第十八話、小さなオフィスの大きな朝
ーー月曜日・午前10時、田中オフィス 会議室ーー
「いや〜〜〜、ついに来たで!ビッグウェーブや!」
田中卓造社長が、コーヒー片手に会議室の扉を押し開けた瞬間、その弾んだ声が室内に響き渡った。鼻歌まじりの足取りは軽快で、まるで今にも踊り出しそうなほどウキウキしている。社長は両手を挙げてくるくると回り、場の空気は一瞬で熱を帯びた。
「まさかなあ、ホームパーティーでQ-pullの上田社長につながるとは。うちの事務所も、ちょんまげクラブから一気に“プチ・ユニコーン”やな!」
その言葉に、水野幸一は思わず眉をひそめた。心の中で「……“プチ・ユニコーン”って何だよ」と呟きながら、目の前の社長の興奮ぶりを冷静に見つめる。
「落ち着いてください、社長」
藤島光子専務が穏やかに、しかしきっぱりと釘を刺した。手元の資料を整えながら、その声はあくまで冷静だ。
「まずは情報の整理からです」
水野も静かに頷き、口を開いた。
「上田社長は、Sセミナーでの我々のシステム構築に感心されたわけですが、あの発言の裏には、“地方発のコンサルモデル”への関心も感じました」
「せやせや、水野、おまえがいてたら、きっともっと深い話できたんや!」
社長が勢いよく水野の言葉に被せる。
「いえ、逆に藤島専務と社長のお二人だったから、良かったんだと思います。僕がいたら、情報セキュリティの話で終わっていたかもしれません」
「上田社長は“社会との接点”に関心が強い方です」
藤島が水野の言葉を補足するように言った。
「ビジネスモデルとパーパス、どちらにも目を向けておられました」
ソファの端に座っていた、たまちゃんが「えっ、なんか……わたし関係あります?」と慌てて手を振る。藤島はにこやかに微笑んだ。
「ありますよ。あなたが自然に生徒さんと打ち解けていたから、安心感が生まれたんです。“この会社の人たち、信頼できそうだな”って、思わせたんです」
「うわあ……(顔赤い)でも、そんな……半田さんがフォローしてくれて……」
たまちゃんは顔を赤らめながら、隣の半田に視線を送った。半田は少しうろたえる。
「え?俺?普通にしてただけだけど……」
メグこと佐々木恵が、資料を閉じながら心の中で呟く。「青春かよ」。
その場の空気をやや引き締めるように、橋本和馬が口を開いた。
「でもさ、こうなってくると、うちも“それなりの覚悟”いるよね。Q-pullレベルと絡むなら、提案書だって本気で行かないと」
「ええ」水野が頷く。
「NDAやコンプラを含めた、プロトタイプレベルでの提案になるかもしれません。仮に“地方拠点で実証実験を”なんて話が出てきたら……」
「おおおお!なんやワクワクしてきたな!」
社長が椅子から立ち上がりかけ、嬉々として叫んだ。
「よっしゃ、わし今週、床屋行っとくわ!」
一同のツッコミが重なる。「そこ!?」
会議の終盤、藤島が静かに口を開いた。
「まずは、お礼状を。その中で、“改めてお時間を頂ければ、地方型モデルの詳細をご説明したく思います”と記すことで、こちらから道筋を作りましょう」
「……やっぱ、専務おったら安心やわ」
社長は、何かを思い出したように天井を見上げた。
「そういや、あのとき……上田さんが“セキュリティは企業の信頼資本や”って言うてたな……“Q-pullの新本社ではIDカードと顔認証、あと静脈認証も一部導入してる”て、言うてはったわ」
水野の目が光る。
「顔と静脈の併用!? 社長、それ、かなり高度ですよ。導入コストもバカになりません」
「せやろ? でもな、“小さいオフィスこそ、境界を曖昧にしたらアカン”て言うてはって……なんや、すごく刺さったんや」
水野の表情が引き締まった。
「……その言葉、まさに今の私たちに必要な警鐘です。今の田中オフィス、誰でもドアを開けて入れてしまいますよね? たまちゃんの元の会社の先輩が来たときも、社長が“おお!入っといて〜”って……」
「う……やったな、それ……」
こうして、「入退出管理プロジェクト」は静かに始動した。
プロジェクトは動き出す
「まずは三点セットから整備しましょう」
水野はホワイトボードにスラスラと書き出す。
IDカード発行とログ管理
二要素認証(ICカード+PIN)
外部来訪者はWeb受付予約を通してチェックイン
「来客は“ちょんまげ親書”ルートじゃなく、“かわら版”ルートで。ただし、入室には一段階上の承認制です」
「それ、QRコードとかでできます?」たまちゃんが前のめりになる。
「やる気があればね。たまちゃんの研修アプリ、応用できるかも」
「マジですか!? やりたいっす!」
メグがカウンター越しににやりと笑う。(かわいいやつめ……)
藤島が改めて宣言した。
「来週の全体ミーティングで“オフィスセキュリティ改革プロジェクト”を正式に立ち上げましょう。田中オフィスが“信頼される情報管理拠点”になるための第一歩です」
橋本が肩をすくめる。
「俺も、IDカード首からぶら下げなきゃダメ?」
「当然です。スーツの胸ポケットもダメ。首から、見えるように」
「……了解っす(たぶん忘れるけど)」
午後
事務所では藤島がプロジェクトのメモをまとめていた。そこへ半田がノートPCを抱えて現れる。
「社長、水野さん。ちょっと調べてみたんですけど、入退出管理アプリって、けっこう市販されてるんですよ。1ユーザー月300円からのサブスクもあって、クラウド連携が多いです」
「選択肢は多いってことか」水野が目を細める。
「はい。でも正直、どれも大企業仕様でオーバースペックか、簡易すぎるか……」
社長が頷いた。
「わかる……うちはちっちゃいけど、将来扱う情報は重たいもんな……」
「そこで!自作という選択肢もアリかと」
半田の目が輝く。
「Pythonで、Flaskベースの軽量アプリを作ります。QRコードで入退室記録をログに残せるやつです」
水野の目も輝いた。
「それは……いいね。業務に特化した仕様にできるし、将来的に他社展開も視野に入る」
藤島も静かに微笑む。
「“田中オフィス版・ミニ入退出管理アプリ”ですね。もし安定すれば、中小オフィス向けにコンサル+導入パッケージで売れます」
「うわ、また始まった……」橋本がつぶやいた。「オレはQRかざすだけでええんやんな?」
「ええ。でも顔写真つき社員証も作りますよ。橋本さん、証明写真どうします? 笑顔に?」
「ムリムリムリ!」
「それって……わたしの勤怠アプリ、使えますか!?」
たまちゃんの声が弾む。
「うん、ログ機能とユーザー認証はその構成でいけそう」
半田は頷きながら笑う。
田中オフィスに、新たな風が吹き始めていた。
田中オフィスの「プチ・ユニコーン」への道は、思わぬところから始まったセキュリティ強化によって、さらに確かなものになるのでしょうか?
ーー期待の新システムーー
金曜日の午後、田中オフィスの応接室はいつもと違う空気に包まれていた。中央には仮設モニターと、真新しい木製のドア模型が設置されている。社員たちが期待に満ちた眼差しを向ける中、半田くんが少し緊張した面持ちでプレゼンテーションを始めた。
「では、プロトタイプの動作をご覧ください。まず、社員証のバーコードをカメラにかざすと……」
半田くんがバーコードリーダーに自身の社員証をかざす。「ピッ」という軽快な電子音が室内に響き渡る。
「このように、ドアの閂がマグネットでカチャっと外れます」
彼の言葉と同時に、実演用のドアがスーッと静かに開いた。そのスムーズな動きに、集まった面々から自然と拍手が沸き起こる。
水野さんが手元のメモに何かを書き込みながら、感心したように呟いた。「シンプルでいい。仕組みも物理セキュリティと連動してて安心感がある。停電時の非常解錠操作にも配慮されてるのがポイント高いな」
半田くんは少し誇らしげに頷いた。「はい、非常時にこのボタンを押しながらスライド、外側はレバー解除。ただし、システムが動作中にこれをすると、ログに⚠️マークが付きます。これは毎朝のモニタリング対象になります」
たまちゃんが広げたノートを見ながら、にこやかに補足した。「前日ログは、朝の出社時にサッと見られるように、ダッシュボードに“異常操作件数”が通知で表示されるようにしました!」
メグ姐さんが目を丸くする。「たまちゃん、それ……なんか警備会社のシステムみたいやねぇ」
田中社長は腕を組み、深く感銘を受けていた。「こらええわ。これが手作りやと思われへん。コンサル屋がつくったとは思えんクオリティやで」
水野さんも同意する。「このレベルなら、市内の中小オフィスに十分展開可能です。セキュリティ意識が高い業種には響きますね」
藤島専務は、早くもビジネスチャンスを見据えていた。「デモ機の段階でもいいから、Q-pull上田さんにもご覧いただけたら……営業のチャンスにもなりそうですね」
橋本がニヤリと笑った。「お、そしたら次の“かわら版”は、このシステム紹介かいな?」
その言葉を受けて、頭上には大きな見出しが浮かび上がる。
“ついにできた!田中オフィス製・入退出セキュリティシステム” 勤怠連携・異常ログ監視・簡易設置モデル、ついに社内稼働!
田中社長は、しみじみと社員たちの顔を見渡した。「ウチの社員、ええ仕事しよるなあ……」
しかし、その感慨に浸る間もなく、水野さんがすかさず現実へと引き戻す。「では、そろそろ導入第1号をどうするか、営業戦略を立てましょう」
ーー転機ーー
月曜日の午後、田中社長は自身のデスクで、プリントアウトされたメールを読みながら、にやつきを隠せないでいた。
「これは……きたな。“話題の水野さん”て、なかなか言われへんぞコレ……。しかも、半田くんの名前まで出てる。これは実力を認めてもろてるいうことやな……!」
社長は喜びを噛みしめ、藤島専務と水野さんを会議室へと呼び出した。
ーー会議室にてーー
「上田社長からメールが返ってきたで。速攻や。東京のQ-pull本社で会いたい言うてはる。コンサルの依頼したいって書いてあった」
田中社長の報告に、水野さんの表情が引き締まる。「それは……ありがたいお話ですね。どの程度の話か分かりませんが、向こうのCTOレベルの話になりそうです」
藤島専務は冷静に状況を分析する。「これは正式な商談として動いた方がいいですね。まずはアジェンダを整えて、どの切り口のコンサルかを確認しておきましょう。情報セキュリティ、システム連携、法務整理……可能性は複数あります」
部屋の隅で成り行きを見守っていた半田くんが、驚きと興奮が入り混じった声で呟いた。「ぼ、僕も行っていいんですか? 東京って……すごいっすね……!」
彼の言葉に、田中社長は満足そうに頷いた。
こうして、東京への出張メンバーが決定した。
水野 幸一(プレゼン・契約交渉・情報整理) 半田 直樹(技術説明・アーキテクチャ提案)
田中オフィスの新しい挑戦が、今、始まろうとしていた。
夕刻の廊下、たまちゃんが元気よく声を弾ませた。
「社長、いよいよ“田中オフィス、東京進出”ですかね!(*´∀`)」
田中社長は得意げに胸を張る。「まぁ、まだ拠点はつくらんけどな。せやけど、“田中オフィス東京出張所”の仮ネームくらいは考えとこか!」
ーーQ-pull本社にてーー
東京・港区の高層ビル、Q-pull本社。応接フロアは、ガラス張りの広い空間に観葉植物とアート作品が並び、静謐な空気が漂っている。
応接室のドアが開き、案内係が促した。「どうぞ、こちらへ。上田がすぐに参ります」
水野さんが落ち着いた声で半田くんに問いかける。「ありがとうございます。……半田くん、緊張してる?」
半田くんはシャツの袖口をいじりながら、正直に答えた。「い、いえ!してないっす……たぶん……いやちょっとしてます……!」
水野は小さく笑った。「正直でよろしい。落ち着いて、自分のやってきたことをそのまま話せばいいよ」
ーー目の前で動くセキュリティーー
ほどなくして、上田社長が入室してきた。50歳くらいの、堂々とした雰囲気の人物だ。
「いやー、早かったですね。本当に、まだあのパーティから一週間経ってませんよ?」
上田社長の言葉に、水野さんが応じる。「こちらこそ、貴重なお時間をありがとうございます。田中オフィス、水野と申します。そして、開発を担当した——」
「半田です!このたびはお招きいただき、恐縮ですっ!」半田くんがやや前のめりに挨拶した。
上田社長はにっこり笑った。「うん、いいね。若いのに自分で組める。スーツも似合ってるじゃないか。……さて、さっそくだけど、実物を見ながら話を聞きたいんだ。あのバーコードで入室ログ取るってやつ、プロトタイプあるって聞いたけど?」
半田くんはバッグからユニットを取り出し、作動できるように応接のテーブルに配置した。「はい、こちらがそのユニットです。ノートPCに繋がっていて、WEBカメラでバーコードを読み取ると——」
(ビーッという電子音、そして閂がカチッと動く)
上田社長の目が輝いた。「おおっ、本当に動いた。で、このログは?」
半田くんがモニターを指し示す。「ここに日付・時間・ユーザーIDと、操作種別が記録されます。マスタ側では、前日のログを自動モニタリングする仕組みにしています」
上田社長は感心したように頷いた。「こういうシンプルな設計、好きだよ。うちはハードよりクラウド系が多いから、目の前でリアルに“動くセキュリティ”って新鮮でね」
その後の話し合いでは、Q-pullの郊外にある開発拠点でのシステム導入テストの打診があった。さらに、半田くんが作った仕組みに、Q-pull内で使用している入退室管理アプリを連携させる可能性も浮上。水野さんは、契約形態やライセンスモデルについて具体的にまとめて提案した。
ーー未来型の地域コンサルーー
「うん、やっぱり直接会ってよかったよ。……それと、水野さん」
Q-pullの上田社長が、商談を終えようとするタイミングで、水野幸一に視線を向けた。新幹線で東京へ向かう前の、慌ただしい品川駅の喫茶店。周囲の喧騒とは無縁の、落ち着いた声だった。
「はい?」水野は背筋を伸ばし、社長の次の言葉を待った。
「田中オフィスって、“街の司法書士”じゃないね。もう“未来型の地域コンサル”だよ。こっちでも、しばらく関わってほしい」
その言葉は、水野の胸にすとんと落ちた。単なるシステム導入支援に留まらない、より本質的な信頼関係が築けた手応えを噛みしめる。
帰りの新幹線、夕焼けが窓の外を茜色に染めていた。水野は座席に深く身を沈めながら、隣の半田くんに労いの言葉をかけた。
「……半田くん、よくやったね。立派だったよ」
半田はまだ少し放心したような顔で、窓の外を眺めていた。都会のビル群が遠ざかっていくのをぼんやりと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……ぼ、僕……東京でプレゼンして、拍手されました……社長に言いたいです……(小声)」
水野はくすりと笑いながら言った。
「言えばいいさ。ちゃんと成果は、皆で共有しないとね」
半田は小さく頷いた。その目には、やり遂げた者だけが持つ充実感が宿っていた。
ーーGateLog(仮)、誕生!ーー
月曜の朝、田中オフィスでは全体ミーティングが開かれていた。水野と半田が東京出張から帰社すると、皆が拍手で二人を迎えた。
水野が報告する。
「テスト導入の提案を正式にいただきました。半田くんのプロトタイプ、ばっちり評価されましたよ」
半田は照れながら頭を掻いた。
「社長のおかげです。あと、武田さんのホームパーティーがなかったら、今はなかったですね……!」
半田の言葉に、一同から笑い声が漏れる。田中社長は嬉しそうに頷いた。
「よー言うた!ほんでな……ワシ、名前考えてきたで!この入退出管理システムにふさわしいやつや!」
全員が一斉に社長に振り向く。期待と少しの不安が入り混じった視線が、社長に集中した。田中社長は胸を張り、高らかに発表した。
「その名も――『セキュリ・ピットくん!』どうや!?」
……一瞬の沈黙が場を支配した。会議室に集まったメンバーの顔に、戸惑いの色が広がる。
水野が困ったような顔で口を開く。
「……ええと、ピットはどういう意味で?」
田中社長は自信満々に説明する。
「F1のピットインや!一時的に止まって確認して出ていく感じやろ?かっこええやん!」
半田は微妙な笑顔を浮かべた。
「キャラっぽいけど、なんか……子ども向け教材みたいっすね……」
たまちゃんが思い切って手を挙げた。
「社長、ひとつ言っていいですかっ?」
田中社長は目を輝かせた。
「お、たまちゃん!なんやなんや!」
たまちゃんは勢いよく提案した。
「“GateLog“ってどうですか!? “ゲート”=出入り口、“ログ”=記録”で、シンプルでカッコよくて、なんかIT企業っぽいし、覚えやすいっしょ!」
「おぉぉ……」と場内にざわめきが広がる。一同の表情が、一斉に明るくなった。
水野が深く頷いた。
「確かに……センスありますね。“GateLog”、いい響きだ」
半田も興奮気味に言う。
「技術ブログとかにも出せそうです!」
藤島専務は実務的な視点から付け加えた。
「稟議書に載せるなら、その方が通りやすいかもね」
田中社長は腕組みして考え込み、やがてポンと手を打った。
「よっしゃ、決まりや!GateLog、これからの田中オフィスの目玉商品やで!」
たまちゃんはニッコリと笑った。
「やったーっ!商品ロゴ作ってもいいですか?バナーも!」
水野も笑顔で答えた。
「ぜひ頼むよ。たまちゃん、クリエイティブ担当決定だね」
こうして、田中オフィスの新プロジェクト名が決定した。
田中オフィス新プロジェクト名:GateLog
入退出+記録+セキュリティのオールインワン・スマートシステム
「GateLog」の誕生は、小さな司法書士事務所が「未来型の地域コンサル」へと進化するための、大きな一歩となるのでしょうか?
ーー正式名称決定ーー
「『GateLog』は機能的な感じがしますけど…、ちょっと硬めで親しみづらいかもしれませんね」そう言うと、たまちゃんは少し恥ずかしそうに、でもどこか得意げな顔で続けた。
「では、正式名称として提案させてもらいます。“とびらんぬ(Tobirannu)”です!」
社長は目を丸くした。「……え、ほんまにそれでええんか?」
水野さんは少し考えてから言った。「社内向けとしては少しポップすぎるような…」
藤島専務は腕を組み、「まぁ、ユニークではあるわね」と静かに評価した。
半田くんは「覚えやすいですし、ログファイルのフォルダ名とかにも合いますよ。僕は好きです」と、意外にも好感触だった。
ーー東京での驚きーー
一方そのころ、東京・Q-pull本社、応接室にて。
上田社長が名刺ケースをしまいながら問いかけた。「で、この入退出システムの名前が……?」
水野さんは少し困った顔で答えた。「はい、“とびらんぬ”と申します。少し砕けた印象ですが、社内では親しまれておりまして」
上田社長は、その名を聞いた途端、目を輝かせた。「……とびらんぬ!? 最高ですね、それ。うちの社員、絶対ハマる。セキュリティって堅苦しくなりがちだから、逆にこういうネーミングが必要なんですよ」
その夜、田中社長はオフィスで独りごとをつぶやいていた。
「……“とびらんぬ”、まさかの大ホームランやな。ワシの“セキュリティ・ゲート777”はどこいったんや……」
こうして、「とびらんぬ(Tobirannu)」は Q-pull本社のオフィス導入が正式に決まり、たまちゃんのネーミングセンスが大企業にも通じる伝説となるのであった。
ーーとびらんぬQ3、全国展開へーー
月曜の朝、田中オフィスの会議室はちょっとしたお祭りムードに包まれていた。
田中社長が高らかに宣言する。「みんな聞いてくれ。“とびらんぬQ3”や!Q-pullに正式採用や!しかもパッケージ販売までいくことになったで!」
稲田さんが驚きの声を上げた。「えっ!? あの“とびらんぬ”が全国展開ですか?」
藤島専務はにっこり微笑んだ。「しかも監修料35%。ありえない好条件。Q-pullさん、本気ね」
半田くんがたまちゃんに言った。「やりましたね、たまちゃん。あのネーミング、刺さりましたよ」
たまちゃんは照れ笑いしながら言った。「えへへ……“ぬ”の時代来ましたね」
水野さんは続けた。「ネーミングだけじゃなく、機能設計も評価されてます。Q1はロック端末は販売しますが、バーコード認証アプリは無料ダウンロード。スマホだけで利用できます。Q2は有償ソフトとなりますが、PC利用前提で、入退出ログのダウンロード機能を顧客側で利用可能。勤怠管理にも利用できます。Q3では、複数端末の利用、監視が可能で、複数のゲートを一元管理して、来客予定者にワンタイム利用のバーコードを送付したり、とびらんぬ自身がAI音声でゲートサポートなどを行います。次のアップデートでは多言語対応、顔認証連携、ログのクラウド同期も実装して、とびらんぬQ3NEXTモデルにふさわしい完成度を目指しましょう」
田中社長は会議室のホワイトボードに大きく書いた。
「とびらんぬQ3 – 次元を超えたドアの番人」
社長は少し残念そうに呟いた。「ほんまは“とびらんぬ・セキュアエディション改”にしたかったんやけどな」
藤島専務はすかさず訂正した。「……“Q3”でよかったと思います。Q-pullアライアンスを表現していますし、今後開発委託される『U警備』の”U”の文字も、ロゴの末尾に大文字で取り入れられています。」
こうして、田中オフィス発の入退出管理システム「とびらんぬQ3」は、Q-pullの販路を通じて日本全国の企業へと羽ばたいていった。田中オフィスの知名度も一気に跳ね上がり、次なる展開へと進んでいくのであった。
ーーU警備との協業ーー
翌週、田中オフィスにて。
水野さんが、今後の開発体制について説明した。「Q3へのアップデート開発は、U警備のシステム部門が担当するそうです。うちは監修と仕様レビューですね」
半田くんは驚きを隠せない様子だ。「U警備って、あの業界大手の? すごいな……Python導入中らしいですよ。僕のコード、きっと中の人たちの教材にもされてると思います」
藤島専務は二人に役割を再確認させる。「つまり、私たちの役割は“田中オフィス品質”のチェックと、現場目線での実用性の担保。技術以上に、運用のリアルさが求められるわけね」
田中社長が力強く頷く。「そやそや!“現場に聞け”がウチのモットーや。机上の空論じゃ通用せん。U警備は、Q-pullの上田社長の肝いり企業やで。たまちゃん、運用テストもきっちり頼むで」
たまちゃんは元気よく返事をした。「はいっ、“とびらんぬQ3”の門番として、がんばります!」
そして、U警備システム部門との初回リモート会議が開催された。
U警備の開発リーダーである楠木さんが、田中オフィスのコードを評価する。「田中オフィスさんのコードは読みやすく、構造も合理的です。Q3版では、顔認証・多言語対応・クラウド連携などを拡張予定です。Pythonでの開発も我々にとってはよい経験になります」
水野さんは今後の連携について語る。「開発が効率的に進むよう、運用上の注意点や現場フィードバックも共有します。セキュリティレベルとユーザビリティのバランスが肝ですね」
こうして「とびらんぬQ3」は、田中オフィスの知見と、U警備の開発力を組み合わせて、本格的な商用プロダクトとして進化を始めた。
未来へ向かって力強く踏み出した田中オフィスは、まさに時代の最前線を切り拓く存在となった。彼らの成功の鍵は、半田くんのような「AI+自身の技術力+現場理解」を掛け合わせ、素早くプロトタイプを形にできる人材の育成と活用にあったと言えるだろう。
ーー新時代の開発スタイルーー
Pythonのような柔軟な言語とAIのAPI、そしてクラウド連携を駆使することで、田中オフィスのような小さなチームでも、大企業レベルの開発を可能にした。彼らが開発した「とびらんぬQ3」は、その好例となる。単なる入退室管理システムに留まらず、現場のリアルなニーズに応え、かつ高いセキュリティレベルを両立させることで、他に類を見ないプロダクトへと昇華した。
Q-pullのような企業が急成長を遂げ、数千億円規模から兆円企業へと飛躍できるのも、まさにこの土壌が整ってきた証拠だ。
・プロトタイピングからフィードバックまでの圧倒的なスピード
・田中オフィスのような多様な社外パートナーとの強固な連携力
・自社で全てを抱え込まず、柔軟に外部の知見を取り込む経営判断
これらが、現代のビジネスにおいて成長を加速させる原動力となっている。
(小規模だから制約なくなんでも手をつけられるのだろう。)
そんな風に、相手を見くびって考える、旧態依然のビジネスしかできない企業というものは、自身の体に錆びや垢がこびり付いていないか、一度点検したほうがいい。
注目される田中オフィスの立ち位置
田中オフィスは、この新たな波にうまく乗り、非常に興味深い立ち位置を確立した。彼らは単なる「街の司法書士」ではなく、「未来型の地域コンサル」として、自社の専門性を活かしつつ、IT技術と融合させることで新たな価値を創造している。
特に、たまちゃんのネーミングセンスが、大企業の社長の心を掴んだことは象徴的だ。彼女のように、現場の視点とクリエイティブな発想を併せ持つ人材が、これからの時代には不可欠となるだろう。きっと、たまちゃんもこれからAIやPythonを学び、さらに大きく飛躍していくに違いない。
田中オフィスが、この先どのような物語を紡いでいくのか。彼らの動向から目が離せない。
ーー始まりはタヒチの記憶ーー
話は少し前にもどります。武田夫妻のホームパーティーのざわめきの中、田中社長はQ-pullの上田社長と初めて言葉を交わしていた。グラスを傾けながら、上田社長が語り始めたのは、意外にも家族旅行での出来事だった。
「先日、家族旅行でタヒチに行ったとき、空港で“カーサポート”というものを初めて利用しました。空港まで車で行くと、そこには警備会社の営業が待っていまして、車と家の鍵を預けるのです。車は自宅車庫で監視警備され、旅行中の留守宅も警備してくれるものでした。警備状況はスマホで定点カメラから見ることもでき、レポートも送られてきます。おかげで旅行を安心して楽しむことができました」
田中社長は興味津々で耳を傾ける。セキュリティという普段から関心の高いテーマに、上田社長の個人的な体験談が加わり、話は一層魅力的なものになっていた。
「日本に到着すると、ウチの車が待っており、ボディも室内も素晴らしい洗浄、清掃がされていました。鍵を返してもらう時、『警備は明日の午前中まで行われます、お疲れでしょうから、今日はごゆっくりお休みください』と言われました。私は早速その警備会社と、自宅の警備と会社のセキュリティを契約しました。自宅警備契約をしたことで、カーサポートサービスは無料でついてきます。田中オフィスの警備をお考えでしたら紹介しましょうか?」
上田社長の提案は、田中社長にとってまさに“渡りに船”だった。しかし、田中社長はそこで立ち止まることなく、「警備」というキーワードをきっかけに、全く新しいビジネスツールを提案したのだ。それは、まさに彼らの開発した「とびらんぬ」へと繋がる、画期的な入退出管理システムだった。
この田中社長の素早い行動力に、上田社長は心底驚いた様子で称賛の声をあげた。「田中社長の素早い行動力には驚きました。私の想定のはるか上をいかれますね!」
ーー続くーー