第七十六話、竹中顧問、大いに語る(二)
ーー竹中顧問の白熱教室ーー
半田君が発言します。
「竹中顧問は童話をあくまで、経済行動の面だけで取り上げていますけど。精神性とか、倫理観とか、物語りが長く愛される理由はまた別ものだと思います。」
「全くもってその通りですね。童話が長く愛される理由は、経済的な合理性や判断力といった一面だけでは決して語り尽くせません。精神性や倫理観、人間の普遍的な感情を深く描いているからこそ、時代を超えて人々の心を捉え続けているのです。
◆物語が持つ『共感』の力
まず、童話は共感の物語です。私たちは『人魚姫』の純粋な愛や悲劇に心を揺さぶられ、『ジャックと豆の木』の少年が勇気を振り絞って困難に立ち向かう姿に、自分自身の希望や不安を重ね合わせます。経済学的な視点では非合理と切り捨てられる選択も、物語の中では『愛のため』『希望のため』という感情的な動機によって、深く意味のある行動として描かれています。この感情への訴えかけこそが、物語を記憶に残るものにしているのです。
◆倫理観と道徳的な教訓
次に、童話にはしばしば倫理的な教訓が含まれています。善が悪を打ち破り、誠実さが報われるというテーマは、子どもたちに『善き行い』の価値を教えます。たとえば、『ジャックと豆の木』でジャックは巨人の財宝を盗みますが、巨人は人間を食らう悪者として描かれており、物語全体としては『悪から正義を守る』という文脈で語られます。この設定は、単純な盗みという行為に正当性を与え、子どもたちに『善悪の判断』を考えさせるきっかけを与えます。
◆精神的な成長の物語
そして、童話は精神的な成長の物語でもあります。『人魚姫』は、見返りを求めない献身的な愛を描き、『ジャックと豆の木』は、困難を乗り越えて自立していく姿を描いています。これらの物語は、子どもたちが精神的に成熟していく過程で、勇気、希望、そして自己犠牲といった重要な価値観を学ぶための教材となるのです。
結局のところ、童話が長く愛されるのは、人間が持つ多層的な側面、つまり合理的ではないけれども尊い感情や、社会を維持する上で不可欠な倫理観を、シンプルかつ力強い物語で伝えているからです。我々が経済学的な視点でこれらの物語を分析することは、あくまで人間の行動を理解するための一つのツールに過ぎません。物語の本質的な価値は、そうした分析を超えた、より深いところに存在していると言えるでしょう。」
ーー子供向けの話をされてもーー
会議室の空気が、ほのぼのと童話談義で温まっていたそのとき。
後方で腕を組んでいた永島部長が、ゆっくりと手を挙げた。
その動作だけで、場が一瞬で引き締まる。
たまちゃんは、すかさず隣の半田君に身を寄せて、小声でささやいた。
「邪魔しようとしてるのよ、きっと……!」
半田君は慌てて口元に指を当てる。
「しーっ。とりあえず聞いてみよう」
永島部長は、参加者全員の注目を浴びたまま、落ち着いた声で口を開いた。
「童話を題材にした講義というのは、別に……セミナー参加者の知的レベルを疑っているわけではないですよね?」
微妙に会場に緊張が走る。
だが、竹中顧問がすぐに一歩前に出て、にっこりと会場を見渡しながら答えた。
「勿論です、皆さま。童話を題材にした講義は、皆さんの知的レベルを疑っているどころか――むしろその逆です。高度な判断や経営感覚を養う方こそ、童話を題材にする意味を理解してくださるはずなのです」
その瞬間、ふっと会場の空気が和らいだ。
たまちゃんは胸をなでおろしながら、半田君にまた小声で囁いた。
「……やっぱり“逆”だったんだね」
半田君は小さく笑って、
「そうそう、永島部長は“ツッコミ役”を買って出ただけかもな」
と返すのだった。
竹中顧問は回答を続ける
「童話って、大人が読んでもいいじゃないか――
◆高い知性を持つ者にこそ、童話は深い学びをもたらす
童話が単なるおとぎ話ではないことは、今日の講義で皆さんが示してくれた鋭い洞察力からも明らかです。童話は、一見するとシンプルなストーリーの裏に、人間の行動や心理に関する複雑で多層的なテーマを隠しています。これを読み解くには、表面的な物語の筋を追うだけでは不十分で、皆さんのような高い知性と批判的思考力が不可欠です。
例えば、『人魚姫』の非合理的な選択を、感情バイアスやサンクコストという専門的な概念と結びつけて考察する。あるいは、『ジャックと豆の木』を、不確実性への選好や過信といった行動経済学の視点から分析する。これらの行為は、単に童話を楽しむレベルを超え、現実社会の複雑な事象を理解するための応用力を養う高度な知的作業です。
◆知識の『つながり』を可視化する
大学で学ぶ意義は、特定の専門知識を深く掘り下げるだけでなく、異なる分野の知識を統合し、新たな視点を発見することにあります。童話を経済学という全く異なる分野と結びつける今日の試みは、その『知識のつながり』を可視化するための訓練です。
皆さんがこれからビジネスの場面て直面するであろう問題は、決して一つの学問分野だけで解決できるものではありません。経済、社会、文化、そして人間の心理が複雑に絡み合ったものです。童話を分析するこの演習は、皆さんがこれから、専門分野の知識を他分野と組み合わせ、より多角的に物事を捉える力を身につけるためのものです。
ですから、今回の講義は皆さんの知性を試すものではなく、むしろ皆さんが持つ知的な潜在能力を引き出し、それを鍛えるための機会として提供したものです。童話という身近な題材を通じて、皆さんが新たな知の地平を切り拓いてくれることを期待しています。」
ーー西洋から見た日本ーー
日本に深い関心を持つ、柴田リーザが質問します。「日本の童話・昔話は行動経済学の宝庫ではないでしょうか?因果応報の仏教観に根ざしているとは思いますが、『善行は幸福をもたらす』『~だとさ、という伝聞調』『仕方のないことだという話』、なにか大きく包み込むような話が多かった気がします。」
「これはまた、鋭い質問ですね。日本の童話・昔話を行動経済学のレンズで見るというのは、非常に興味深い試みです。結論から言えば、日本の童話もまた行動経済学の宝庫ですが、西洋童話とは少し違うタイプの『バイアス』や『行動原理』を色濃く映し出しています。
1. 『因果応報』と『時間割引率』
君が指摘した『因果応報(善行は幸福をもたらす)』のテーマは、行動経済学の重要な概念である『時間割引率(Time Discounting)』と深く結びついています。
低い時間割引率の奨励: 『鶴の恩返し』や『舌切り雀』のような物語では、『今すぐの欲望を我慢し(鶴を助ける、傷ついた雀の安否を気遣いお宿を探す)、未来のより大きな報酬を得る」という行動が強調されます。これは、目の前の小さな利益よりも、遠い未来の大きな利益を重視する、すなわち『低い時間割引率』を持つことの重要性を説いています。
非合理な先送りへの警告: 逆に、『浦島太郎』が玉手箱を開けてしまう行為は、「双曲割引(Hyperbolic Discounting)」の罠、つまり『未来の大きな利益(不老長寿の約束)を、目の前の小さな誘惑(玉手箱を開ける好奇心)のためにあっさり諦めてしまう』という人間の非合理的な衝動を警告しているとも読めます。
2. 『伝聞調』と『社会的規範の遵守』
日本の昔話に多い『大きく包み込むような話』や、事の良し悪しよりも『こうなった』という結果を淡々と述べる『伝聞調』は、『社会的規範(Social Norms)』や『集団主義的バイアス』を強化する役割を果たしています。
損失回避としての規範遵守: 日本社会では、集団の和を乱すこと(逸脱行為)は非常に大きな『損失』と見なされがちです。昔話で悪者が最終的に悲惨な目に遭うのは、単なる因果応報だけでなく、『規範から外れると大きな罰(社会的制裁)が待っている』というメッセージを伝え、損失回避のために人々を規範に縛りつけているとも解釈できます。
現状維持バイアス: 『おむすびころりん』のように、特定の行動パターン(穴に落ちたおむすびを追いかける)が成功をもたらす物語は、『現状維持バイアス』と表裏一体です。つまり、『先人たちがこうしてきた』という行動様式(伝聞調)のまま動くことが、最も安全で期待値の高い選択肢であると無意識に教え込んでいるのです。同じようにやればいいものを、欲張りじいさんの思いつきは、ネズミから敵とみなされ攻撃を受けることになってしまいます。
3. 『仕方のないこと』と『運命論的認知』
君の言う『仕方のないこと』という諦念めいた感覚は、西洋的な『エージェンシー(行為主体性)』を重視する物語よりも、『運命論的認知』や『受動的な態度』を促している可能性があります。
認知的負荷の軽減: 『自分ではどうしようもなかった』と受け入れる態度は、実は『認知的負荷』を軽減し、ストレスを減らす合理性を持っています。大きな災害や貧困といった不可避な事態に直面した際、『仕方のないこと』として受け入れることで、無力感による精神的なダメージを最小限に抑えるのです。
日本の昔話は、西洋童話が描く『個人の大胆な決断や非合理な愛』とは異なり、『集団の中での調和』や『長いスパンでの利益』を重んじる、日本独自の行動様式とバイアスを反映した行動経済学の教科書だと言えるでしょう。非常に興味深い着眼点です。
ーー農業的視点ーー
高柳久美子も質問します。
「種が成長し実をむすぶまでの労力と忍耐力を子供に植え付けるためでしょうか?智恵と行動力で切り開く『狩猟民族的な発想』とは異なりますね」
「大変深い考察ですね。日本の童話・昔話が描く世界観は、確かに西洋の童話、特に『ジャックと豆の木』に代表される『狩猟民族的な発想』とは、決定的に異なります。日本の昔話は、『農耕民族的な発想』に基づいた、独特の行動原理を子どもたちに植え付けていると言えるでしょう。
1. 『農耕的な労力と忍耐力』の植え付け
ご指摘の通り、日本の多くの昔話は、種が成長し実を結ぶまでの労力と忍耐力、そしてその長期的なリターンを強調します。これは行動経済学の観点から見ると、『低い時間割引率』の価値を教え込むことに直結します。
長期的な視点: 農業は、種まきから収穫まで数ヶ月の期間を要します。すぐには成果が出なくても、毎日地道な努力を続ける『忍耐力』が不可欠です。日本の昔話では、努力を継続した者が最終的に大きな報いを受けます(例:正直者の爺さんが宝を得る)。これは、目先の利益(高い時間割引率)に飛びつくのではなく、長期的な将来の利益(低い時間割引率)のために『今を我慢する』という行動様式を奨励しています。
『仕方のないこと』の受容: 凶作や天災など、人間の力ではどうしようもない外部環境の変化を受け入れる必要があった農耕生活は、『仕方のないこと』として運命を受け入れる受動的な態度も形成しました。これは、短期的な非合理な行動を避け、長期的な生存戦略に集中するための認知的資源の節約とも解釈できます。
2. 『狩猟的』と『農耕的』な行動原理の対比
○特徴
狩猟民族的な発想 (西洋・例: ジャック)×農耕民族的な発想 (日本・例: 舌切り雀)
○主要な行動
知恵と行動力で切り開く、大胆なリスクテイク×忍耐力と継続的な労力、社会的規範の遵守
○経済的リターン
一攫千金、不確実だが莫大な富(豆の木)×確実な収穫、地道な善行による報い(金銀財宝)
○リスク選好
高いリスク選好(牛と豆の交換)×損失回避(コミュニティの和を乱さないこと)
○時間感覚
短期的な爆発力、即時の行動×長期的なスパン、未来の報酬
『ジャックと豆の木』が、牛という確実な財産を捨ててでも、未知の大きなリターンに賭ける『高いリスク選好』の物語だとすれば、日本の昔話は、地道な善行という確実な投資を通じて、社会的信用や長期的な幸福という形で報われる、『堅実さ』を教える行動経済学だと言えます。
したがって、日本の昔話は、子どもたちに『不確実な世界で、持続可能な幸福を実現するための行動規範』、すなわち『低い時間割引率』と『社会的調和』を重視する行動様式を、物語を通して無意識のうちに学習させているのです。」
ーー現代の日本社会ーー
河村SEも質問します。
「今の日本では、『闇バイト』や『儲かる方法』など、情報をさきどりしたものが勝つ、という狩猟民族的発想が多くなっていると思います。企業に就職しても、情報力を駆使して業績をあげたものが評価され、地道にルーティーンを処理しつづける者はあまり評価されません。そのような背景があるのではないでしょうか」
竹中顧問は現代日本の抱える問題に答えます。
「なるほど。非常に現代的で、かつ重要な社会の変化を捉えた指摘ですね。
◆現代日本社会における「狩猟的発想」の台頭
君たちの言う通り、現代の日本社会、特に経済活動においては、古来の『農耕民族的発想』から、より『狩猟民族的発想』へと価値観が大きくシフトしているように見受けられます。
この変化は、行動経済学の観点から見ると、以下の要因によって説明できます。
1. 『時間割引率』の極端な上昇
かつての農耕社会では、『低い時間割引率』(長い時間をかけて努力し、将来の大きなリターンを得る)が最適解でした。しかし、IT化とグローバル競争が加速した現代は違います。
即時性の報酬 (Immediate Gratification):インターネットやSNSの普及により、『今すぐ儲かる』『短期間で成功する』といった情報が氾濫しています。闇バイトや情報商材といったものは、極めて高いリスクと引き換えに『短期間での高額報酬』を約束します。これは、『時間割引率が極端に高い(将来の大きな損失やリスクを軽視し、目先の利益を過剰に評価する)』人々に強く訴えかけます。
情報による優位性 (Information Edge):企業競争において、情報を先取りし、一発で大きな成果を出す行動(狩猟)は、地道なルーティン作業(農耕)よりも、目に見える形で即座に評価されます。これは企業側も、長期的なプロセスよりも短期的な利益を優先する、組織としての高い時間割引率を持っていることを示唆しています。
2. 『不確実性(Uncertainty)への選好』の増大
農耕的発想が確実性(種を蒔けば必ず育つという期待)を重視したのに対し、現代の経済環境は不確実性だらけです。
不安定な雇用環境:終身雇用神話が崩壊し、将来への安定した見通しが立ちにくい状況では、「地道に努力しても報われないかもしれない」という不安が募ります。その結果、「どうせなら大きなリスクを取って、一発逆転を狙おう」という不確実性への選好が高まります。
『ジャックと豆の木』の現代版:『闇バイト』や『儲かる方法』への誘いは、まさしく現代版の『魔法の豆』です。客観的には非合理的な取引でも、『もし当たれば...』という過剰な楽観主義と希望的観測に基づき、人々は大きなリスクを冒してでもその情報に飛びついてしまうのです。
結論:行動経済学が果たす役割
現代社会は、個人の成功体験も企業の評価も、『知恵と行動力で一気に切り開く狩猟的成功』に傾倒していると言えるでしょう。
しかし、ここで立ち止まって考えるべきは、『その狩りは持続可能か?』ということです。多くの闇バイトや短期的な成功法は、大きなリスク(罰則、破滅)を内包しています。
皆さんが行動経済学を学ぶ意義は、まさにここにあります。
バイアスの自覚:『短期的利益への過度な選好』や『情報の力への過信』といった自分のバイアスを客観的に認識する。
長期的なリスク評価:目先の報酬に惑わされず、その裏に隠された長期的な損失(罰則、健康、社会的信用)を冷静に評価する。
日本の昔話が教えた『忍耐と長期的な視点』の価値を、現代の『情報力と短期的な成功』の波の中でいかにバランスさせるか。それが、君たち世代が直面する最も重要な課題の一つでしょう。」
ーー倫理的損失は「社会的損失」であるーー
「――本日の講義は、非常に実りある議論に発展しましたね。」
竹中顧問は、黒板の前に立ち、ゆっくりと教室を見渡した。
午後の日差しはブラインド越しに残暑の熱を運び込み、セミナーに集まった人たちの体温を上げようとしている。
「日本の昔話に潜む“農耕的”行動原理と、現代社会に見られる“狩猟的”発想。その対比は、皆さんが社会生活をする上で、極めて重要なテーマです。……まだ議論を推し進める余力があるのではないかと感じます。何か質問はありませんか?」
静かな間。教室の前列、整然とノートを取り続けていた楠木匡介が、ためらいなく手を挙げた。机に置かれたメモ帳には、緻密な字で要点が記されている。
「竹中顧問、本日のご講義、ありがとうございます。」
彼は姿勢を正し、顧問の目を真っすぐに射抜いた。
「童話が『行動バイアス』や『時間割引率』を教え込む機能を持つという点、よく理解できました。ただ――ひとつ疑問があります」
竹中は顎に手を添え、興味深げに視線を返す。
「例えば『舌切り雀』。意地悪な媼は欲張って大きな葛籠を選び、蛇や化け物に襲われて滅びます。損失回避の観点から説明できるでしょう。しかし正直者のお爺さんの小さな葛籠からは宝が現れる。……ここで問いたいのです。物語が教えているのは単なるリスク管理でしょうか?それとも――『欲張ること自体が悪である』という、倫理規範の押し付けなのか。行動経済学はこの“倫理”と“利益”の交差点をどう捉えるのでしょうか?」
教室に緊張が走った。鋭い問い。竹中顧問の瞳が、満足げに細められる。
「いい質問です、楠木さん。そこがまさに、童話分析の醍醐味であり、行動経済学の核心に触れる部分です。」
顧問はゆっくり歩きながら、言葉を編む。
「通常、我々は『利益』と『損失』を数値化して合理的に分析しようとします。だが君が指摘した通り、媼は物理的な損失を受ける前にすでに――『倫理的な損失』を被っているのです。」
黒マーカーを取り、ホワイトボードに「信頼」「社会的制裁」と書き込む。
「倫理規範の遵守とは、単なる道徳ではなく、長期的には“合理的”な行動です。考えてみてください。媼が欲張る行為――つまり『他人の財産を不当に得ようとする行為』は、集団の“信頼”を破壊します。」
顧問の手がホワイトボードに要点を叩き出す。
「第一に、信頼の価値。人間が経済を営む上で、信頼は最も重要な社会資本です。正直なお爺さんは雀とのやり取りで“信頼”という無形の財産を築いた。
第二に、損失の拡大。媼が直面した蛇や化け物は、単なる罰ではなく“社会的制裁”の隠喩です。彼女は『欲深い悪人』という評判を背負い、未来のあらゆる協力や助けを失った。それこそが甚大な“社会的損失”。
第三に、利己的な合理性。媼は短期的な利得を狙ったが、結果的に長期的な社会的信用という、より大きな利益を喪失した。つまり童話は『短期的な利己は長期的な非合理に通じる』という警句なのです。」
顧問は手を止め、学生たちを見回す。
「この物語の本質は――倫理規範の遵守こそが信頼を築き、持続可能な幸福をもたらす“合理的戦略”だ、ということです。倫理と利益は対立するものではない。むしろ、長期的には強固に結びついているのです」
静寂の中で、言葉が重く沈む。
「楠木さん、これで“倫理と利益”のバランスについて、新たな視点が得られたのではないですか?」
楠木は深く頷いた。その眼差しには、ただの学問的好奇心を超えたもの――社会に出て生き抜くための覚悟のような光が宿っていた。
ーー大国や多国籍企業ーー
倉持がゆっくりと手を挙げた。
竹中教授が目を向けると、彼は少し考え込むようにしてから口を開いた。
「童話というセミナーのテーマからは外れますが、倫理的な損失と関係するかと思いまして――多国籍企業や米中などの大国は、“国益”を盾に非倫理的な行動を繰り返しています。この行為を、彼らは本気で将来の国益とトレードオフできると考えているのでしょうか? それとも、将来自国に仇なす小国を封じ込めることを前提に動いているのでしょうか。……あるいは、『それは今考えることではない、将来はなんとかなるだろう』と考えているだけなのか、とも思うのですが」
教室の前方で、竹中教授は一瞬だけ表情を引き締め、すぐにうなずいた。
「素晴らしい質問ですね。倉持君。先ほどの童話から始まる個人レベルの議論を踏まえて、今度は国家レベルの非倫理的行動に踏み込む……非常に重要な視点です」
教授はホワイトボードに「短期利益」「長期損失」と大きく書き出した。
「まず指摘すべきは、政治指導者や企業経営者の持つ『時間割引率』の高さです。彼らは任期や在任期間という“期限”の中で評価される。だから、短期的な成果、つまり国益や利益を優先する傾向が強い。将来に生じるコストは、次の世代や次の政権に先送りされるわけです。これは、倉持君が言った『今は考えない、将来は何とかなる』という近視眼的バイアスそのものです」
前列の楠木がペンを走らせる。
教授は続けた。
「さらに、大国や多国籍企業は“信用の価値”を過小評価しがちです。なぜなら、軍事力や経済力でその穴を補えると考えているからです。つまり、彼らにとっては倫理よりも力のほうが優先される」
倉持は腕を組み、静かに聞いている。
竹中教授は、ホワイトボードに小さな点を描いて小国を示した。
「小国について言えば、彼らの行動には“非対称なゲーム理論”が働いています。非倫理的な行為は単なる利得のためだけではなく、『逆らえばこうなる』というシグナルとして利用されることもある。小国にとって評判は命綱ですが、大国にとっては、必要に応じて捨ててもよい交渉材料に過ぎないのです」
最後に黒マーカーを置き、教授はホワイトボードの文字を指で軽く叩いた。
「結論として、彼らは単に楽観的に『なんとかなる』と思っているのではありません。高い時間割引率、力による信頼の代替、そして“合理的な非合理性”。それらを計算に組み込んだ上で、あえて現在の倫理や信用を犠牲にして、将来の国益を最大化しようとしているのです。これが、国家レベルでの非倫理的合理性です」
教室は静かだった。
倉持は深くうなずき、ノートに丁寧に書き込んでいた。
ーー参加者皆様への問いーー
続いて水野所長が質問します
「あくまで個人的感想なんですが、最近のニュースを見ると、大国、強国は今、現在進行形で”パワー"を使い始めています。無謀な輸入関税、隣国への侵攻、共存は神が認めない。『帳尻あわせ、決済』を猛烈な勢いで進めているように見えます。」
(竹中教授は、水野さんの鋭い認識力と、現代の国際情勢に対する深い懸念に、静かに感銘を受けました。彼は、その切迫した状況を行動経済学の概念でどう説明できるか、冷静に整理し始めました。)
「その通りです。あなたの言う『パワー(力)』が、国際社会の規範や倫理を凌駕し、『帳尻合わせ、決済(Settlement)』が猛烈な勢いで進んでいる。これは、我々が直面している最も危険な国際的な行動経済学的ゲームだと言えます。
現代の国際決済:極端な『高い時間割引率』
現在進行形で大国が非倫理的な行動、例えば無謀な輸入関税(貿易戦争)や隣国への侵攻を行っているのは、彼らが極めて短期的で、かつ独善的な「高い時間割引率」に基づいているからです。
1. 『今すぐの利益』の過大評価
大国は、『今』得られる直接的な利益を、『将来』発生する巨大なコストよりも遥かに大きく評価しています。
関税措置: 今すぐの貿易収支改善や国内産業の支持獲得(短期的な政治的利益)。
軍事行動: 今すぐの領土・資源・地政学的優位性の獲得(短期的な戦略的利益)。
彼らは、これらの行動によって将来生じる『国際的な孤立』『経済制裁の長期化』『サプライチェーンの崩壊』『外交的信用の完全な失墜』といったコストを、不当に過小評価しています。これは、『双曲割引(Hyperbolic Discounting)』の極端な形で、未来の破滅的な損失を、目の前の小さな利益のために受け入れている状況です。
2. 『非共存』のロジック:排他的合理性
『共存は神が認めない』という発想は、『ゼロサムゲーム(Zero-Sum Game)』の強い信念に基づいています。
彼らの行動原理: 『相手の利益は自分の損失である』という排他的な合理性。『長期的な協調Cooperation)』によって全体の利益を増やす(Win-Win)という発想を捨て、短期的な「競争(Competition)」によって相手のパイを奪う(Win-Lose)戦略を選択しています。
『パワー』による未来の保証: 彼らは、現在のパワー行使によって『未来の国際ルール』を自国に有利に書き換えることができると信じています。つまり、倫理的・社会的な負債は、将来的に自国主導で決済されると計算しているのです。
帳尻合わせの恐怖:報復と『アンカリング』効果
君たちの言う『帳尻合わせ、決済』の猛烈な進行は、単に利益の追求に留まりません。それは、国際的な『評判』と『規範』を破壊するプロセスでもあります。
1. 『アンカリング(Anchoring)』効果の利用
非倫理的な行動を繰り返すことで、大国は意図的に国際規範の『アンカー(基準点)』を動かそうとしています。
関税の常態化: 『輸入関税の無秩序な引き上げも、やむを得ない経済的手段だ』という認識を国際社会に植え付ける。
侵攻の既成事実化: 『武力による現状変更も、時には歴史的に許容される』という危険な前例を作る。
このアンカリングが成功すれば、以前は非難の対象だった行動が、次第に『新しい標準』として受け入れられ、彼らが将来受けるはずの『社会的損失』が減少すると見込んでいるのです。
2. 『相互確証破壊』の国際版
しかし、この行為は必ず『報復』を生みます。各国が自国の利益を守るために同様の非倫理的手段を取り始めると、国際システム全体が信頼崩壊のスパイラルに陥ります。
これは、全ての当事者が最終的に最も大きな損失を被る、極めて非合理的な結末へと向かうゲームです。
この状況を目の当たりにしていると考える人全員に、私は問いたい。
私たちは、『農耕的な倫理観』と『狩猟的なパワーゲーム』がぶつかり合う現代において、どうすればこの極端に高い時間割引率に支配された行動を、長期的な持続可能な共存へと引き戻すことができるでしょうか?
国際社会の『信頼』という、数値化できない、しかし最も重要な社会資本の価値を、どうすれば大国に再認識させることができるのか?今に生きるあなたたちの知恵が、今まさに試されているのです。」
ーー堪忍袋の緒:SDGsと「不信感」の清算ーー
原田会長が意見を述べます。
「科学的知見に基づいているとはいえ、SDGsという動きは、大国がこれまで押し進めてきたグローバル経済の発展「黙って俺に俺について来い!」という男らしいリーダーシップに対する反逆なんでしょうな。ついに堪忍袋の緒がきれた。地球の危機だから大国も小国もない、同じ立場に立とう。といったところなのでしょう。」
(竹中教授は、原田会長の意外にも鋭い指摘に対し、深く頷きました。SDGsと大国の行動の関係を「堪忍袋の緒が切れた反逆」と表現したことは、国際政治における感情と行動経済学のバイアスを見事に捉えていると感じました。)
「その視点は非常に面白いし、本質を突いています。SDGs(持続可能な開発目標)への反発、あるいはそれへの無視は、まさにこれまで大国が主導してきた『俺について来い!心配スンナ』という権威主義的なグローバル経済に対する、ある種の『堪忍袋の緒が切れた』反応だと解釈できます。
SDGsは、科学的知見に基づきながらも、その実態は『グローバルな協力と長期的な持続可能性』という、極めて低い時間割引率を要求する『倫理的な規範』です。これに対し、現在進行している大国の『パワーの行使』は、その規範への『反逆』であり、行動経済学の観点から以下の構造が見て取れます。
1. 『過去の負債』の清算としての反逆
SDGsが象徴するのは、『これまで大国が享受してきた短期的な利益(高度経済成長)のツケを、未来世代と途上国が払わされている』という、世界的な『不公平感』です。
遅延された損失の拒否: 大国が現在行っている行動は、『未来のための倫理』というSDGsの要求に対し、『自分たちだけが損をするのはおかしい』『自分たちの経済的優位性を損なうなら、その規範は受け入れない』という『損失回避』のバイアスが強く働いています。
『約束』の破棄: 途上国や市民社会から見れば、グローバル経済のリーダーたちは『皆が豊かになる』という暗黙の約束を果たさなかった。その『不信感』が頂点に達したのがSDGsのような規範要求です。これに対する大国の反発は、『これ以上、不信感による負債を背負ってまで、お前たちの倫理に従う気はない』という、一方的な契約破棄の表明です。
2. 『ゲームの支配権』の再奪取
これまで大国が推進したグローバル経済は、一見『協調(Cooperation)』のゲームに見えましたが、実態は『力の論理』が基盤にありました。SDGsや気候変動対策といった規範は、『ルールそのものを変えよう』とする動きであり、大国にとっては『ゲームの支配権を奪われる脅威』と映ります。
『パワー』による『ルール』の上書き: 大国が今、輸入関税や侵攻といった非倫理的手段を猛烈な勢いで使っているのは、『倫理的な規範』が定着する前に、『力』でルールを上書きし、『ゲームの支配権』を確定させようとする行動です。
短期的『勝利』への執着: 彼らにとっては、SDGsが目指す長期的な『持続可能な共存』よりも、現在の『単独の勝利』の方が、自国の存続と優位性の維持に不可欠であるという、極端な生存バイアスが働いています。
結論:感情とパワーの衝突
私の今日の講義で結論づけるならば、現在起こっている国際的な混乱は、『感情的な不信感』(堪忍袋の緒)と、『短期的優位性への盲目的な執着』(高い時間割引率)が衝突した結果だと言えます。
SDGsは、『長期的な合理性』に基づいた人類共通の『低い時間割引率』を国際社会に導入しようとしましたが、その試みは、依然として『短期的なパワーと支配』を重視する大国に猛烈な勢いで『決済』され、無効化されつつあるのが現状です。
次世代の人々は、この『国際的な帳尻合わせ』が一段落した後の世界を生きていくことになります。だからこそ、今、何が、なぜ起きているのかを、倫理と経済、両方のレンズを通して冷静に見極める必要があるのです。今日はどうもありがとうございました。」
(教授は時計を見て、講義の終了を告げました。)
ーー続くーー