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田中オフィス  作者: 和子
32/90

第三十話、竹中顧問、静かな夜の分析

ーー親睦会の後ーー

夜11時、竹中駿也教授は自宅マンションに帰り着いた。今日の田中オフィスでの講習の余韻が残る中、彼が最初に取り掛かったのは、受講者から提出されたアンケートの整理だった。田中オフィスから貸与されたノートPCは、彼がかつて教鞭をとっていた大学の旧式サーバーやネット環境とはまるで違い、起動は驚くほど速く、その快適さに竹中教授は思わず唸った。


「半田くん、良い調整をしているな」


彼はノートPCの画面に目を落としながら、そう呟いた。田中社長を始めとする面々が既に共有シートに記入済みのアンケートをまとめにかかる。サクサクと動く環境のおかげで、資料の取りまとめに手間取ることはなかった。


「こりゃ12時くらいに眠れそうだ」


竹中教授はそう独りごちると、軽快な指さばきでデータのまとめ作業を開始した。


ーー各個人の意見・回答の概要ーー

原典は表形式です

[項目] 項番 名前 役職 主なテーマ 意見・回答の概要

1・田中社長代表取締役社長田中オフィスの現状と課題地域密着型サービスが強み。IT投資を進めつつ、仕組みの整備が課題。SNSを活用したマーケティングやデータ活用が可能性を広げる鍵。

2・藤島光子専務専務(元銀行員)データ活用と経営の効率化データ活用が不十分で、経営判断やマーケティングへの統合が必要。IT導入後の運用支援やトレーニングが課題。トップダウンとボトムアップのアプローチを提唱。

3・橋本和馬営業担当部長信頼関係構築とIT活用顧客管理システムを使った信頼関係の強化を重視。過去のE不動産の引き抜き事件では情報収集力と戦略分析が成功要因に。営業活動を効率化しつつ質の高い提案を目指す。

4・佐々木恵バックオフィス担当業務効率化とIT導入経理・総務の効率化が課題。IT導入による負担軽減が期待されるが、社員の適応期間が必要。具体的な支援や運用設計を求めている。

5・半田直樹ソフト開発支援担当統合システム導入とチームの理解促進Integrate Sphere導入プロジェクト主任を担当。非技術職メンバーへの理解促進が課題。実践して学ぶ姿勢を活かし、チームとの信頼構築を目指す。

6・奥田珠実営業・事務・電話番担当多方面での挑戦とITスキル向上田中オフィスでの幅広い業務を担当。ITパスポートの取得を活かしてさらなるスキル向上を目指す。SNS活用や行動経済学に興味を持ち、お客さんへの提案力向上を希望。

7・稲田美穂若手司法書士試験合格者実務の成長と信頼構築実務経験は浅いが、冷静な対応と信頼積み上げを心がける。E不動産とのやり取りで法的正確さを保ちながら柔軟な対応を模索中。

8・島原真奈美契約社員・元介護士職場環境改善と過去の経験の活用以前の介護士としての経験を活かし、職場環境改善の提案を行う。スタッフ間の意見交換や負担均等化が具体的な改善案として成果を上げている。

9・伊原隆志事務員・行政書士試験合格者地域企業との信頼構築と法務スキルの活用実務経験がないため学びの多い日々。法務スキルを活かしつつ、地域企業との信頼構築を目指している。介護と家庭との両立を重視。ファルコンのジャックと例えられたことも嬉しく受け止めている(笑)。


竹中教授は、次々と資料を開いてはコメントを書き込み、フィードバックを与えると同時に、浮かび上がった課題をToDoリストへと展開していった。まず手をつけるべき項目を明確にし、それを対処することで新たなToDoを生み出す。この繰り返しこそが、仕事の方向性と進捗を可視化する彼の流儀だった。


一般的なビジネスマンは、カレンダーに設定された期限に向かって仕事を進めるのが常だろう。だが、竹中教授は違った。


「だが、オレはこうだ」


半期末までに何億円の契約を取るといった、具体的な数字を掲げるやり方ではない。「状況は日々刻々と変化していくのだ」という彼の信念に基づき、田中社長に提案したのは、いつまでに何件、いくらといった画一的なノルマではなく、「新しいビジネスを創造する」という漠然とした目標だった。コンプライアンスを遵守しつつ、各々がベクトルに合ったやり方でToDoを積み重ね、創造性を発揮していく。社長はその進捗をチェックし、もし手詰まりになるようであれば、早めに方向性を示す。


「今期は今のやり方で、10件10億の契約ができればええで(あと、登記料や代理店手数料も細かく、な)。新サービスはみんなで相談して来期立ち上げようや」


田中社長の言葉は、まさに竹中教授の意図を汲んだものだった。各自がノルマ達成のみに集中すれば、無理なセールスに走ったり、最悪の場合、大きなビジネスチャンスを潰してしまうことになりかねない。


「イノベーションを阻害する要因はすべて排除する。全員一丸となって突撃するのは、最近では戦場でもやらない作戦だ」


竹中教授の言葉には、旧態依然としたビジネスモデルへの明確な警鐘が込められていた。彼は、田中オフィスを、個々の創造性が自由に発揮される、新たなビジネスの開拓拠点に変えようとしていた。


ーー分析は進むーー

パソコンに広げられた整理用のカードデータ。そこに記された声の数々は、田中オフィスという組織の「鼓動」そのものだった。竹中教授は、それぞれの言葉に丹念にコメントを加えていく。


田中社長:土に足をつけたまま空を見上げる戦略家

田中社長のコメントには、「SNSをどう活かすか、まだ模索中でしてね」と笑いながら語る裏に、鋭い戦略眼が光っていた。地域密着型という揺るぎない基盤を大切にしつつも、時代の波に柔軟に対応しようとする姿勢。その両輪の舵取りに、竹中教授は経営者としての並々ならぬ覚悟を見た。

「この人は、土に足をつけたまま空を見ている」


藤島光子専務:数字の裏に“人の動き”を見る航海士

藤島光子専務の言葉には、一言一言に重みがあった。長年の銀行員としての経験に裏打ちされた、経営数字を語る確かな視点。

「データ活用は数字の話ではなく、未来の話です」

そう語る姿は、まさに未来へと組織を導く航海士のようだった。

「この人は、数字の裏側に“人の動き”を見ている」


橋本和馬部長:信頼を武器に戦う営業の開拓者

橋本和馬部長が語るE不動産との経験は、単なる武勇伝ではなく、貴重な“教訓”として響いた。

「情報を握る者が強いのではない、情報を活かす者が強いんです」

その言葉に、竹中教授は静かに頷いた。営業という戦場で、彼は信頼という最も強固な武器を手に挑んでいる。

「この人は、営業という戦場において、信頼という武器で挑んでいる」


佐々木恵:誇り高き“社内の背骨”

佐々木恵さんの静かな口調の中には、「私はこの仕事が好きなんです」という誇りが溢れていた。業務のどこに無駄があり、どこに人の温かさが必要かを直感的に捉える力。まさに、田中オフィスの「社内の背骨」と呼ぶにふさわしい存在だった。

「この人は、裏方であることに誇りを持つ、最前線の守護者だ」


半田直樹:技術を超え、信頼を築く人

竹中ゼミ出身ということもあり、半田直樹の言葉には懐かしさすらあった。

「分からないことは、分かるまでやる。それが信頼につながるんですよね」

彼の真摯な姿勢は、単なる技術力だけでなく、“人との距離の詰め方”にこそ表れていた。

「この人は、技術者である前に、信頼構築者であろうとしている」


奥田珠実:働くこと自体がワクワクの連続

「行動経済学って面白いですね!」と目を輝かせて語る奥田珠実の姿は、まさに伸びゆく若木のようだった。電話対応も雑務も、そしてSNS運用も、すべてが彼女にとっての“成長の素材”になっている。

「この人は、働くこと自体がワクワクの連続なのだろう」


稲田美穂:着実に階段を上る若き専門職

若さと真面目さ、そして冷静さを併せ持つ稲田美穂の中には、静かな闘志が宿っていた。圧力をかけてくる相手にも一切怯まずに向き合おうとする姿に、竹中教授は深く感銘を受けた。彼女は、信頼される専門職として、着実に階段を上っている。

「この人は、信頼される専門職として、着実に階段を上っている」


島原真奈美:職場の“呼吸”を整える感性の持ち主

島原真奈美の「介護ってね、命を預かる仕事でしょ?だから…この職場でも、空気の重さにはすごく敏感なんです」という言葉が、竹中教授の脳裏に焼き付いていた。誰かの声を“拾う”感性こそが、彼女の本当の強みだった。

「この人は、職場という共同体の“呼吸”を整えようとしている」


伊原隆志:まだ気づかぬヒーローの卵

一歩一歩、地に足をつけて進む伊原隆志の姿には、慎重さと情熱が共存していた。「まだまだですが、少しでも誰かの支えになれれば」そう言って照れた笑顔を浮かべたとき、竹中教授の脳裏には“ファルコンのジャック”という言葉がふと浮かんだ。

「この人は、自分がヒーローであることにまだ気づいていない」


カードデータに記されたそれぞれの「鼓動」に触れ、竹中教授は田中オフィスの未来への確かな手応えを感じていた。彼らの持つ多様な才能と情熱が、これからどのような「創造」を生み出すのか。竹中教授は静かに期待を膨らませた。


ーー教授の奇妙な魅力:田中オフィスが語る「ここだけの話」ーー

竹中駿也顧問が田中オフィスに加わって数週間。彼のユーモアと、時に奇抜ともとれる言動は、すでにオフィスに独特の空気を生み出していた。アンケートには記されない、彼ら一人ひとりの正直な気持ちは、時に困惑、時に感心、そして時に苦笑いという形で胸中に渦巻いていた。これは、田中オフィスのメンバーが竹中顧問に対して抱く、「ここだけの話」である。


田中社長:革新と現実の狭間で

「竹中顧問の独特なユーモア、時々周囲に誤解を与えることがあるんですよね」と、田中社長は苦笑する。革新的すぎる彼の提案は、時に現実離れしていると感じることもあるが、それをどう切り出すべきか、社長は常に頭を悩ませていた。新しい風は必要だが、その風が強すぎると、既存の秩序が乱れる可能性もある。そのバランスを見極めるのが、社長の腕の見せ所だった。


藤島光子専務:データと直感のすれ違い

元銀行員である藤島専務は、竹中顧問の直感的な発言に正直、ついていけない時があった。「理論やデータに基づかない、いきなりの発言は…」と、言葉を選ぶ。さらに彼女を困惑させるのは、行き過ぎた昭和アニオタ話だ。「正直どうリアクションしていいか困るんですよ(笑)」と、肩をすくめた。データという羅針盤を持つ彼女にとって、竹中顧問の自由すぎる発想は、時に航路を見失わせる嵐のように感じられるのかもしれない。


橋本和馬部長:営業現場のシンプルな解答

営業担当部長の橋本は、竹中顧問がアニメの例えを話し始めると、「営業には関係ないし…」と心の中でつぶやくことがあった。現場が求めているのは、もっとシンプルで具体的な解答だ。しかし、竹中顧問からは時に回りくどい、哲学的な言葉が返ってくる。「もどかしい時もありますね」と、彼は率直な気持ちを漏らした。


佐々木恵:高度すぎるジョークと簡潔さへの渇望

バックオフィス担当の佐々木恵は、竹中顧問のジョークが高度すぎると感じていた。「ウチには難しいときがあるんですよ!」と声を上げる。「苦手な話を長々されると、正直どこで突っ込んだらええか分からんし、頼むからもうちょい簡潔にしてほしい!」彼女の切実な願いは、日々の業務効率を何よりも重視する彼女らしいものだった。


半田直樹:勢いに飲まれる若き技術者

竹中ゼミ出身の半田直樹は、顧問の勢いに飲まれてしまうことがあった。無理に話を合わせることもあり、昭和アニメに疎い自分がどこまで話題を広げるべきか、悩む場面も少なくない。「(笑)…ついていくのがやっと、という時もありますね」と、彼は苦笑した。


奥田珠実:ピンと来ないアニメジョーク

営業・事務・電話番と多岐にわたる業務を担当する奥田珠実も、竹中顧問のジョークが時々ピンと来ないことがあった。特にアニメの話題は全く分からない時もあり、「え、何の話?」と心の中で突っ込む。「でも悪気がないのは分かってます!」と、彼女は付け加えた。その純粋な好奇心が、困惑を乗り越える原動力となっていた。


稲田美穂:真面目さとユーモアのギャップ

若手司法書士の稲田美穂は、「『白鷺のジェーン』なんて例えられたときは本当にどう返せばいいか困った…」と、その時の状況を思い出しながら眉を下げた。真面目な話をしているときに、急にユーモアを挟まれると、そのギャップに戸惑いを隠せない。しかし、彼女の真面目さこそが、竹中顧問の言葉を真摯に受け止めようとする姿勢に繋がっていた。


島原真奈美:現場と乖離する突拍子もない発想

契約社員で元介護士の島原真奈美は、竹中顧問の突拍子もない発想に度々驚かされていた。「現場の現実とは少し離れたアイデアが多くて、どう落とし込むべきか悩む場面も」と、彼女は正直に打ち明ける。しかし、「でも正直、嫌いではない」という言葉に、彼女の寛容さと、竹中顧問への不思議な魅力を感じていることが窺えた。


伊原隆志:困惑と感心の狭間で

事務員で行政書士試験合格者の伊原隆志は、竹中顧問のアニメの話は楽しいと感じる一方で、全部が全部理解できるわけではないことにプレッシャーを感じていた。「そこに共感を求められると…」と、少しばかり困惑気味だ。しかし、彼の言葉にはユニークな発想に対する感嘆も含まれている。「困りつつも感心している自分もいるんです」その素直な言葉に、竹中顧問の個性を受け入れようとする彼の努力が見て取れた。


彼らの正直な声は、竹中顧問という存在が、田中オフィスに確実に新しい風を吹き込んでいる証拠でもあった。時に戸惑い、時に苦笑しながらも、彼らは皆、この「奇人変人」な顧問から何かを掴もうとしていた。


「と、いったところか……」


ホテルの一室で、楠木匡介はベッドに横たわりながら手帳を眺めていた。今日一日、田中オフィスで繰り広げられた竹中教授の講習は、彼にとってあくまで副次的なものに過ぎない。彼の真の目的は、元大学教授の「ご高説」を拝聴することではなかった。


講習の合間、そして終わり際。楠木は田中オフィスのメンバー一人ひとりに、彼なりの「竹中顧問ってどう?」というインタビューを敢行していたのだ。彼らの率直な言葉は、手帳にびっしりと書き込まれている。それぞれの困惑、戸惑い、そして微かな期待。それらを読み解きながら、楠木は竹中顧問の力量、そして田中オフィスメンバーの秘めたる進化を見定めていた。


彼の脳裏には、ある予測が浮かび上がっていた。


「竹中顧問が水野さんと組んだら……もう、手がつけられなくなるな。コード:レッドだ……」


楠木はそう呟くと、ゆっくりと手帳を閉じた。その表情には、奇妙な高揚感が浮かんでいた。それは、予測不能な化学反応への畏れと、それを自らの目で確認できることへの喜びが入り混じった、複雑な感情だった。

ーー続くーー








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