第二十二話、黙って煙る者たち
ーー朝の調布駅。ーー
朝の調布駅を出た水野幸一は、背筋を伸ばして歩き出す。
東京郊外のどこか懐かしい空気。わずかに混じるタバコの匂い。雑居ビルの隙間から立ち上る中華料理店の蒸気。
そんな風景の中に、水野はある種の“未整理な現場の匂い”を感じていた。
ビルの入り口をくぐり、受付で訪問を伝えると、案内された先は雑然としたオフィスだった。
段ボールが積まれた通路。書類が山積みになったデスク。
奥の喫煙席からは年配社員の吐く煙がゆっくりと揺れている。
水野の眼差しは、ただ懐かしむものではない。そこには明らかにシステムと組織の統制感の欠如がにじんでいた。
「昔の田中オフィスもこんな感じだったな…いや、もう少し整理はされてたか。」
ふと微笑みが浮かぶが、その目はすでに現場の不均衡を計測していた。
通過した会議スペースは、折りたたみ机が並べられただけの簡素なもの。
出入りする配達員がセキュリティチェックなしにビルに出入りしている。
外部アクセス制御の緩さに、水野の中で危険信号が点滅しはじめる。
杉山課長に案内され、ついに倉持SEの席にたどり着いた。
倉持は軽く頭を下げながら、「どうぞ、こちらにお座りください」と折りたたみ椅子を勧める。
机の上にはノートパソコンが開かれたまま。ソースリストが表示されているが、セッションはロックされていない。
左右には無造作に積まれた技術文書、要件定義書、試作コードらしき印刷物。
整理されない技術資産、トレーサビリティの無い成果物。
水野の頭の中で、「この組織では品質保証プロセスが機能していない」という分析が形をとりはじめる。
倉持: 「お恥ずかしいです、散らかっていて…。あまり整頓に時間をかける暇がなくて。」
水野: (微笑を浮かべながら) 「いえいえ、私も同じような時期がありました。忙しい中で仕事に食らいつくことは、成長にはなりますからね。」
だが、水野の内心は穏やかではなかった。
(ソースリストが開きっぱなし…コード資産の取扱に無警戒すぎる。バージョン管理はどうなっている?この席でソースのレビューが行われている様子もない…。)
(書類の山。属人化した設計。これでは再現性のある開発フローなど期待できない。トラブルがあれば、すべて個人のスキル頼みになる。)
水野の観察はさらに深まっていく。
別の社員が紙の進捗表を持って通り過ぎる。電子的な進捗管理ではない。
横で誰かが「あのExcelファイル、どこ置いたっけ…」と呟く声が聞こえる。
(ああ、もう確定だ。これはVシステムに品質管理能力が備わっていないという実態だ。)
(単純な技術者集団だ。熱意はある、手は動いている、しかし品質保証も、再利用性も、監査の視点もない。これでは、顧客にとってリスクでしかない。)
倉持が気さくに言う。
倉持: 「この仕事に就いて3年目ですけど、まだまだ自信なくて。でも周りに頼れる先輩が多いんで、なんとかやってます。」
水野は、その言葉にわずかに頷きながら、静かに言葉を返した。
水野: 「倉持さん。技術は一人で完結しない時代です。これからは、他の人とどう連携するか、作業の結果をどう再利用できる形で残せるかが大事です。今の環境を活かしながらも、そこを意識してみるといいですよ。」
倉持: 「はい…ありがとうございます。頑張ります。」
水野のまなざしは、彼の後ろのホワイトボードへと向かう。そこに無造作に貼られたToDoリストの紙片たち。
それはまるで、誰も責任を持たない曖昧な“未完の業務”を象徴していた。
(Vシステム――この企業には「品質」という概念そのものが制度化されていない。個人の経験と熱意だけで保っている綱渡りの現場だ。)
そして水野の中で、確信は固まった。
「このシステムには預けられない。ここに任せれば、やがて何かが壊れる。」
彼の次の行動はすでに決まっていた。
ーーVシステムのオフィス、午後の静けさ。ーー
――ふと耳に入る流暢な日本語。
それは、明らかにネイティブではない声質。
水野がパーティション越しにのぞいたその先には、一人のインド人技術者——ラヴィ・シャルマの姿があった。
ラヴィは、黙々とコードレビューをこなしながらも、周囲に的確な指示を飛ばしていた。
まるで現場の要石のような存在感。
水野(心の声):「あの男……ただ者じゃない。おそらく、ここで最も多くの実務を支えているキーマンだ。」
ーーパーティションの裏側ーー
オフィスの片隅、パーティションの向こう側で、佐藤美咲は必死に資料を整理していた。新人らしく、まだ職場の空気に馴染みきれず、慎重に動く彼女の指先は震えていた。基本情報処理技術者試験に合格したばかりの彼女にとって、この仕事はまだ未知の領域だった。
しかし、その静かな努力の場に、不穏な影が忍び寄る。
「佐藤さん、そんなに緊張しなくてもいいんじゃないか?」
年配のSEが、彼女の机の横に立ち、不快なほど近い距離で話しかけてきた。彼の口元には薄く笑みが浮かんでいるが、それは決して優しさのあるものではなかった。
美咲は息を詰める。
「…あの…やめてください。」
怯えた声が漏れる。しかし、彼は意に介さず、さらに距離を詰める。
「そんなに怖がることはないだろう。ちょっとした冗談だよ。」
冗談? 美咲の胸の奥で、何かが強く締め付けられる。彼女は立ち上がり、周囲を見渡した。だが、誰も気づいていない。パーティションの向こう側では、別のプロジェクトの話が交わされ、キーボードの音が響いている。
その時、偶然にも水野が通りかかった。
「どうしましたか?」
鋭い目が、状況を一瞬で察知する。
美咲は涙をこらえながら、かすかに首を振った。
「いえ…何でもありません。」
しかし、水野はその言葉を鵜呑みにしなかった。彼は年配SEに冷静に声をかける。
「職場では、互いに尊重し合うことが大切です。冗談でも、相手が不快に感じることは慎むべきです。」
その言葉は、鋭い刃のように空気を切り裂いた。年配SEは気まずそうに視線を逸らし、何も言わずにその場を離れる。
その様子を見ていたラヴィが近づく。
「水野さん、ありがとうございます。彼女はまだ新人で、こうした状況に慣れていないのです。」
水野は静かに頷く。
「ラヴィさん、彼女をサポートしてあげてください。あなたの経験が彼女にとって大きな助けになるはずです。」
ラヴィは微笑みながら、美咲の肩にそっと手を置いた。
「もちろんです。彼女には安心して働ける環境が必要ですから。」
美咲は、震える声で感謝の言葉を述べる。
「水野さん、ラヴィさん…ありがとうございます。これからも頑張ります。」
水野は微笑みながら、美咲の肩を軽く叩き、ラヴィと共に彼女を見守る。
この小さな出来事は、パーティションの裏側で起きたほんの一瞬の出来事だった。しかし、それは美咲にとって、職場での新たな希望の光となった。
ラヴィ、美咲、水野の視線が静かに交差した。
そこには、明確な小さな変化の兆しがあった。
—
事務所に戻る途中、水野は何気なくラヴィの名前をスマホのメモに記す。
そして、自らに問いかけるように呟く。
水野:「この会社……崩れるのは、技術じゃない。連携の“脆さ”だ。」
「カーサポート」のオムニチャネル化という楠木の構想。
Vシステムがその中核を担うには、いま何が必要なのか——
その答えは、「調和するチーム」だった。
—
その夜、東京事務所。
書類に目を通していた水野に、楠木から電話が入る。
楠木:「水野さん、その後の進展はありましたか・・・社としても方向性を決めたいので。」
水野:「おや、楠木さんはもうVシステムは切り離すおつもりかと思っていました」
楠木:「水野さんにお願いした以上、軽々に判断はしたくないんです。なにか良い流れになってくれないかと、私なりに気をもんでいたんですよ。」
その会話の裏に、水野は楠木の意図を感じ取っていた。
Vシステムを改善に導くブレーンとして呼ばれたのか。
それとも、試されているのか。
水野(心の声):「楠木さん、あなたの手札に私を加えた時点で、ゲームの流れは変わりますよ。」
というか、もうすでにお互い準備はできているんじゃないですか?
水野さんに任せる、すると彼は自分の目で確かめようとする。その間に楠木は水野さんの提案も含めて封じ込める準備をする。それができたからの電話連絡というところなのだろう。
だからこそ、水野は楠木の思惑どおり、相手の状況を確認しにいった。そして見てきた以上の手ごたえを得たのだ。
ラヴィ、美咲、倉持、そしてこのオフィスで見てきた事——
それらはすべて、水野にとって“次の一手”のヒントとなっていた。
水野(独白):「状況は変えられる。静かに、そして確実に。」
ーー田中オフィス本社、面接室ーー
一方で、田中オフィス京都本社では、(未来の)戦力補充に動いていた。
広々とした会議室の窓から、柔らかな光が差し込む中、田中 卓造社長と藤島 光子専務が面接を行っていた。島原 真奈美が緊張した面持ちで椅子に座っている。
田中社長が、朗らかな関西弁で会話の糸口を探す 「まあ、真奈美さん、緊張せんといてくださいな。せっかくのご縁やから、じっくりお話を聞かせてもらいまっせ。」
島原が微笑みながら軽く会釈する。 「ありがとうございます。子供が大きくなり、そろそろまた社会復帰したいと考えております。」
藤島専務が履歴書を確認しながら質問を始める
「島原さん、これまでのご経歴を拝見すると、事務作業やIT関連の知識もお持ちのようですね。田中オフィスではパートタイムの方にもITツールを活用していただく機会がありますが、そちらはいかがでしょう?」
島原は少し不安げな表情で
「実務でのIT経験は浅いですが、学ぶ意欲はあります。」
田中社長のとぼけた一面が場を和ませる 「うちのオフィスな、最新デジタル機器やら取り入れてるけど、正直、うちらのおっちゃんらが使いこなしてるわけやないんや。みんなで教え合うんやさかい、気負わんとやってもらえたらええんよ。」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、心強いです。」
補足して藤島専務が現場感覚を伝える「実際、サポート体制はしっかり整えていますし、入社後も研修を行いますのでご安心ください。ただ、田中オフィスでは柔軟な対応力が求められる場面も多いです。どのような仕事にやりがいを感じられますか?」
「人の役に立つことが何より好きです。特に、お客様やチームの役に立てると実感する瞬間がやりがいに繋がります。」
田中社長と藤島専務が視線を交わし、軽くうなずく「ええやないか!そんな人材が増えると、うちもますます活気が出てくる。真奈美さん、ぜひ一緒に働けるよう検討させてもらいます。」
「本日の面接内容を踏まえ、後ほどご連絡差し上げますね。」
島原が深くお辞儀をし、席を辞す 「本日はありがとうございました。ご連絡をお待ちしております。」
面接終了後、田中社長と藤島専務が話し合う「真奈美さん、なかなかええ感じやったな。」
「そうですね。柔軟性があり、学ぶ意欲もある方ですし、チームの一員としてうまく馴染みそうです。」
「せやな。それに、今後事業拡大を見据える上で、幅広く対応できる人材は重要やしな。」
ー
田中社長と藤島専務が面接室で待機する中、ドアが軽くノックされる音が聞こえた。開いた扉の向こうには、がっちりとした体格の男性、伊原 隆志が立っている。明るい目と端正な姿勢が印象的だ。
伊原が自己紹介を始める
「初めまして、伊原 隆志と申します。実は、子供の保育園に送り迎えする際に、御社の事務員募集の貼り紙を見て応募させていただきました。体力には自信がありますので、ぜひお役に立てればと思います!」
「ええやないか!元気とやる気が一番大事やで。それに体力もあるとなると、心強いですわ。」
藤島専務が質問を投げかける 藤島: 「伊原さん、これまでのご経験についてお聞かせいただけますか。特に事務職の経験や、IT関連のスキルについて伺いたいです。」 伊原: 「実を言いますと、事務職は未経験です。ただ、以前は配送業で働いており、スケジュール管理や簡単なPC入力業務は経験があります。ITスキルはまだ浅いですが、今後しっかり学んでいきたいと思っています。」
「でも、配送業でスケジュール管理をされていたのですね。それは役立つ経験です。未経験からのスタートでも、前向きな姿勢が重要ですから。」
田中社長が場を和ませるように質問を重ねる
「ちなみにお子さん、何歳ですか?」
伊原は、少し照れた笑みを浮かべながら
「今年で5歳になります。保育園に通っていて、毎日送り迎えをしています。」
「ええお父さんやないか。うちのスタッフも家族を大事にしとる人が多いさかい、伊原さんも馴染みやすい思いますよ。」
藤島専務が具体的な質問をする
「田中オフィスではチームでの業務や柔軟な対応力が求められる場面も多いですが、そのあたりについてはどうお考えですか?」
「チームワークには自信があります。前職でも仲間と協力しながら働く場面が多かったので、その経験を活かせればと思います。」
田中社長と藤島専務の最終的な印象を本人に伝える
「元気もあるし、何より熱意が伝わってくる。こういう人がチームに加わると、うちもますます活気が出ると思うわ。」
「そうですね。新しいことを学ぶ意欲も感じますし、家族思いの姿勢がとてもすてきで、お迎えして良さそうです。」
伊原が深くお辞儀をして退出する
「本日はありがとうございました。ご連絡をお待ちしております!」
希望者が帰ったあとの藤島専務と田中社長の会話。島原さんは介護士、伊原さんは行政書士の資格持っている。二人とも勉強熱心やな、と田中社長。
ーーもう一度のチャンスーー
午後の陽差しが斜めに差し込みはじめた頃、入社面接後の応接スペースには、落ち着いた空気が漂っていた。藤島光子は、デスクに広げた人材候補の書類に目を落としながら、小さく息をついた。
「……正直なところ、ITスキルは物足りないですね。半田くんや奥田さんのサポートに入ってもらうには、少し厳しいかと。」
静かに、しかし率直に藤島は言った。その表情は冷静で、だがどこか柔らかさを含んでいた。
田中卓造は、頷きながらも視線を窓の外へ投げた。
「せやなぁ。せやけど、真奈美さんは人当たりもええし、書類の扱いなんかも丁寧そうやし、佐々木さんの業務を支えてくれるんちゃうか。」
「そうですね。彼女にはバックオフィスの事務補助をお願いして、まずは慣れてもらう形で考えています。」
二人の間には、長年培ってきた信頼と、経営者としての責任が静かに流れていた。
田中が再び書類を手に取り、今度は別の名前に目をやった。
「伊原くんの方はどうやろ?」
藤島は少し考えるように言葉を選んだ。
「橋本くんの下について営業補佐を。あの体格ですし、外回りで資料の運搬や納品対応もお願いできるかと。気配りもできそうでしたし。」
「……うん、橋本部長に任せとけば、うまく使うやろ、せやけどな。」
田中の声に、ほんのわずかな緊張が走った。
彼は一度、背を伸ばして深く息をつき、静かに言葉をつなげた。
「あくまでワシの勘なんやが……あの伊原くん、反社やで。」
藤島の目が、驚きとともに大きく見開かれた。
「えっ?……それ、本当ですか?」
「いや、正確には“元”かもしれん。ただな、昔、ワシが顧問しとった団体でもそういうことあったねん。ほんまかどうか、確証はないけど…」
部屋に一瞬、重い沈黙が落ちた。遠くで時計の針が進む音さえ聞こえそうなほど、空気が研ぎ澄まされる。
「それは見過ごせませんね。」
藤島の声は落ち着いていたが、その眼差しには明らかな警戒が宿っていた。
「念のため、過去の勤務先や経歴、履歴書の裏付けを調査する必要があります。」
「せやな。本人の誠意も感じたし、いきなり門前払いはせんけど、うちは地域密着型の士業事務所や。信用問題は何よりも大事やからな。」
田中は、背もたれに体を預けたまま、ゆっくりと天井を仰いだ。
「うちが“もう一度チャンスを与える場所”になるんも、ええとは思う。ただし、“信頼を積み上げる覚悟”が相手にあるかどうかやな。」
「ええ、そこを見極めましょう。」
藤島は静かに頷きながら、書類を閉じ、次の一枚に手を伸ばした。
人を選び、育て、信じるという営みは、どんなに時代が変わっても、なお重く、そして美しい。
ーー田中オフィスの新しい風ーー
田中オフィスのロビーは、朝の光が差し込む静謐な空間だった。島原真奈美はドアをくぐると、一瞬その場に立ち止まり、小さく息を整えた。隣に立つ伊原隆志は、がっしりとした体格で背筋を伸ばし、堂々とした佇まいを見せている。
受付を済ませると、藤島専務がにこやかに現れ、二人を会議室へと案内した。整えられたテーブル、並んだ椅子、控えめな装飾の観葉植物が、緊張感の中にもどこか温かみを感じさせた。
すでに待っていた田中社長が、ふわりとした笑顔で二人を迎える。
「島原さん、今回は来てくれてありがとうな。パートという希望やけど、いきなり契約社員でどうやろ? フレックスタイムにするさかい、働ける日をスケジュールしてもらえたらええんよ。やっていけるようやったら、正規社員になってもらいたいと思うてるんです。」
島原は少し目を見開いた。予想外の言葉に驚きつつも、内心ほっとしていた。
「契約社員から始められるなんて…本当にありがたいです。フレックスタイム制なら、家庭との両立もできそうですね。」
「そう言うてくれると助かりますわ。島原さんの経験をぜひ活かしてもらいたいです。」
続いて、藤島専務が伊原に向き直る。
「伊原さんには、橋本さんの下についてもらいます。橋本さんは営業担当ですが、司法書士資格も持っていますので、登記業務のサポートをお願いしたいと思っています。」
「登記業務…! 行政書士の資格を活かせるんですね。ありがとうございます。」
「慣れてきたら、営業にも出てもらいますよ。それと、お子さんの送り迎えがあると伺っていますので、今回はパート採用という形になりますが、問題なさそうですか?」
伊原はまっすぐな目で答える。
「ええ、問題ありません。今はパート勤務ですが、いつかきっと正規で働けるようにがんばります。」
田中社長が二人を見渡しながら、ふたたび笑みを深めた。
「二人とも、本当にええ人材やと思うてます。田中オフィスに新しい風を吹き込んでくれたら嬉しいわ。これから一緒に頑張りましょうな!」
会議室のドアがノックされた後、ゆっくりと開き、田中オフィスのメンバーたちが一人また一人と入ってくる。橋本、佐々木、稲田、半田、奥田——個性豊かな顔ぶれが勢ぞろいした。
「ほな、みんな自己紹介してもらおうか。新しい仲間に顔と名前を覚えてもらわなあかんしな。」
田中の言葉に続いて、まず橋本が軽やかに一歩前に出た。
「橋本 和馬です!営業担当しています。情報収集や調査が得意で、ちょっと前には司法書士の試験にも合格しました。このオフィスはチームプレーが大事なんで、困ったことがあれば気軽に声かけてください!」
「よろしくお願いします」と島原が微笑み、伊原も「頼もしいですね」と続ける。
続いて、佐々木が柔らかい笑みを浮かべながら言う。
「佐々木 恵です。経理と総務を担当しています。みんなからは『メグ姐さん』って呼ばれてます。最初は慣れないことも多いかと思うけど、サポートはお任せください!」
「佐々木さん、努力してお力になれるようがんばります。」
「メグ姐さん、頼りにします!」
三番手は稲田。元気よく声を張る。
「稲田 美穂です!まだ経験は浅いですが、精一杯頑張ってます。何かあればすぐにお手伝いしますので、遠慮なく言ってください!」
「心強いです」と島原が微笑み返し、伊原も「若手の力があると活気が出そうですね」と言った。
次に前に出たのは、少し照れくさそうな半田。
「半田 直樹です。ソフト開発を担当しています。技術的なことならお任せください。ただ、黙々と作業することが多いので、話しかけられるとちょっとびっくりするかもしれません(笑)。よろしくお願いします。」
島原がくすりと笑い、「よろしくお願いします」と言い、伊原は「コンピュータ技術者がいると安心ですね」と頷いた。
最後に、パワフルな声が響く。
「奥田 珠実です!事務から電話番まで、なんでもこなします。元気だけは負けません!一緒に楽しくやっていきましょう!」
その明るさに、島原は「とても元気をいただきました!」と声を弾ませ、伊原も「そのエネルギー、ぜひ分けてください!」と笑った。
自己紹介が終わると、田中社長が手を叩いて言った。
「ほら、どうや? うちのメンバー、みんなええやろ。これからみんなで一緒に頑張ろうな!」
藤島も静かに続けた。
「田中オフィスは、協力し合う文化を大切にしています。島原さん、伊原さん、お二人の新しい風がチームに活気を加えてくれることを期待しています。」
島原が立ち上がり、少し声を震わせながらも、丁寧に頭を下げた。
「島原 真奈美です。私も結構な歳なんですが、皆様の足を引っ張らないように頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。」
伊原も続けて立つ。
「伊原隆志です。今までの人生で、転勤、転職は何度もありましたが、どこもこちらから挨拶して、終わったら知らん顔して仕事に戻るのが普通でした。こんなに皆さんに暖かく迎えられたのは初めてです。頑張ります。よろしくお願いします。」
橋本が笑顔で応じた。
「こちらこそよろしくお願いします。伊原さんは私より年上と伺っていますが、私も以前は年下の同僚の下で働いていて、たくさん学ぶことができました。一緒に頑張りましょう。」
そこに、好奇心旺盛な半田が口を挟んだ。
「お二人とも、お歳は何歳なんですか?」
バシッと佐々木の手が半田の頭をはたく。
「失礼なこと聞くな、ボケ!」
半田は「いてっ」と頭をさすりながらも笑う。
「35歳です」と伊原が正直に答え、「38です、やだ、私が一番オバサンかしら」と島原が照れ笑いを浮かべた。
半田は素直な顔で言った。
「いや、お二人ともすごく溌剌とされていたので、そうだったんですね。」
会議室には、柔らかい笑い声が広がった。
島原と伊原の胸には、確かな安堵と、これから始まる新しい物語への静かな決意が宿っていた。
——田中オフィスに、新しい風が吹き込んでいた。
テーブルを囲むメンバーたちは、ひと仕事終えたあとのように、雑談で和やかに盛り上がっていた。
そんな空気をやや割るように、田中社長が唐突に口を開いた。
「――あ、そうそう。実はもう一人、仲間がおるんやけどな。」
一同の視線が、ぽっちゃりとした笑顔の田中に向く。
「東京事務所の立ち上げで向こうに行っとるんや。折を見て、みんなにも紹介するわ。」
その一言に、会議室の空気がふっと変わった。誰もが、ふと誰かの姿を思い浮かべたのだ。
そして、その沈黙を破ったのは、誰より元気な奥田珠実――たまちゃんだった。
「えっ、稲田先輩、ロスっすよね! わたし今、むっちゃ水野先輩ロスっす!」
稲田美穂がぎょっとして、口元を引きつらせた。
「え、そ、そうね…。もう3ヶ月たつもんね…。」
照れ隠しなのか、視線を泳がせながらも、言葉の端にかすかな寂しさがにじむ。
橋本和馬が、にこりと懐かしそうに頷いた。
「水野さん、元気でやってるかなー。あの人、やっぱ頼りになるよな。僕も会いたいなー。まあ、稲田さんの次ぐらいに水野ロスやけど。」
稲田が声にならない驚きを漏らした。
「えっ、そうなの?そ、そうなんだ…。」
その様子を見逃さなかったのが、メグ姐さんこと佐々木恵。いつものように、ちょっと意地悪そうな笑みを浮かべながら茶化すように言った。
「あのな、私、再来週東京に行くんやけど(楠木んとこ♡)。アンタも来るか、稲田?」
稲田は慌てて目をそらし、小さな声でつぶやく。
「いや、ちょっと私、用があって…。それに…。」
その間を切り裂くように、たまちゃんがビシッと挙手した。
「いくいく!オネガイシマース!」
その勢いに、会議室は一気に笑い声に包まれた。
「まあ、ほんまに水野はみんなに愛されとるな。」
田中社長が目を細めながら、しみじみと語る。「東京事務所も楽しみやけど、こっちも賑やかでええ感じやわ!」
その隣で、藤島光子専務が柔らかく微笑んだ。
「稲田さん、もう少しでまた水野さんとも交流できる機会が来ますよ。それまで、みんなで頑張りましょうね。」
その言葉に、稲田は思わず小さくうなずいた。隣のたまちゃんは、目を輝かせたまま「はいっ!」と元気よく返事をする。橋本も静かに頷きながら、遠くを見るような目で窓の外に視線をやった。
それぞれの胸に、今は東京で働く水野幸一の姿が浮かんでいた。
頼りになる先輩。少し不器用で、でも誠実で、まっすぐなあの人の背中。
日常のなかに差し込む懐かしさと希望――。
それは、田中オフィスの仲間たちの絆を、そっと確かめる時間だった。
ーー続くーー