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血字の残響  作者: さば缶
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齉(のう)


 冷たい地下室の扉は、重厚な錆びついた鉄で固く閉ざされていた。

刑事・橘明子は鑑識が工具を使って南京錠を切断する様子をじっと見つめていた。

扉が開くと、部屋の内部から冷気と異様な臭いが一気に溢れ出す。


「……これはひどい」


 狭い部屋の中央には被害者が倒れていた。


 井原俊二いはら しゅんじ、35歳。劇団員で舞台俳優をしていた男。

布で口を塞がれ、両手は後ろ手に縛られている。

窒息死――息絶えた表情には苦痛と絶望が滲んでいた。


 そして、床に広がる赤黒い血で書かれた巨大な文字――


のう


「……鼻が詰まる、という意味の字か」


 明子は震える声で呟く。

その文字は、これまでの現場と同じように異様に整っている。

しかし、今度はその筆跡にどこか不自然な乱れがあった。


「どうやって書いたんだ……こんな密室で」


 地下室には窓も通気口もなく、唯一の出入り口である扉は外から南京錠が掛けられていた。

鑑識員が壁に取り付けられた小さな鉄枠を指さした。


「ここ……空気が完全に抜けないように設計されていますね。まるで、何かを閉じ込めるための部屋みたいだ」


「閉じ込める……?」


明子の胸中に不吉な予感が走る。



 午後、墨谷諒一の工房。彼は井原俊二の現場写真を食い入るように見つめていた。


「……また違う形だな」


「違う?」


 明子が怪訝そうに聞き返すと、諒一は静かに頷く。


「『齉』という字の乱れです。これまでの『魑魅魍魎』や『驫』は完璧な筆跡でした。しかし、今回の『齉』はわずかに乱れている……まるで書き手の手が震えているかのようだ」


「震えている……?」


 諒一は写真を指でなぞりながら続ける。


「『齉』は鼻が詰まる、息ができないという意味を持つ字です。同時に、封印や閉塞を暗示する文字でもある――古い呪術や祭祀に使われた記録が残っています」


 明子はハッと息を呑む。

「封印?」


「はい。犯人はこの文字で"閉ざされたもの"を象徴しているのでしょう。息詰まるような密室――まるで、何かを外に出さないために作られたような場所です」


「何かを外に出さない?」


 諒一の視線が一瞬だけ揺らぐ。

しかし彼はすぐに表情を戻し、冷静に続けた。


「――それだけではありません。井原俊二はただの俳優ではありません」


「……何?」


「井原は禁字の研究に執着していた人物です。さらに、墨谷家の一部とも接触があった」


 明子の眉がひそめられる。

「接触って、どういうこと?」


「彼は禁字の封印を解く方法を探っていました。何か"禁忌"に触れようとしていた……それが彼の死と関係しているかもしれません」


「禁字の封印……」


 諒一は少し視線を落とし、静かに言った。


「――これが"禁字の呪い"でなければいいんですがね」



 その晩、明子は署内でこれまでの事件を整理していた。


「井原俊二は禁字に執着し、封印を解こうとしていた……。篠宮英介は古文書をオークションに、天野和也は禁字の断片を闇市場に流していた――」


 明子の手が止まる。

これまでの被害者に一つの共通点が浮かび上がった。


「……禁字に関わった者たちだ」


 そこに共通するのは、禁字を"穢す"行為。

犯人は、禁字を守るために一人ずつ浄化しているのかもしれない――。



 明子の考えがまとまりかけた時、署内に呼び出しがかかった。


「橘さん! 捜査本部に匿名で包みが届きました!」


「包み?」


急いで捜査本部に駆け込むと、机の上に置かれた小さな木箱が目に入った。

封は厳重に紐で括られ、表面には達筆な墨文字が書かれていた。


「――


明子の心臓が跳ね上がる。


「籲……訴える、叫ぶという意味の字だ」


 捜査員が慎重に箱を開けると、中には一枚の古びた紙が入っていた。そこには血で書かれた"籲"の文字と共に、たった一行の文が添えられていた。


「次で終わりだ。すべては封印のために」


明子は息を詰めた。

「――次が、最後……」



 翌日、明子は墨谷諒一の工房を訪ね、木箱とその中身を見せた。

諒一はしばらく無言で血文字の"籲"を見つめていた。


「――やはり、そうか」


「どういうこと?」


諒一は静かに答えた。


「この字が示しているのは、犯人が最終的な"叫び"を残そうとしているということです。そして、その叫びは禁字の最後の封印に繋がっている」


「封印……?」


「真犯人が現れる時が近づいている。橘さん、近々全てが明らかになるでしょう」


 諒一の言葉には、どこか確信めいた響きがあった。

そして、その視線の奥に――明子は一瞬、迷いと決意が入り混じる光を見た。


「あなた、何か知っているの?」


「――言葉には触れてはいけない真実があるんです」


 諒一はそれだけを残し、静かに紙を見つめた。

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