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田中オフィス  作者: 和子
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第二十話、河村亮の出張セキュリティ講習会

ーー社長、サイバー攻撃って美味しいんですか?ーー

― Integrate Sphere 導入記念・社内セキュリティ講習会 ―


「さて、皆さま。本日は『Integrate Sphere』導入記念、社内セキュリティ講習会へようこそ!」

河村亮SEの溌剌とした声が、どこか重苦しい空気が漂う会議室に響き渡った。ホワイトボードには「社内セキュリティ講習会」と、いかにも真面目そうな文字が躍っている。しかし、その講習会の主催者であるはずの田中社長ときたら、すでに居眠りしそうな顔で椅子に深く沈み込んでいる。


「おぉ~、頼むわぁ、河村くん。ウチ、昔『ワンクリック詐欺』でプリンター止まったことあるさかいなぁ……フハハッ」

社長の呑気な声に、場内にはかすかな失笑が漏れる。河村SEは「やれやれ」とばかりに肩をすくめ、プロジェクターのスイッチを入れた。


「では、まず情報セキュリティの三大要素から参りましょう!皆さん、覚えましょうね。機密性、完全性、可用性です!」


河村SEのハキハキとした説明に、最前列で目を輝かせている奥田珠実が食いついた。

「えっ、『可愛い性』はありますか?」


そのまさかの質問に、会議室は一瞬の静寂に包まれた。だが次の瞬間、佐々木、通称「メグ姐さん」がニヤリと笑い、自分の胸を張ってドヤ顔を決めた。

「おるやろ、ここに(ドヤッ)」


凍りつきかけた空気は、メグ姐さんの豪快な一言で一気に氷解。会議室は爆笑の渦に包まれ、河村SEは必死に笑いをこらえながら次のスライドへと進んだ。

「これが最近実際に届いたフィッシングメールの一例です。見てください、『Amazon緊急連絡』とありますが……」

河村SEが指し示す画面には、一見するとAmazonからのメールにしか見えない詐欺メールが表示されている。しかし、細部を見れば怪しさ満点だ。


「いやこれ、リンク先『amaz0n.biz』って書いてますやん!怪しさ満点や!」

いち早くそれに気づいたのは、勘が鋭い橋本が指摘した。これに、隣に座っていた稲田が深く頷く。

「部長からのメールだって、PDF添付はすぐ開かずに確認ですね!」


「その通り!」河村SEは力強く頷いた。「知らない相手+添付ファイルやリンク=まず疑う。これが鉄則です!」


社員たちは真剣な顔でメモを取り、中にはスマホで画面を撮影している者もいる。講習会の効果は、着実に表れているようだった。

そして、講習会も佳境に入ったその時、これまで大人しく聞いていた田中社長が、おもむろに口を開いた。


「なるほどな~。ほな、今朝の『おめでとう!10億円当選』は……クリックしたらアカンやつやったんか……」


その言葉を聞いた河村SEと水野さんは、顔を見合わせ、そして完璧なハモりを見せた。

「「即削除です!!」」

会議室には、本日一番の笑い声が響き渡った。


こうして、田中オフィスでは、情報セキュリティ意識が少しだけ高まった。そして、この講習会で妙にやる気を出した奥田珠実は、その後「社内のセキュリティポリス」という輝かしい(?)任命を勝ち取ったのだった。田中オフィスに、平和な日々が訪れることを願いつつ、今日もどこかで「怪しいメールは即削除!」という声が響いているのかもしれない。


ーー Integrate Sphere 導入記念・社内セキュリティ講習会・延長戦ーー

会議室には、先ほどの爆笑の渦が嘘のように、真剣な空気が漂っていた。マルウェアという言葉が、皆の顔に影を落としているかのようだ。


「社長、TCPって何の略でしょうか?」


河村SEの問いかけに、田中社長は眉をひそめて考え込む。


「んー、T…T…タコヤキのT!ちゃうか?」


またしても場内に笑いが起きる。河村SEは苦笑しながら、ホワイトボードに大きく「TCP(Transmission Control Protocol)データの信頼性が高い転送プロトコル。」と書き込んだ。


「社長、残念ながらタコヤキではありません!ですが、そのフットワークの軽さは、マルウェアとの戦いにおいては非常に重要になります」


河村SEはプロジェクターに次のスライドを映し出した。そこには、PCに侵入したマルウェアが、まるで指令を仰ぐかのように外部のサーバーと通信している模式図が描かれている。

挿絵(By みてみん)

「では問題です!このマルウェアが指令塔サーバーと通信するのに、TCPポート80番を使うのはなぜでしょう? いくつか選択肢があります!」


会議室は一瞬の静寂に包まれた。皆、真剣な表情でスライドを見つめている。


「① DNSのゾーン転送に使用されるから、通信がファイアウォールで許可されている事が多い」

「② WebサイトのHTTPS通信での閲覧に使用されることから、マルウェアと司令塔サーバーとの間の通信が侵入検知システムで引っかかる可能性が低い」

「③ Webサイトの閲覧に使用されることから、通信がファイアウォールで許可されている可能性が高い」

「④ ドメイン名の名前解決に使用されることから、マルウェアと司令塔サーバーとの通信が、侵入検知システムで検知される可能性が低い」


田中社長が腕組みをして唸り、奥田珠実は首を傾げ、メグ姐さんはフンと鼻を鳴らした。


「正解は……**③『Webサイトの閲覧に使用されることから、通信がファイアウォールで許可されている可能性が高い』**です!」


河村SEが元気よく答えを発表すると、会議室からは「へぇ~」という声が漏れた。


「解説しますね。マルウェアがTCPポート80番、つまりHTTP通信を使う理由の一つは、まさに**『普通のWeb閲覧と同じような通信に見せかけることで、怪しまれずに外部と通信できる』**からです。ポイントは、TCPポート80番は、Webブラウジングのために多くの企業ネットワークでファイアウォールが許可している、という点です」


☆以下、特に重要とされるウェルノウン・ポート番号を5件選出しました。

挿絵(By みてみん)

⇒これらは、ネットワーク通信やセキュリティ、インターネットの基盤を支える重要なポートです


河村SEは続ける。


「マルウェアはこの特性を利用して、C&C(コマンド&コントロール)サーバーとの通信を隠すんです。HTTPSの443番と違って暗号化されてない場合もありますが、プロキシやIDS(侵入検知システム)でも**“普通のWeb通信”と見なされやすい**んですね。だからこそ、発見が遅れることがあります」


「他の選択肢はなぜ間違いかというと……。①のDNSのゾーン転送はTCP 53番で行われるので、HTTPとは関係ありません。②のHTTPSは443番ポートを使うので、80番ではありませんね。そして④のDNSの名前解決はUDP 53番が主流で、HTTPの80番とは用途が異なります」


水野さんが補足するように説明を加える。

「すごくマニアックな話でしたけど、これは企業の情報セキュリティを考える上で、非常に重要なポイントなんです!」


田中社長が腕を組み、大きく頷いた。

「なるほどな~。隠れてコソコソ悪さしとるっちゅうことやな。ほな、もしそんなマルウェアに侵入されてしもうたら、ウチは何をしたらええんや?」


社長の質問は、まさに核心を突いていた。河村SEと水野は顔を見合わせ、引き締まった表情になった。


「おお、これは社長クラスの大事な質問です。マルウェアに侵入されてしまったら――『気づいてからが勝負』です!」

河村SEは力強く断言し、次のスライドへ。

挿絵(By みてみん)


マルウェア感染時の初動対応:気づいてからが勝負!

「まず何よりも、【1】感染範囲の特定と隔離が最優先です。感染したPCは、ネットワークから即切断してください! 有線LANなら物理的にケーブルを抜く。無線LANならWi-Fiを切る! これは社内ネットワークへの拡散を防止するために、ものすごく重要なんです。そして、他の端末もスキャンして、感染が広がっていないか確認してください。感染範囲を可視化するのが初動対応のキモになります」


水野さんが身振り手振りで説明する。


「次に【2】マルウェアの分析と特定です。これは専門知識が必要なので、セキュリティベンダーや専門業者に協力してもらうのが一般的です。マルウェアがどういう動きをするのか、例えば通信先、自己複製、情報窃取といった動作を把握します。『どこまで情報が漏れたか』『何が改ざんされたか』を徹底的に調べるんです」


河村SEは続けた。


「そして、【3】システムの復旧と再構築。これが一番時間と労力がかかります。感染前のバックアップがあれば、クリーンインストールから復旧させるのが一番確実です。もしバックアップが無い場合は……データの取り出しと手動復旧になるので、これはもう、とてつもなく大変です。感染したソフトや、悪用されたシステムの脆弱性なども、再発防止の視点で見直す必要があります」


田中社長は神妙な面持ちで話を聞いている。


「【4】外部機関への報告と相談も忘れてはなりません。特に重大なインシデントの場合、警察のサイバー犯罪対策課やIPA(情報処理推進機構)へ速やかに報告しましょう。もし顧客情報が流出した場合は、関係者への連絡とお詫びも必要になってきます」


最後に、水野さんが最も重要な点を強調した。


「そして何より、【5】再発防止のための仕組み改善が不可欠です! 社内教育、これ、めちゃくちゃ大事です! 今日みたいな水野と河村のコンビでの講習会もそうですが、定期的に意識を高めていくことが重要です。ウイルス対策ソフトや、EDR(高度な監視ツール)の導入も検討しましょう。そして、セキュリティポリシー、例えばUSBの使用ルールや添付ファイルの開封ルールなども、明確に整備しておくべきです」


田中社長は深く頷き、力強く言い放った。


「かなんな~、感染したら終わりやのうて、そこから“どう守り直すか”が勝負なんやな! “備えあれば感染なし”っちゅうこっちゃ!」


その言葉に、会議室の全員が深く頷いた。田中オフィスは、この講習会を機に、また一つ強くなるだろう。


ーー社内を守れ!DMZとVDIでセキュリティ強化!ーー

― 河村SEのセキュリティ講座・第2回 ―

会議室の空気は、前回のマルウェア騒動から一転、どこか希望に満ちていた。ホワイトボードには、河村亮SEがマジックペンで力強く書き込んだ「田中オフィスを守る防御の城壁!」の文字が誇らしげに輝いている。


「さて皆さん!」河村SEは満面の笑みで参加者を見渡した。「本日は、田中オフィスに新たに導入された、頼れる二人の用心棒、『DMZ』と『VDI』について、じっくりとご説明したいと思います!」


最前列で熱心にノートを取る奥田珠実、腕組みをして難しい顔で聞いている橋本、そして、今回もどこか上の空の田中社長……様々な表情が見られる中、河村SEは最初のテーマ、『DMZ』に焦点を当てた。


■DMZ(DeMilitarized Zone:非武装地帯)

挿絵(By みてみん)


「まず、『DMZ』、ディミリタライズドゾーン!ちょっと難しい名前ですが、考え方はシンプルです。これは、インターネットという外部の世界と、皆さんの大切な社内ネットワークの間に設ける、“中間地帯”のことなんです!」


河村SEはホワイトボードに、インターネット、DMZ、社内ネットワークを三つのエリアに分け、矢印で攻撃の流れを示した。


「例えるなら、お城の外堀みたいなものですね。もし外部から敵(サイバー攻撃)が攻めてきたとしても、まずこの外堀で食い止めることができる。ここに、外部からのアクセスが必要なサーバー、例えばメールサーバーやウェブサーバーなどを配置することで、万が一、外堀が突破されたとしても、本丸である社内ネットワークへの直接的な攻撃を防ぐことができるんです!」


田中社長は目を丸くして頷いた。「ほうほう……つまり、敵が攻めてきても、まず『外の陣地』でドンパチやってくれる、っちゅうこっちゃな?んで、そこでやっつけられれば、ワシらの大事なもんには手出しできん、と?」


「まさにその通りです、社長!」河村SEは嬉しそうに頷いた。「DMZという промежуточная зона(中間地帯)で敵の侵入を食い止め、被害を最小限に抑える。これがDMZの重要な役割なんです!」


続いて、河村SEはもう一人の用心棒、『VDI』について解説を始めた。


■VDI(Virtual Desktop Infrastructure:仮想デスクトップ)

挿絵(By みてみん)


「そしてもう一つ!皆さんのセキュリティをさらに強固にするのが、この『VDI』、バーチャルデスクトップインフラストラクチャーです!」


今度は、サーバーのイラストと、そこから複数のPCへ線が伸びる図が描かれた。


「VDIは、皆さんが普段使っているデスクトップ環境、つまりOSやアプリケーション、データを、個々のPCではなく、会社内の高性能なサーバー上に集約させる仕組みなんです。皆さんがお手元のPCで操作しているのは、そのサーバー上にある仮想的なデスクトップの『画面』だけ、というイメージです」


隣に座っていた水野さんが、ピンと来たように手を叩いた。「ということは、万が一、社員のPCが盗まれたり、壊れてしまったりしても、肝心の中のデータは全てサーバー側にあるから、情報が漏洩する心配がない、ということですね!」


「はい、水野さん、大正解です!」河村SEは力強く頷いた。「VDIの素晴らしい点はそれだけではありません。USBメモリなどの外部記憶媒体の利用制限も、サーバー側で一元的に管理できますし、もし万が一、皆さんの操作する仮想デスクトップがマルウェアに感染してしまったとしても、すぐに元の安全な状態のイメージに戻すことができるので、復旧も非常に早いんです!」


【シーン:全体のまとめ】


河村SEは再び全体を見渡し、満足そうに頷いた。


「まとめますと、『DMZ』は、まるで強固な城壁のように、外からの攻撃をシャットアウトします。そして、『VDI』は、皆さん一人ひとりが身につける情報漏洩を防ぐ高性能な装甲服のような役割を果たします。この二つの強力なセキュリティ対策によって、田中オフィスの情報セキュリティは、これまでと比べて格段に向上していると言えるでしょう!」


最前列の奥田珠実は、目をキラキラと輝かせ、両手をギュッと握りしめた。「わ~!それって…めっちゃ安心じゃないですか!?なんかこう、『守られてる感』がすごいですね!」


その言葉に、隣の佐々木(メグ姐さん)はニヤリと笑い、鋭いツッコミを入れた。「珠実がどんなに安心しても、そのパスワードを書いた付箋をモニターにベタッと貼っとったら、意味ないで?」


メグ姐さんの容赦ない一言に、会議室は再び爆笑の渦に包まれた。河村SEは苦笑しながらも、これでセキュリティ対策の重要性が、少しでも皆の心に刻まれたなら、今日の講習は大成功だと確信していた。


ーー 河村SEのセキュリティ講座・続編 ーー

ー最後の砦は人間?いや、仕組みで守る!ー

会議室には、どこか引き締まった空気が流れていた。DMZとVDIという二重の防御壁が築かれたとはいえ、河村亮SEの表情は、微かに険しい。


「皆さん、前回の講義でDMZとVDIという強力な盾を手に入れたことをご理解いただけたかと思います。しかし……」河村SEは言葉を区切り、参加者一人ひとりの目を見据えた。「どんなに堅牢な盾があっても、完全に安全とは言い切れません」


稲田が身を乗り出した。「えっ?どういうことですか、河村さん?」

「それは、『クリックしてしまう』という、私たち人間の行動に起因します」河村SEは、ホワイトボードに大きく「ヒューマンエラー」と書き込んだ。「どんなに高性能なセキュリティシステムも、最終的にこの人間の操作ミスまでは、完全に防ぐことはできないのです」


稲田は顔をしかめた。「……それって、例えば『請求書の件で…』とかいう、巧妙なメールのリンクを、うっかりクリックしてしまう、みたいなことですか?」


「まさしく、それです!」河村SEは力強く頷いた。「一見、本物そっくりに見える罠に、悪意のあるリンクが仕込まれている場合もあります。そうしたリンクにアクセスしてしまうと、たとえVDIの環境下であっても、その瞬間のセッションにマルウェアが侵入してしまう可能性は、決してゼロではないのです」

河村SEはホワイトボードに、VDIの構成図に矢印を書き加え、マルウェアが侵入する経路を示した。


「しかし!」河村SEは声を張り上げた。「そこで、我々が皆さんの安心のために用意した、もう一つの重要な仕組みがあります。それが、このVDIサーバー内での定時ウイルススキャンです!」


新たな図がホワイトボードに映し出された。VDIサーバーを中心に、複数のPCが接続され、そのサーバー内部を定期的にチェックするアイコンが描かれている。

挿絵(By みてみん)

水野さんが納得したように頷いた。「クライアントPC一台一台ではなく、VDIの心臓部であるサーバー側で、集中的に、しかも自動でウイルスチェックができるというのは、VDIの大きな強みですね」


「その通りです!」河村SEは笑顔を見せた。「しかも、このVDIサーバーは、将来的な負荷も考慮して、リソースに十分な余裕を持たせて構成してあります。ですから、この定時スキャンによって、皆さんの日々の業務処理が大幅に遅延するといった心配も、ほとんどありません」


河村SEは最後に、力強い眼差しで締めくくった。

「私たちの行動、人間の判断には、どうしても『絶対』はありません。だからこそ、私たちは、皆さんが万が一ミスをしてしまったとしても、しっかりとデータを守り抜けるように、定期的な自動チェックという仕組みと、余裕のあるインフラ設計を組み合わせることで、『ミスしても守れる』セキュリティ体制を構築しているのです」


これまで腕組みをして黙って聞いていた田中社長が、ゆっくりと口を開いた。「……なるほどな。人を責める前に、人がうっかりミスしても、システムの方でちゃんとリカバリーできるような『しくみ』を用意しておく。これがほんまの『備え』っちゅうもんやな」


ナレーションが静かに響く:——人がミスをすることを前提に、多層的な防御を構築する。それが、現代の情報セキュリティの重要な考え方だ。そして今日も、河村亮SEは、表舞台には立たずとも、静かに、しかし確実に、田中オフィスの大切なデータを守り続けているのだった——


ーークラウドに全てを任せるべきか?田中オフィスの選択ーー

― 河村SEのセキュリティ講座・終盤 ―

会議室のプロジェクターには、青空に浮かぶ白い雲と、堅牢そうなオフィスビルの図が並んで映し出されていた。河村亮SEは、いつもの熱意に加えて、どこか思慮深い表情で語り始めた。


「さて皆さん、セキュリティ講座もいよいよ終盤です。今日は、最近よく耳にする『クラウド』の活用について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います」

河村SEはスライドを切り替え、クラウドサービスの利点を強調した。「クラウドサービスを利用すれば、セキュリティ対策もサブスクリプション型で、まるで水道光熱費のように外部に委託できます。24時間体制の専門家による監視、最新のセキュリティパッチの自動適用、そして堅牢なデータセンター……まさに情報セキュリティのプロの世界です」


最前列の奥田珠実は、目を輝かせて言った。「それなら、うちも思い切って全部クラウドにしちゃえば、管理も楽になるし、安心なんじゃないですか?」

河村SEは少しうなずきながら答えた。「確かに、クラウドサービスは非常に便利ですし、Microsoft 365やGoogle WorkspaceのようなSaaS型のサービスは、その実績からも一定の信頼性があると言えるでしょう。しかし……絶対安全とは限らないんですよ」


次のスライドには、複数のニュース記事の見出しが映し出された。

「これは昨年の事例ですが、Microsoft 365のOneDrive上で、本来非公開であるはずのファイルが、設定ミスによって外部に公開されてしまうというインシデントが発生しました。いくらクラウドの基盤が強固に守られていても、それを『使う側の設定』や『使い方』に起因する情報漏洩は、クラウドサービスだけでは防ぎきれないのです」


田中社長は腕組みをして、深く頷きながら言った。「ようするにやな……『便利やから安心』と思って全部丸投げするのと、『本当に安心できるかどうか』をしっかり見極めて便利に使うのとは、全然別モンっちゅうことやな?」


「まさしく、その通りです、社長!」河村SEは力強く答えた。「だからこそ、田中オフィスでは、『全てをクラウド』という極端な選択ではなく、オンプレミス(社内設置型)の環境、そしてVDI、さらにクラウドへのバックアップという、それぞれの良い点を組み合わせたハイブリッド構成を採用しているのです」


次のスライドでは、「インストール型Officeの強み」という文字が大きく表示された。

「御社では、長年にわたりインストール型のOffice製品をご利用されています。これには大きなメリットがあります。例えば、これまで社内で作成し、業務効率化に貢献してきた多くのExcelマクロファイルや、専用の業務ツールなどが、クラウド版に移行することなく、完全な互換性を保ったまま引き続き使えるのです」


水野さんも頷いた。「新しいシステムに移行するたびに、過去の重要なデータやツールが使えなくなる、というのはよく聞く話ですから、これは業務効率の面からも非常に重要ですね」


「ええ」と河村SEは続けた。「だからこそ、安易に『全てクラウド』という流れに飛びつくのではなく、自社の業務内容や過去の資産をしっかりと見極め、何が本当に必要で、何を守るべきなのかを慎重に判断する必要があるのです。セキュリティも業務効率も、どちらか一方に偏るのではなく、バランスを取ることが何よりも大切です」


最後に、河村SEは参加者全体を見渡し、穏やかな口調で締めくくった。

「クラウドは非常に便利なツールです。しかし、それに全面的に頼ってしまうのは、時に危険を伴います。田中オフィスは、『技術』と、日々の業務に携わる『現場の皆さん』、そして長年の経験から培われた『人の知恵』、この三つの要素をバランス良く組み合わせることで、堅牢なセキュリティ体制を築いているのです」


講習を聞いていた藤島専務が、にっこりと微笑んで田中社長に話しかけた。「こういう判断ができる優秀な人材が、うちのオフィスにいてくれて本当によかったわね、社長」


田中社長は照れたように笑い、「ほんまやな。うちの『河村サーバー』には、一体月額でどれだけ払たらええんやろな?」と冗談めかして言った。


会議室には、温かい笑いが広がった。完璧なセキュリティの仕組みは存在しないかもしれない。しかし、それぞれの状況に合わせて最良の選択をし、常に進化し続けることこそが、真の備えなのだろう。田中オフィスのセキュリティ対策は、これからも、この地道な歩みを続けていく——


河村亮SEの解説が終わり、会議室の空気は少し和らいだ。しかし、藤島専務の次の言葉で、新たなテーマが持ち上がった。

「ところで、私たちの法務AI――契約書チェックやリーガルリスク判定に使っているあれ、あれもクラウドですよね?」


田中社長がポンと手を叩いた。「そやそや!あの“なんとか言うてくれるやつ”、わし結構気に入ってるんやけど、アレも外部やったな」


水野幸一が資料を手に立ち上がった。その顔には、法務AIへの深い理解と自信が窺える。

「はい、社長。当オフィスの法務AI『LexScopeレックススコープ』は、国内の信頼性あるベンダーが提供する、法務特化型クラウドAIを契約して稼働しています」


スライドには、LexScopeの構成図が映し出された。複数のアイコンが繋がり、クラウドの向こう側で複雑な処理が行われていることを示している。

「LexScopeは、クラウドで学習された膨大な判例データと自然言語処理を駆使し、契約書や文書のリスクスコアを即座に分析します。オンプレミス(社内設置型)では実現できない演算リソースと、日々更新される法改正情報のタイムリーな反映が、最大のメリットです」


稲田が目を丸くして感嘆の声を上げた。「そうか!私が入力した契約ドラフトが数秒でスコアが出るのって、あれ全部『クラウドで考えて』くれてるんですね!」


「その通りです」水野はきっぱりと言い切った。「だからこそ、私たちは“クラウドAI利用時のリスク対策”も徹底しています」

スライドが切り替わり、「クラウドAI利用時のリスク対策」と題されたリストが表示された。


通信は全て暗号化(TLS 1.3)

送信データには機微情報を含めない設計

AIベンダーとは秘密保持契約(NDA)を締結

利用ログは社内サーバーにもバックアップ保管

アクセス権限は水野と藤島専務のみ


「つまり、クラウドを『使うこと』がリスクなのではなく、どう『使いこなすか』が重要なんです」水野は、参加者一人ひとりの顔を見つめた。


藤島専務がゆっくりと頷いた。「たしかに。AIに依存しすぎない、『人の目』の最終チェックを残しているのが安心ね」


「ええ。最終判断は、あくまで私たち司法書士です。AIは、あくまで判断の『補助者』であり、『代行者』ではない。これが当事務所の方針です」水野は、その言葉に確固たる信念を込めた。


田中社長は腕組みをして満足げに頷いた。「よっしゃ。うちは『人とAIのコンビプレー』っちゅうことやな。……ちゅうか、LexScopeって名前、今知ったわ」

社長のまさかの発言に、「ざわ…ざわ…」と会議室がどよめいた。


奥田珠実が笑いながら言った。「社長、それ、去年の導入会議で水野さんが熱弁してましたよ!」

水野は苦笑いしながら肩をすくめた。「毎回メモ取ってくださいって言ってるんですが……」


ナレーションが語りかける。田中オフィスの法務AIは、クラウドの先進的な力を借りながらも、あくまで社内の知恵と、人の経験によって活かされている。頼り切るのではなく、賢く使いこなす。それこそが、このオフィスの“田中スタイル”なのだ。


講習会も終わり、休憩時間に入った。稲田美穂は、コーヒーを片手に、少し戸惑った様子で水野幸一に声をかけた。


「水野先輩、ちょっと聞いてもいいですか?」


「うん?どうしたの?」水野は優しい表情で稲田に向き直った。


「前に新聞で読んだんですけど……『将来、AIが法律の専門家の仕事を奪うかもしれない』って。私たち司法書士の仕事も、なくなったりするのかなって、ちょっと不安で……」


水野はしばらく黙ってから、静かに、しかしはっきりと答えた。「うん、それ、よくある話題だね。でもね、実際には『奪う』というより、『変わる』って表現のほうが近いと思うよ」


スライドが切り替わり、「AIと士業の関係図」が映し出される。AIが機械的な作業を担い、人間がより高度な判断を下すような、役割分担が示されていた。


「たとえばLexScopeが得意なのは、ルールに基づいた機械的なチェックや、膨大なデータからの傾向分析。そこにはAIの圧倒的なスピードと精度が活かされる。でも、『この契約は、相手の真の意図としてどう読むべきか』とか、『このクライアントの将来を考えると、今、法的にどう動くべきか』――そういう、人の心や倫理観、そして長年の経験に基づく『行間を読む』ような判断は、まだまだ人間の専門性が不可欠なんだ」


稲田は、水野の言葉を噛みしめるように頷いた。「……つまり、『考える軸』は、私たち人間に残るってことですね」


「そう」水野は再び頷いた。「AIが機械的な作業をサポートしてくれる分、僕らはもっと深く、もっと本質的な問題に集中できるようになる。むしろ、『機械的作業から解放されて、本来のプロとしての価値を最大限に発揮できる』チャンスだと捉えるべきなんだよ」


その時、通りかかった藤島専務が、二人の会話に加わった。

「ちなみに稲田さん、銀行業界もまったく同じことを言われ続けてきたのよ。ATMの導入やオンラインバンキングの普及で、窓口業務が減るんじゃないかってね。でも、今も『人と人との信用』を扱う仕事は、ちゃんと残っているわ。AIに任せられることは任せて、人間にしかできない、感情や人間関係が絡むような仕事に集中すること――それが、私たちプロの進化のかたちだと思うわ」


藤島専務の力強い言葉に、稲田の顔に明るさが戻った。

「そっか……!なんだか、ちょっと元気が出ました!私、AIと一緒に『進化する司法書士』、目指してみます!」


水野は、稲田の決意に満ちた笑顔を見て、少しだけ笑った。「うん。頼もしいじゃないか」

ナレーションが締めくくる。田中オフィスの法務AIは、クラウドの可能性を最大限に引き出しつつ、同時に人間の知恵と経験が組み合わされることで、真の力を発揮している。頼り切るのではなく、使いこなす。そして、共に進化していく。これこそが、田中オフィスの、未来へ向けた“田中スタイル”なのだ。


ナレーション:

AIは敵ではない。共に働くパートナー――

田中オフィスには、未来のプロフェッショナルたちの姿がある。



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