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田中オフィス  作者: 和子


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第八十話、夢を温める男たち

ーーレンチンズの真価ーー

渋谷の夜は、ゆっくりと滲むように熱を帯びていた。

ショットバー「クラウン」のボックス席では、琥珀色の照明がグラスの縁を照らし、二人の男の沈黙を優しく包み込んでいる。


肥後勝弥は、氷の溶けかけたロックグラスをゆらしながら、向かいに座る男の横顔を見つめていた。

Q-pull社のCEO、上田敬之。年商4500億、六本木ヒルズの頂に居座る男。だが今夜の彼は、そんな肩書きの硬さを脱ぎ捨てていた。


上田は、先日の「ヒア・ウイゴー」訪問で肥後と再び笑い合い、

そこで偶然出会った二人の芸人――レンチンズに強い印象を受けていた。

錦糸町の夜、語り合い、笑い、飲み明かしたあの時間の熱。

あれほど心が震える瞬間は、いつ以来だろう。


上田はゆっくりと口を開いた。

「肥後ちゃんの“ヒア・ウイゴー”の共同社員なんだろ? あの二人、単なる太鼓持ちじゃないな」


肥後は、くっと笑った。

「なんか、わかるだろ。あいつらは一度ブレイクしてから地獄を見てきた。

それでもコンビを解散せずに芸を磨き続けてる。……芸に対する信念と覚悟が違うんだ」


上田は静かに頷いた。氷の音が、二人の間で一度だけ響く。

企業家たちがデータと指標で語る“情熱”とは、まるで違うものが、あの二人にはあった。

損得を超えた「生き様」のような熱――それが、上田の胸を掴んで離さなかった。


肥後はふと、グラスを置き、目を細めた。

「人手不足で困っているんだろう?

……氷河期世代の人間を、これから採用するつもりはありますか?」


問いの奥には、少しの挑戦があった。

上田は、一拍置いて、はっきりと答えた。

「ないね」


肥後は眉をわずかに動かす。だが、上田の声には迷いがなかった。


「いままでロスジェネ前期の人間を採用したとき、

共通してたのは“チャレンジ精神の無さ”だ。

もちろん全員がそうとは言わない。

だが……社会が悪い、時代が悪いと口にする人間ほど、自分で火を起

こそうとしないんだ」


上田の視線は、遠くのボトル棚の奥へと沈む。

「俺は今こう思ってる。“氷河期世代”ってのは、時代が生んだ不運な世代じゃない。

なるべくしてなった人間たちなんだってね」


肥後は黙って聞いていた。

その言葉には、冷たさよりも、どこかに哀しみがあった。


「でもね」――上田は、グラスを持ち上げた。

「ミレニアルの中盤以降には、違う火がある。昭和の覇気とは違う、静かに燃える炎だ。

あいつらは“仕組みを変えよう”とする。自分たちの手でな」


その言葉に、肥後はゆっくりと頷いた。

レンチンズのふたり――北と飯野の顔が、脳裏に浮かぶ。

彼らの笑いの中には、痛みと誇りがあった。

それを笑いに昇華する、その強さこそが「覇気」なのだと、肥後は知っている。


「……上田さん、たぶん、あいつらの炎も静かですよ」

肥後が呟く。

「見た目は硬派だけど、

根っこは不器用で、真面目で……でも、絶対に折れない火柱なんです」


上田はふっと微笑んだ。

「なら、見てみたいな。その火が、どこまで照らせるか」


二人は軽くグラスを合わせた。

氷がひとつ、音を立てて沈む。


その夜の渋谷の街は、レンチンズのライブが終わる頃、ゆっくりと明け始めていた。

彼らの炎は、まだ誰も知らない場所で、確かに燃えていた。



ーー渋谷クラウンにてーー

バー「クラウン」のドアが開くと、微かなベルの音が響いた。

照明の琥珀色が、夜を少しだけ柔らかくする。

「や、肥後さん、上田さん。お待たせしました!」


勢いよく入ってきたのはレンチンズの北だった。黒いジャケットの胸には、なぜか白い生花が一輪。

手にした花束を軽く掲げて、照れくさそうに笑う。


続いて入ってきたのは相方の飯野。両手に紙袋をぶら下げ、少し息を切らしている。

「こゆいファンのおばさんから“パウンドケーキ”貰うてしまって。肥後さんも上田社長も、よかったら食べてください。前に貰ったとき腹なんともなかったから、大丈夫ですよ」


その言い方に、肥後が吹き出した。

「なんや、“腹なんともなかったから”って。そういうとこがレンチンズなんだよ」


飯野は悪びれもせず、にこにこと紙袋を二人に手渡した。

「ほんまですって。味は保証します、たぶん」


上田は袋を受け取り、笑みを浮かべた。

「すごいですね。もう大ブレイクじゃないですか」


北は、席に腰を下ろしながら、顔の前で手をぶんぶん振った。

「ナイナイ! 出待ちでファンが2~3人です。ファンとワシらと警備のおじさんも入って、一緒に集合写真撮りましたわ!」


その場の空気が一気に和らいだ。肥後も上田も、思わず声を立てて笑う。

飯野も負けじと続けた。

「そやな。ファンのおばさんも警備のおじさんも、写真送ってあげて、喜んでたわ。『また見に行くわ』言うてくれました」


上田は、グラスの中で氷を転がしながら、二人を見つめた。

照明に照らされる彼らの笑顔は、どこかまぶしく、どこかあたたかかった。

まだ売れきってはいない。

でも、目の前にある小さな出来事をちゃんと笑える、その余白こそが「芸」なのだと、上田は感じていた。


「……いいですね」

ぽつりと呟いた上田に、肥後が笑って頷く。

「そうだろ。レンチンズは中堅実力派芸人だけど、いい炎、持ってるんですよ」


バーの奥、ジャズが静かに流れ始めた。

笑いと音が溶け合う渋谷の夜。

レンチンズの二人の前には、まだ長い道が続いている。だが、その一歩一歩が、確かな光を放っていた。



ーー氷の世代の夜ーー

肥後勝弥は、ウイスキーのボトルを手に取り、静かにグラスへと注いだ。

琥珀色の液体が灯りを映し、氷の上を滑っていく。


「ここは女の子いないんでな。あとは自分で好きなの頼んでくれ」


そう言ってレンチンズの二人にグラスを渡すと、上田敬之も自分のグラスを掲げた。

四つのグラスが軽やかに鳴り、透明な音が夜の空気に溶けた。


「こういう店はね、実は話しやすいんだよ」

上田は、静かに笑った。

「マスターに聞こえるとか気にしなくていい。お客の話し声なんて、マスターにはBGMぐらいにしか感じないからね」


肥後が肩を揺らして笑った。

「俺たちの会話に個人情報は無いからな!」


レンチンズの二人も笑い、ウイスキーを一口飲む。

そのあと、肥後はふと表情を引き締めた。

「今、上田社長と話してたんだ。Q-pullは仕事が増えすぎて、人が足りないって。だったら氷河期の連中を雇えばいいって言ったんだが……社長は、“氷河期は働かないからだめだ”ってさ」


飯野が眉を上げた。

「それ、何歳ぐらいの人ですか?」


上田が答える。

「統計ではね、就職率が著しく低かったのは2002年度の新卒大学生。就職率が55.1%。ちょうど1980年ごろに生まれた人たちだ」


北がグラスを持ち上げながら笑う。

「それ、俺らやわ。氷河期やったんやな、俺ら」


肥後がまた笑った。

「お前らは、お笑いで新人賞とったエリートじゃないか。しかも2000年ごろだ。大卒じゃないから違うだろ?」


「エリート」という言葉に、レンチンズの二人は照れくさそうに顔をほころばせた。

だが「違うだろ?」の一言で、同時にガックリとうなだれる。


「もー肥後さん、持ち上げてから落とすの勘弁してくださいよ」

飯野が苦笑交じりに言うと、肥後はガハハと笑った。


「お前らは“レンチンズ”に名前を変えたろ?

あれはな、“氷河期”から溶けて出てきた北京原人みたいなもんだ。よかったじゃないか」


上田がその言葉に噴き出し、グラスを傾けた。

北と飯野もつられて笑い、テーブルの上に小さな拍手が起こった。


笑いの中に、どこか温度があった。

氷河期という名の時代が生んだ冷たい現実の中で、それでも凍らずに生きてきた彼ら。

“レンチンズ”という名は、確かにその証のように響いていた。


渋谷のバー「クラウン」には、四人の笑い声が溶け合い、

まるで氷が少しずつ春の光に溶けていくようだった。



ーーQ-pullよ、電子レンジになれーー

「つまりさ――」肥後が手を組んで身を乗り出した。

「Q-pullは、電子レンジになればいいんだよ」


上田と北が同時に首を傾げる。

肥後はにやりと笑った。


「冷凍された人材を、適温に温める企業。

それがこれからのIT企業の役割になる。

採用の要件は簡単だ。①非正規社員、②50〜60歳、③健康状態は“朝普通に起きられる程度”でOK」


「……だいぶ緩いな」北が笑いながら言った。

だが肥後の目は真剣だった。


「①の非正規社員ってのはな、その職歴をキャリア認証してやるんだ。

たとえば、“警備員Lv.4”、“営業Lv.7”、“電話コールLv.2”、“訪問販売Lv.2”、“ホストLv.3”、

そして“トータルLv.18”――。

こうやって表記する。肩書じゃなく、職歴を“社会人のスキル値”として見せることができるだろ?」


上田が腕を組み、口角を上げた。

「なるほど……RPGのステータスみたいだな。職歴の“見える化”か…」


「そう。正社員時代の経歴は、あえて評価しない。

むしろ、非正規・アルバイトでどんな世界を見てきたか――そこに人間の根っこが出る。

そういう人たちを1年契約で採用して、成果が出たら無期正社員にする。

Q-pullの定年は60歳だろ? その後は1年契約で70歳まで継続雇用。

しかも、その人の“子ども世代”を正社員で採用するんだ」


飯野が目を丸くした。

「親子採用か……縁故採用みたいっすね」


「いや、これは理にかなってるよ」肥後は静かに続けた。

「親が温かく迎え入れられる企業に、子は好印象を持つ。

しかも30代前後なら、転職を考える頃だ。

“自分の親でも大切にしてくれたQ-pull”って企業に、信頼が生まれる。

また、本人の子供じゃなくても、弟や妹、甥や姪など親戚でもいい。

これはリクルート戦略でもあり、ブランディングでもある」


上田はグラスを置き、低く唸った。

「……あれだな、“戦国策”の『先ず隗より始めよ』だな」


「そうそう、それだよ」肥後が笑った。

「中途採用の外様が成果を上げたら、生え抜きは面白くないだろう。

でも、それでいい。嫉妬は活性剤だ。

ただし、彼らにもちゃんとステップアップの種を与える。

新規事業、海外進出、外部出向――そういう場を作るんだ。

ルーチンに埋もれているだけじゃ、誰も昇格できない」


上田はしばらく黙って、腕を組み何やら頷いていた。

やがて、上田は大きく息をつき、笑った。


「……いいな。ちょっとウチの人事にスキームまとめさせるよ。

なんか面白いものが出そうだ」


「それが、“氷河期レンチン計画”の第一歩だ」肥後が言った。

北と飯野が吹き出した。


「ネーミング、センスありすぎでしょ……!」


笑い声が響く応接室の窓の向こうでは、夜の都市がまだ熱を帯びていた。

冷凍庫に眠る人材たちが、いま少しずつ解凍されようとしていた。



ーー夢という名のハードルーー

肥後はグラスの縁を指でなぞりながら、静かに言った。

「ただ、業績の悪い関連企業を増やすと、Q-pullの財務によろしくないだろう。

……レンチンズの二人、なんかいい方法ないかね?」


突然の指名に、北と飯野は一瞬目を見合わせた。

「えっ、あ、あの……」北が慌てて口を開いた。

「ワシら、なんか黙っといたほうがいいのかと思ってましたけど……じゃ、言わせてもらいますわ」


北は少し姿勢を正し、言葉を選びながら続けた。

「え~、働きたくないやつらってのは、たぶん“夢”を見てるだけやと思います。

で、悪いのは、その“夢”を大事にしすぎて、夢のままにしておこうとしとるとこですわ」


飯野がうなずいて言葉を継いだ。

「夢は寝て見るもんです。そいで、起きたらすぐ、その夢をホンマにせなあかん。

まあ、そこまで行かんから“ニート”なんやろけど。

ワシ、北に声かけられてすぐ桂昭和師匠んとこに弟子入りしに行ったんです。

したら師匠が一言、『ええで』って。

気づいたら、もう“キタイノシンジン”になっとった。

夢を現実にするって、案外そんなもんやと思います」


店内が少し静まり、上田社長が面白そうに頷いた。

北が続けた。

「求人サイトってあるでしょ。最近じゃ“後継者募集”なんてのもあるけど、

あれもなかなかしんどいですよ…

金銭的にもハードル高いし、何より“自分に合うか”が分からん。

これに応募する人って、もうチャレンジャーや。起業資金の目処も立ってる人やろ。

ネットに出せばなんでもマッチングできる思うのは、幻想ですわ」


飯野も同調する。

「スマホでスワイプして、恋人探すみたいに仕事選べると思うのはどうですやろ?

“夢”とか“生き方”って、そんなに便利に探せませんもん。

Q-pullさんでやってる支援も、ほんとに一部の人にしか合わんのちゃいますか?」


その言葉に、上田社長がうなずいた。

「なるほど。……つまり、“夢”をどう扱うかが鍵なんだな。

夢を見るだけなら誰でもできる。でも、それを起こして動くには、“現実にぶつかる勇気”がいる。

それが、今の時代にはいちばん足りていないのかもしれない」


上田社長は、グラスを軽く回しながら微笑んだ。

「いい話だな。君たちは芸人だけど、経営者の感覚があるよ。

“夢を売る”仕事をしてるからこそ、現実を知ってる」


北が照れくさそうに笑った。

「いえいえ。ワシら、ただの“レンチンズ”ですわ。

錆びた鉄を、もう一回熱して叩き直す職人みたいなもんです」


肥後が笑う。

「それ、いいじゃないか。“レンチンズ”温めるんじゃなくて、

――夢を溶鉱炉に入れてもう一度鍛造し直す工場か」


店の中に、やわらかい笑いが広がった。

その笑いは、ウイスキーの香りとともに、静かな夜の渋谷に溶けていった。



ーー夢の溶鉱炉ーー

「ん、ん……なんかまとまってきたぞ」

上田社長の目が、静かに光り始めた。

「溶鉱炉で溶かして、打ち直す。“夢の溶鉱炉”……これは今までなかったんじゃないか?」


テーブルに置かれたグラスの氷が、カランと音を立てた。

肥後が笑う。「なんだい、それはまた大げさなネーミングだな。でも、悪くない」


上田は続ける。

「いや、本気だよ。たとえば――『夢』を、アイデアとして“詩”の形で投稿してもらうんだ。

それを公開する。だけど、その時点で著作権が発生する。つまり、創造者としての権利を保証するんだ」


レンチンズの二人が顔を見合わせた。

北が「詩、ですか?」と聞く。

「そう。短くてもいい。抽象的でもいい。

“自分の頭の中にある未来のかけら”を、詩として提出する。

それをQ-pullが“溶鉱炉”で再構成するんだ。

ビジネスにする、特許にする、あるいは実用新案として形にする。これは他の投資家がやってもいい」


肥後が腕を組みながら頷いた。

「なるほど……“夢を投稿する”ってことか。クラウドファンディングの発想と似てるけど、こっちは“詩”をベースにしてる分、もっと原始的で、感覚的だな」


上田は微笑んだ。

「そう、感覚を大事にする。AIでも機械でもなく、“人間の心の発露”を素材にするんだ。

それを企業の溶鉱炉に入れて、熱で溶かし、現実に打ち直す。

『夢の再精錬』だよ」


飯野が感心したようにうなずいた。

「詩を書くだけなら誰でもできるし、そこから夢を拾い上げてもらえるなら面白いっすね。

ネタ帳みたいなもんが、ビジネスになるわけや」


北が笑う。「それ、芸人にもできるな。“ボケ”を詩にして出すとか」


肥後は冗談めかして言った。

「“ボケからビジネス”か。いいな。そういう文化が生まれたら、きっと世の中はもう少し面白くなる」


上田は、ゆっくりと背もたれに体を預けた。

胸の奥に、若い頃の“ムズムズ感”――初めて起業を思いついた頃のあの熱が戻ってきていた。


「夢をもう一度、炉にくべてみよう。

焦げてもいい。燃えすぎてもいい。

その熱から、何かがきっと生まれるはずだ」


肥後が静かに言った。

「……“夢の溶鉱炉”……いいな、それ」


渋谷の夜は、店の外でまだざわついていた。

だが、このボックス席の中では、確かに“新しい火”がともっていた。



――"夢の溶鉱炉"爆誕 by Q-pull――

上田が突然なにやらつぶやく。

TCトレーディング・カード整理するのは大変だ。モーターで送って他の箱に流す。

見つけたらストップ。これ画像認識カメラでできないかな。

そのデータカウントして、データベースにして、

必要なカードをワンクリックで取り出せれば、並べ直しがいらないよね」#A山B男


上田がぽつりと口にした言葉は、静かなバーの中で不思議なリズムを持っていた。

肥後がウイスキーのグラスを持ったまま手を止めた。「なんだ、それは詩か?」

「いや、アイデアだよ。でも……詩みたいなもんかもしれん」


上田社長は更に続ける。

「イイネそれ。名刺管理にも使えそう。手書きの料理レシピカードの管理も楽になるかな。

台所でスマホやタブレット使うのもどうかと思って」#C川D子


「おっ、返歌きたな」肥後が笑う。


更に上田社長は乗ってきた。

「アナログは人間の感性刺激する。受験勉強にも使えそう」#E村F朗


短い詩のようなアイデアが、輪の中を跳ねていく。

まるで平安時代の歌合うたあわせのように、

思いつきが連鎖し、ひとつの情景を形づくっていった。


上田は腕を組みながら、その流れに口元をゆるめた。

「これだよ。これが“夢の溶鉱炉”の原型だ。

短詩・雑文のやりとりでアイデアを磨いていく。

AIがその詩を読み取って、ビジネスや特許の種を生成するんだ」


肥後が目を細める。「つまり、詩の交換がブレストってわけか」

「そう。しかも、そのやりとり自体が文化になる。

詩で発想して、詩で交わす。で、最後に——」


上田は一拍置いて、自らのスマホ画面を叩く。

「そのカード管理システム、ビジネスにしよう、投資したい」#上田孝之


その瞬間、場の空気がひとつ変わった。

誰もが笑っていたはずなのに、次の瞬間には息を呑んでいた。

上田の頭の中には、すでに次の構想が走っていた。


「このやりとりをAIに入力する。

ただのチャットじゃなく、“アイデアをビジネス構築する能力”に特化したAIだ。

中心技術の設計から、ビジネスモデル、業務スキームまで構成できる。

Q-pullのPythonチームに作ってもらう。

……これは大変な企画ができちまったよ」


上田の目が、遠くの灯を見ていた。

「Q-pull、世界を変えちゃうかも!」


肥後は、少し呆れたように笑いながらも、

その熱の中にいる上田をまっすぐ見た。

「……またあんた、無茶苦茶な夢を言い出したな。でも、ええやん。やろか」


上田は勢いよく立ち上がった。

「肥後ちゃん、これ一緒にやろう!」


そしてレンチンズの二人の方を向き、声をひそめた。

「ごめん、これ暫くナイショにしておいて。ネタにもしないでね。

サービスリリース決定したら、CM契約するからさ……一千万でどう?」


「安いな!」肥後がすかさず突っ込む。

「二千万!レンチンズもしっかり交渉しなよ!」


レンチンズの二人は口をぽかんと開け、顔を見合わせていた。

夢と現実の境目が、ふっと曖昧になっていく夜だった。


その空気を切り裂くように、上田がもう一度つぶやく。

「詩が、ビジネスを生む。これからの時代、あり得るよな?」


肥後は苦笑しながら、グラスを掲げた。

「あり得るさ。上田社長の、“夢の溶鉱炉”だもんな」


氷が溶けて、カラン、と音が響いた。

その音が、まるで火花のように、新しい夜を照らしていた。



――夢は目覚めの合図――

夜の打ち合わせが終わったあとも、上田の頭の中では「夢の溶鉱炉」の炎が消えなかった。

社長室の窓から見える街の灯が、まるで溶けかけた鉄のようにゆらめいている。



翌日、肥後勝弥は数ヶ月ぶりにQ-Pull社長室を訪れた。

以前と同じようにここまで来るのに肥後は顔パスであった。


上田はデスクに身を乗り出し、陽気に肥後を迎える。

「肥後ちゃん、いいとこに来た。あれから少しまとめてみたんだ」

ホワイトボードにさらさらと書き始めた。


「アイデアに関わった人間に呼びかける……ここで“マッチング”が始まる」


彼のペンが走るたびに、まるで新しい社会の構造が形を取っていくようだった。


――A山B男:社長、または技術執行役員。

――C川D子:企画部長。

――E村F朗:営業部長。


「もし職を持っていれば、フリーランスとして副業参画してもらう。

参加が無理ということであれば、詩の稿料として寸志──1万円程度を投稿者に配分する」


彼は一呼吸置いて、自分の言葉を確かめるように繰り返した。

「投稿者であっても、返歌であっても同じ扱い。返歌は10件まで。

1か月投資者がなければ自然消滅。第一投稿者は再投稿できる」


手を止めた瞬間、静まり返った部屋に時計の音だけが響いた。


肥後がコーヒーを片手に覗き込む。

「まーた徹夜したんでしょ。仕事のアイデア考えるとアンタ寝ないからね」


上田は少し笑って、ホワイトボードを指さした。

「“夢の溶鉱炉”の実装構想。荒削りだけど、見えてきた気がするんだ。

うまく回れば、スタートアップが自然に生まれる仕組みになる」


肥後は腕を組み、じっと見つめた。

「……つまり、詩の交換から始まったアイデアが、

こうしてプロジェクトに変わるわけか。しかも、誰でも参加できる形で」


上田はうなずく。

「そう。最初の“夢”を持って投稿する人がいて、

それに共鳴して“返歌”を送る人がいて、

さらに、そこに出資したいと思う人が現れる。

――それでひとつの会社が生まれるんだ」


「……夢から、会社が?」肥後は呟いた。


「そう。“夢は目覚めの合図”なんだ」

上田はそう言って、ボードの隅に大きく書き加えた。


〈Dream Forge Network:夢の溶鉱炉プロトタイプ〉


肥後は少し黙ってから、柔らかく笑った。

「上田さん、あんたホントに“夢見る経営者”だな。でも……いい夢だ」


「ありがとう。Q-pullがこの仕組みをサポートする。

発想から資金、運営まで、全部を“現実化”する側に回るんだ」


その言葉に、肥後の瞳が少し光った。

「つまり、夢を見たままで終わらせないってことだろ」


上田は頷き、窓の外の夜明けを見た。

遠くのビルの向こうで、朝焼けが少しずつ空を染めていく。


「夢は、目覚めの合図だよ。

これから起きて、働き出す連中のための仕組みを作るんだ」


肥後は静かに笑い、コーヒーをすすった。

カップの中の液面が、溶鉱炉の赤い光のように揺れていた。

ーー続くーー

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