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田中オフィス  作者: 和子
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第二十六話、東京出張所活動開始!

ーー夢の階段を登る、六本木ヒルズの下でーー

六本木ヒルズタワーを見上げるオフィス街の一角。その一棟のオフィスビルの17階に、「田中オフィス東京事務所」の看板が控えめに掲げられている。扉を開けると、モダンで機能的な空間が広がる。真新しいデスク、整然と並べられたOA機器。約1年前に水野幸一が特命を受け、ゼロから立ち上げたこの場所は、すでに活気に満ち始めていた。


「皆さん、今日の進捗はどうですか?」

冷静な声が響く。水野は、いつものように落ち着いた様子で、集まったメンバーに目を配った。


インド出身のラヴィ・シャルマ(40歳)は、物静かながらも知的な雰囲気を漂わせる。元VシステムSEという経歴を持ち、日本語も堪能だ。「水野さん、昨日の契約書のデータ移行は完了しました。セキュリティ面も問題ありません。」


続いて、倉持渉(27歳)が明るい声で報告する。「はい、こちらもデータベースの構築、ほぼ終わりました。法務の専門用語、なかなか手強いですけど、面白いですね!」彼は、持ち前の探求心で新しい分野に積極的に挑んでいる。


最年少の佐藤美咲(22歳)は、少し緊張した面持ちで答えた。「あの、先日ご指示いただいた判例の検索、リストアップしました。まだ自信がない部分もありますが、頑張ります!」初々しさの中に、秘めたる真面目さが垣間見える。


ラヴィ、倉持、佐藤。彼らは皆、水野がかつて仕事で関わったVシステムのSEだった。ITのスキルは申し分ない。水野は、彼らのポテンシャルを見抜き、田中オフィスの新たな戦力として引き抜いたのだ。法務の知識はこれからだが、その吸収力と論理的な思考力に水野は期待を寄せている。


「皆さん、ありがとうございます。新しい分野への挑戦ですから、戸惑うこともあると思いますが、心配はいりません。私も全力でサポートします。東京事務所は、田中オフィスの未来を切り拓くための重要な拠点です。共に成長していきましょう。」


水野の言葉には、冷静さの中に熱い想いが込められている。大阪本社から離れ、単身で東京に乗り込んできた彼の背には、田中社長の期待と、事業拡大への強い意志が託されているのだ。

六本木という日本のビジネスの中心地で、ITの知識と法務への挑戦を胸に、水野と彼のチームは新たな一歩を踏み出す。integrate sphereという強力な基盤を得た田中オフィスは、東京という新たな舞台で、どのような成長を見せるのだろうか。その挑戦が今、始まったばかりだ。


ーー黒字化への決意ーー

六本木の喧騒の中、水野幸一は今日も顧客開拓に奔走していた。頼みの綱は、東京で数少ない人脈となったQ-pullの上田社長とU警備システムの楠木だ。彼らの紹介は貴重な機会となり、水野は一つ一つの出会いを大切に、丁寧に自社のサービスを説明して回った。


人手が増えたことで、わずかながら業務に余裕が生まれた。その時間を利用して、水野は相続登記といった比較的小規模な案件も積極的に引き受けた。東京でオフィスを維持するには、想像以上の経費がかかる。家賃、人件費、光熱費……その額は大阪の比ではない。


「まあ、5年ぐらいで黒字になればええやろ」

先日、電話で田中社長はそう言ってくれた。その言葉には、いつもの鷹揚とした雰囲気が漂っていたが、水野の心は穏やかではなかった。彼は、東京事務所の黒字化を1年以内と 厳格な目標を立てている。

「5年も赤字が続くなら、迷わず撤退すべきだ」と考えていた。3人の社員を抱え、彼らの生活も背負っている。収益化できなければ、この拠点を構えた意味がない。


顧客紹介だけに頼っていては、目標達成は難しい。水野は、かねてより温めていた計画を実行に移すことにした。それは、東京という大都市の潜在的なニーズに応える、新たなサービス展開だった。

「ラヴィさん、倉持さん、佐藤さん。少し時間をいただけますか。」


ある日の夕方、水野は3人を執務スペースに集めた。いつもの冷静な口調ながら、その表情には決意が滲んでいる。

「皆さんも感じていると思いますが、東京での事務所運営は決して楽ではありません。しかし、この状況を打開し、目標を達成するためには、これまでとは違うアプローチが必要です。」


水野は、ホワイトボードにいくつかのキーワードを書き出した。「IT×法務」「中小企業」「顧問契約」「セキュリティ対策」「DX支援」。


「私たちの強みは、皆さんのITスキルと、私の法務の知識が融合できる点です。東京には、IT化やDXデジタルトランスフォーメーションに課題を抱える中小企業が多く存在します。私たちは、単なる法務サービスを提供するだけでなく、ITの側面からも彼らをサポートできる。ここに、私たちの活路があると考えます。」


水野は、具体的な提案を始めた。中小企業向けの顧問契約を軸に、契約書の作成・管理のデジタル化支援、情報漏洩対策、業務効率化のためのITツール導入コンサルティングなどをパッケージで提供する。彼らのITスキルを活かし、既存の法務サービスに付加価値をつけるのだ。


「ラヴィさんには、セキュリティ対策のコンサルティングを。倉持さんには、ITツール導入のサポートを。佐藤さんには、顧客管理システムの構築をお願いしたい。もちろん、私も法務の専門家として全面的に協力します。」


3人の目は真剣だった。ITの知識はあっても、法務の現場経験はまだ浅い。しかし、水野の言葉には、彼らの眠っていた能力を引き出すような力があった。

「水野さん、面白そうですね!僕たちにできることがあれば、何でもやります!」倉持が率先して声を上げた。


ラヴィも静かに頷いた。「私も、セキュリティの知識を活かして貢献できるなら、喜んで協力します。」


佐藤は、少し不安そうな表情を見せながらも、しっかりと頷いた。「頑張ります!少しでも早く、皆さんの役に立てるように。」


水野は、3人の決意のこもった眼差しをしっかりと受け止めた。「ありがとうございます。ここからが正念場です。私たちの強みを最大限に活かし、東京の顧客に必要とされる存在になりましょう。必ず、1年で黒字化を達成します。」


静かなオフィスに、新たな目標に向かう確かな決意が満ちていた。水野と3人の元SEたちは、ITと法務の融合という新たな武器を手に、東京のビジネスシーンに挑んでいく。彼らの挑戦が、田中オフィスの未来を大きく左右することになるだろう。


ーー

「さて」と水野は言葉を続ける。「先ほどお話したのは、あくまで私たちが目指す方向性、羅針盤のようなものです。これから、その指針に基づいた具体的な航海図を描いていきましょう。」

水野は、ホワイトボードに大きく「convenience」と書き込んだ。その文字の横に、漢字で「罠」という言葉を書き加えた。

「もちろん、『利便性』は強力な武器になりますが、同時に注意すべき点もあります。」

水野はこの二つの言葉を指さした。


「『利便性』は、私たちを成長させるための推進力となります。しかし、その追求には常に『罠』が潜んでいることを忘れてはなりません。安易な安売り、脆弱なセキュリティ、非効率な行動、そして質の低下。これらの罠に陥らないよう、常に意識し、バランスを取りながら進んでいく必要があります。」


水野の言葉は、単なる注意喚起ではなく、東京事務所のメンバーが共有すべき重要な価値観を示していた。利便性という魅力的な言葉の裏に潜む危険性を認識することで、彼らはより慎重に、そして質の高いサービスを提供するための意識を高めることができる。


「具体的なプランを実行に移す際には、常にこの『convenienceの罠』を念頭に置いてください。私たちは、安易な便利さを売るのではなく、専門性とITスキルに裏打ちされた、真の利便性を提供することで、顧客の信頼を獲得し、東京での確固たる地位を築き上げていきましょう。」


水野の言葉には、冷静さの中に、東京事務所の未来に対する強い覚悟が込められていた。彼らは、魅力的な「利便性」という武器を手にしながらも、その裏に潜む「罠」をしっかりと見据え、慎重かつ着実に、東京のビジネスシーンでの新たな挑戦を進めていく。


ーー倫理と効率の境界線、真の利便性とはーー

「皆さんはこれをどう感じますか?」という水野さんの問いに、3人がそれぞれ述べます。


水野は、手にした日本経済新聞の記事を3人の前にそっと置いた。日付は2024年11月28日。「キーボックス無断設置疑い」という見出しが大きく目に飛び込んでくる。


「この記事、皆さんはどう感じますか?」

水野の問いかけに、3人は記事に目を通し始めた。


最初に口を開いたのは、倉持だった。「うーん、業界の慣例っていうのは、必ずしも法的に許されるわけじゃないですよね。マンションの共用部分って、住民全体のものですし、勝手に設置するのは問題があると思います。内覧がスムーズになるのはメリットかもしれないけど、手続きを無視するのは違うんじゃないかな。」


続いて、佐藤が少し戸惑った表情で言った。「私も倉持さんの意見に近いです。もし自分の住んでいるマンションで、知らない業者が勝手にキーボックスを設置していたら、ちょっと不安になります。鍵の管理とか、セキュリティ面も心配ですよね。慣例だからって、何でも許されるわけではないと思います。」


最後に、ラヴィが冷静な口調で意見を述べた。発言が長くなるとき、彼はまず英語で考えを形作り、次に適切な日本語に直す、ということをするのだ。

「From a legal standpoint, unauthorized installation on common property is likely a violation of propertyーrights. The convenience for the real estate agent does not necessarily outweigh the rights of the property owners. While industry practices exist, they must be within legal boundaries. The management company representative's statement about it being 'industry convention' does not legitimize an illegal act." =>法的な観点からすると、共有部分への無断設置は、おそらく財産権の侵害にあたるでしょう。不動産業者の利便性は、必ずしも物件所有者の権利を上回るものではありません。業界の慣例は存在するかもしれませんが、それは法的な範囲内であるべきです。管理会社の代表が『業界の慣例』と言っていることは、違法行為を正当化するものではありません。」


3人の意見を聞き終えた水野は、静かに頷いた。「皆さん、的確な意見ありがとうございます。おっしゃる通り、業界の慣例という言葉は、時に免罪符のように使われがちですが、それが法に触れる行為を正当化するものではありません。」


水野は、記事の「キーボックスを設置するのは、業界の慣例となっている。」という一文を指さした。「この管理会社代表の言葉は、ある意味で業界の体質を表しているのかもしれません。効率化や利便性を追求するあまり、法的な手続きや住民への配慮が欠けてしまう。これは、私たちが目指す『利便性』とは全く異なるものです。」


「私たちの提供するサービスは、常に法的な根拠に基づいている必要があります。そして、顧客の利便性を追求する際にも、関係者の権利や安全性を十分に考慮しなければなりません。今回の記事は、私たちにとって他山の石とすべきでしょう。慣例という言葉に安易に流されることなく、常に法律の専門家としての視点と倫理観を持って業務に取り組むことの重要性を再認識させてくれます。」


水野の言葉は、3人の心に深く響いた。ITという新しい武器を手にした彼らだが、法務の専門家としての基本的な姿勢、すなわち法令遵守の精神と倫理観を忘れてはならない。今回の記事は、その重要な教訓を改めて示唆していた。


ーーとびらんぬ――東京事務所の切り札ーー

「そこで、皆さん」と水野は少し声を弾ませた。「我々田中オフィスと、Q-pull、そしてU警備で共同開発、共同販売を進めている『とびらんぬ』を活用します。」


水野は、モニターに「とびらんぬ」のイメージ図を映し出した。それは、既存のドアに後付けできる、コンパクトなバーコードリーダーのような装置だった。


「『とびらんぬ』は、既存のドアに簡単に設置できるバーコード開錠・施錠システムです。最大の特徴は、そのセキュリティと利便性の高さにあります。」


水野は、その仕組みを説明し始めた。「管理者は自身の端末から専用のアプリを操作し、内覧したいマンションの棟と室番号を入力します。すると、『とびらんぬ』が設置されたドアに対応する、一日限り有効なバーコードが表示されるのです。顧客を伴って内覧に訪れた管理者は、自身のスマホに表示されたバーコードを『とびらんぬ』にかざすだけで、鍵を開けることができます。」


「未入居の部屋には、物理的な鍵は開けたままにして、『とびらんぬ』を設置します。これにより、鍵の紛失リスクをなくし、内覧時の鍵の受け渡しという煩雑な手間を完全に解消することができます。」


水野は、先日の新聞記事を再び示しながら言った。「先日問題になったキーボックスの無断設置とは異なり、『とびらんぬ』はマンションの共用部分に恒久的な管理箱などを設置をする必要はありません。ドアに簡易的に取り付けるだけで、工事もほとんど不要です。また、バーコードは一日限り有効であり、入室履歴も記録されるため、セキュリティ面でも格段に優れています。」


「この『とびらんぬ』のシステムを、マンション管理を手がけている不動産業者に売り込むのです。彼らは、内覧営業のスムーズ化、鍵管理のコスト削減、そしてセキュリティ強化という、まさに私たちが提供できる価値を求めているはずです。」


水野の言葉に、ラヴィ、倉持、佐藤の3人は目を輝かせた。ITの知識を持つ彼らにとって、「とびらんぬ」の仕組みは理解しやすく、その可能性を感じさせるものだった。


「これは、まさに私たちの強みを活かせるサービスですね!」倉持が興奮気味に言った。「ITの便利さと、法的な安全性を両立できる。」


佐藤も頷いた。「鍵の受け渡しって、結構手間がかかるって聞きます。それがスマホ一つでできるなら、すごく便利だと思います。」


ラヴィは、技術的な視点から質問した。「バーコードの生成と認証のシステムは、十分に堅牢ですか?不正なアクセスを防ぐ仕組みはどのようになっていますか?」


水野は、満足そうに答えた。「もちろん、その点はQ-pullとU警備の専門家が徹底的に検証しています。バーコードはランダムに生成され、暗号化されており、有効期限が過ぎれば無効になります。入室履歴もサーバーに記録され、不正なアクセスを監視する体制も整っています。」


「『とびらんぬ』は、単なる利便性の提供に留まりません。それは、セキュリティと効率性を両立させ、不動産業界の慣習に新たな選択肢を提示する、革新的なソリューションです。私たちは、このサービスを通じて、東京の不動産業界に新たな価値を提供し、東京事務所の収益化を加速させます。」


水野の言葉には、自信と期待が満ち溢れていた。「convenienceの罠」を避けながら、真の利便性を提供できる「とびらんぬ」は、東京事務所にとって、大きな飛躍の鍵となる可能性を秘めていた。


ーー京都本社との架け橋ーー

「実はですね」と水野は、少し含みのある笑みを浮かべながら続けた。「現行の『とびらんぬQ3』は、多機能なのは良いのですが、不動産業者のニーズからすると、少し機能が過剰な面もあるんです。そこで、京都本社の半田さんに、より簡易で、かつ堅牢な『とびらんぬ・ポータブル(仮)』というコンセプトで、試作品の開発を依頼してあるんですよ。」


水野は、3人の期待に満ちた顔を見渡した。「そして、近いうちに、その試作品を持って、半田さんと、なんと奥田さんが東京に来る予定なんです。」


その言葉を聞いた瞬間、佐藤美咲の顔がパッと明るくなった。「えっ!奥田さんに会えるんですか!」と、まるで子供のように小躍りした。


水野は、その様子を見て微笑みながら言った。「ええ、出張はたまちゃん、たっての希望だそうですよ。」


なにやら嬉しそうな佐藤さんの様子に、ラヴィと倉持は顔を見合わせ、首を傾げながらも微笑んでいる。東京事務所はまだ始まったばかりであり、本社との交流は少なかったので、数少ない既知の仲間に会えるのは、皆にとって嬉しいことなのだろう。特に、明るく元気な奥田珠実の存在は、東京事務所の少し張り詰めた空気を和ませてくれるかもしれない。


「半田さんの技術力と、たまちゃんの行動力があれば、『とびらんぬ・ポータブル』はきっと素晴らしいものになるでしょう。今回の来訪は、試作品の確認だけでなく、東京の不動産業者のニーズを直接ヒアリングする良い機会にもなります。皆さんも、積極的に意見やアイデアを出してください。」


水野は、改めて3人に期待を込めた。「『とびらんぬ』プロジェクトは、東京事務所の成否を握る重要な鍵です。本社との連携を密にし、必ず成功させましょう。」


佐藤美咲の心躍る様子は、東京事務所に久しぶりの明るい話題をもたらした。半田直樹の技術と奥田珠実の元気、そして水野の冷静な戦略が組み合わさり、「とびらんぬ・ポータブル」が東京の不動産業界に新たな風を吹き込む日は、そう遠くないかもしれない。


「『とびらんぬ』の導入について、さらに具体的な運用方法を考えましょう」と水野は、3人に提案した。「全戸に設置する必要はありません。販売のために内覧が必要な、空き物件に限定して設置するのです。」


「そして、重要なのは、一度設置して終わりではないということです。その物件が売れれば、不動産業者はその『とびらんぬ』を取り外し、別の販売物件に再設置することができます。つまり、使い捨てではなく、繰り返し利用できる備品という位置づけになります。」


水野は、さらに続けた。「そこで、不動産業者には、ある程度の数を備品として購入していただくことをお勧めします。初期投資は必要になりますが、長期的に見れば、鍵の管理コストや内覧の手間を大幅に削減できるため、十分にメリットがあるはずです。」


「さらに、購入という形だけでなく、月極でのレンタルというプランも用意しましょう。初期費用を抑えたいというニーズに応えることができますし、まずは試験的に導入してみたいという業者にもアプローチしやすくなります。」


水野の提案に、倉持が頷いた。「なるほど、それなら不動産業者も導入しやすいですね。購入してもらうだけでなく、レンタルという選択肢があるのは大きいと思います。」


佐藤も同意した。「確かに、最初はレンタルで試してみて、効果を実感してから購入するという流れも考えられますね。」


ラヴィは、コスト面について質問した。「レンタル料は、どの程度の価格帯を想定していますか?購入した場合の費用対効果についても、明確に提示できるように準備が必要ですね。」


水野は答えた。「レンタル料については、競合となる鍵管理システムや、内覧代行サービスの料金などを参考に、魅力的な価格設定にする必要があります。購入した場合の費用対効果については、鍵交換の頻度、鍵の紛失リスク、内覧担当者の人件費などを具体的に試算し、分かりやすく提示できるように資料を作成しましょう。」


「『とびらんぬ』は、単に鍵を開閉するシステムではありません。それは、不動産業者の業務効率化、コスト削減、そして顧客満足度向上に貢献する、総合的なソリューションです。購入とレンタルという二つの選択肢を用意することで、より多くの不動産業者のニーズに応え、早期の普及を目指しましょう。」


水野の戦略は、着実に具体化していた。「とびらんぬ・ポータブル」の簡易性と堅牢性、そして購入とレンタルという柔軟な導入方法。これらが組み合わさることで、東京の不動産業界に新たな価値を提供し、東京事務所の収益化に大きく貢献する可能性が見えてきた。半田さんと奥田珠実の来訪は、この計画をさらに加速させるための重要なステップとなるだろう。


ーー先進IT企業を驚かす男――ラヴィの確信ーー

水野幸一は、丁寧に製本された企画書を手に、ラヴィ・シャルマを伴ってQ-pullの本社へと向かった。六本木ヒルズの一角にそびえ立つそのオフィスは、洗練された雰囲気の中に、IT企業の勢いが感じられる。

事前にメールで企画の概要を送っていたこともあり、Q-pullの上田社長からは、数日前に興奮した様子の電話があった。「水野さん、またやってくれましたね!」と、その声は弾んでいた。


新聞報道のキーボックス無断設置事件から、まだ半年も経たないうちに、IT先進企業のQ-pullが具体的な対策を打ち出すというニュースは、広報を通じて既にリリースされていた。その反響は大きく、発売前から問い合わせが殺到しているという。


Q-pullの応接室に通された水野とラヴィは、緊張した面持ちで上田社長の到着を待った。重厚な扉が開き、満面の笑みを浮かべた上田社長が現れた。


「本日はお忙しい中、ありがとうございます」と、水野は深々と頭を下げた。「まだ試作品も届いておらず、申し訳ありません。」


隣のラヴィも、同じように頭を下げた。

しかし、上田社長は手をひらひらと振って言った。「いやいや、謝るのはこちらの方ですよ。広報の連中が、待ちきれずに勝手にリリースしてしまったんです。まさか、こんなに早く具体的な動きがあるとは思いませんでしたから。期待以上の展開に、私も興奮していますよ!」上田社長の指示によるものではないのだ。


上田社長の言葉に、水野は内心で「やはり、楠木さんがウラで仕掛けていたな」と察した。とびらんぬの利益配分は田中オフィスと同じ35%である。


マンションの総合警備はU警備の得意分野であるが、販売前のマンションの販売体制に、新聞沙汰になるような人的な問題が発生するとは、彼にとって盲点であった。


しかも一室でも入居者が現れれば、警備システムはスタートする。それなのに、各部屋の鍵が野ざらしで保管されていたとは、不動産業者の故狡さにまで目を光らせるべきだったのかもしれない。


理論上は、直接犯罪被害には至らないとしても、入居者の隣の部屋の合鍵は、不動産業者が外に放置しているのだ。自分がマンションの入居者だとしたら、甚だ不快だ、と楠木は舌打ちした。

「また、水野さんに貸しを作ってしまった。」


以前、U警備システムで目覚ましい成果を上げた楠木の営業力と情報網は、今回も裏で大きな力を発揮しているのだろう。Q-pullのような大企業の広報戦略を、外部からの提案段階で焚きつけて、これほどスムーズに進めることができるのは、楠木さん以外にありえないだろう。


「とびらんぬ」のコンセプトが、単なるアイデアに留まらず、社会的なニーズに合致していること、そしてそれを具現化する水野の企画力と、Q-pullのブランド力が相乗効果を生み出している証拠だろう。


上田社長は、目を輝かせながら企画書を手に取った。「改めて、この『とびらんぬ』の仕組みは素晴らしいですね。セキュリティと利便性を両立させ、業界の課題に真正面から向き合っている。これは、間違いなく新しいスタンダードになりますよ。」


水野は、上田社長の言葉に安堵の表情を浮かべた。「ありがとうございます。試作品が完成次第、改めて詳細をご説明させていただきます。」


「ええ、楽しみにしていますよ!」上田社長は力強く頷いた。「今回の共同開発、共同販売は、Q-pullにとっても大きなチャンスです。水野さん、ラヴィさん、共にこのプロジェクトを成功させましょう!」


上田社長の熱意に、水野とラヴィは改めて身が引き締まる思いだった。試作品の完成を待たずして、既に大きな期待と注目を集めている「とびらんぬ」。その成功に向けて、彼らの新たな挑戦が本格的に動き始めた。


Q-pull本社を後にしたラヴィ・シャルマの心は、まだ興奮冷めやらぬ様子だった。初めての営業訪問が、まさか日本を代表するIT企業の一つであるQ-pullになるとは、想像もしていなかった。

(水野さんは、やっぱりすごい人だ…)

応接室での上田社長とのやり取り、そしてその熱意を間近で見て、ラヴィは改めて水野の持つ人脈と、その企画力、そして何よりも人を惹きつける力を痛感していた。言葉の端々から、上田社長の信頼と期待がひしひしと伝わってきた。


流暢な日本語で、的確に「とびらんぬ」のコンセプトを説明する水野の姿は、自信に満ち溢れていた。ITエンジニアとして、システムの技術的な側面は理解していたつもりだったが、それをビジネスとして、そして社会的なニーズに応えるソリューションとして提示する手腕は、まさにプロフェッショナルだと感じた。


(この人と一緒にいることが、成功への近道だな)

ラヴィは、心の中でそう確信していた。異国の地で、新しい分野に飛び込んだ自分にとって、水野のような卓越したリーダーシップを持つ人物と共に仕事ができることは、何よりも幸運なことだろう。彼の傍で学び、共に成長していくことが、自身のキャリアを大きく飛躍させるチャンスだと感じた。


Q-pullとの共同開発という大きな一歩を踏み出した「とびらんぬ」プロジェクト。その成功に向けて、ラヴィ自身も、これまでのITエンジニアとしての知識と経験を活かし、積極的に貢献していきたいと強く思った。水野と共に、この革新的なサービスを世に広め、東京事務所、そして田中オフィスの新たな成功を築き上げていく。その未来への期待が、ラヴィの胸の中で大きく膨らんでいた。


ーー月明かりの怒り――とびらんぬ・アラームーン、登場ーー

東京事務所に戻ると、水野とラヴィを出迎えたのは、半田直樹だった。「すみません、遅くなりまして、こちらが『とびらんぬ・アラームーン(決定)』です。」と、彼は丁寧に試作品を手渡した。


奥田珠実は、到着するなり佐藤美咲と楽しそうにお茶に出かけたらしい。事務所には倉持渉が残っており、興奮した様子でパソコン画面を指差した。「すごいですね!今、デモしてもらったんですけど。」


画面には、まるで怒り狂っているかのような、とびらんぬらしきキャラクターのイラストが映し出されていた。背景には、黄色い三日月と満月、そして稲妻のようなエフェクトが描かれている。


「音は絞っています」と倉持が補足した。どうやら、この「とびらんぬ・アラームーン」は、開錠・施錠時に何らかの音を発する機能があるようだ。イラストの激しい表情と相まって、その効果音が気になるところだ。


水野は、半田から試作品を受け取ると、興味深そうにその外観を観察した。Q3よりも小型で、よりシンプルなデザインになっているようだ。これが、半田が目指した簡易かつ堅牢な「ポータブル」版なのだろう。


「半田さん、ありがとうございます。早速、詳しく見せていただけますか?」水野は、冷静な口調で尋ねた。


半田は、少し緊張した面持ちで頷いた。「はい。基本的な機能はQ3と同じですが、より省電力で、設置もさらに簡単になっています。アラーム機能は、不正な開錠を検知した際に、音と光で警告を発するものです。」


倉持は、画面のイラストを見ながら言った。「このキャラクター、ちょっと面白いですね。とびらんぬが怒ってるみたいだ。」


半田は苦笑いしながら答えた。「ええ、たまちゃんがデザインしてネーミングもしたんです。『セキュリティを破る悪者に対して、月明かりの下で怒りを爆発させる』というイメージだそうで…。」

挿絵(By みてみん)


その説明に、ラヴィは思わず笑ってしまった。「アラー…ムーン、ですか。ユニークなネーミングですね。」


水野は、キャラクターのイラストには触れず、実機を手に取って操作を始めた。「実際に、デモを見せていただけますか?特に、アラーム機能の作動条件と、その効果を確認したいです。」


半田は、パソコンと試作品を接続し、デモンストレーションを開始した。簡易になった操作性、素早い認証、そして不正な操作を試みた際のけたたましいアラーム音と、キャラクターのイラストが連動して激しく点滅する様子に、一同は興味津々で見入った。


「なかなかインパクトがありますね」と水野は、デモが終わると冷静に評価した。「セキュリティ面でのアピールポイントとしては、悪くないかもしれません。」


「とびらんぬ・アラームーン」の到着は、プロジェクトに新たな展開をもたらしたようだ。ユニークなキャラクターとアラーム機能が、どのように不動産業者に受け入れられるのか、今後の展開が注目される。


ーー仲間とともに紡ぐ時間――温かなオフィスーー

半田直樹と倉持渉は、どうやら「とびらんぬ・アラームーン」の話題で大いに盛り上がっているようだ。時折、顔を見合わせて笑い声を上げている。技術的な話なのか、それとも奥田珠実がデザインしたというユニークなキャラクターの話なのか、楽しそうな雰囲気が事務所に広がっている。


そんな中、ラヴィ・シャルマは、試作品を操作している水野幸一に話しかけた。「水野さん、前の会社『Vシステム』では、絶対こんな仕事はしませんでしたよ。」

彼の言葉には、驚きと新鮮な印象が込められている。「でも、この機械には最新のテクノロジーが使われているのがわかります。特に、この認証システムのレスポンスの速さや、セキュリティの仕組みは、かなり高度な技術が投入されていますね。」


ラヴィの視線の先には、パソコン画面を見ながら、半田と楽しそうに話している倉持の姿があった。Vシステム時代から共に働いていた倉持が、職場でこれほど楽しそうな素振りを見せるのは、ラヴィにとって初めての光景だった。

(子供みたいにはしゃいでいる!)


ラヴィは、そう心の中で呟きながら、自分自身もなぜか嬉しくなっていることに気づいた。新しい環境、新しい仕事、そして何よりも、共に働く仲間たちの活き活きとした姿が、彼の心にも明るい光を灯しているようだ。


水野は、ラヴィの言葉に頷きながら答えた。「ええ、私たちのような小さなオフィスだからこそ、新しいこと、面白いことに積極的に挑戦できるんです。それに、半田さんのような若い技術者や、倉持さんのような柔軟な発想を持つメンバーがいることは、 私たちにとって大きな強みです。」


水野の言葉には、共に働く仲間への信頼と期待が感じられる。ラヴィは、この活気ある職場で、自身のエンジニアとしてのスキルを活かし、新しい分野に挑戦できることに、改めて喜びを感じていた。


「とびらんぬ・アラームーン」という、一見ユニークな名前とキャラクターを持つこの試作品が、最新のテクノロジーと、働く人々の熱意によって、どのような革新的なサービスへと成長していくのか。ラヴィは、その過程に自身も深く関わっていけることに、大きな期待を抱いていた。


ーー社会課題から生まれた革新ーー

水野幸一は、半田と倉持の楽しそうなやり取りを横目に、静かに思案していた。「社会的な問題解決、そこから派生した企業のソリューション…」


キーボックスの無断設置という、業界の慣例に潜む法的課題。そこから着想を得て生まれた「とびらんぬ」は、まさに社会的な問題解決から派生した、企業のためのソリューションと言えるだろう。

単に鍵の管理をデジタル化するだけでなく、セキュリティの向上、業務効率化、そして何よりも法令遵守という、不動産業界が抱える潜在的な課題に応えることができる。


「とびらんぬ・アラームーン」のユニークなアプローチも、単なる遊び心ではないかもしれない。セキュリティへの意識を高め、不正行為に対する抑止力となる可能性を秘めている。


水野は、ラヴィと楽しそうに話す倉持、そして熱心に試作品の説明をする半田の姿を見た。異なるバックグラウンドを持つ彼らが、それぞれの専門知識とアイデアを持ち寄り、一つの目標に向かって協力している。このチームワークこそが、田中オフィスの強みなのかもしれない。


「とびらんぬ」プロジェクトは、東京事務所の収益化という直接的な目標だけでなく、社会に貢献するという、より大きな意義を持つ可能性を秘めている。法令遵守を軽視する慣例を打破し、より安全で透明性の高い不動産取引の実現に貢献できるかもしれない。


水野は、改めて企画書に目を落とした。Q-pullとの連携、そして「とびらんぬ」の独自性。これらの要素を最大限に活かし、東京の不動産業界に新たな価値を提供していく。それが、東京事務所の使命であり、自身の課せられた役割なのだろう。


社会的な課題に真摯に向き合い、そこから生まれる革新的なソリューションを提供する。その先にこそ、企業の持続的な成長と、社会からの信頼がある。水野は、その信念を胸に、「とびらんぬ」プロジェクトの成功に向けて、さらに戦略を練り始めた。


ーー革新の軌跡――次なる挑戦へーー

水野は、半田と倉持、そしてラヴィの活気に満ちた様子を眺めながら、静かに頷いた。「ええ、今は、一つ一つ目の前の課題に、着実に取り組んでいくしかありませんね。」


「とびらんぬ」は、社会的なニーズに応える可能性を秘めた、革新的なソリューションだ。Q-pullとの連携も順調に進んでいる。しかし、そのポテンシャルを最大限に引き出し、広く社会に普及させるためには、強力なマーケティング戦略が不可欠となるだろう。


「おそらく、マーケティングのプロフェッショナルが現れないと、田中オフィス(そしていつか設立するであろうミズノ Inc.)の飛躍は、まだ先のことになるだろう。」


水野は、そう冷静に分析していた。自身の強みは、法務とITの知識、そして冷静な分析力だ。しかし、市場の動向を的確に捉え、効果的なプロモーション戦略を立案・実行するマーケティングの専門知識は持ち合わせていない。


田中卓造社長の、8億円という巨額のIT投資、Integrate Sphereの導入も、その壮大な構想に見合うだけの事業拡大と収益化を実現できなければ、「身の丈に合わない冒険」として終わってしまう可能性も否定できない。最新鋭のサーバーも、それを活用する戦略と、それを活かす人材がいなければ、ただの箱に過ぎない。


しかし、水野は悲観的な考えに浸ることをすぐにやめた。今は、目の前の「とびらんぬ」プロジェクトを成功させることに全力を注ぐべきだ。その成功が、田中オフィスに新たな資金と信用をもたらし、優秀なマーケティング人材を引き寄せるきっかけになるかもしれない。


「とびらんぬ」の成功は、単なる一事業の成功ではない。それは、田中オフィスの新たな可能性を示す試金石となるはずだ。社会的な課題を解決する革新的なサービスを提供することで、企業の信頼を高め、持続的な成長へと繋げていく。


水野は、決意を新たにした。「まずは、『とびらんぬ』を成功させる。その実績を財産として、次のステップに進む。焦らず、着実に。」


今はまだ小さな一歩かもしれないが、その一歩一歩が、いつか田中オフィス(そしてミズノ Inc.)を、社会に不可欠な企業へと成長させるための道筋となるはずだ。水野は、その未来を信じ、目の前の仕事に再び集中力を高めた。

ーー続くーー











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