘。しかも将来隣国の王妃となるべく教育を受けた令嬢。


 そんなわたくしを娶れるだけの相手が……、いなかったのだ。


 自国の同じ年代の令息は、ほとんどがすでに婚姻もしくは婚約済み。

 下級貴族の令息であれば婚約も結べるが。わたくしを娶れるほどの者はいない。


 かといって、他国に嫁すのも無理だった。

 一国の王太子から婚約破棄を告げられた令嬢を、好んで娶りたいという酔狂な者はいない。


 わたくしの年齢も問題だった。

 婚姻のためにハウエル王国に向かった時、わたくしは適齢期の17歳であった。

 それから二年。今はもう19歳。更に言うのならば、もう間もなく誕生日を迎え、また一つ年を取る。


 婚約破棄の後の処理に二年以上もかかってしまった弊害……ではあるのだけれど、お互いの国の面子もあって、二年程度で決着がついたのはまだ早かった方なのだろうと思われる。


 だが、間もなく二十歳の高位令嬢を、わざわざ娶る者など本当に皆無だ。


 だからわたくしに瑕疵がなくとも、わたくしは「出戻り令嬢」と呼ばれるようになってしまったのだ。


 嫁ぎ先もなく、働くこともできず。ただ、何もすることがなく、ただ息をして、一日を過ごし、眠って、起きるだけの生活。


 父や母や兄たちは「シャンテルは何もしなくていいんだよ。パーキス公爵家で心穏やかにのんびりと過ごしてくれればそれでいい」と言ってはくれたけれど……。


 わたくしが耐えられなかった。


 国のために、国を背負って生きよと教育されたわたくしに。

 何もすることがないというのは苦痛でしかなかった。


 文官でもいいから、国のために何かしたい。


 その思いがくすぶったまま、更に一年二年と月日だけが過ぎた。


 そうしてそのまま。わたくしはもう二十五歳となってしまった。

 国のために何かすることなどは諦めて、私財で孤児院か修道院でも作り、それの経営でもしようかと思った時に、王家から、打診が来た。


 第一王女であるガブリエル様が、十歳になられたのだ。


 ガブリエル王女殿下の話し相手になってほしい。

 陛下からのご命令だった。


 完璧なる淑女としてのシャンテル嬢の立ち居振る舞いは、ガブリエルのためにもなる云々と、陛下はおっしゃったが、まあ、実のところは婚約を破棄された令嬢の末路でも話して、反面教師にでもしたいのであろう。


 父や母は憤慨したが、わたくしは喜んでガブリエル王女殿下のお話相手を引き受けた。


 何もできないのはつらい。


 できることがあるのなら、たとえ、わたくしの過去の醜聞でもお話いたしましょう。

 わたくしの経験がガブリエル王女殿下の糧となるのなら、それはそれで、国のためと言えなくもない。


 孤児院や修道院を経営するのはいつだってできる。

 けれど、ガブリエル王女殿下のお話相手など、誰にでもできるようなものではない。


 謹んで、拝命して。

 そして、久しぶりに王城へと上がった。


 ハウエル王国の王太子だったランスロット元殿下。彼の婚約者だったときは、この王城で、教育を受けたのだ。


 後のハウエル王国の王妃と相応しいと言われるように。


 だから、今だってわたくしの立ち居振る舞いは、かなりなものだと自負している。


 口さがない者たちは、陰でひそひそとわたくしのことを「出戻り令嬢」などと噂話をするけれど、気にしない。


 瑕疵はランスロット元殿下にあるのであって、わたくしではない。


 堂々と背を伸ばし、優雅に頭を下げる。


「王女殿下にご拝謁を賜る機会を得られ、光栄の至りでございます」


 指先、視線。すべてが完璧に整えられた淑女の礼。

 わたくしを「出戻り令嬢」と陰口を叩いた者たちすら、感嘆のため息を吐いたほどだ。


 ガブリエル王女殿下は、一目でわたくしを気に入られ、名前で呼ぶことを許してくださったほどだ。


 こうして、週に二度。わたくしはガブリエル様と一緒にお茶を飲み、様々な話をすることになった。


 ガブリエル様という王女殿下のためになるのなら、過去の醜聞だっていくらでもお話して差し上げよう。醜聞以外にも、趣味や世情など、音楽界や美術鑑賞……、話は多岐にわたった。


 どんな話もキラキラと瞳を輝かせながら聞いてくれるガブリエル様との時間が、わたくしにとってもとても大切だった。

 あれも話して差し上げよう。これも話して差し上げよう。


 これまでのわたくしの経験は、ガブリエル様の糧となるべきものだったのだ。


 そう思えるほど、愛らしいガブリエル様に、わたくしは傾倒していった。


 が……。


 幸福な時期というのはそう長く続かないものだ。

 異国の言葉にもある通り、禍福は糾える縄の如し。

 しあわせは不幸に通じ、不幸はいつかしあわせに転じる。


 ガブリエル様とのお茶会に、クリストファー第四王子殿下が時折、交ざってくるようになってしまった。


「やあ、シャンテル嬢。いつもガブリエルの相手をしてくれてありがとう。ガブリエルは、結構わがままだから、相手をするのも大変だろう?」

「いいえ、殿下。ガブリエル様とのお茶会を、わたくしいつも楽しみにしておりますの」


 あたりさわりのない話しか、クリストファー第四王子殿下とはしていないはずだったのに。


 次第にクリストファー第四王子殿下がわたくしを見る目が変わってきた。

 熱を帯びてきた……、そう恋の熱だ。


 政略の婚姻を結ばされ、その婚姻も破棄され、婚姻相手もいなかったわたくしだが。

 以前、他者の心を読む訓練はしていたことがある。

 王妃となったときに、相手の心情程度、読めなければ困るから……と。


 だから……クリストファー第四王子殿下の熱い視線の意味が、分からないわけはなかった。


 恋をされている。


 時折、ガブリエル様のお茶会にクリストファー第四王子殿下が交ざる……ではなく、毎回、ご参加されるようになった。


 そのたびに、花束をプレゼントしてくださって……。


 困った。


 わたくしはもう二十五歳。クリストファー第四王子殿下は十五歳。

 わたくしは十も年上の「出戻り」だ。

 いくら、王妃教育を受けている公爵家の娘としても……、ありえない。


 その上、クリストファー第四王子殿下には国王陛下がお決めになった婚約者が居るのだ。


 わたくしは、クリストファー第四王子殿下のお気持ちには気がつかないふりをして、ガブリエル様と優雅にお茶をいただく。


 直接愛を囁かれるようなミスはしない。

 だけど、クリストファー第四王子殿下がわたくしに差し出す花束は……。


 一番最初はピンク色のチューリップ。花言葉は「愛の目覚め」だ。好きになった相手への告白にもよく使われる花。


「王城の庭の花がキレイだったから」とクリストファー第四王子殿下はわたくしに差し出してきた。が、わたくしは花言葉には気がつかないふりをして「まあ、王城の花は美しゅうございますね」と受け流した。


 それからクジャクアスターやパンジーなどもいただいた。

「一目惚れ」「わたしを想って」という花言葉を持つ。


 気がつかないふりをして、ガブリエル様と過ごす。

 花言葉もだんだんと強まってきた。


 ブルースターは「幸福な愛」

 ピンクのカスミソウは「無垢の愛」

 青のヒヤシンスは「変わらぬ愛」

 マーガレットは「真実の愛」

 ヒマワリは「あなただけを見つめる」


 ここまでされれば、心も動くが……。


「まあ、キレイですわね。クリストファー第四王子殿下の婚約者のご令嬢にお渡しするのにふさわしい花ですわ。わたくし、練習台として最適ですわね」


 などと言うしかなかった。


「練習台などではっ! 私は……」

「それ以上は言わないで下さいませ。わたくし、ガブリエル様とお茶をすることも出来なくなりますわ」


 わたくしは婚約を破棄された「出戻り令嬢」

 年上で。

 そして、クリストファー第四王子殿下には国王陛下が決めた婚約者が居る。


 これ以上は無理だ。


 わたくしはお父様に頼んでガブリエル様とのお茶会もお断りさせていただくことにした。


 もしも、クリストファー第四王子殿下がわたくしに対して本気であり、求婚でもしてきた時には……クリストファー第四王子殿下の瑕疵となる。


 婚約者のご令嬢の家と王家との間に溝もできるだろう。


 公にしてはいけない。

 それは国のためにはならない。


 わたくしが王城に行かなくなってひと月が経った頃。


 内々にと、陛下から呼び出しがあった。


 謁見の間ではなく、王家のサロン。


 そこには陛下と王妃様、ガブリエル様と……クリストファー第四王子殿下がいた。


 しかもクリストファー第四王子殿下は赤いバラの花束を腕に抱えていた。


「シャンテル・オブ・パーキス公爵令嬢。私、クリストファーは貴女に求婚をしたい。貴女程素晴らしい淑女はいない。私の手を取ってほしい。愛しているのだ」


 クリストファー第四王子殿下は真剣だ。

 真剣にわたくしに求婚をしてくださっているのだ。


 だけど……。


「申し訳ございません、お断りいたします」

「なぜっ!」


 信じられないと言った顔のクリストファー第四王子殿下。


「わ、私の婚約なら、父から解消してもらう! 相手の令嬢にも礼を尽くす!」


 必死の形相。だけど、わたくしは、その熱に流されるわけにはいかない。


 この場を、謁見の場や、公式の場ではなく、王家の私室でもあるサロンにしたこと。そこに陛下や王妃殿下の意思がある。


 暗に、断れと命じられているのだ。

 恋の熱に浮かされているクリストファー第四王子殿下にわからせろと。

 更にはガブリエル様にも、王家の女として生きる覚悟を見せろと。


 わたくしは一度だけ目を閉じ、そして、開けた。


「殿下。わたくしは、隣国との王太子殿下と婚姻を結び、隣国の王妃となるべく教育を受けた者です。そして、公爵家の娘として、国に殉じる覚悟も持っております」

「だったら、私の妻になるのに何も問題は……」

「ございます」


 クリストファー第四王子殿下の言葉を、敢えて遮って言った。


「第四王子殿下が出戻り令嬢と婚姻を結んだとあれば、それは殿下にもわたくしにも瑕疵になります」

「どうしてっ!」

「そもそも近しい血縁での婚姻は推奨されておりません」


 クリストファー第四王子殿下は国王陛下の息子。

 わたくしの母は国王陛下の妹。

 血が近い。


「それに年齢もございます。わたくしは既に二十五。婚期は逃しておりますし、殿下との年の差もございます」

「愛があれば年の差など」

「無関係ではございません。王族たるもの国王陛下や王太子殿下を支え、国のために婚姻を結ぶもの。個人の愛に走るのは嘲笑の元」

「そんなことはないっ!」

「いいえ。国王陛下も王太子殿下も。皆様国のための婚姻を結び、婚姻したのちお互いの夫を妻を最愛と思い、お互いを労わりあってお過ごしでございます。それが、王族としての責務であり、正しい姿です」


 一息に告げてから、改めて、クリストファー第四王子殿下を見る。

 わたくしを愛してくださったのは嬉しい。

 女として、本当にうれしい。


 だけど、わたくしは、王族に連なる者として、国のために生きることを教育された女なのだ。


 私情に流されることはない。


「わたくしを想ってくださるのなら。その思いは、殿下の婚約者のご令嬢に向けてくださいませ。わたくしは、今後はお城に上がらせていただくことはないでしょう。領地から、殿下のおしあわせを祈らせていただきます」


 わたくしのできる限りの笑顔と淑女の礼を残して。

 わたくしは、クリストファー第四王子殿下に背を向けた。


 心残りなど、決して見せないようにと凛として。




 それからしばらく経って。

 クリストファー第四王子殿下は婚約者のご令嬢と婚姻を結んだ。

 お二人の間には一男一女がお生まれだそうだ。


 わたくしは、個人としてのお祝いは控えさせてもらった。


 そのまま月日が経過した。


 わたくしは婚姻することはなく、領地の片隅で小さな孤児院を作って、そこを経営した。


 読み書きに加えて、きちんとした礼儀作法を教えていく。

 子どもの成長は、わたくしの心の慰めにもなった。


 王家の噂は、聞こえてくる。

 ガブリエル様が他国に嫁いだこと。

 クリストファー第四王子殿下のお子が、成長してどこかの貴族の家と縁を結んだこと。

 クリストファー第四王子殿下の奥様となったご令嬢が、流行り病で亡くなったこと。


 葬儀には行かなかった。

 手紙も、出したりもしなかった。

 わたくしが王家と縁を切ること。それが、王家への忠誠だとさえ思っていたから。

 イマサラ顔を出して、昔の醜聞を持ち出されても敵わない。


 なのに。


 中年となり、間もなく老境になるわたくしの元に、バラの花束を抱えたクリストファー第四王子殿下がやってきた。


「久しぶりだね、シャンテル・オブ・パーキス令嬢」

「お久しぶりでございます……」


 クリストファー第四王子殿下は、わたくしを見て、眩しそうに目を細めた。


「お互いに髪に白いものが交じり出した年になったから……。変わっているかと思ったけれど、シャンテル嬢は相変わらずお美しいな」

「まあ……。お世辞でも嬉しいですわ」

「お世辞じゃないよ。立ち居振る舞いも、淑女の礼も。貴女程美しい令嬢はめったにいない」

「ありがとう存じます」


 クリストファー第四王子殿下は手に持っていたバラの花束を、わたくしにすっと差し出した。


「王族の義務は果たした。妻をきちんと愛して、その妻も亡くなった。息子や娘も大人になった。私は、勤めを終えた。もう引退して、余生を送るばかりだ」

「まだまだご活躍の場はございましょうに」

「息子や娘が悩んだ時に、相談を受ける程度はするけどね。もう自由になってもいいかなって」

「自由……」

「うん。だから、改めて、求婚をしに来た。ずっと心の内側にはあなたがいた。愛している。短い余生かもしれないけど。死ぬまで一緒に居させてほしい」


 国のため。

 そう教育をされた。


 嫁ぐ気もなく、孤児院を作って大人しく暮らした。


 それ以外にできることはなかったから。


 でも……。


「お互いに、枷を外して自由になってもいいんだと思うんだ。国は、私たちの子ども世代が担っている。私たちにはもう王族の義務の何もないだろう。余生を過ごしている老人二人だ」


 クリストファー第四王子殿下のまるで太陽のように明るい笑顔。


 求婚を断ったわたくしを恨んだこともあったろうに……。


 わたくしの目から涙がこぼれた。

 一つ、二つ。頬を伝う。


 震える手で、バラの花束に触れる。両手で抱えて、花の香を嗅ぐ。



 ピンク色のチューリップ。

 クジャクアスターやパンジー。

 ブルースター。

 ピンクのカスミソウ。

 青のヒヤシンス。

 マーガレット。

 ヒマワリ。

 バラの花束。


 全て、心ごと、受け取りたかった。

 受け取れないまま、死んでいくと思ったのに……。


 年を経て、今、再び、クリストファー第四王子殿下がわたくしにこうやって花束を差し出してくれる……。



 ああ、わたくしはしあわせだ。

 誰がなんと言おうと、わたくしのこの人生は……しあわせの花で満ちている。



「ありがとう……」


 泣きながら答えたわたしを、クリストファー第四王子殿下はそっと抱き寄せてくれた。


 花の香りに包まれて、目を瞑ったわたくしに。クリストファー第四王子殿下はそっと口づけてくれた。




 終わり













お読みいただきましてありがとうございます。




挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

こちらもよろしくお願いいたします。

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