非自己愛者の遺書
僕を一言で表すならば、何だろうか。混沌、汚濁、明白、単純、複雑……浮かんでくるボキャブラリイは無限である。
「そりゃあ、お前、人間を一言で表そうって方が無理だ」
友人からはそう言って笑われた。しかし僕はそうは思わない。
そうでなく、こういった場合はいつも、自分がボキャブラリイの無い、無教養な、下劣な人間に思えてならないのだ。
この思考は、他人からは、憐れに思われる事が多い。僕が、自己を素直に愛すことのできない自分に気づいたのはつい最近のことだ。
この非自己愛の思考が身に付いたのはいつからだったか。心当たりは無くもない。
僕が物心つく頃までは、どうやら両親と三人、市営住宅で生活していたらしい。しかし記憶に確かなのは、父の両親――つまり僕の父方の祖父母にあたる人達と、父の弟の娘と、父の実家にて暮らした記憶のみである。
その後、訳あって祖父母とは別々に暮らすこととなる。何でも、僕の知るところではない、「大人」の事情とやららしい。
兎にも角にも、僕に非自己愛の思考が身に付いたとしたなら、祖父母と共に暮らしたこの時期であろう。
当時、父はすでにしがない地方公務員だったが、祖父はタクシードライバをしていた。僕と従兄弟の亜佳梨は同じ年であったこともあり、よく一緒に遊んだ。
この亜佳梨とは仲が良かった。僕は彼女が大好きだったし、妹が生まれたときも彼女を相手に遊んでいたためか、下手に甘えて母を困らせたりしなかった。
亜佳梨の父親は、僕の父の弟で、彼は薬に依存していた。そのため亜佳梨の両親は離婚し、祖父母が亜佳梨を引き取った。
祖父母は何かにつけて僕と亜佳梨を比べたがって、いつも亜佳梨ばかりを誉めていた。
当時の僕はとてもぼんやりしていたから、そんなことにも気づかずに亜佳梨のことを自分よりも良い子なのだと思っていたが、母はそれが気に食わない様子だった。思えば、「大人」の事情はここから始まっていたのかもしれない。
祖父母が亜佳梨と僕とを比べるときは、決まって訳のわからぬ、田舎者の論理が用いられた。
「晴はギッチョじゃ。ギッチョはいかん。亜佳梨を見て見ろい。ちゃんと矯正せんからこうなるとよ」
ギッチョとは、僕の育った地方での左利きの差別用語である。
僕はギッチョの意味が良くわかっていなかったから、自分は亜佳梨より劣った子供なのだ、くらいにしか思っていなかった。
それから、毎日の食事のときには決まってこのような会話がなされた。
「ご馳走さま」
「もっと食わんね。亜佳梨を見よ、沢山食わねば大きくなれんのよ。じゃから晴は小まいのよ」
当時の僕は食が細く、沢山食べることができなかったのである。後に、一度に沢山食べることが苦手なのだと言うことが判明するが、そのときもやはり僕は、祖父の言葉を理不尽に思わず、寧ろ亜佳梨を誇らしく思った。
このような生活の中、母は父の弟の存在に恐怖心を抱き始めていた。彼は薬に依存していた上に、母の入浴中に勝手に脱衣所に入ったり、突然怒鳴ったりしたらしい。
母はそのことを父に訴えたが、父は元々ソリの合わない祖父母との生活で苛々して家に帰らず、乱れた関係は約一年間も続いたのである。
当時は全く意識しなかったが、どうやら僕の自己否定の概念はこの時に産声を上げたように感ずる。
その後、祖父母とは別居という形となり、両親に加え僕と妹の四人の生活が始まる。
ちょうどその頃、僕は通っていた幼稚園生活の中で、一人の女の子に悩まされていた。
彼女は裕子と言った。当時僕には、彼女が我が儘極まりない怪獣に思えた。
彼女との遊びの中には、全くもって僕の決定権は存在しなかったのである。
実を申し上げると、僕は高校に入るまで話の合う子供がいなかった。皆の話が酷く退屈に思えてならなかったのだ。
どちらかというと大人と話しているときの方が、僕には愉快に感じられた。
僕が美男子だと言われ始めたのは、この頃であった。
それを自覚したのは、中学生になってからである。
しかしそれはいよいよ僕を恥ずかしい気持ちにさせ、益々体を小さく丸め、外界からの好奇の目から逃れるしかなくなってしまった。
だが、やがてそれさえも恥ずかしくなり、心では小さく丸めた体も、悟られぬよう大きく見せる努力をするのだった。
同じ頃、僕は自分の気障な「梛木沢晴」という名前も恥ずかしいと思うようになった。何だか、これは果たして作家がペンネームにでも選びそうななではないか、と。
こういった考えが影響したのであるが、僕が文章を書き始めたのもこの頃である。しかし、全くと言って芽は出なかった。
学問には興味が持てず、スポーツは嫌いで、僕は自分が無価値な人間に思えてならず、毎日泣いた。
そうして一度だけ、自殺を図ったことがある。しかしそれは、カッターで手首を傷つけると言う、簡易なもので、知識の無い僕は止まってしまった血液を見て呆然としてしまった。
それでも一途に捨てなかったのは小説を書くことだった。
何の因果か、その後、叔父のちょっとしたイタズラによって文章を仕事としている僕である。
僕の中の非自己愛の思考が完成したのはこの時期ではないだろうかと思い当たるのだ。
さて、これまで徒然と非自己愛について語ってきたが、しかしこれは純粋に自己を憎しみ、破滅へと追い込む者のことで、実は僕はその生き様に美しさを感じ、自分を美しく見せたかっただけなのかもしれない。
弱い僕は、完全に自己を愛すことを止めることが出来ず、他人に好かれることによって自己を愛すと言う回りくどいやり方を覚えただけに過ぎなかったのだ。
僕の趣味の一つに、自己分析がある。これも自己を密やかに愛す行為の一つであることは言うまでもない。
僕はいつの間にやら、非自己愛に見せかけ、自己さえも騙し、密やかに自己を愛すライアーであった。このライアーはなかなか愉快で、生きるのが楽である。
しかしライアーもそろそろ限界だ。この様な下劣な自分に嫌気がさしてきたのだ。だから、然るべきときにこの手で死のうと思う。
しかし、まだやりたいことが成されていないのも事実、その全てが成されたときにはきっと。
ただし、この僕の寂しい心の内を、誰かに知っていて欲しい。僕は弱いから、このような卑怯なことをするのである。
その様な僕であるから、この文章を遺書として書き留めたのである。
いかがでしたでしょうか。もの凄い極論ですが、実はこれ僕の中に存在する考えでもあるのです。(かなり大袈裟に表現してはありますが)
読者のことはあまり考えてない失礼な作品になりましたが、感想頂けるとないて喜びます。