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田中オフィス  作者: 和子
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第九話、田中オフィス IT改革計画

ーー田中オフィス 会議室ーー

ホワイトボードには力強い筆跡で「IT改革計画 - 未来の田中オフィスへ」と書かれていた。

田中卓造社長は腕を組み、最前列にどっかと腰を下ろしている。

普段のおおらかな雰囲気とは違い、その目は真剣だった。


「ほな、みんな揃たな。今日は歴史的な会議やで。うちのオフィスが、ついにIT先進企業になるんや!」

田中社長は関西弁を響かせながら、満面の笑みを浮かべた。


社員たちは顔を見合わせながらも、自然と耳を傾ける。


「歴史的というのは少し大げさですが……」

冷静な口調で水野幸一が続ける。

「確かに、会社の成長にとって大きな節目です。今回、三年間で——八億円の投資を行い、業務を一新します」


「八億!?マジですか……」

営業担当の橋本和馬が思わず声を上げた。


「メインバンクのG銀行が融資を引き受けてくれるとはいえ、かなりの規模ですね」

経理担当の佐々木恵も、やや驚きながら付け加える。


田中社長はにやりと笑った。


「せや。今回のプロジェクトで導入するんは、VDIサーバ、ファイルサーバ、プリンタサーバをオンプレミスに設置し、Webサーバはクラウドを活用する。それに、営業やリモートワークが快適になる最新システムやで!」


「リモートワークできるんですね!」

稲田美穂が目を輝かせる。

「営業先でも書類作成がスムーズになりそう!」


「そうね」

藤島専務が頷く。

「目指すのは業務効率化とセキュリティ強化の両立。機器導入とソフト開発は、すべてN通信が担当することになったわ」


「N通信って、国内でもトップクラスのIT企業ですよね……」

若手エンジニアの半田直樹が感嘆の声を漏らす。

「まさか、うちがそんな大企業と契約するなんて……」


「せや!」

田中社長は嬉しそうに胸を張った。

「藤島専務の手腕とG銀行の支援があったからこそや。ほんで、このプロジェクトの中心を担うんは——半田くん、君や!」


「えっ、僕ですか!?」

半田くんが目を丸くする。


「うん」

水野さんが静かに告げた。

「君をシステム主任に任命する。N通信との技術的なやりとり、導入計画、開発の調整を担当してもらう」


「主任……!責任重大ですね。でも、頑張ります!」

半田くんは拳を握りしめた。


「せや!ほんで、水野、お前が移行室長や」

田中社長が続ける。

「プロジェクトの進捗管理を頼むで」


「承知しました」

水野さんが小さくうなずく。

「全体のスケジュール管理、リスク対応を行います」


「佐々木さんには、経理・人事管理ソフトの導入と社内オペレーションの整備をお願いするわ」

藤島もすかさず指示を飛ばす。


「分かりました」

佐々木さんがきっぱりと答えた。

「新しいシステムに移行することで、日々の業務がどう変わるか、しっかり見極めます」


「橋本と稲田は、実際に使う立場の代表として、リモートワークやタブレットの導入テストをやってほしいんや」

田中社長が言う。

「ええ感じのフィードバックを頼むで!」


「現場の意見、バッチリ伝えます!」

「楽しみです!」

橋本さんと稲田さんが声を揃えた。


「ほんなら、三年後には、うちはただの司法書士事務所ちゃうで。地域中小企業のIT導入のモデルケースとして、飛躍するんや!」


田中社長の声に、会議室の空気がぐっと熱を帯びる。

田中オフィスの新たな挑戦が、いま始まった——。


しかし、その熱気をほんの少し引き締めるように、水野さんが静かに口を開いた。


「社長、水を差すようですが——」


田中社長が「なんや、また」と笑いながら促す。


「IT投資と同時に、セキュリティの意識改革が必要です」

水野さんはきっぱりと言った。

「この場にいる全員が、責任を持って対策を理解し、実践しなければなりません。便利になった分、リスクも増える。それを忘れてはいけません」


会議室が一瞬、静寂に包まれた。


「せやな……」

田中社長がうなずく。

「システムだけ良うても、使う人間が油断したら元も子もない」


「パスワードの管理から徹底しましょう」

水野さんは続けた。

「第一に、短いパスワードや使い回しは禁止。デバイスを紛失したら即時報告。社外では公共Wi-Fiを不用意に使わない。これが基本です」


社員たちは背筋を伸ばし、真剣な顔つきでメモを取った。


「せやな。うちは地域のお客さんの大事な情報を預かっとる。守らなあかんのや」

田中社長が重々しく言った。


「未来の田中オフィス」をつくるのは、単なるIT機器でも、派手なシステムでもない。

——それを使いこなし、守る、ひとりひとりの意識なのだ。


会議室に、新たな覚悟が静かに広がった。


そして、田中オフィスの「本当の改革」は、ここから始まったのである——。


ーーセキュリティ意識改革ーー

「第二に——」

彼はボードに線を引きながら言った。


「重要データは持ち出さない

新しいシステムではリモートワークが可能になる。しかし、社外で仕事をするときに、データをUSBや個人PCにコピーすることは禁止だ」


半田くんが小さく手を挙げた。

「でも、例えば緊急のときに、どうしても必要なデータがあったら?」


水野さんは頷きながら答えた。

「そういうときのために、安全なリモートアクセス環境を整備する。個人PCやUSBを使わず、社内サーバーに直接、安全にアクセスできる仕組みを作るから、それを利用してほしい」


半田くんは少し安心したようにうなずいた。


「第三——フィッシング詐欺・不審なメールに要注意

水野さんは少し声を強めた。

「最近、大手企業でもフィッシング詐欺による情報漏洩が増えている。特に経理や営業担当は狙われやすい。みんな、変なメールを開いたり、怪しいリンクをクリックしないこと」


佐々木恵が不安そうな顔で手を挙げた。

「私、銀行とのやり取りが多いので、メールで指示を受けることもあるんですが……どうやって見分けたらいいんでしょう?」


水野さんは即答した。

「基本は『送信元を確認』『添付ファイルはむやみに開かない』『リンク先を慎重にチェック』。怪しいと思ったら、すぐにIT担当の半田くんか、私に相談してほしい」


佐々木さんは真剣な顔でメモを取った。


田中社長が腕を組みながら、ふむ、と唸った。

「なるほどなぁ……つまりやな、ワシら全員がセキュリティ意識を高めんと、システムだけ整えても無意味っちゅうことやな?」


水野さんはうなずいた。

「その通りです。技術的な対策と、人間の意識改革がセットになって初めて、強固なセキュリティが実現できます」


田中社長はしばらく考え込んだ後、ニヤリと笑った。

「よっしゃ、ほんなら、社内ルールとして、この3つの原則を徹底するで!うちのオフィスは、“セキュリティ意識の高い司法書士事務所”にならなアカン!」


そのタイミングで橋本和馬が笑いながら、水野さんに拍手を送った。

「いやぁ、さすが水野さん。まるでセミナー講師みたいっすね!」


水野さんは苦笑いしながらもきっぱりと言った。

「当たり前のことを言ったまでです。今後、具体的な研修も実施します」


田中オフィスに、また新たな挑戦が加わった。

それは単なるIT機器導入だけではない。社員一人ひとりの意識を変え、未来へと歩み出すための、確かな第一歩だった。


——バックアップは命綱!ーー

田中オフィスの全体会議室には、やや張り詰めた空気が漂っていた。

水野さんによるセキュリティ講義が一通り終わり、社員たちは真剣な表情を崩しつつも、まだ気持ちは引き締まったままだ。


そんな中、半田くんがノートPCに目をやりながら、手を挙げた。


「ちょっといいですか?」


水野がうなずくと、半田くんは席を立ち、前に出てきた。


「オンプレミスのサーバーについて、バックアップも新たな業務になります」


その言葉に、社長の田中が椅子に深くもたれ、眉を上げた。


「バックアップなぁ…… そらまぁ、大事やろけど、N通信のシステムやったら、何かあっても復旧できるんちゃうんか?」


半田は静かに首を振った。


「確かにN通信のクラウドサービスは信頼性が高いです。ただ、オンプレミスで管理しているVDI、ファイルサーバー、プリンタサーバーについては、私たち自身が責任を持たないといけません。つまり、自分たちでバックアップを取らないと、もしもの時に全データが失われてしまうんです」


「えっ……そんなことも考えられるんですか?」


稲田さんが驚きの声を上げた。


「例えば、ランサムウェアに感染した場合、データが全て暗号化されてしまいます。そのとき、バックアップがなければ、業務は完全にストップします」


半田くんの説明に、橋本さんが苦笑いしながら腕を組んだ。


「いやいや、バックアップって、自動でやってくれるんとちゃうん?」


「それがですね、自動化できても、運用がずさんなら意味がありません。だからこそ、きちんとしたルール作りが必要です」


水野さんが頷き、口を挟んだ。


「その通りだ。司法書士事務所は、顧客情報や登記データを扱っている。一度でもデータを失えば、信用は失墜する」


「具体的に、どんなバックアップ体制を考えているの?」


藤島専務が静かに問いかけると、半田くんはスクリーンにスライドを映し出した。


ーー半田提案:田中オフィスのバックアップ計画ーー

1.3-2-1ルールの導入

「バックアップは、オリジナル+バックアップ2つ、計3つのコピーを持つのが基本です。そして、2種類の異なるメディア(たとえばHDDとクラウド)に保存し、さらに1つは社外に保管します」


2.バックアップのスケジュール化

「毎日夜に差分バックアップを取り、週末には全データのフルバックアップ。さらに、月1回、クラウドにもアーカイブします」


3.バックアップのテスト運用

「バックアップは取るだけじゃダメ。定期的に復元テストをして、本当に使えるかどうか確認します」


説明を聞き終えた水野さんは、満足げに頷いた。


「いいね。バックアップは“取っているつもり”じゃダメだ。確実に、機能してこそ意味がある」


藤島専務もメモを取りながら同意した。


「田中オフィスの業務量は年々増えてるし、データも膨大になってきてる。これからは、IT化に見合ったデータ管理が不可欠ね」


田中社長は腕を組み、ニヤリと笑った。


「ほんならこのバックアップ戦略は、半田主任に任せるわ。ちゃんと社内に定着させるんやで?」


「はい! 具体的な運用ルールも作って、皆さんにも研修します!」


半田くんは力強く答えたが、稲田さんが少し不安げに手を挙げた。


「でも、バックアップの知識って、正直ちょっと難しそうです……」


半田くんは微笑んだ。


「大丈夫ですよ。基本的なチェック項目を作りますし、自動化できるところはします。ただ、みなさんにも最低限、これだけは覚えてほしいです」


社員が知っておくべきバックアップの基本ルール


✅ 重要なデータは勝手に削除しない(ゴミ箱に入れても即影響)

✅ USBや外部HDDへの個人コピーは禁止(情報漏洩防止)

✅ バックアップエラーを見つけたらすぐ報告する(放置厳禁)


「よっしゃ、ほんなら田中オフィスは、“バックアップも万全な司法書士事務所” やな!」


田中社長が満足げに言うと、橋本さんが笑いながら手を挙げた。


「社長、毎回キャッチコピーつけるんですね」


「そらそうよ。せっかく最先端のシステムを入れるんや。うちの事務所の強みは、どんどんアピールしていかなアカン!」


社員たちの笑い声が、会議室に温かく広がった。

こうして田中オフィスは、セキュリティ対策に加えて、強固なバックアップ体制の構築にも本格的に取り組むことになったのであった。


ーーシステム移行の大仕事ーー

田中オフィスの全体会議室は、午後の柔らかな光が差し込む中、張りつめた空気に包まれていた。

会議の中心では、水野さんが淡々と進行役を務め、バックアップ計画についての説明が一段落したところだった。


その時、手を挙げたのは、バックオフィス担当の佐々木 恵だった。


「ちょっと確認なんですが……」

彼女は少し緊張した面持ちで言葉を続けた。

「今まで使っていた人事給与計算アプリと経理アプリは、そのまま使うんでしょうか?」


水野さんは、手元のノートをめくりながら落ち着いた声で答えた。


「いや、N通信のSEと協力して、新しいシステムに完全移行する予定だ。既存のアプリをそのまま使うと、システム全体の統合が難しくなるからね」


佐々木さんは眉をひそめ、さらに問いかけた。


「ということは……給与計算や経理の仕組みが全部変わるということですか?」


水野さんは頷いた。


「そういうことになる。だからこそ、システム構築と移行テストには慎重を期す必要がある。実は、全行程の半分以上が、この新システムの構築と移行テストに充てられる予定だ」


田中社長が、腕を組みながら感慨深げに呟く。


「ほう…… 3年のうち2年を充てるんか、そらまぁ、8億のIT投資や、楽な話ではないわな……」


重い空気を和らげるように、営業担当の橋本さんがボソッと漏らした。


「システムって、入れるのは簡単でも、実際にちゃんと動くかどうかが大変なんですよね……」


水野さんは真剣な表情で皆を見渡した。


「そこで、佐々木さん」

水野さんは少し声を強めた。

「移行テストの段階で、半田くんと一緒にデータ移行確認をお願いしたい」


佐々木は驚き、思わず声を上げた。


「えっ、私もテストに関わるんですか?」


「もちろん」水野さんはきっぱりと言った。

「経理・人事システムのプロセスを一番理解しているのは佐々木さんだからな。半田くんが技術面を担当し、佐々木さんには実際の業務フローに適合しているか、正しい処理結果となっているか、を確認してほしい」


隣に座っていた半田くんが、頷きながらノートパソコンを開き、説明を始めた。


画面に映し出されたのは「システム移行テストのポイント」というタイトルだった。


① データ移行の精度チェック


「旧システムから新システムにデータを移行するとき、すべてのデータが正しく移っているかを確認します。たとえば——」

半田くんは一枚のスライドを示した。


給与計算の社員データ(基本給・手当・控除)が崩れていないか


経理の取引データが正確に仕訳されているか


「データがズレると、給与ミスや決算ミスに直結するので、慎重にやる必要があります」


② 実際の業務フローでの動作検証


「新システムでは、経理と給与計算が統合されるので、今まで別々にやっていた作業がどう変わるかも検証します」


給与計算から銀行振込データ作成までの流れ


経費精算の承認ワークフロー


「ここで問題が出れば、システムを修正する必要があります。だから、早期発見がカギです」


③ スタッフ向けのトレーニングとマニュアル作成


「システムが完成しても、使う人が戸惑ったら意味がありません。なので、操作ガイドやFAQも準備します」


・経理担当者向け操作ガイド


・給与計算手順書


・トラブル対応FAQ


「佐々木さんの視点で、“これなら使いやすい”と思えるマニュアル作りに協力してほしいんです」


説明が終わると、佐々木さんは真剣な表情で頷いた。


「なるほど……それなら、確かに私がテストしないと、実際の業務にフィットするかどうか分からないですね。分かりました、やります!」


水野さんは満足げに微笑んだ。


「ありがとう。N通信のSEとも連携しながら、しっかりテストを進めよう」


その様子を見ていた田中社長が、にやりと笑いながら言った。


「ほんなら佐々木はんは、これから“システム移行チームのセンターポジション”やな!」


佐々木は、少し照れたように苦笑いしながらも、キリリと答えた。


「なんだか急に責任重大ですね……でも、やるからにはしっかりチェックします!」


すると橋本さんがニヤリと笑い、手を挙げた。


「新システムになったら、俺の経費精算も簡単になりますよね?」


半田くんが苦笑しながら肩をすくめた。


「それは……佐々木さんの審査次第ですね」


佐々木さんは冗談交じりに、きっぱりとした声で言った。


「甘い経費精算は許しまへんで!」


田中社長が、腹を抱えて笑った。


「ははは! こりゃあ、新システムで経理もピリッと引き締まるな!」


こうして、田中オフィスのIT改革は、単なるシステム導入にとどまらず、

実際の業務フローを改善する一大プロジェクトとして、力強く動き出したのだった。


ーー頼もしき専務の差し入れーー

IT改革計画の説明が終わっても、田中オフィスの会議室には、まださっきまでの熱気が残っていた。

水野さんの説明を受け、佐々木さんもやる気を見せ、プロジェクトチームに一体感が生まれたその時だった。

ふと、藤島専務が穏やかな口調で口を開いた。


「じゃあ、私も協力しましょうか」


その一言に、場がざわつく。

田中社長が、腕を組んだまま目を細めて言った。


「おっ、専務が仕事でサポートしてくれるんか? それは心強いな!」


橋本さん、佐々木さん、半田くん。

みんなが一斉に期待の眼差しを向ける。

だが藤島専務は、微笑みながら軽く首を振った。


「いえ、私のサポートは別の形で。皆さんが頑張れるように、差し入れを用意します」


その瞬間、田中オフィスには一瞬の静寂が落ちた。

橋本さんがぽつりと声を上げる。


「えっ…… まさかの食べ物ですか?」


「そうよ」

藤島専務はにっこり微笑んだ。

「長時間のテスト作業にはエネルギー補給が必要でしょ? 甘いものを食べると脳の働きがよくなるって言うし」


佐々木さんが、思わず苦笑しながら頷く。


「確かに…… テスト作業って地味に疲れますからね。ありがたいかも」


半田くんが、ちょっと遠慮しながらも興味津々で尋ねた。


「ちなみに、どんな差し入れなんでしょう?」


藤島専務はニヤリと笑い、バッグから小さなメモ帳を取り出した。


「今のところ、糖分補給用のどら焼き、集中力アップのナッツ類、それと休憩時のコーヒーと紅茶を考えてるわ」


田中社長が嬉しそうに手を叩く。


「おおっ、それええな! やっぱりオフィス改革には、“甘い補給” も大事や!」


橋本さんが、ふと首をかしげる。


「でも、どら焼きって、なかなか渋いチョイスですね……」


その言葉に、藤島専務はさらりと答えた。


「ほら、田中社長が甘党だから。社長が喜べば、みんなの士気も上がるでしょ?」


田中は満面の笑みで、両手を広げる。


「さすが専務! わかっとるなぁ!」


佐々木さんは内心で「(いや、それでええのか……?)」と突っ込みつつ、何も言わなかった。

水野さんも少し呆れながら、しかし苦笑を浮かべた。


「まぁ、モチベーションが上がるなら、それも良いかもしれませんね」


半田くんが、ちょっとワクワクした声で言った。


「テストの日が楽しみになってきました!」


藤島専務は満足そうに頷いた。


「よし、じゃあ差し入れは私に任せて。皆さんはしっかりシステム移行を進めてくださいね」


最後に田中が、会議を締めくくるかのように笑った。


「ええやん! ほな、新システムの移行は、どら焼きとともに!」


会議室に明るい笑い声が広がる。

こうして、田中オフィスのIT改革は、美味しい差し入れとともに、少し甘く、でも着実に進んでいくのだった。


ーー大手の低姿勢ーー

田中オフィスの会議室に、緊張感が漂っていた。


今日は、新たに導入するシステムプロジェクトの正式スタートの日だ。田中社長をはじめ、水野幸一、藤島専務、佐々木恵、半田直樹たちが席に着き、訪問者を迎える準備を整えていた。


カチャリ。

ドアが開き、二人の男が現れた。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。N通信の沢田です。どうぞよろしくお願いいたします」


「Rシステムの河村です。弊社が技術面でサポートさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」


深々と頭を下げるその姿勢に、田中社長は思わず眉を上げた。大手企業の常務と技術責任者が、こんなにも腰を低くして現れるとは、予想していなかったのだ。


「いやいや、八億円もの仕事を任せとるんやから、こっちがお願いせなあかん立場やで」


田中社長が笑いながら言うと、水野さんも静かに言葉を続けた。


「お二人とも、とても腰が低いですね。正直、もう少し“大企業らしい”雰囲気を想像していました」


沢田常務は、肩をすくめるように笑った。


「いやぁ、今どきそんな態度をとっていたら、仕事なんて取れませんよ。我々も、ただの“供給者”ではなく、お客様と一緒に最適なシステムを作るパートナーでありたいと考えています」


隣の河村も、しっかりと頷く。


「特に今回は、田中オフィスさんの業務の根幹を支えるシステムです。トラブルがあれば、御社だけでなく、我々自身の信用問題にもなります。ですので、何かあれば遠慮なく言ってください」


その言葉に、田中社長の顔が一段と明るくなった。


「ほぉ~、ええ心がけやな。ワシらも、単なる発注者やのうて、ええシステムを一緒に作るつもりでおる。せやから、お互いに突っ込んだ意見を言い合える関係になれたらええなぁ」


水野さんもすかさず補足した。


「システム移行にはリスクが伴います。ですが、事前の計画と適切な対応ができれば、スムーズに進むはずです。我々も積極的に関与しますので、どうかよろしくお願いします」


沢田常務は、胸にこみ上げるものを感じたかのように、力強く頷いた。


「ありがとうございます。我々も全力で対応いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします!」


会議室の空気が一気に温かくなる。

互いに敬意を払いながら、同じ目標に向かって歩み出す――そんな確かな連帯感が、そこには生まれつつあった。


こうして、田中オフィスとN通信、Rシステムとの“パートナーとしての関係”は、正式にスタートを切った。


次なるステップは、システム構築の具体的なスケジュール調整である。

誰もが、新たな挑戦に向けて心を引き締めていた。


ーープロジェクト始動ーー

一通りの挨拶が終わると、会議は本題へと移った。


水野さんが、手元の資料を軽く持ち上げながら静かに語りはじめる。


「まずは現状の業務フローを整理し、新システムにどう落とし込むかを設計します。その後、開発、テスト、そして本格的な移行作業を行い、最終的に運用フェーズへと移行します」


淡々とした水野さんの声が、会議室に緊張感と期待を漂わせる。


それを受け、沢田常務が口を開いた。


「今回のプロジェクトでは、3年間で八億円の投資を予定されています。これはハードウェア導入、ソフトウェア開発、移行作業など、すべてを含んだ金額です」


会議室の空気がわずかに引き締まる。八億円という金額の重みが、改めて胸に響いた。


続いて、Rシステムの河村SEシステム・エンジニアが、モニターに資料を映し出しながら、具体的なスケジュールを提示した。


「まず、第1フェーズとなる1年目は、基盤システムの構築です。VDI、ファイルサーバ、プリンタサーバといったインフラを整備します」


「第2フェーズ、2年目は、業務システムの開発。経理・人事管理ソフト、営業支援システムを設計・実装します」


「そして第3フェーズ、3年目に最終移行と運用開始を行う予定です」


スライドに並ぶ年表を見つめながら、佐々木恵が手を挙げた。


「私たちが今使っている人事給与計算アプリや経理アプリは、どんな手順で引き継がれていくんでしょうか?」


質問に、河村SEは少し身を乗り出して答えた。


「はい、今までの人事、会計のソフトウェアは新システムに移行後、人事管理システムと財務管理システムに統合されます。移行テストがプロジェクト全体の半分以上の比重を占めますので、佐々木さんにもご協力をお願いしたいです」


佐々木が驚いたように目を見開き、気を引き締める。


その横で、半田くんが補足した。


「オンプレミスのサーバーについては、バックアップ管理が非常に重要になります。専任の管理者が必要ですが、現状では私が担当することになるでしょう」


半田くんの確かな口調に、田中社長は嬉しそうに大きく頷いた。


「おぉ、しっかり頼むで。まぁ、専務も食べ物の差し入れでサポートしてくれるらしいし、がんばろか!」


冗談めかした田中社長の言葉に、会議室にふっと笑いが広がった。


藤島専務も優しく微笑み、静かに言った。


「仕事のサポートは皆さんにお任せします。その代わり、皆さんの“燃料補給”は私に任せてください」


その言葉に、堅かった空気が一気に和らぐ。笑い声が重なり、チームに小さな一体感が生まれた。


プロジェクトは、いよいよ本格始動する。

次は、詳細な業務フローの整理と、N通信・Rシステムとのシステム設計ミーティングだ。


田中オフィスは、IT先進企業への第一歩を、確かに踏み出したのだった。


ーー品質管理の本気度ーー

田中オフィスの会議室には、プロジェクトメンバーたちが一堂に会していた。机上には進行表、設計資料、分厚いファイルの山。空気には、張り詰めた静かな緊張感が漂っている。


水野さんは、手元の資料を一瞥すると、静かに口を開いた。


「システムの品質管理についてですが、特に障害発生時の対応フローや、運用開始後の品質保証体制について、具体的な説明をお願いできますか?」


指名を受けたRシステムの技術責任者、河村SEは、すぐさま頷き、スライドを切り替えた。スクリーンに映し出された図面を指しながら、彼は淀みなく語り始める。


「まず、開発フェーズでの品質管理ですが、弊社ではアジャイルとウォーターフォール、両方の手法を組み合わせたハイブリッド型を採用します」


「主要な基幹部分、つまりシステムの核となる部分については、厳格なウォーターフォールで確実に仕上げます。一方、変更リスクの高い部分はアジャイルで柔軟に対応することで、開発のスピードと品質の両立を図ります」


河村SEは一息つくと、次のスライドへ進めた。


「テストフェーズでは三段階のチェックを実施します。

まず単体テスト。開発者自身による基本動作の確認。

次に結合テスト。システム間の連携を重点的に検証します。

最後に総合テスト。田中オフィス様の実運用を想定した環境で、最終検証を行います」


会議室には、皆の真剣な視線が注がれていた。


しかし、水野さんはさらに突っ込んだ。


「障害が発生した場合の対応フローについても教えてください。特に、システムダウン時の復旧手順や、オンプレミスサーバーのバックアップ体制については?」


河村SEは落ち着いた様子でスライドを切り替えた。


「障害対応フローは次の通りです」


小規模な障害――たとえば一部機能の不具合は、Rシステムのヘルプデスクが即時対応。


中規模な障害――業務に支障が出るレベルでは、N通信のエンジニアチームがリモートで対応。


大規模な障害――サーバーダウンなど致命的な問題では、Rシステム、N通信の共同対策チームが対応し、オンプレミス側で冗長構成により即時フェイルオーバー、同時に復旧作業に着手します。


「また、バックアップについては、ファイルサーバーのデータは1日1回クラウドストレージへバックアップを取ります。さらに、災害対策として、週1回の物理バックアップも実施します」


説明を聞きながら、水野さんの表情に少し安堵の色が浮かんだ。


そのとき、N通信の沢田常務が、穏やかながらもどこか力強い声で会議室に響くように語り始めた。


「私たちN通信は、品質こそが最優先事項と考えています」


参加者全員が、自然と彼に意識を向ける。


「このプロジェクトは、単なるシステム導入ではありません。田中オフィス様が“IT先進企業”へと進化するための、重要な第一歩です。だからこそ、我々は“止まらないシステム”を提供しなければならないのです」


沢田常務は言葉を選びながら続けた。


「過去、我々は『安さ』や『納期優先』を重視しすぎたプロジェクトで、痛い教訓を得ました。クライアントに迷惑をかける結果となり、その反省を深く胸に刻んでいます」


沢田常務は田中オフィスのメンバーひとりひとりに視線を配った。真剣な目だった。


「だから今、私たちは“お客様にシステムを納める”のではなく、“お客様のビジネスを支える”システムを作る。それを使命だと考えています。疑問や懸念があれば、どんなに些細なことでもお伺いしたいのです。必ず声を上げてください」


会議室の空気が一段と引き締まった。プロジェクトにかける想いが、言葉以上に強く伝わってくる。


「3年間で八億円の投資――これは貴社にとっても大きな挑戦でしょう。我々も、その覚悟に応えます」


静かに、しかし深くうなずいたのは、田中社長だった。


「ええこと言うなぁ」

彼は関西弁交じりに、温かな声を響かせた。


「ワシらかて、安モンのシステムが欲しいんやない。この投資は、未来の成長への布石や。せやから、みんな、遠慮せんとガンガン意見言い合うたらええ!」


柔らかな笑い声が会議室に広がる。しかし、その空気の裏には、確かな覚悟と期待が渦巻いていた。


こうして――田中オフィスは、真の意味で未来へと進み始めた。


新システム構築の詳細設計作業が、いよいよ本格的に動き出す。


ーーバックアップの第一歩ーー

田中オフィス、小会議室。

カチ、カチと壁掛け時計の音が静かに響く中、ホワイトボードの前に半田直樹主任が立った。

机の上には、小さなUSBメモリと数枚のブルーレイディスクが整然と並べられている。向かいの席には、事務担当の佐々木恵と、営業担当の橋本和馬が身を乗り出すようにして話を聞いていた。


半田くんは手元のノートPCを開き、画面を見せながら口を開いた。


「バックアップのイメージを掴んでもらうために、簡単なシステムを作ってみました。今日はこれを使って、まず感覚を掴んでください」


そう言って、彼はノートPCの画面を指差した。CドライブとDドライブ、二つのパーティションに分かれたHDDの表示がそこにあった。


橋本さんが興味深そうに身を乗り出す。


「パーティションってのは、HDDの中を仮想的に区切るやつやんな?」


「そうです。たとえばこのPCだと、Cドライブは普段の作業用、Dドライブはバックアップ用にしてます。もしCドライブのデータが壊れても、Dドライブから復元できるってわけです」


ふむふむ、と頷く橋本さん。その横で佐々木 恵が、やや眉をひそめた。


「でも……HDD自体が壊れたら、両方ともダメになるんじゃないの?」


半田くんはにっこりと笑い、「いいところに気づきましたね!」と手を叩いた。


「だから、さらに別のメディアにもバックアップする必要があるんです。このUSBメモリとか、ブルーレイディスクがそれです」


橋本さんが手に取ったBDを眺めながら、ぽつりと漏らす。


「ブルーレイって、映画のやつやと思ってたわ。業務にも使えるんやな」


「はい。業務用だと100GBとか保存できるタイプもあります。週1回、こういうオフラインメディアにもバックアップを取っておけば、万が一ウイルスやランサムウェアにやられてもリスクを最小限に抑えられるんですよ」


佐々木さんが感心したように頷く。


「なるほど……でも、これってNASとは違うのよね?」


「その通りです。NASはネットワーク上でデータ保存と共有ができる装置。でも今日はまず、バックアップの基本を体験してもらいたくて、この簡易版を作りました」


半田くんが説明を終えると、橋本さんが腕を組みながらまとめた。


「つまり——」


✅ PCのHDDをパーティションで分ける(簡易バックアップ)


✅ USBメモリやBDにデータを保存(外部バックアップ)


✅ 最終的にはNASを導入して、ネットワーク経由で安全に管理


「こういう流れってことやな?」


半田くんは満面の笑みで頷いた。


「バッチリです!」


佐々木さんも微笑みながら質問を続けた。


「この方法なら、バックアップの感覚がつかみやすいけど……実際の業務ではどう運用するの?」


半田くんは落ち着いた口調で答える。


「システム本番導入までは、この簡易システムで練習してもらいます。データ管理や復旧の流れを体験してもらうのが狙いです。そして本番では、専用のバックアップサーバーとNASを正式に導入します」


「ふむふむ。つまり、今は“シミュレーション期間”ってことやな」


橋本さんの理解に、半田くんがまた力強く頷いた。


「そうです!まずはこのミニシステムを使いこなせるようになってもらえたら、本番のシステム移行もスムーズに進むはずです」


「確かに、いきなり新システムに移るより、こうやって段階を踏んだほうが安心ね」


佐々木さんが優しく微笑む。

橋本さんも大きく手を打った。


「よっしゃ!ほな、まずはこのミニシステム、ちゃんと使いこなせるようになろか!」


「お願いします!」


半田くんは深く頭を下げ、ホワイトボードに次のステップを書き込んだ。


こうして、田中オフィスにおける"バックアップ体制の第一歩"が、静かに、そして確かな手応えとともに踏み出されたのだった。


ーー小規模事業者のIT化相談ーー

田中オフィスの会議室。

自社のIT化プロジェクトが順調に進む一方で、クライアント企業からの相談も増えていた。特に、小規模事業者からは「うちもIT化を進めたいけど、どこから手をつければいい?」という問い合わせが目立つようになっていた。

その日も、水野幸一と橋本和馬は、そんな相談に応じるためにS社を訪問した。


S社は従業員10名ほどの卸売業者で、受発注管理をすべてExcelとFAXで行っているという、典型的な小規模事業者だった。

到着すると、社長が笑顔で迎えてくれた。


「いらっしゃい、どうぞお座りください。うちは最近、お得意先の取引システムがオンライン化されたんで、うちも対応しなきゃいけないんです。でも、どんなシステムを入れればいいのか、全然分からなくて…」


水野さんはうなずきながら、S社の現状を見渡した。

受発注の業務が手作業中心であることは明らかだった。ファイルキャビネットに並んだ受発注の書類、PCの画面にはExcelのシートが開かれたままだった。


「現状の業務フローを拝見すると、受発注管理がほぼ手作業ですね。これをシステム化すれば、入力ミスの削減や作業時間の短縮が見込めます。最初に導入すべきは、大規模なERPではなく、クラウド型の受発注システムですね。これなら、比較的導入も簡単で、コストも抑えられますよ」


橋本さんも続けて話を始める。


「それに、メールでのやりとりも結構多いみたいですが、データのバックアップはどうされてますか?」


S社長は少し考えてから答えた。


「うーん、パソコンにローカルで保存して、たまにUSBにコピーしてるくらいかな」


水野さんは少し顔をしかめた。


「それだと、万が一PCが故障したときに大きなリスクが生じます。クラウドストレージを導入すれば、安全性も高まりますし、どこからでもデータにアクセスできるようになりますよ。業務の効率化にもつながりますし、リスク管理にも役立ちます」


S社長は目を見開いた。


「なるほど、そんな方法もあるんですね。でも、システム導入って結構お金がかかるんじゃないですか?」


橋本さんはにっこりと笑って答える。


「確かに、大企業向けのシステムは高額ですが、最近では月額数千円で使えるクラウドサービスも増えてきています。それに、IT導入補助金を活用すれば、初期費用を抑えることもできますよ」


水野さんも補足する。


「実は、田中オフィスでも、小規模事業者向けのIT導入支援を始める予定です。もしご興味があれば、具体的な提案をさせていただきます。IT化だけでなく、契約やリスク管理の面でもアドバイスできるので、安心して導入できますよ」


S社社長は興味深そうに耳を傾けた。


「それはありがたい!実際にどういうシステムが合うのか、詳しい話を一度聞かせてもらえませんか?」


水野さんは笑顔で答えた。


「もちろんです。それでは、後日、詳しいご提案をさせていただきますね」


田中オフィスは、これまで自社のIT化で得た知見を地域の小規模事業者向けにも活かし始めた。

これまでのシステム開発や販売だけでなく、司法書士としての立場から、契約やリスク管理についてもアドバイスができるという強みを活かすことで、より多くの事業者をサポートできるようになった。

この動きは、田中社長が掲げる「地域ビジネスのソリューション提供」という方針にも見事に合致していた。

田中オフィスの新たな挑戦が、また一歩、確かなものとなったのだった。

ーつづくー

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