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田中オフィス  作者: 和子
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第四十五話、犯していない罪、それでも謝りたかった

ーーコメワン、土下座、そして芸の矜持ーー

楽屋の空気は、蒸した布のように重かった。

午後の光が廊下のすりガラス越しに差し込む。舞台ではまだ前座の芸が続いている時間帯。けれど、この部屋ではそれどころではなかった。


「……申し訳、ありませんでした……」


粳舞釜男(うるちまいかまお)は、正座のまま額を床に押しつけていた。芸人たちの視線が彼に集まる。誰も声を出せない。ただ、張り詰めた沈黙の中で、息だけが聞こえる。


レンチンズの北盛夫が、膝を叩いて立ち上がった。


「おい、どういうことや……? 釜男、お前、ほんまに“ノロウイルスに感染したフリ”して、救急車で運ばれる芝居――それ、やるつもりやったんか?」


釜男は顔を上げず、小さくうなずいた。


「副知事の秘書から……頼まれました。“農水省の中止勧告を無視して強行する連中を、潰したい”と。」


「潰したいって……ワイらの舞台やぞ! なんやそれ、ふざけとるんか!!」


北が怒鳴ると、粳舞の肩がわずかに震えた。しかし、次の言葉ははっきりとしていた。


「でも、やってません。実行する前に……視察に来るっていう都知事の動きがあって、指令は取り下げられました。だから、私は……何もしてないんです。」


「じゃあ、なんで今さら……?」

と、飯野武が小さく呟く。


その問いに、釜男は土下座の姿勢からゆっくりと頭だけを上げ、正面を見据えた。


「……私、ずっと迷ってました。言わなければ、何もなかったことにできた。けど、それじゃあ……私、芸人として、舞台に立てなくなる気がしたんです。」


「それが……お前の“芸人の矜持”ってやつか。」


と、来福が低く言う。


「はい。……私、お客さんの頼みは基本断らないって決めてました。ショーパブのころからずっと。ちょっと無理な注文でも、“粳舞ならやってくれる”って信じてもらえるのが、私にとっては芸の信用だった。でも今回は……」


釜男の声がわずかに揺れる。


「それが……間違ってた。芸人は、笑わせるために舞台に立つもんやのに、人を陥れるためにその芸を使って仕事しているふりをして、命令されるのを待っていた……。私、許してもらおうなんて思ってません。ただ、せめて――自分の口で、皆に謝りたかったんです。」


長い沈黙が流れた。誰も目をそらさず、彼を見つめていた。


やがて、ギャランティ坂野師匠が椅子を軋ませて立ち上がる。


「……まったく、危ないとこだったよ。もしあんたが本当にやってたら、わたしのギャランティも吹っ飛んでいたかもしれないんだ。」


小さな冗談のような一言に、場の空気が少しだけ緩んだ。


すると、聖山スミ子がふわりと立ち上がり、釜男の背中にそっと手を置いた。


「正座、苦手じゃないの? ゲイボーイって、足の筋肉もすごいけど……痛いわよね、こういう姿勢。」


「……だいじょうぶ、です。」


「そう。じゃあ、ちゃんと体起こして、顔、見せなさいな。」


釜男は、ゆっくりと上半身を起こした。だが、まだ(うつむ)いたままでいた。


「……まだ、私に芸人としての居場所があるなら、次の舞台で、すべて見せます。」


来福が、静かにうなずく。


「それでいい。芸人は、言葉じゃなくて芸で語れ。」


北は腕を組みながら、わずかに口元をゆるめた。


「……ウソばっかりのこの世界で、お前の“ほんまの話”を信じたるわ。次、笑かしてみい。できんようだったら……また土下座させるぞ。」


粳舞釜男は、小さく頷いた。

目にはわずかに光が戻っていた。

罪を犯さなかったことではなく、誤りを誤りと認めた自分を、ようやく“芸人”として取り戻した瞬間だった。


「……でもな。」


静まり返った楽屋の隅で、レンチンズの北盛夫がふと呟いた。

怒鳴るでもなく、責めるでもない。けれど、その声には確かな重みがあった。


「お前、俺らにはもう謝ったけどな……田中オフィスの、あの元気のいい姉ちゃんおるやろ? たまちゃん言うたかな……あとでちゃんと謝っとけよ。」


その名前に、粳舞釜男はハッとした。

胸の奥に、何かが突き刺さるような感覚。イベントの準備中、誰よりも大きな声を出して走り回っていた、あの小柄でショートカットの女の子。常に笑顔で、しかし目の奥は真剣だった。


「……いますぐにでも!」


釜男は立ち上がった。全身にまだ力が入り切っていないが、それでも動かずにはいられなかった。


だが、その瞬間だった。


「アホ、今おらへんわ。」


そう言ったのは、飯野武だった。低く、しかし優しさの滲んだ声だった。


「……あの子、今、病院や。」


「えっ……?」


釜男の足が止まる。


「気ぃ張りつめてたんやろな。イベント終わったあと、ぱたんと倒れてな。ホンマに救急車や。」


静かに響くその言葉に、誰もが黙った。


「命に別状はない。すぐ退院できるやろう。でもな、あの子、必死やったんやで。ワイらが表で芸やっとる間、裏で汗だくになって走り回ってくれてたんや。」


釜男は、ぽつりと一言呟いた。

「私のせいで…」


その瞬間、彼の声が崩れ、堰を切ったように涙が溢れた。

「……すいませんでしたぁ!」


手の甲で顔をこすっても止まらない。自分の軽率さと、知らずに支えられていたことの重みに、全身が震えていた。


すると、後方から別の声が飛ぶ。


「でも、あの子、めっちゃ元気やったで?」


振り向くと、お笑いコンビ・DDコミックの“ビーム”が腕を組みながら話していた。


「イベントのラスト、桑島さんのアナウンス終わったあとな、『カラオケ行こー!』って言うんですわ。すっごいハジケてて。友達の女の子が『あんた無理よ!』言うて、無理矢理タクシー乗せてたけど……その直後やったらしいわ、倒れたの。」


「うわ……」


と“バリア”が小さく漏らすように言葉を継ぐ。


「もうその場、大騒ぎですわ。友達の子、わんわん泣いてましたわ。たまちゃん、笑いながら倒れたんやって。……そんなの、泣くやろ。」


誰も何も言わなかった。

沈黙が、ただやさしく楽屋を包む。


芸人は笑わせるのが仕事だ。

でも、その舞台を支える誰かが、本当に命を削ってお客さんたちの笑いを守ろうとしていた――

それを初めて理解した瞬間だった。


「……ちゃんと謝るわ。私、自分勝手やった。あの子の笑顔を、“仕事のうち”やとしか思ってへんかった……」


釜男の声はかすれていたが、誰よりも真剣だった。


来福がポツリと言った。


「――たまちゃんが、元気になったら、舞台で返してみろ。笑いでな。」


誰もが黙って頷いた。

その夜、粳米釜男は眠れなかった。けれど、それは後悔ではなく、覚悟の夜だった。



ーー芸でしか伝えられないものーー

楽屋の静寂を破ったのは、やわらかで、それでいて芯のある声だった。


「彼女のためにも、私たち、コンビ解消はしません。」


粳舞釜男が顔を上げる。視線の先には、しなやかに立つスミ子姉さん――聖山スミ子の姿があった。年齢不詳、元バレリーナを名乗る芸歴30年のベテラン。独特の所作と雰囲気で、若手からも一目置かれる存在だ。


「元気になった彼女の前で、芸を見せて、謝らないとね。」


その言葉に、釜男は胸がいっぱいになった。

スミ子姉さんは何も責めない。ただ、まっすぐな視線で彼を見ていた。


「……ありがとうございます。」


やっとの思いで、釜男が絞り出すと、今度は笑角亭来福――“来福師匠”が、腕を組んだまま口を開いた。


「せやな……ワシら芸人、何かを人に伝えるのは芸しかあらへん。」


師匠の声には、重みがあった。


「涙流しても、土下座しても、そんなん芸人の仕事ちゃう。舞台の上で、笑わせて、泣かせて、そんで気持ち伝えるんが、ワシらの本分や。釜男はん。」


「はい。」


「今からスミ子姉さんについて、しっかり芸、磨くんやで。今すぐや。午後の部、仕事入っとるやろ。汗かいて、声出して、芸で詫びるんや。」


「はい、師匠。」


来福はさらに言葉を続けた。


「……それとな、みんな。今日のこと、口外は無用や。」


楽屋にいた全員が静かにうなずく。


「政治の舞台裏なんか、嗅ぎつけたマスコミが書き立てよったら、釜男だけやない。たまちゃんも、主催者も、誰かがまた泣くことになる。芸人が笑いとるために誰か泣かせてどうすんねん。」


そのとき、不意に声が上がった。


「でもそんなこと言って、来福師匠、これ新作落語のネタに使うんじゃないですか?」


声の主は、怪獣タロウ――大きな体でフリップ芸などをやっている若手芸人だった。


「おまえとちゃうわい!」


来福師匠が声を荒げて一喝すると、楽屋にドッと笑いが起きた。誰かがクスクスと笑い出し、それが連鎖していく。


釜男も、いつのまにか笑っていた。


たとえ不祥事の境界線すれすれの出来事でも、ここにいる芸人たちは、すべてを“芸”で乗り越えようとしていた。

誰かが傷ついたとき、芸人にできることは、謝罪でも言い訳でもなく――芸を見せることだけなのだ。


釜男は深く一礼し、立ち上がった。

舞台袖に向かうその背に、誰かがぽんと手を置いた。


「いこか。午後の部、始まるで。」


それはスミ子姉さんの声だった。

釜男は小さく頷き、歩き出した。


すべてを芸に変えて、伝えるために。



ーーもう一度、日本で会えた日ーー

立花美波は、自分が今どんな顔をしているか、わからなかった。


イベント会場の隅、客の引けたあとに設けられた片づけ時間。人通りの少なくなった一角で、黙々と箒を動かす青年の背中を見た瞬間、時間が一度止まったようだった。


――ズン。


あのとき、空港で見送った小柄な背中。深く頭を下げ、「なぜ先生があやまるのですか」と言った、あの青年。


それとまったく同じ姿が、今、目の前にあった。


「……ズン、来てたのね」


思わず声がこぼれる。


青年が振り返る。優しい笑みが、あの頃のままだった。


「立花先生。お久しぶりです」


「……どうして……」


足が勝手に動いていた。彼女は小走りに近づき、ズンの手を両手で包むように握りしめた。


「日本に着いたら、すぐ電話してくれればよかったのに……!」


ズンは、少し照れくさそうに笑った。


「今回は、イベントの入国手続きや宿泊の手配、機材の管理まで、すべて田中オフィスのラヴィさんという行政書士の方がやってくれました。だから……立花先生には、あとでイベントの結果報告とお礼に伺うつもりでした。」


「……そう、ラヴィさん……あの人なら、きっと丁寧に対応してくれたはずね」


手を握る指先に、少しだけ力がこもる。


「結果は、どうだった?」


ズンは笑いながら、少し首を傾げた。


「7位でした。でも、それで充分です。……僕、このイベントに出られただけで、本当にしあわせでした。」


しばらく、ふたりのあいだに言葉がなかった。

微風が会場の紙くずをかすかに舞い上げる。その風の中で、美波の目が潤む。


「……私、ほんとうに……」


そう言いかけたとき、ズンが先に首を横に振った。


「先生、もうあのとき言いました。僕を救ってくれたのは、あなたです。感謝の気持ちしかありません。」


立花美波は、深く深くうなずいた。けれど、心のどこかで、ずっと縛られていたものが、ようやく少しほどけた気がした。

「助けられなかった」ではなく、「信じてもらえた」こと。

その差が、こんなにも心を解放してくれるものなのかと、彼女は初めて知った。


「ズン、日本へまた来てくれて、ありがとう」


「ただいま、です」


そう言って、ズンは再び笑った。

その笑顔は、日本での過酷な日々を知る者の顔ではなかった。過去を受け入れたうえで、もう一度未来へ歩き出す人間の顔だった。


彼が再びこの国に来ると信じて、メモを渡したあの日。

立花美波の中に、希望がまだ小さく灯っていた。

それが今、確かな形で彼女の前に現れたのだった。


ズンはもう、労働力なんかじゃない。

一人の挑戦者として、笑顔でこの国に帰ってきたのだ。


彼の姿が、風に揺れる会場の旗を背景に、小さく、しかし強く輝いていた。



ーー米の肖像ーー

帰国の朝は、ひっそりとした空気に包まれていた。

駅までのバス乗り場に向かう途中、立花美波はズンと最後の挨拶を交わしていた。


荷物は最小限。背中には、使い込まれた黒いリュックサックひとつ。

その顔には、別れの影よりも、再会の意志の方が濃かった。


「先生……」


ズンが立ち止まり、美波にまっすぐ顔を向ける。


「また、必ず日本に来ます。次は、コメワンで優勝します。」


その言葉には、澄んだ力が宿っていた。

過去を悔いるのでも、今に縛られるのでもなく、真っ直ぐに未来を見据える声だった。


美波は何も言えなかった。ただ、うなずいた。

だがズンは、もうひとつ、リュックから何かを取り出した。


「それと……先生に、渡したいものがあります。」


それは丁寧に包まれた、小さな布包みだった。

新書ほどのサイズ。紐をほどき、布をそっと広げてズンが見せた瞬間――


立花美波の「時」が止まった。


それは、彼女自身の肖像だった。


けれど、ただの似顔絵ではない。ベトナム伝統の“米粒アート”で、一粒一粒、丹念に色分けされ、並べられ、重ねられて、彼女の表情が浮かび上がっていた。

挿絵(By みてみん)


やさしく微笑むその顔は、美波自身が忘れていた「誰かを信じて寄り添う者」の顔だった。

胸が締め付けられる。呼吸が浅くなる。言葉が出ない。

ただ、とめどなく、涙だけが溢れた。


「国に帰ったあと……少し時間ができて。ベトナムで、母といっしょに作りました。先生の顔を思い出しながら。」


ズンの言葉が、耳の奥にやわらかく沁みた。


美波は、震える手でその米粒アートを包み込むように受け取った。

壊してしまわないように、砕けてしまわないように、そっと、そっと。

そしてそのまま、胸に強く、抱きしめた。


何も考えられなかった。

この数年の出来事、声にならなかった怒りや悲しみ、悔しさ、無力感、そして今の幸福。

それらがすべて、波のように押し寄せて、彼女を包み込んでいた。


彼女の心の中に、ふと、一つの思いが浮かんだ。


(――お母さん……この世に私を生んでくれて、ありがとうございます。)


それは、感謝の言葉であり、祈りでもあった。

目の前の青年に、自分の存在が役に立てたこと。

ただの制度や仕組みではなく、人と人が出会い、信じ合ったこと。

それを「形」にして返してくれた、ひとつの奇跡のような贈り物。


立花美波は、ズンの小さな肩を見つめた。


「また会いましょう、ズンさん。今度は、優勝できるよう願っています、戻ってきてね。」


「はい、先生。」


ズンは、まっすぐ深く一礼し、その背を向けた。

バスのドアが閉まり、ゆっくりと走り出す。

窓越しに、小さく手を振る姿が見えた。


彼の中の希望は、日本という国の矛盾を越えて、確かに続いていた。

そして美波の中にもまた、「救えなかった誰か」を想いながらも、「もう一度信じたい」と思える心が息を吹き返していた。


この世には、救えないものもある。

でも、人のぬくもりが、その手で救った事実は、永遠に残る。


今、美波の胸には、それがしっかりと抱かれていた。


ーーエピローグーー

ズンからもらった米粒アートは、飯田橋行政書士事務所の立花美波の机に飾られている。

仕事の励みになるの勿論だが、そこには、ひとつ、美波の記憶にはなかった“違和”があった。


それは彼女が着たことのない服――アオザイだった。


流れるような曲線、繊細な刺繍、首元まで包む上品なライン。そのベトナムの伝統衣装を身にまとった“米の肖像の美波”は、まるでズンの中で“帰る場所”の象徴のように描かれていた。


この肖像を受け取った時の記憶はまだ鮮明に残っている。


「……この服……」

美波が呟くと、ズンは静かに頷いた。


「これは、先生が知らない“先生”です。僕のなかにある――僕たちの家族の中にいる先生です。」


美波の喉が詰まった。


「国に帰ったあと、母と一緒に作りました。僕が苦しいとき、悲しいとき、誰が助けてくれたかを母に話したんです。そしたら母が言いました――“その人はもう私たちの家族だね”って。」


米粒の一つ一つは、ただ並べられていたのではなかった。

そこには、ズンの母の想いも込められていた。


アオザイ姿の立花美波は、もう“他人の先生”ではなかった。

ズンと、ズンの家族のなかで、いつしか“守ってくれる人”、“心の支え”となっていた。


美波は、その小さな肖像を、震える手で包み込むように受け取った。

胸が痛いほど、熱かった。涙が溢れた。

それは、自分のためというよりも――その愛情と信頼の重みに、圧倒されたからだった。


「……先生は、私たちにとって、ただの支援者じゃありません。

……あなたは、家族です。」


ズンの言葉は、静かに、しかし確かに胸に響いた。


何かを“してあげた”わけではない。

ただ、彼の尊厳を守りたかった。踏みにじられたまま、帰らせたくなかった。

それだけだったのに――それが“家族”になることだったのだと、美波は初めて気づいた。


「……ありがとう、ズンさん……。一生、大切にします。

これが私の、家族のしるしだから。」


彼女は肖像を強く胸に抱きしめた。

そこには、遠い国でのつながり、二人の信頼、言葉にならない感謝と祈り――

すべてが、詰まっていた。


ところでその日、田中オフィスの行政書士ラヴィ・シャルマは、立花美波のデスクを訪ねてきていた。新しい在留資格手続きの相談――しかし、いつもの業務話は一旦置いておいて、彼はふと机の端に目を留めた。


「……ややっ!」


彼が声をあげる。


「これは……立花先生じゃないですか?」


木製の小さな写真立てに収まっていたのは、色鮮やかなアオザイを着て、優しく微笑む女性――まさに立花美波本人の姿だった。


だが、よく見るとそれはただの写真ではなかった。

米粒で丁寧に構成された、独特の温かみと手作業の精緻さがにじむ“米粒アート”だった。


立花美波は照れたように笑って言った。


「家族の写真、ラヴィさんも持ってるでしょ?」


すると、ラヴィは「もちろんですよ!」と即答しながら、さっとスマホを取り出す。

挿絵(By みてみん)

ロック画面に映ったのは、小さなアヌシュカを囲むようにして、右にアバス、左にアビシェク、後方に家族を包むように立つ、ラヴィと奥さんのイヴリンの姿だった。笑顔の中に、異国で築いた家族の強さが滲んでいる。


「待ち受けにしていますよ、毎日。うちの娘は、最近“お父さん、また日本語間違ってる”って笑うんですけどね。」


ふたりはくすっと笑い合った。


しばらくして、美波が少しだけ目を細め、写真立てを見つめながら言った。


「私は……これを作ってくれた人が、また日本に来てくれるのを楽しみに待っているんですよ。」


ラヴィは写真のアオザイ姿の“美波”を見て、なるほどと頷いた。


「ズンくん、ですね。」


「ええ。あの子はもう、私の中では家族なんです。」


米の粒一つ一つに込められた想い。異国の地で、助けたつもりが、助けられていた自分。

あの日の空港、あの涙、あの言葉。


「きっと戻ってきますよ。強い子ですから。」


「そうですね。……次は、もっと胸を張って迎えたいです。」


ラヴィは穏やかに頷いた。

異なる国籍、異なる文化。それでも心を通わせた人たちを“家族”と呼ぶことができる日本でありたい――その願いが、写真立ての中の微笑みに静かに宿っていた。

ーー続くーー

本編は、「第三十七話、行政書士 立花美波の日常」の続きでもあります。

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