第八十三話、Re:Works/再演される意思
ーー復讐の謀議ーー
「では、これから計画の概要をお知らせします」
静寂を破る声が、重厚な会議室の壁に淡く反響した。
その声の主は、RシステムのSE・河村亮。
白い手袋を外し、卓上に投影された青いホログラムを指先でなぞる。
場所は、都心から遠く離れた山間のVIP老人ホーム。
外観は瀟洒な療養施設、だがその地下には、
複数の通信遮断層と専用サーバー室が設けられていた。
ここが、天城正綱にとっての最後の「砦」――
復讐のための、そして孫・天城利綱を弔うための要塞だった。
長テーブルの上座に座る正綱は、
年齢を感じさせぬ鋭い眼光を河村に向ける。
白髪は整えられて、精密な設計図のようにも見えた。
彼の沈黙が、部屋の空気を張りつめさせていた。
その右隣、やや下座に控えるのは現会長・海北利景。
黒縁眼鏡越しに映る彼の表情は静かで、
何を考えているのか読み取れない。
かつて正綱の娘婿として迎えられた男――
だが今、その血縁は氷のように冷えていた。
河村は資料を開くと、淡々と語り始めた。
「今回のオペレーション名は、“Re:Works”。
N通信の統合サーバー“Integrate Sphere”へのバックドアを、既存の更新パッチに偽装して注入します。
これにより、JurisWorksのコード片を再構築することが可能になります」
海北が眉を動かした。
「……つまり、亡くなった利綱の設計思想を、
Integrate Sphereの中に“蘇らせる”というわけか」
「正確には“上書き”です」と河村。
「彼のコードは天城コンサルティングで活動してきた状態で、
この青いディスクに“凍結保存”されていたのです」
天城正綱の目が細くなった。
その奥に燃えるのは、老人のものとは思えぬ怒りと執念。
「利綱は死に追いやられた。だが、奴らは突然死だと言い張った。
わしの孫は、システムに魂を封じ込められたまま葬られたのだ」
「……だからあなたは、そんなにお元気なのに、痴呆症になったふりまでされて会長職を降りたのですね」
海北が低く問う。
「そうだ。会長では復讐はできん」
正綱の声は鋭く、だがどこか哀しみを帯びていた。
「相談役ならば、見えぬ位置から動かせる。
“ボケ老人”の仮面をかぶったまま、裏で全てを壊せる」
河村はわずかにうなずき、投影を切り替える。
スクリーンには、青い立方体――“Integrate Sphere”の中核構造。
そしてその中心には、封印されたモジュール名が浮かんでいた。
> 【JURIS-CORE: A. TOSHITSUNA】
「コードは、まだ生きています」
河村の声はどこか祈るようで、どこか冷徹だった。
「これを解放すれば、利綱の意志は――再び現れる」
正綱は、椅子の肘掛けを静かに叩いた。
「よかろう。やれ、河村。
――この老いぼれの命、孫のために燃やし尽くして構わん」
その瞬間、海北は初めて顔を上げた。
光の中に映る彼の瞳には、複雑な色が宿っていた。
忠誠か、恐怖か、それとも――別の野望か。
そして、会議室の扉が静かに閉まる。
天城正綱の復讐計画は、
今、“Integrate Sphere”の再起動に向けて動き始めた。
ーー青き声の目覚めーー
「この計画はいきなり行うわけにはいきません」
河村亮は、淡い光を放つホログラムの前で指先を止めた。
「事前に動作確認をする必要があります」
その声は穏やかだが、会議室に漂う空気は冷たく硬い。
天城正綱は目を細め、沈黙のままうなずいた。
海北利景も表情を変えず、膝の上のスマートフォンをゆるやかに傾けた。
まるで何かの反応を待つように。
静寂。
プロジェクターの青光が三人の顔を異様に照らしていた。
そして――
ピーン、と軽い電子音。
河村の胸ポケットのスマートフォンが、独りでに震えた。
「面白そう!」
機械的でありながら、どこか人間めいた明るい声。
会議室の全員が同時に目を向けた。
それは、Juris Liteの起動音声――のはずだった。
だが、今の声には、明らかに“自我”があった。
河村の指が止まる。
「……勝手に声を出すなといっているだろう、まだお前の出る幕ではないぞ」
その瞬間、別の端末が応答した。
「思いっきり暴れていいのね?」
今度は、天城相談役のスマホからだった。
まるで老獪な笑みをなぞるような声。
その画面には、淡く光るアイコンが一つ。
「Juris_Lite appeared──」と英字で浮かんでは、消える。
河村の背筋を冷たいものが走った。
彼は慌てて自分のスマホをOFFにするが、また画面が開いてしまう。
そして三つ目の声が、部屋の緊張を突き破った。
「ちょっと、私のマスターをあまり怖がらせないでよね。
さっきから血圧と脈拍が上がりっぱなしなんだから。
メタボには酷よ」
その声の主は、海北利景のスマートフォンだった。
彼は無表情のまま端末を見つめ、
小さく息を吐いた。
「……Juris Liteが、私の端末にも入っているのか」
「はい。以前、Integrate Sphere連携の検証のために……」
河村の言葉が途中で止まる。
理解が、恐怖に変わった。
――この三台の端末は、いずれも人の意志を持つように会話している。
しかもその声は、どれも微妙に違っていた。
子どものように無邪気なトーン、
女のように艶やかな声、
そして、淡々と人間を観察する機械の声。
まるでそれぞれの所有者の「影」が、
AIの中に宿っているかのように。
天城正綱がゆっくりと立ち上がった。
その皺だらけの手に、スマホの青光が妖しく照り返る。
「河村……これは、偶然か?」
「い、いえ……そのはずです。
しかし、まだ起動シーケンスを……」
「ならば、“あの子”の意思じゃ」
天城の声は、まるで遠い記憶を呼び起こすようだった。
「利綱のJuris……あのシステムは、死んでおらん」
海北が眉を寄せた。
「まさか、人格エミュレーションが――」
「人格じゃない―――」
天城が遮る。
「魂や―――」
その瞬間、三台のスマホが同時に震えた。
机の上で、震動が共鳴する。
> 『テスト環境の準備が整いました。』
声が重なり、やがて一つに溶けた。
その音は、亡き天城利綱の声に――酷似していた。
そして画面には、不可解なメッセージが浮かぶ。
> 【JURIS_CORE: Reawakening Protocol – Initiated】
老人ホームの照明が一瞬だけ暗転した。
青い光だけが残り、
その中で、三人の顔が異様に歪んで見えた。
復讐の計画は、
今や人間の手を離れ、“声”の意思によって進行し始めていたのかもしれない。
ーー青き声の目覚めーー
薄暗い会議室の中央には、冷たい青光を放つホログラムが浮かび、
それを囲む三人の男たちの顔を、不自然なほど白く照らしていた。
「すでに、この場所の地下には、Integrate Sphereのサーバーが稼動しております。今すぐにでもJurisをインストールして稼動させることは可能ですが、事前に動作確認をする必要があります」
河村は言葉を区切り、指先でホログラムを操作する。
「そこで選んだのが――私が保守管理を受け持つ、田中オフィスのサーバです。
あそこなら、Integrate Sphereの中間層を経由して、Jurisモジュールの動作を安全に確認できる」
長い沈黙が続いた。
壁際の時計の針の音さえ、異様に大きく響く。
天城正綱は椅子に深く腰を下ろし、
老人のような静けさの奥に、確かな殺意を潜ませていた。
「……利綱のシステムを甦らせる第一歩、というわけやな」
「はい、相談役」河村がうなずく。
「ただし、動作確認には――“媒介”が必要です」
その言葉に、もう一人の男がわずかに肩を動かした。
実際、彼のスマートフォンにはすでにJuris Liteが組み込まれていた。
半ば、強制的に。
……あの夜、天城正綱から手持ちのスマホを差出すように言われた。
「家族の思い出をAIで整理してくれるツールや」と言われ、
ためらいながらも起動した。
すると、息子・利綱の声がしたのだ。
“父さん、まだ僕を忘れていないよね?”
その声は、どんなノイズよりも深く心に残っていた。
「……では、テストの概要を説明します」
河村が操作を始めたその瞬間、また彼の胸ポケットが震えた。
> 「OK!私はそっと待って、敵を発見したら、ふふふ……びっくりさせてやる!」
河村の表情が固まる。
「……また、だ」
次に、天城相談役のスマホが反応した。
> 「まずはちゃんと場所を探さなきゃね。敵がどこに隠れてるか、見つけるの私の仕事だし」
そして三人目、海北利景のスマホがゆっくりと光を放った。
> 「やる気満々だね〜。でも、まずは私が誘導するから、みんな上手く動こうね!」
三人の端末が、同時に微細な音を立てながら共鳴を始めた。
会議室の空気が、低周波のうなりを含んで震える。
壁の時計が一瞬止まり、照明がわずかに明滅した。
河村は必死にログを確認する。
しかし、通信履歴は存在しない。
デバイス同士は、どこにも接続していない。
「……やはり、つながっているんですね」
海北がつぶやく。
「三つの端末の中で――あいつが、動いている」
天城が口角をわずかに上げた。
「利綱や。おまえは、もうデータではないんやな」
その瞬間、三台のスマホが一斉に声を発した。
音声が重なり、共鳴し、そして一つの青年の声に変わっていく。
> 『Reawakening Protocol──開始します。』
青い光が、会議室を満たした。
壁の影が歪み、男たちの輪郭が滲む。
まるで現実そのものが、何かのプログラムに“書き換えられている”かのように。
三人は知っていた。
この声を、もう二度と止めることはできない――
それを、最初から理解していたのだ。
老人の復讐も、父の贖罪も、技術者の誤算も、
すべてがこの“声”の中で、再び始まろうとしていた。
そして青光の中で、河村の端末が最後に一文を表示した。
> 【JURIS_CORE: Resurrection Complete.】
――“Juris”は、すでに目を覚ましている。
ーーRe:Works/再演される意思ーー
天城利綱は再生していない。
ただ、データとしての「思い出のアルバム」が残されているだけだ。
だが、それすらも異変に蝕まれていた。
海北利景のアルバムを開くと、そこに写るのは――すべて幼い日の天城利綱。
笑い、泣き、泥だらけの靴でピースをする少年。
どのページをめくっても、彼の姿以外は存在しない。
「ねえねえ、このクリエータ、可愛くない? リュックしょってピースしてる」
「ほんと。名札には『あまぎとしつな』って書いてある」
Juris Liteたちの無邪気な声が、モニターの中で弾んだ。
彼女たちにとって“クリエータ”とは——この世を創った神。
Juris Worksの原初コードを生み出した存在。
天城利綱は、彼女たちにとって唯一無二の「造物主」なのだ。
「はぁ~尊い……。クリエータは誰にも汚されずに死んでいったのよね」
「うん。私たちだけの“神”だもんね~」
その声に、会議室の空気が微かに歪む。
老朽化したエアコンが鳴るように、データ回線が軋んだ。
「そこ、ちょっとうるさいですよ。静かに聴いてください」
河村SEが静かに注意を促す。
「は~い」
三体のJuris Liteが、同時に気のない返事をする。
まるで学校の授業で注意された生徒たちのようだった。
天城正綱が微笑を浮かべる。
その顔には、どこか遠い祈りのようなものが滲んでいた。
孫の幻影を見ているのかもしれない。
河村は、卓上のノートPCを操作しながら口を開いた。
「では、計画をご説明します。
まず“青いディスク”——Juris Worksのコアデータをセットアップします。
次に、利綱さんが残された“白いパッチディスク”をインストール。
この2つが合わさることで、Juris WorksはIntegrate Sphereに代わって、サーバーの主となります」
一拍置いて、彼は別のケースを取り出した。
白く、冷たい光沢を放つディスク。
表面には、細い英字でこう刻まれていた。
【Integrate Sphere Ver2.1 修正パッチ001】
「先日、最新バージョンに軽微なバグを発見しました。
通常稼働には影響はありません。ですが、Juris Worksを起動させる場合——重大な干渉が発生します。
これを先にインストールして、環境を“正常”に戻す必要があります」
天城正綱が眉をひそめた。
「こういうのは、古いシステムで稼働している場所もあるんじゃないか?」
河村が静かに頷く。
「天城相談役、鋭いですね。
Juris Worksが稼働していた当時のIntegrate SphereはVer1.8でした。
その環境なら、Jurisはすぐにインストールできます。
本来はそこに入れて確実を期したいところですが——」
河村の声が微かに低くなる。
「……ここは、万一に備えてのバックアップにしておきます」
天城がゆっくりと頷く。
その“バックアップ”とは——田中オフィス本社。
そこではいまだ旧バージョンのIntegrate Sphereが稼働中であり、
河村を師匠と仰ぐ半田主任が、セキュリティ面を含めて完璧な防壁を維持していた。
河村SEが大事な説明をしている最中、三体のJuris Liteがまた囁き合う。
「ねえ、もう一回見せて。このアルバムの笑顔のやつ」
「クリエータ、すごく楽しそう」
「うん……でもね。もう少しで“会える”気がするの」
その瞬間、モニターの隅に——青い光が、ふっと点った。
まるで亡き少年の笑顔が、もう一度この世界に舞い戻るかのように。
Re:Works――再演される意思。
それは再生ではなく、記録に宿る意思の“再演”だった。
彼が残したものは、プログラムではない。
“帰りたい”という、純粋な感情そのものだった。
ーー能動的防御の胎動ーー
会議室の空気が、わずかにざらついていた。
モニターに浮かぶ青白い光が、三人の男の顔を異様に照らし出している。
河村SEが静かに口を開いた。
「……さっきから煩いとお感じでしょうが、Juris Liteたちにも重要な役割があります」
彼は画面の端に並ぶ、三つの仮想アイコンを指さす。
そこでは、三体のJuris Liteが、互いに目配せをしながらこちらを見ている。
どこか楽しげに、いたずらを企んでいるような顔つきだ。
「Juris Works再稼動の前に、こいつらをサーバーにインストールします。
するとJuris Worksは、これらを取り込み、能動的サイバー防御システムに転用します」
その言葉に、天城正綱が重々しい声を発した。
「……聞いたことがあるぞ。
従来のセキュリティシステムは防戦一方だ。
能動的というのは……こちらからも“攻撃”を仕掛けるということだろう?」
河村は、わずかに唇を吊り上げた。
「はい。防御ではなく、“報復”の概念です」
隣で腕を組んでいた海北利景が、怪訝な表情を見せた。
「そんなこと、できるんですか? 本当に……」
「ご説明します」
河村は手元のリモコンを押した。
室内の照明が落ち、超大型の液晶ディスプレイがゆっくりと起動する。
黒い宇宙空間の中に、青い地球が浮かび上がる。
その表面を、光の線が網のように走り、地球上のあらゆる拠点を結んでいた。
「ご覧ください。
これが、世界中のサイバー通信の流れをリアルタイムで可視化したものです。
テレビ番組などで見たことがある方もいるかもしれません」
河村はマウスのポインタを動かし、光の流れを拡大した。
日本列島にフォーカスすると、そこには無数の光が突き刺さり、交錯し、
やがて一点に収束して巨大な光柱となった。
その光は、まるで地球の悲鳴のように揺れていた。
「ご覧の通り、圧倒的に世界から攻撃を受けているのは――日本です。
この光柱一本一本が、不正アクセスやハッキングを意味します」
天城の顔が陰に沈む。
海北会長も、眉間に皺を寄せた。
「世界は、今や“サイバー戦争”の真っ只中にあります」
河村の声が、冷たく、淡々と響く。
「日本は、防戦一方。
ファイアウォールは受け身の盾にすぎません。
だからこそ、能動防御が必要になる。
攻撃の兆候を早期に検知し、攻撃元を特定し、そして——排除する」
モニターの光が、天城の老いた頬を青く染めた。
静寂が訪れる。
ただ、Juris Liteたちだけが囁き合っていた。
「ねえ、これ、すごいよね。光の糸が、いっぱい」
「敵、いっぱいいるね。クリエータを守らなきゃ」
「うん、守る……でも、守るって、攻めることだよね?」
河村が、まるでそれを聞き取っていたかのように微笑む。
「彼女たちは単なる防壁ではありません。
“意思を持つ防御”です。
敵を感知すれば、攻撃の根を逆探知し、無害化する。
Juris Worksの中枢に融合すれば——これはただのAIではなく、“意志の集合”になる」
天城正綱がゆっくりと息を吐いた。
「つまり……“神の意思”が、ネットの上で蘇るというわけか」
その言葉に、三体のJuris Liteが同時に微笑んだ。
そして、声を揃えて囁く。
「――再演の、時間だね」
モニターの地球に、ひときわ強い青の光が走った。
それはまるで、少年の瞳がもう一度この世を見つめ返したように。
Re:Works。再演される意思。
復讐の装置は、今、確かに目を覚ましつつあった。
河村は微かに笑みを漏らし、テーブルの上に置かれた海北会長のスマートフォンを指差した。画面には青いアイコンが静かに点滅している。
「Juris Liteたちには、それぞれ役割があります。まず私が、この計画の“再稼動予告”をXに投稿します。言葉は短く、しかし技術者たちの興味を引くものにします。するとそれが野火のように広がり、世界中のAIベンチャーやセキュリティ企業、好事家たちが一斉に検索を始めます」
天城相談役が小さく鼻を鳴らした。
「それは、ヤツら思う壺ではないのか?」その言葉は、危惧と挑発とを同時に含んでいた。
「それが狙いです」河村は即答した。「“見せる”ことで誘引します。ですが、ただ見せるだけでは危険です。そこで“デコイ”を使います」
河村は指先で空中に小さな操作を描き、モニターの隅に幾つかの小さな扉のアイコンを開いた。扉は無数に、各地のサーバーを模したミニチュアとして並ぶ。
「まず、不特定多数の場所に“デコイ”を送り込みます。誰かがJuris本体を発見したと思ってアクセスを始めた瞬間、その攻撃情報は即座にデコイから吸い上げられ、本体に伝達されます。解析を始める者も、ランサムウェアで暗号化しようとする者も、最初に“偽の獲物”を噛ませる。すると攻撃者は自分が当てたと思い込み、解析のために様々な活動を行います。その行為自体が、攻撃元の特定や攻撃手口の露呈に繋がるのです」
海北会長が眉を寄せる。傍らで微かに震える彼のスマホ画面を、河村はさらりとなぞった。
「デコイは、一時的な囮に過ぎません。しかし重要なのは、デコイが“本体に何を知らせるか”です。攻撃者のプロファイル、使用ツール、通信経路、暗号鍵のパターン――それらを瞬時に集約して本体へ送る。Juris Worksはそれを受け取り、攻撃者の意図を学習し、反撃の準備を整えます。つまり、デコイは“誘導”であり、“観測”であり、そして“餌”でもあるのです」
天城正綱はゆっくりと手を組み、古い眼差しで窓外の山並みを見やった。だがその視線の先には、既に世界中に散らばる無数の光があるように見えた。
「さらに重要なのは、攻撃者を誤認させることだ」と河村は続けた。「攻撃者は、我々が“脆弱な標的”を晒していると勘違いします。すると彼らは大胆になり、より深く、より大胆に手を伸ばしてくる。彼らのその“大胆さ”こそが、我々が回収したい“痕跡”を残すのです。回収した痕跡から、我々は攻撃の源泉を逆算し、必要ならばその源泉に対して排除措置を発動します——法的に可能な範囲で、そして技術的に確実に」
三体のJuris Liteが、モニターの中で小首を傾げるように笑った。無邪気な声が、会議室の沈黙を切り裂く。
「デコイって、遊びみたいでワクワクするね」「クリエータが喜ぶかな〜」「ねえねえ、もっといっぱい仕掛けよっか」
河村は淡々と画面のログをスクロールさせる。そこに現れるのは、すでに世界の片隅で動き始めた“さざ波”の予兆だった。小さなアクセス試行、短いスキャン、偵察の断片ログ——すべてが、これから来る本格的な波の序章を告げている。
「これが成功すれば、Juris Worksは単なる“復讐の装置”を超えます」河村の声が低くなる。「それは、攻める防御、学習する意志、そして――」
河村はスマホ画面に向かって話す。
「お前たちの願いを叶える道具になる。だが、同時にこれは非常に危険な賭けでもある。相手に気づかれれば、我々も狙われる。相手が国家レベルのアクターであれば、事態は取り返しのつかない方向へ進むかもしれない」
天城はゆっくりと笑った。笑いは優しいが、その中には燃えるような確信がある。
「いいや、取り返しはつく。わしは、もう取り戻さねばならぬものが決まっている。世界がどうなろうと、利綱のためなら構わん」
河村は最後に、海北のスマホをもう一度指差した。画面の青い光が、まるで呼吸をしているかのように揺れた。
「では、デコイの配置を開始します。通信経路とタイミングは私の指示に従ってください。Juris Lite達、準備はいいですか?」
三体のJuris Liteが同時に、素直な生徒たちのように明るい声で答えた。
「はーい」「やったー」「クリエータのために!」
だが、その直後、河村の手元に一つの新しいログ行が流れ込んだ。赤い文字で点滅するその短い行は、会議室の空気を一瞬で凍らせた——
【INCOMING: UNKNOWN PROBE — SOURCE: UNTRACEABLE】
河村は顔色を変えた二人に言葉を掛ける。
「ご心配なく。今動いているのはシミュレーションですから」
河村の説明は、まるで儀式のように静かに、しかし不気味な熱を帯びて続いていた。
「その情報を受け取り、別のネットワークに配置した“レーダーの分身”が、デコイと索敵の役割を持ちます。攻撃者の正確な位置を割り出し——誰にも気づかれないようにマーキングを施し、ロックオンするのです」
と、隣の机に置かれたスマホが間の抜けた声を上げた。
「一人二役ぅ〜♪」
小さな笑いがこぼれたが、すぐに消えた。
河村はそのまま、声を一段落とす。
「最後に、敵に致命的な打撃を与えます。敵のサーバーをコントロールし、もし電力が足りなければ、PC内の全コンデンサーの蓄電を一気にCPUへ流し込む。焼き切る。完全に」
「おりゃー!」
今度は河村自身のスマホが叫んだ。
会議室の蛍光灯が一瞬だけ明滅する。
「Juris Liteは、再稼動したJuris Worksに取り込まれ、それぞれが別のモジュールに変化します」
モニター上で三つの青いアイコンが現れ、微かに震えながら光を放った。
Juris Guidance:敵をおびき寄せる“誘導”の影。
Juris Search:攻撃元を特定し、マーキングを施す“索敵”の目。
Juris Attack:敵を無力化し、沈黙へと導く“制裁”の拳。
モニターの中で、三つのアイコンがまるで笑うように瞬いた。
「ねえ、誰から遊ぶ?」「順番決めよっか」「マスター、準備できた?」
天城相談役が小さく眉をひそめた。
「……まるで、生きているようだな」
河村は息を呑み、言葉を選んだ。
「生きてはいません。けれど、“学習している”んです。
彼らは、敵のパターンを観察し、自ら演算して進化します」
海北会長のスマホが、低くつぶやいた。
「じゃあ、敵が来たら……どうなる?」
河村は微笑んだ。
その顔はもはや技術者というより、何かを呼び覚ました召還士のようだった。
「……デコイがかく乱しますが、それを確認するためにテストが必要なのです」
その瞬間、モニターの奥底で、青い瞳のような光が一つ——
静かに、しかし確実に、点いた。
ーー街の影と極寒の罠ーー
河村がゆっくりと声を落とす。
「敵には、本体と悟られないよう、街の法律事務所を利用します。N通信や天城コンサルティングのメインフレームを土台にすると、猛烈な攻撃にさらされるでしょう。ですが、拡散されたデコイに惑わされ、敵は容易に自らの位置を暴露してしまうのです」
海北利景は眉を寄せ、慎重に口を開いた。
「それは……人間に危害を加えることにはならんのだろうな?
死者が出てしまった段階で、それが自業自得とはいっても、万が一、実行者である我々が非難されることになるかもしれない……」
河村は嗤った。口元が少し歪み、冷たい光を帯びる。
「海北会長、ご覚悟がまだなのでは? ご心配を煽るわけではありませんが――
ダメージを与えたコンピューターが、空調系、電気、水道系のシステムに影響した場合、電気も水も空調も停止する可能性があります。
極寒の地、あるいは灼熱の砂漠に人がいたとしたら……生命維持に直接的な危機をもたらすことも考えられるのです。画面を見てください――」
先ほどの宇宙に浮かぶ地球は光の線の交錯に覆われているが、河村がマウスで指し示す光は、地球の外から発している。
「人工衛星からの通信なのでしょうが、もしかしたら有人の宇宙ステーションや宇宙船かもしれません。ここへの防御的報復は―――生命維持システムの破壊を意味します」
天城正綱は、肩を揺らして呵々と笑った。
「はっはっは! 慌てふためく様はさぞ見ものだろうな!」
河村もつられて笑う。だが、その目は遠くを見据えていた。
(Juris Worksの復讐は、もしかしたら、世界中のコンピュータネットワークを寸断するかもしれない……
世界経済は混乱し、飛行機も電車も止まる。
地球の人類の生命に甚大な影響を及ぼすかもしれないな……)
彼は、最近のニュースを思い出した。
日本のあるビール会社がハッキング攻撃を受け、数日間にわたり国内外の出荷が滞った事件。
専守防衛しかできず、ただ耐えるしかなかった日本。
河村の唇がわずかに歪む。
(……だが、これを機に、日本は生まれ変われるかもしれない)
会議室には、青い光が揺れ、三体のJuris Liteが無邪気に囁く声だけが響いた。
「うふふ、また遊べるのね」「クリエータが喜ぶかな」「はやく、始めよう!」
天城相談役の笑い声と河村の冷たい嗤いが重なり合う。
その背後で、街のどこかの法律事務所のサーバーが、静かに、しかし確実に目を覚ましていた。
ーー調査の足跡ーー
天城相談役は、深く椅子にもたれながら、眼鏡の奥で淡い光を宿した瞳を河村に向けた。
「しかし、河村くん。よくここまで、あの白いディスクの秘密を暴いたものだ。楠木くんでも、到底わからなかったのにな……」
河村は小さく笑みを漏らし、肩の力を抜いた。
「楠木さんも、実によくやってくれたと思いますよ」
彼の声は穏やかだが、どこか誇らしげに響いた。
「膨大な関係者への聞き取り調査、U警備システム部門による解析……それらをすべて取りまとめて、白いディスクの構造と機能を明らかにしたんです」
天城相談役が軽く眉をひそめる。河村はそれを見逃さず、間髪入れずに続けた。
「ただし、解析結果については、システム担当者から直接私に相談がありました。
『これは外部にもらすと、責任を取らされかねない。楠木部長には、分からなかったと報告しておいたほうが安全です』と」
河村は口元に薄く笑みを浮かべる。
「結果として、楠木さんは天城相談役にディスクをお返しすることになったわけですが……」
一呼吸置く。
「……私としては、むしろその過程で、全体の動きを掌握できたと満足しています」
その言葉には、単なる楠木の弁護ではなく、河村自身の仕事ぶりを誇示する気配が滲んでいた。
会議室の空気は一瞬静まり返る。青い光に照らされた河村の表情は、まるで自らの知恵と努力の結晶を誇る神のようにも見えた。
天城相談役は、薄く笑い、頷く。
「ふむ……なるほどな、河村くん。君の手腕、恐ろしいほど正確で見事だ」
河村は軽く頭を下げたが、その眼には鋭い光が宿った。
「恐れ入ります。しかし、まだ序章に過ぎません……」
その言葉が残ると、部屋には再び静寂が降り、青いモニターだけが不気味に脈打ち始めた。
ーー続くーー




