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田中オフィス  作者: 和子
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第五十二話、集まれ、冒険者ギルド

ーー午後のベル、東京よりーー

午後三時を少し回ったころ──京都・田中オフィス本社。

外回りの営業陣は、稲田美穂を除いてまだ戻っていない、オフィスには書類の紙音と、佐々木さんが立てる湯呑の音だけがかすかに響いていた。


稲田美穂はディスプレイに向かって、E不動産の追加申込書を見直していた。午前中、訪問した際、佐伯社長から、”とびらんぬ”ユニットの追加依頼と賃貸物件管理システムのバージョンアップの相談を受けていた。稲田はそのとき佐伯社長の話を思い出していた。


***

向かいに座るのは佐伯社長。五十代半ば、口は悪いが情に厚いタイプで、稲田が新人の頃から何かと声をかけてくれる存在だった。


「でな、稲田さん──」


社長は、手元の資料を軽く叩きながら話を切り出した。


「"とびらんぬ"ユニットの追加分、お願いしたい。あと、うちの“賃貸物件管理システム”の件やけどな……ちょっと新しい要望が出てきてん」


稲田は、手帳のページをめくりながら顔を上げた。


「バージョンアップの件でしょうか?」


「うん、まあ、それもある。せやけど──これや」


佐伯社長が手渡したメモには、走り書きのように「ペット保険」とだけ書かれていた。


「……ペット保険、ですか?」


稲田は思わず聞き返した。


「そう。賃貸契約時の”借家人賠償保険”の手続き、いまうちのシステムに組み込んでるやろ? あれに、”ペット保険”を加えたいんや」


想定外のリクエストに、一瞬言葉を失う。

しかし、稲田はすぐに姿勢を正して訊ねた。


「……なぜ今、ペット保険を?」


佐伯社長は「やっぱりな」といった顔でうなずき、語り出した。


「こんど、新しいオーナーがアパートを新築するんや。全室ペット可。ハウスメーカーが言うにはな──少子高齢化のこの時代、借主は”人+ペット”で一組と考えるんが普通やと。今や、独身女性でも高齢者でも、犬猫と一緒が当たり前や。昔は新築=ペット不可が常識やったけど、今は逆や。ペット可にせな埋まらん」


稲田は黙ってメモを取る。佐伯社長はさらに続けた。


「ハウスメーカーとしても、空室補償のリスクが下がるし、退出時の汚れやニオイも、クリーニングで済む。だから、”ペット保険+賠償責任特約”つけて、安心材料にする。オーナーに勧めるつもりや。E不動産も代理店手数料が増えるやろ? Win-Winや」


なるほど──と、稲田は静かにうなずいた。

目の前にあるのは「保険商品を組み込んだ不動産の未来の姿」だった。


「わかりました。では、一度持ち帰って、弊社の開発担当・半田に相談してみます」


そう言った瞬間、佐伯社長がふっと遠くを見るような目をした。


「……半田くんかあ。あのとき、うちに強引にでも引き抜いとくべきやったかなあ……」


「社長、それは……ご勘弁ください」


思わず吹き出して、稲田は笑った。


「今や、彼がうちのシステムの頭脳ですから。そんなことされたら、私、困ります」


佐伯社長も苦笑しながら頷いた。


「……ほんまやな。ま、頼んだで。うちの未来がかかってる」


「はい。責任もって検討します」

***


そのやりとりのあと、稲田は資料を整えて席を立った。

オフィスの外に出ると、風はまだ少し冷たく、空には薄い雲がゆっくり流れていた。


東京の水野さんには、この話も報告しないと。

稲田は鞄の中のスマートフォンを、そっと確かめた。


まだまだ足りないところも多いけれど、自分なりにやれるところまではやりたい。水野さんにそう言った日の自分を裏切りたくない──それが、今の彼女の小さな軸になっていた。


──チリリリリッ……。


突然、電話のベルが鳴った。内線の短い音ではなく、外線。

稲田は反射的に受話器に手を伸ばした。


「はい、田中オフィスです。司法書士の稲田がお受けします──」


「……もしもし、美穂さん?」


その瞬間、声が胸の奥を直撃した。

水野さん──。


「……えっ? 水野さん?」


声が少しだけ裏返る。とっさに受話器を持ち替えながら、背中をまっすぐにした。


「はい。今、東京の本社から外出してて、ちょっとだけ時間ができたから」


電話越しでも、水野の声は落ち着いている。

でも、どこかあたたかいものが滲んでいた。


「……びっくりしました。外線なんて。LINEでいいのに……」


「LINEだと返事待たなあかんやろ。美穂さん、今、席にいるかなって思って。もしかしたら、声だけでも聞けるかもって」


──心臓が一拍、強く跳ねた。

今の言葉、間違いじゃないよね……?


「……そんなの、ずるいですよ」


「ずるい?」


「声だけでも聞けるかもって……そんなの言われたら、私、今、仕事にならなくなります……」


苦笑まじりに言いながら、美穂の視線はディスプレイから完全に外れていた。

京都と東京、すぐには会えない距離。

だけど、この数分間の通話で心がこんなに近くなるなら──。


「美穂さん、ちゃんと食べてる?」


「……え?」


「さっき稲田さんのToDoリストの写真、Slackに置いてあったやつ、こっちでも見たから。書き込みの量がすごかった」


「……見てるんですね、やっぱり」


「見てるよ。全部じゃないけど。気になってるから」


一拍の沈黙。


「……私も、気になってます。ずっと」


それだけ言うと、美穂は小さく口をつぐんだ。心臓の音がうるさくて、もはや紙音も聞こえない。


電話の向こうの水野は、少し黙って、それから小さく息を吐く音がした。


「……あのな、実は、ちょっと藤島専務に代わってもらいたくて。京都のデータバンクの件、少し確認したいことが出てきて」


「……え……」


美穂は一瞬ぽかんとして、それからふっと笑った。


「それが目的だったんですか?」


「いや、ほんとに声も聞きたかった。ついでじゃない。……ちゃんと、そう言っとく」


がっかり──なのに、嬉しい。

真面目な水野さんらしいオチに、美穂は目を細めた。


「……わかりました。専務、今会議室から戻ってきたところです。おつなぎしますね」


「ありがとう。……美穂さん、またあとでLINE、してくれたら嬉しい」


「はい。……ちゃんと送ります。またあとで」


保留にして受話器を静かに置いたとき、午後のオフィスに、静けさが戻ってきた。


けれど、胸の高鳴りだけは、音にならずに残っていた。



ーー藤島専務の直通電話(ホットライン)ーー

京都・田中オフィス本社。午後三時二十分。


「……え、私に? 水野くんから?」


稲田からそう告げられた藤島光子専務は、一瞬眉を動かした。

めずらしいことだった。

東京オフィスの水野幸一が、わざわざ“外線”で自分を名指ししてきたという。

彼は必要以上に人を煩わせない。資料ひとつ、数字ひとつ、常に筋道を立てて動く男だ。


──それが、直接電話。

となれば、ただ事ではない。


藤島は静かに手帳を閉じ、椅子から立ち上がる。

背筋を伸ばしながら、ガラス越しに差し込む午後の陽を一瞬見つめる。

年齢を重ねても、彼女の所作にはどこか凛とした緊張感があった。


保留のボタンを押し、受話器を耳にあてる。


「──はい、お電話代わりました。藤島です」


受話器の向こうから、水野の低く穏やかな声が返ってくる。


「お忙しいところすみません、専務。水野です。少し、ご相談したい件がありまして」


「ええ、もちろん。何かあったの?」


藤島はデスク端のペンを手に取り、軽くメモの準備をする。水野の相談で、無駄な話が来たことはない。


「……合同会社の設立案件です。すでに登記は済みまして、クラウド会計で経理はある程度の仕組みを組んだのですが──社会保険の取り扱いで、少し手こずっていまして」


「なるほど、労務管理……具体的には?」


「代表社員が三名。ですが、全員、本業はサラリーマンです。平日昼間は本業の会社で働いていて、この合同会社は副業扱い。スタートアップとM&Aのコンサルティングが主な業務で、名前は……“ミズノギルド”といいます」


その名を聞いた瞬間、藤島の眉がほんの少しだけ上がった。


「……え、その話、本当なの?」


「冗談ではありません。すでに二件、コンサルティング案件を処理済みです。ただ、給料計算に入ろうとしたところで……あ、社会保険の適用、完全に忘れていました」


水野がそう言ったとき、藤島は小さく笑った。

彼の声に珍しく“焦り”が含まれていたのが、どこか微笑ましかったのだ。


「──なるほど、了解。ではポイントだけ簡潔にお伝えするわね」


彼女は手元の資料棚から、労務関係の簡易レジュメを取り出しながら、的確に説明を始めた。


「まず、社会保険の加入義務が発生するかどうかだけど、法人であっても“事業実態”があれば原則適用事業所になる。特に報酬を支払っているなら、代表社員も対象になる可能性が高い」


「報酬は、月額数万円の予定です。3名均等で」


「となると、健康保険・厚生年金ともに適用の可能性があるわ。ただし──3人ともすでに別の会社で厚生年金に入っているなら、“二以上事業所勤務”の扱いになる。その場合、年金事務所への届出が必要。複数の事業所から報酬を受ける人のための“総合月額”を計算する手続きね」


「……面倒ですね」


「ええ、少し。でも逃げ道もある」


「逃げ道、ですか」


藤島は、電話口で微かに笑った。


「報酬が“ゼロ”なら、強制適用の対象外になる。つまり、合同会社からは実質報酬なし、という建前にして、本業側の社会保険だけでカバーする。副業として完全に扱うために、業務実態や通勤時間の記録も見直しておくとベターね。税務上は別の問題が出るけれど、保険適用回避としては正攻法」


「……なるほど。確かに、今回は“ギルド”の経費は少なく、役員報酬を当面出さない運用も可能です」


「なら、早めに社労士と相談して、個人と法人の報酬の関係整理と“保険適用除外届”の準備を。必要なら私がつないでもいい」


「助かります、専務。やはり……こういうとき、一番信頼できるのは藤島さんです」


「……水野くん、めずらしく素直ね」


藤島はそう言いながらも、どこか楽しげだった。

自分が思った以上にこの若き知性を気にかけていたことに、今さら気づかされる。


「いえ、本音です。……では、必要書類と経緯をまとめて、あらためてメールいたします」


「了解。ミズノギルド、ね……面白くなりそう」


電話が切れたあと、藤島はふっと空を仰いだ。


冷静なあの男が、“保険の届け出を忘れてました”と素直に口にした──

そんな些細なことで、心が軽くなる午後もある。



ーー“ワシも混ぜてや?”の衝撃ーー


午後の電話が終盤に差し掛かったころだった。

水野の声は変わらず落ち着いていたが、どこか柔らかく、ほんのりといたずらっぽい響きが混じっていた。


「専務、ちなみに……この話、社長にはもう通してあります」


「……え? 社長に?」


受話器を持つ藤島の指が、ふと止まった。

メモ帳の上に、インクのしみがじわりと広がる。


「はい。先週の夜、LINE電話でカミングアウトしました」


「……それで、社長……何て?」


電話の向こうで、小さく笑うような気配。


「“ワシも混ぜてや?”って言われました」


「…………」


一瞬、オフィスの空気が止まったように感じた。

藤島の頭の中で、田中卓造の顔が浮かぶ。

茶目っ気たっぷりにスマホを片手に言い放つ、その姿がありありと──。


「もう……あの人、ほんとに……!」


思わず、受話器を胸元に押し当て、肩をすくめて笑ってしまった。

一拍遅れて稲田がちらりと振り向いたが、藤島は気にもとめない。笑いながら、再び受話器を耳に戻した。


「社長、まさか出資とか言い出してないでしょうね?」


「今のところ、“気持ちだけ出資”ってことで納得してもらってます」


「それ、一番危ないやつ……」


「“ギルドの顧問司法書士として名前だけ貸したる”とも言ってました」


「……どっちも却下です」


「ですよね」


会話のテンポが、無駄なく心地よかった。

どこか“戦友”のようなリズムが、自然に戻ってきていた。


藤島はペンを取り、メモ帳の端にさらりと書きつける。


《田中社長、ミズノギルドに”接近中/要注意””》


そして、少しだけ声を引き締める。


「水野さん。あなたの志は立派よ。でもね、“副業”と“社長のノリ”は、火と油みたいなもの。くれぐれも、田中オフィスの看板に泥を塗らないよう、慎重に進めなさい」


「……はい、肝に銘じます」


「本業を続ける限り、あなたは“田中オフィスの顔”なの。副業がどう発展しようと、“このオフィスの信頼”を背負ってること、忘れないで」


「了解しました、専務」


少し沈黙が流れたあと、藤島はふっと言った。


「それと……“ミズノギルド”の件、今度ちゃんと正式に企画書を出してちょうだい。アドバイザーとしてなら、私、参加してもいいわよ」


「えっ?」


「ただし、タダではやらないけどね」


「……やっぱり、専務には敵いません」



ーー ギルド参戦、藤島&たまちゃん?--

次の瞬間、藤島はピシッと背筋を伸ばし──唐突に声を上げた。


「ていうか水野さん!なぜ私より先に社長に話すのよ!?」


その声は少し裏返っていた。普段は沈着冷静な専務らしからぬ一言に、近くの佐々木が思わずペンを止めて振り返る。


「合同会社設立、副業メイン、M&Aコンサル……最高じゃない!

……ったく、ほんと面白そうね!」


バンッ!

勢いよくメモ帳のページをめくり、新しいページにボールペンを走らせる藤島。


「労務管理規定の案、作っとくわ。あとでメールで送るから、ちゃんと読んでおきなさい」


「ありがとうございます……専務」


電話の向こう、水野の声には、ほのかな苦笑が滲んでいた。


──そのときだった。


「ミ〜ズノさ〜ん!」


元気な声がフロアに響く。

発信源は、少し離れたデスクにいた奥田珠実、通称“たまちゃん”。


彼女は手をメガホンのように構えて、受話器の水野に聞こえるように、わざと大声で叫んだ。


「わたしも入れてくださ〜い! ギルドの受付嬢、やりたいっス!!

カウンターで水野さんの隣に立つの、夢だったんで〜!」


「……あんた、今それ言う!?」


藤島が小声でツッコミを入れるが、たまちゃんは気にする様子もなく続ける。


「“ミズノギルド”とか、名前かっこよすぎ! ロゴ作るなら、アメコミ風がいいと思いまーす!」


受話器越しに、ふっと水野のため息が聞こえた──が、それは紛れもなく、楽しげな吐息だった。


「……ギルドっていうより、学園祭実行委員会になりそうですね」


藤島は、たまちゃんをちらりと見てから、再び受話器に口を近づけた。


「……水野さん。面白くなってきたわね。

“ミズノギルド”──覚悟しておきなさいよ?」


「はい。予想以上に……メンバーが濃くなりそうです」


---


田中オフィス、その日のSlack通知


> ☆藤島専務:「労務管理案、添付しました。ギルド第0版ってことで。」

> ☆たまちゃん:「ギルドの制服、ラフ案3つ描いてみました〜★★★」

> ☆田中社長:「ワシは相談役や。あと、名刺に“ギルド重鎮”って書いといてくれ。」


ギルドはまだ産声をあげたばかり。

でもこのメンバーなら、どんな冒険も乗り越えていける──


いや、むしろ、乗り越える前に、誰かが全力で突っ走ってしまいそうだった。


【自席に戻った藤島専務のつぶやき】


電話を切ったあと、藤島はゆっくりと受話器を戻した。

メモ帳を閉じ、背もたれに体を預ける。


「“ミズノギルド”、ね……」


天井を見上げ、少し口元をほころばせた。


──あの水野くんが、私を頼ってくれるなんて。


それがどんなにささやかなことでも、彼女にとっては、少し心が浮き立つ出来事だった。


「社長と水野が組んだら……確かに面白くはなるわ。でも……私がいないと、火の車ね」


誰にも聞こえないように、小さく笑って、そうつぶやいた。


“頼られる”ということ。

それは、どんな実力者にとっても、胸の奥をそっとくすぐる、ささやかな喜びだった。



ーー副業バレました?〜社長、逃げ場なしの巻〜ーー

東京からの一本の電話が、田中オフィスの空気を微かに揺らしたのは、前日の午後だった。


翌朝。

本社にはいつものように社員たちが静かに出勤し、コピー機の音や書類をめくる音が響いていたが──

その空気の奥底には、ひそやかに“あの件”の匂いが漂っていた。


藤島光子、専務。

朝イチで出社した彼女は、デスクにびしっと書類を並べ、几帳面にペンを走らせていた。

目元にほんのかすかな笑みを浮かべながら。


──そして、時は満ちた。


【午前10時・田中社長、ゆっくり登場】


「おはよ〜さん……今日は蒸しとるなぁ……」


いつものように呑気な声を響かせ、田中卓造社長がのそのそとオフィスに姿を現した。

だが、藤島の前に差しかかった、その一歩で──空気が変わった。


「社長。」


「ん? なんや藤島くん、ええ朝やなぁ〜?」


「……水野さん、もうすでに2件、仕事を片付けてましたよ。」


社長の足が止まる。

「な、なんの話や……?」


「“ミズノギルド”です。」


ピシッ──という音がしそうなほどに、田中の顔が一瞬で硬直する。

目は天井を見上げ、次いで壁へ、観葉植物へ、自分の靴先へ……と、忙しなく泳ぎはじめる。


「なんや……もう2件も片付けよったんか? あの若いのん、やるなぁ……」


「社長。」

藤島は、淡々と、しかし決して逃がさぬ声で言い放った。


「私に内緒で副業しようとしてましたね?」


「いやいやいや、ちゃうねん、藤島くん。

ワシはな、ただな、“たとえばの話や”ってことで水野に“気持ちで賛同”しただけでな……」


「“混ぜてや?”って言ったんですよね?」


「……言うた……ような気も……するけど……なぁ、あれはその……」


田中社長のメガネがズレるほどに目が泳ぎ、背後ではたまちゃんが堪えきれずお茶を吹きそうになっている。


【藤島専務、宣言す】


「社長。」


「う、うん……?」


「私に、東京出張を命じてください。」


「えっ、えぇ? なんで急に……?」


「“ミズノギルド”の立ち上げには、私のサポートが必要なようです。

社会保険も、労務も、財務も──彼ひとりでは到底まわりません。

それに、もし社長が関与されるおつもりなら、”リスク管理の責任”も取っていただかないと。」


田中社長、半ば椅子に腰かけかけたお尻を、そっと元に戻す。

そのまま立ったまま硬直。


「……いやその、ほんまに軽〜い気持ちでやな……」


「では、東京の宿泊費と交通費、経費で出しておいてください。

私は“出張”として動きます。」


「……は、はい……」


その声は、まるで怒られた小学生のように小さく、弱々しかった。


【場面の締めはやはりこの人】


「専務〜〜〜!」

と、後方から明るく駆けてくるのは、ムードメーカー奥田珠実。通称・たまちゃん。


「新幹線チケット、EX予約で取りますかぁ?

あと、ギルドの名刺、専務の分も作っときますね!肩書きは“副ギルドマスター”でいいっスか?」


田中社長、すかさず手を上げる。


「ちゃうちゃう! ワシが副ギルドマスターや! 藤島くんはアドバイザーや!」


「いえ、社長は“ギルドご意見番”が妥当かと。」


藤島がさらりと切り返したその瞬間──

オフィスには爆笑が広がった。


田中オフィス、その日のSlack通知


その日のSlack通知は、かつてない熱量と茶番感で満ちていた。


> ☆藤島専務:「東京出張申請、上げました。目的:ギルド立ち上げ支援」

> ☆田中社長:「承認……したけど、なんやこの流れ……」

> ☆たまちゃん:「ギルドマスター名刺、背景ドット絵にしておきました〜★」


ギルドはまだ産声を上げたばかり。

それでも、このメンバーなら──どんなトラブルも、どんな副業も、笑いと熱意で乗り越えていける。


いや、むしろ──


ギルドは、ゆっくり──でも確実に、カオスな形で始動しようとしていた。



ーーたまちゃん、ギルドに恋をするーー

午後3時のオフィス。

空調は少し効きすぎていて、たまちゃんは肩にライトグレーのカーディガンを羽織っていた。指先だけを動かすようにして、マウスをスライドさせる。画面に表示されたのは、いつもの業務ツール……ではなく、検索エンジンのトップページだった。


「え〜っと……“ミズノギルド”…っと……」


こそこそと打ち込んだキーワード。

反応したのは検索結果の一番上。それだけで、たまちゃんの好奇心に火がついた。


「……あった。」


クリック。


ブラウザに現れたのは、洗練された黒と白のシンプルなデザイン。中央には大きな文字でこう書かれていた。


──ギルド始動。


その下にはロゴ。クールなフォントに、どこか物語性のある盾形の意匠。


そのままスクロールすると、目に飛び込んできたのは「案件レポート」なる履歴の一覧だった。


---


【案件No.001】

クライアント:ヒアウイゴー合同会社(代表:肥後香津沙)

内容:デジタルタレント事業の事業再構築支援(Vタレント契約整理・収益設計)



「ええええええええっ!?ヒアウイゴーって、あの芸能事務所の!?しかも代表が肥後香津沙!?Vタレのアバターが踊るあのCM!?TikTokでバズってたやつやんっっ!!」


──突然、たまちゃんのテンションが3段跳びした。


椅子の背もたれがきぃ、と音を立てる。あわてて姿勢を戻し、次の案件へ。


---


【案件No.002】

クライアント:美容室 Beaute Troisボーテ・トロワ

内容:代表交代にともなう事業承継支援(資産評価/後継者プランニング)


---


「……!!」


たまちゃんの指が止まる。

Slackの新着通知で見かけた「ギルドの新案件」の一行が、ふいに頭をよぎった。


「ボーテ・トロワ……聞いたことある……」


即座にGoogleで検索。

ヒットしたのは、東京・青山にある、白を基調にした超おしゃれサロン。アロマの香りが漂ってきそうなウェブサイト、カリスマスタイリスト、こだわりのケアアイテム。


「やっば……めっちゃタイプやん……!」


さらに公式Instagramを発見。


「うわっっっ、#大人可愛い (ハッシュタグ)の宝庫やん……これ、あたしの生きがいレベル……」


──もう、完全に落ちた。仕事どころじゃない。


「ちょ、ちょ、ちょちょちょ!!これ、Beaute Trois!?え、事業承継!?後継は誰!?まさかの……水野さん!?!?」


ガタッと音を立てて立ち上がるたまちゃん。

近くにいた佐々木さんが、持っていたコーヒーカップを危うくひっくり返しかけた。


「落ち着きなさい、たまちゃん。」


「す、すみませんっ!!」


その5分後、たまちゃんは藤島専務のデスクの前に立っていた。


「でも、あれですね専務!この案件、むっちゃオシャレでやりがいありそうですよね!サロンの再ブランディングとか、後継者向けのSNS運用戦略とか、わたし京都からでもリモートで──」


「誰も止めてないわよ。でも少なくとも、東京に髪を切りに行く必要はないわ。」


「……あ、でも出張あれば行きます!」


「あなたのは観光でしょうが。」


【その夜のSlack】


>☆たまちゃん:「東京青山のBeaute Trois、リサーチ資料作りました」

>☆水野(東京):「たまちゃん、気合はありがたいけど、まず京都の業務を終わらせてください。」

>☆藤島専務:「たまちゃん、私が東京出張の時は、美容室の予約を取っておいてくれると助かるわ。」

>☆たまちゃん:「了解です!!……あ、わたしも一緒に予約入れていいですかっ!!?」

>☆藤島専務:「却下。」


たまちゃんは知った。

東京の案件も、京都から心で参加できるということ。

そして、**美容室の予約は本当に慎重に扱わねばならない**ということも。


ミズノギルドとの“遠距離恋愛”は、始まったばかりだ。


以下、小説形式で仕上げました。ご確認ください。



ーー 橋本部長、静かに揺れる、 〜水野ギルド、吸引力ありすぎ問題〜ーー


田中オフィス京都本社、昼下がり。


静まりかえった執務フロアでは、なぜか誰もキーボードを叩いていなかった。

その代わり、スマホの画面に夢中な社員たちの手元に、Slack通知音がピコン、ピコンと鳴り続けていた。


>☆たまちゃん:Beaute Troisの現地レポート、Googleマップで360°見ておきました!行った気になってます〜

>☆佐々木:たまちゃん、まだ行ってないのに美容室の口コミに☆5つけてるよ……?

>☆稲田:あたしもギルドに入ったら、M&Aチームで活動できるかなぁ?(ドキドキ)

>☆半田:Integrate Sphereで業務効率化提案、出してみてもいいすか?(すでにやる気満々)


オフィスの一角が、もはや仕事場ではなく、ミズノギルド ネットギークと化していた。


そのときだった。


(バンッ!!)


「……みなさん。目の前の仕事、忘れてませんかね?」


営業部長・橋本和馬、登場。

スーツの袖を捲り、眉間にしわを寄せている。

普段は朗らかな関西弁も、今日はピリついていた。


「Slackばっか見てないでな、ちゃんと京都本社の仕事もしてくれますか?(ニッコリ)」


全員がビクッと顔を上げる。

しかしその手には、まだスマホ。

ギルドの話題で一日が終わりそうな勢いだ。


>☆佐々木:(こっそり「ギルドチャンネル 非表示」に設定)

>☆たまちゃん:(でも通知ON)

>☆稲田:(Slackのアイコンで、こっそり「ギルド所属」って名乗り始めた)


橋本のこめかみがピクピクしている。

しかし彼は営業部長、プロである。


――よし、建前モードだ。


「うちの水野さんが活躍してくれるのは、ほんま頼もしいです。けどな? この会社は京都本社、田中オフィスなんやで?(ニコリ)」


誰よりも笑顔が引きつっていた。



ーー そして、橋本の心の声ーー


(こ、こいつら……!)


(ギルドに憧れすぎや……マジで会社辞めて、水野さんとこに移籍しかねへん……!!)


(このままやと田中オフィスが、”水野ギルド 京都支部”になってまうやろ……!?)


……心の声、漏れた?


ふと、佐々木がぽつりと聞いた。


「部長、もしギルドからスカウト来たら……どうします?」


橋本は息をのんだ。

東京のビジネスシーンで、自分の力を試したいという気持ちは前からあった。


「お、俺は……田中社長に忠誠を誓ってるんや……!」

その声はかすかに震えていた。


「部長ぉ……忠義……!」

たまちゃんが感極まって、キラキラした目でつぶやく。


そのとき──


「お〜い、ミズノギルドの話、わしも混ぜてんか〜?」


ドアの隙間から、田中卓造社長が顔を覗かせた。


──終わった。


橋本部長、くずおれる。


「社長までかいっっっ!!!!」


【エンドクレジット:Slackチャンネル】


> ☆田中社長:ミズノギルドの“重鎮”名刺、作って配っといたで〜

> ☆たまちゃん:やった!社長もギルドの一員ですね!?

> ☆橋本部長:……ギルドには入らん言うてたのに、プロフィール写真だけ微妙に整え直してる


ミズノギルドの吸引力は、今日も社内を揺るがしている。


そして橋本部長の揺れる心は、まだ止まらない──。



もちろんです。以下にご要望のストーリーを小説形式で仕上げました。


---


ーーともしび、ミズノギルドのはじまりーー


夜の帳が静かに東京の空を包みはじめたころ、田中オフィスの東京出張所には、穏やかな静けさが漂っていた。窓の外には無数の街の灯がきらめき、それが室内に柔らかな陰影を落としている。ビルの谷間に浮かぶ無数の灯火は、まるで都市が語りかけるささやきのようだった。


藤島光子は、一日の仕事を終えた疲労をひとつの溜息に変えて、ソファに腰を下ろした。

その向かいには、水野幸一。

彼はいつもと同じように、背筋を伸ばしてソファの端に座っていた。冷静で、理知的。ほんの少しの間も隙を見せない――そんな彼の姿勢は、いつもながら彼女の心に静かな敬意を生んでいた。


だが今日、藤島の胸にあったのは、ただの業務報告でも情報共有でもなかった。


「ねぇ、水野さん。――なんで、“ミズノギルド”を始めたの?」


静かな声だった。

しかしそれは、まるで深い井戸に石を落とすように、空間の奥にまで沈み込んでいく問いだった。


水野は、ふっと目を伏せた。ほんの一瞬の間のあと、彼は口を開いた。


「……日本の企業の、99%は中小企業です」


藤島は黙ってうなずいた。彼の言葉の先を、自分も知っていたから。


「でも、その多くが――後継者不在で、静かに、誰にも知られず、廃業していっている。このまま何もせずにいれば、日本のGDPは何十兆円も失われると試算されています」


彼の声は、感情を露わにしていない。それでも、芯のある静かな熱が、言葉の奥に宿っていた。


「一方で、起業を目指す若者たちは、確実に増えている。彼らは、リスクもあるけど……エネルギーに満ちている。僕は彼らを見ると、かつての日本の“創る力”を思い出すんです」


水野は一度言葉を止め、視線を少し遠くに投げた。


「だったら、彼らを“冒険者”に見立てて、その冒険を支える“ギルド”があってもいい。技術、会計、法務、保険、IT、セキュリティ……そういった“道具”を貸し出し、“地図”を示してやれるような仕組みが、あってもいいじゃないかって」


“ギルド”――

それは、かつて職人たちが身を寄せ合い、互いの技を支え合った集団。

そして今、水野が語るその姿は、まるで新しい時代の職人村のようだった。


藤島は、思わず微笑んだ。

優しい、けれど芯のある目で彼を見つめながら言った。


「……あなたらしいわね、水野さん。静かだけど、本気の人」


水野は、少しだけ視線を外した。普段はどこか無機質にすら見える彼の横顔に、一瞬だけ、少年のような照れが浮かんだ。


「本当は……こういうのって、国がやるべきことだと思うんです。でも」


そこまで言って、言葉がわずかに途切れた。

再び口を開いたとき、水野の声は、なおいっそう静かだった。


「未来の税収を、増税や国債で埋めることばかり考えている。けれど、“生む力”をどう育て、どう残すかという視点が、あまりに弱い気がするんです。だったら、自分でやるしかない」


室内に、沈黙が訪れた。


だがそれは、息が詰まるような沈黙ではなかった。

まるで焚き火のそばで過ごすような、穏やかで、心の芯が温まる時間だった。


やがて、藤島はそっと立ち上がり、水野の背中に手を伸ばした。

軽く、ぽん――と叩く。


「じゃあ私は、“ギルドマスターの補佐”ってところかしら?田中社長も、“混ぜてや〜”って言ってたけど」


水野は、思わず小さく笑った。


「ええ、頼もしい仲間が、どんどん集まってきています」


そう言った彼の目に、わずかな光が射した。

それは、未来を見据える人間だけが持つ、あの透明な意志の色だった。


彼らの“ギルド”は、まだ小さな灯火にすぎない。

けれどその灯は、たしかに次の世代の道を照らしている。


そして、静かに始まったこの小さな挑戦は――

やがて、街を、社会を、未来そのものを照らす炎へと育っていくのかもしれない。


ともしびは、ここから始まる。



ーー光子、動くーー

東京・田中オフィス分室。

夕刻、ガラス窓の向こうに沈みかけた太陽が、オレンジのヴェールをビルの谷間に落としていた。

斜めに差し込む光が、書類の角をやさしく染め、室内に一日の終わりを告げていた。


藤島光子は、手にしていたペンをそっと机に置き、深く息を吐いた。

その前に広げられているのは、「Beaute Trois」──話題の美容室ブランドのM&Aに関する最終整理ファイルだった。


ページを閉じながら、彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……あの美容室の案件は、モデルケースとなりました。

今後はもっと、難解で規模の大きい事業承継や再建案件が来ると思います」


その声は淡々としていたが、未来に向けた明確なヴィジョンをはらんでいた。

対面の水野幸一は、黙ってうなずく。彼の沈黙は、信用の証だった。


藤島は、そのまま一拍置いて続ける。


「そこで、社長に相談して──近いうちに、Integrate Sphereを東京にも導入していただこうと思っています」


水野の目に、ほのかな光が宿った。

“それ”は単なるITシステムではない。

田中オフィスという長年の手続き文化に根づいた組織が、データ連携と現場最適化という新しい地平を受け入れるための、狼煙(のろし)だった。


タイミングを計ったかのように、デスクのスマートフォンが鳴る。

発信者は、関西にいる社長・田中卓造。


「……ほぉ? 光子は? ん、それはまぁ〜、えぇ考えでんなぁ。ウチも最初から賛成しとったんやで? ほんまほんま、光子はんが言うんなら、間違いあらへんわ!」


耳に届く、いかにも“乗っかる気満々”な関西節。

藤島は、思わず口元をゆるめた。


「……ふふっ」


まるで、自分が大口の企業案件を仕留めた営業マンにでもなったかのような気分だった。

けれど彼女にとって、これは“始まりの確認”にすぎなかった。


「……でも、これで納得できたわ」


デスクの端に置かれたスケジュール帳。

すでに、そこには一行──

「○月○日:○○銀行へ」

と小さく記されている。


それは、ただの予定ではない。

彼女が動けば、金が動く。

この分室に、風が吹く。


藤島光子は、立ち上がり、椅子をくるりと回した。

身支度を整えながら、帰路のエレベーターの中で、すでに次の一手を思い描いていた。


「……帰ってすぐ、融資の申し込みにかかるわよ」


その小さなつぶやきは、誰の耳にも届かなかった。

だが、それは確かに、新しいギルドの資金に火を灯す、**静かな狼煙**だった。


田中オフィス・専務、藤島光子。

彼女は、単なる“頼れる女性幹部”ではない。


ミズノギルドにおける──

”戦略投資担当官”の誕生である。

ーー続くーー


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