パンドラの箱
1週間ほど前に城塞都市へやってきた戦闘狂の大剣使いことバーナードは、筋骨隆々の巨大な体躯に似合わず自らに向かってくる攻撃を軽やかに避けていた。味方の遠距離攻撃も、モンスターの突進も、である。
敵の攻撃は当たらず、バーナードの大振りにしか見えない大剣の単調な動きは俊敏な魔物さえ捉えて一刀両断にする。敵からすれば悪夢のような男だった。
バーナードより1日早く城塞都市へ到着していたミナは城塞都市を拠点としている魔法使いの先輩であるノーザンと合流し、新たに発見されたダンジョンや、皇帝土竜の襲撃について情報収集をしながら、臨時パーティを組める相手を冒険者ギルドで探していた。
そんな折にこのスタンピードが発生したのである。
正直なところ、ミナは自ら開発した魔法が強力過ぎるため、試す機会を探すのに苦労していた。そんな彼女にとってスタンピードは脅威でありながら千載一遇の好機でもあった。何の遠慮もなく流星群<ミーティア>を放てる機会などそうあるものではない。
手のひらに彫った炎弾の魔法陣も本来は前衛を突破されたり、ソロ活動時に敵や魔物の接近を許した場合の緊急用だったが、限界値を知りたかった彼女は連発できる場を探していた。使用に慣れていないものを緊急時に十分に扱える可能性は低い。しかし、人の少ない場所では大きな音に誘われて魔物がどのくらい寄ってくるかわからないし、限界を迎えた後に魔物に襲われないとも限らない。とは言え、人が近くにいる場所では当然危険だから許可が下りない。
「楽しいですねえ」
ついうっかり呟いてしまう。嬉しそうな表情とは裏腹に、無数の炎弾に曝されて手のひらは酷い火傷を負い、出血を始めていた。
魔法陣を入れ墨する。
これは大変な危険を伴う手法であることが知られていた。ただの炎弾ですら発動する度に酷い火傷を負う。
そもそも魔法陣は発動すれば消え去るものである。羊皮紙に描かれた魔法陣、所謂スクロールは発動すれば燃えてしまう。地面などに描いた場合も光と共に跡形もなく消え去る。ある意味、初心者にとっては魔法陣が消えているという事が魔法を発動できたという証明にもなるが、羊皮紙を燃やし、地面に刻んだとしても消えるはずのものを皮膚に彫り込み発動することに代償が伴わないはずがない。
最も有名な事例はドルマイムの血煙事件だろう。
王都の裏社会で位の低い貴族では太刀打ちできないほどの財力を有していたガイラ=ケンダルムの子飼いの魔法使いで、風魔法使いのドルマイムは周囲の人間に“魔人”と呼ばれるほどの実力を有していた。
ガイラは貧民街の出身でありながら、人を引き付ける才能を有し、金の流れに敏感だったために合法非合法問わず様々な金儲けに関わり、物事の分別がつく頃からすでに資金に困ったことがなかった。生まれが貧乏だったにも関わらず、様々な物や人が彼の周りに集まって来ていたのである。
しかしながら、成功体験は人を腐らせる。
ガイラは王都の片隅にある貧民街を拠点に武装蜂起し、王侯貴族への反旗を翻したのである。その切り札として用意したのがドルマイムに風系統の高等魔法と呼ばれるハリケーンの魔法陣を掘り込み、広範囲、高威力の魔法を連続して王宮に叩き込むという策略だった。
ドルマイムは貧民街から拾い上げ、魔法を学ぶための環境を整えてくれたガイラへの恩義もあったが、うぬぼれも強く、自分がハリケーンを連発することなど訳ないと思っていた。魔法陣は腹も背中も使わないと描ききれないほど巨大であった。
彼は王宮の前の大通りに立ち、マントを翻して上半身を露出した。
そして魔法陣を起動させた。
しかし、ドルマイムの体はそれに耐えられず、ハリケーンに巻き込まれ、皮膚も骨も残らずただ血煙となって消え去ってしまった。
たった一回発動できたハリケーンは王宮の一部を破壊したが致命傷にはならず、ガイラの一味はあっという間にお縄に就くことになったのだった。
ガイラと数人の幹部はギロチン台に麻袋を被せられて固定され、王宮やしくじったドルマイムへの恨み言を吐きながら斬首されたのである。
ミナは炎弾を放ちながら治癒魔法を軽微ながら発動することでダメージを抑えていた。一方で彼女はミーティアに代表されるように大地魔法と炎魔法に長けており、治癒魔法は応急処置程度のものしかできない。
それでも激痛を意にも介さず炎弾を放つ彼女は、側に立ち氷系の高等魔法を操るノーザンからは好奇心に支配され狂気に蝕まれているように見えた。
「肝が冷えるぜ」
「せんせい」
扉の前で行儀よく立っているホーンウルフ、アルビノ染みた真っ白な見た目の美しいオオカミは、よく通る声で人語を話した。
んん?? せんせい?
弟子はリナリアくらいしかとった覚えがないが。
いや、待てよ。何人か雇っていた孤児が私の事を先生と呼んでいたな。家事を任せる傍ら、暇つぶしに少し魔法を教えてやっていたっけ。生活に必要な範囲のつもりだったから、教え子とも認識していなかったが。
だが、やはりホーンウルフには教えていない。どういうことかと返事に窮していると、私の事を見透かすように自己紹介し始めた。
「せんせい、僕だよ。リブラだよ。」
『リブラ!? 何故そんな姿に?』
リブラとは王都に居られなくなった時に郊外に牧場を作り、耕作をしながら生活をしていた時期に身の回りの世話をさせていた少年だ。寒い冬に冷たい井戸水で洗濯をさせるのが申し訳なくなり、生体魔法を教えて寒さや冷たさ、あるいは暑さなどに耐性を持てるようにしてやったのだった。
王都に戻れることになった時に別れ、私は結局王都には居つかずまた旅に出たのだった。
「生体魔法でこのホーンウルフを操っているんだ」
生体魔法で魔物とは言え他者を操るだと? あまつさえこちらの状況を見通し、発声器官のないはずのホーンウルフに喋らせているというのか? それはもはや魂魄魔法なのではないのだろうか。
『君も魔人と化してしまったのか』
「まあね。でも、風の噂でせんせいが生き返ったって聞いていてもたっても居られなくて」
『君自身は今どこにいるんだ』
「僕は今も王都に居るよ。ただ、この場所を動くことが出来ないんだ」
王都か。ここから徒歩で1週間はかかる。この距離を無視して魔法を飛ばせるのか、ホーンウルフに接触しさえすれば距離は関係ないのか。気になることはたくさんあるが、まあそれは後でもよいだろう。
『拘束されてでもいるのか?』
「まさか、自分の意志だよ。魔人をたかが人間がどうこうできる訳がないじゃない」
『それなら何よりだ。積もる話もあるところだが、今はスタンピードの対処をしているところでな』
「勿論知っているよ。手助けはいる?」
『いいや、しかし、自分を知っている者がいるのはどこか安心するな』
「リナリアさんが言いふらしてるんだし、近くにいるんじゃないの」
リナリア、あいつ王都にまで噂を流してるのか。
『奴は、まあ、な』
「ふうん?」
『折を見て王都には向かおうと思う。冒険者ギルドの様子も見ておきたいし』
「僕はまだ昔の家にいるからね。まってるよ」
絶対だからね、と執拗に念押しすると、彼の気配が唐突に消えた。するとホーンウルフが暴れ出した。
あいつ、放置して去るなよ。
地上に先行して事態が収束しつつある地底都市ガラリアでは大量の魔物や肉食動物の死骸をどうするか相談が始まっていた。
加工用の素材にできるものでも、皮などは早めに処理しなければ傷んでしまう。皮を剥いで施塩までできればひとまず安心だ。肉類もうまいもの、不味いものの他に珍しいが毒を持つ獣もいるから知識がある者が仕分ける必要がある。
「もったいねえなあ」
ヒロトは自ら掘った穴に次々と放り込まれる死体を眺めながらつぶやく。
「仕方ありませんよ。あまり過剰にあっても腐らせるだけですし、腐ったら腐ったでまた巨大ワームでもよって来かねませんからね」
つぶやきに反応するピエル。彼は魔物たちを殲滅する中でぼろぼろになった衣服をヒロトの側仕えをしているカンナギに渡されたものに着替えていた。
「ヒロト様、今後しばらくは豪勢な食事にありつけると民たちは喜んでおります」
「それは何よりだがなあ。こう極端に多い数を淘汰すると、しばらく洞窟での狩りは成果が期待できないだろうから、肉は可能な限り塩漬けにしておいてくれ。傷みにくい素材とかは剝ぎ取れてるか? 牙とか角とか。何なら地上に売りに出てもいい」
「それは良いですね。こちらの鍛冶屋で加工したものが地上でどのくらいの価値がつくのか興味があります」
ガラリアは皇帝土竜が掘ったと思われる洞窟を複数把握しており、鉱石を十分に採掘できていた。魔獣の中には牙などに希少鉱石を含んでいる者がおり、鋼鉄と併せることで用途に合わせた特性をもった合金を作ることができる。組み合わせなどは経験則によって鍛冶屋に受け継がれてきたもので、素材の比率や温度管理などは門外不出、というよりは一朝一夕には学びきれるものではなかった。
穴に放り込まれた死体はピエルの生体魔法によって活性化された微生物によって分解され、肥料として扱われる。おおよそ一週間から二週間で出来上がる事だろう。今回のスタンピードで多くの魔物や獣たちは淘汰されたはずだが、また少しずつ繁殖して増えていくはずだ。
自然に任せて腐敗させてしまった場合、悪臭が漂ってまた魔獣などを呼び寄せてしまう可能性があるが、ピエルの魔法によって発酵した場合、独特の臭いはあるものの、強烈な悪臭というほどではないので、恐らく大丈夫だろうと推測された。
「まあ、一段落というところか」
ヒロトは大量の焼き肉に湧き上がる民たちを眺めてほほ笑んだ。
バーナードは疲弊していた。
自分が被るダメージを抑えつつ、相手には強烈無比の一撃を加える。その難事を軽々とこなしてはいたが、人間である以上疲弊は避けられない。
だが引き下がって休息を取って良いかというと、周囲の状況も芳しくなかった。どうやら侵入したミノタウロスは突如飛来したフェニックスが辛くも勝利したようだが、ダメージを負い過ぎてしまったのか倒してすぐに飛び立ってしまった。
対応できるのはあの場に居なかったとはいえ、フェニックスが馬鹿げた腕試しなどせずに、炎魔法が如何にも得意という見た目をしているのだから、自分と交代して範囲攻撃に切り替えられたのではないのかという不満が首を擡げるが、そもそも奴は城塞都市を守る義務などないのに善意で来たのではないかと理性がそれを押さえつける。
遠距離攻撃の弓兵や魔法使いたちはよくやってくれているが、攻撃の手数が減ってきている。限界を迎えた者たちが少しずつリタイアしていっているのだ。その中にはミナもおり、両手が焼けただれ、魔法陣は見る影もない。
だというのに、魔獣たちは次から次へと穴から湧いてきて、一向に減る気配がない。いつか終わりは来るのだろうが、今のところその兆候はない。地下には一体どれだけ広大な洞窟が広がっているのだろうか。
期待されていたリナリアは比較的強力な炎弾やウインドカッターを淡々と放ち続けている。疲弊した様子もなく、まだ全力ではないように見えるのがまたバーナードの苛立ちを募らせた。しかし、彼はそれを口にはせず、怒りをひたすら目の前の魔獣を倒す力に変えた。
変色固体というのは稀に発生するものだが、特に白というのは珍しく目を惹くので多くの場合早々に狩られてしまう。これは他の魔獣に、という意味でもあるし、人間に、という意味でもある。
食用の他、人間の中には呪術に有用だと主張する者もいるし、毛皮が綺麗だから高く売れる場合もある。角などは特殊な物質を含む場合があって個体ごとに何を含有しているかはバラバラなので検証しつつ有用な物質だったら幸運という、錬金術師にとっては運試しのような扱われ方もする。
そういう環境に居て成獣と化しているという事はこのホーンウルフは非常に生存能力に長けているという事を証明している。
それが戦闘能力の高さなのか逃げ足の速さなのかは実際に戦ってみないとわからないが、まあこいつの毛皮ごしでもわかる筋肉の発達具合や、鋭い牙、傷だらけだが折れてはいない一本角を見れば、戦闘能力に長けていると考えるのが妥当だろう。
「ねえ、結局何なの? 知り合いなの?」
ロナーは私とリブラのやり取りを大人しく聞いていたが、急に暴れ出したホーンウルフが玄関を破壊する音を聞いて黙っていられなくなったらしい。
『あー、知り合いが操っていて大人しかったんだが、接続が切れてしまったようだな』
「その知り合いの方は無事なの?」
『王都にいるらしいから安全だ。とにかく我々の身を守らねばな。ロナーは勝手口から広場へ向かうと良い』
「駄目よ」
『え、な、何がだね』
ロナーは私に疑いの目を向ける。
「そうやってまた一人になろうとしてるでしょ。何度も言うけど、まだ首も座ってないし離乳もできてないんだからね!!」
『わかったわかった、じゃあ、これは奥の手だったが、ホムンクルスを使うとしよう。ロナーは私を守っていてくれ』
そういうと私は亜空間から以前の私を模したホムンクルスの素体を取り出した。予備頭脳を直接ホムンクルスの素体に埋め込み、体が動くかを試す。
「ふふん? 初めてにしては良い動きじゃないか」
「な、なに? 誰? 急に」
「これは私の前世の姿を模したホムンクルス用の素体だよ。魔法は魂に根付くものだから、赤ん坊の体が死んでしまえばこちらも動かなくなるだろうがね」
そういえば赤ん坊の自分の体をまじまじと見るのは初めてだな。
生まれつき白い髪は前世と同じか。顔つきは幼いながら成長すれば美人になりそうな予感がする。瞳は眠っているので見ることが出来ないが、まあ、ロナーたちに世話してもらって肌艶もいいし健康そうなのが何よりだ。
「あなたがエスカ……」
複眼の歪んだ視界でしかロナーも見た事が無かったな。
「ね、ねえ。おじさんって話じゃなかった? 十五歳くらいの少年にしか見えないんだけど」
「失敬な。これでも50を過ぎていたんだぞ」
「噓でしょ」
こんな問答をしている暇もない。私は、とにかく私を守ってくれとロナーに言い置いて、玄関へと向かった。
ホーンウルフは一通り暴れた後、自分を支配していたものが周囲に居ないことを悟ったのかおとなしくなっていた。
そこへ私が現れたものだから、一気に敵意剥き出しで襲い掛かってきた。私は人差し指を突き出し照準を合わせてウインドバレットを放ち、大きく開かれた口から頸椎を撃ち抜いた。
力尽きても慣性でこちらに向かってくるホーンウルフの死体を返り血ごと亜空間に放り込み、周囲を観察しつつ、城塞都市全体に展開している複眼からの情報も取得する。
今のホーンウルフで城壁内に侵入したものは片付いたようだな。ミノタウロス対フェニックス戦を観察していた予備頭脳との同期は後程やるとして、この素体の試験運転を兼ねてこのまま城壁外へと繰り出そうではないか。
あのバーサーカーが局地的に敵の数を減らしていて、減った分周囲に散っていた魔物たちや穴から新たに飛び出した魔物が寄っていくような構図になっているので、比較的手薄な反対側に行ってみることにしよう。
突如城壁外へ現れた白髪の少年か少女か見紛うような中世的な美しい子供が、アリスを含め遠距離攻撃をしていたものの目に止まった。
「ちょ、ちょっとどこの子!? 危ないから戻りなさい!!」
声を掛けられたことに気付いたその子供が振り返ると笑顔でアリスに手を振っている。不思議なことに魔物たちはその少年を取り囲んで手をこまねいているようだ。
「アリスー! こっちは私が受け持つから正門側に応援に行くと良いよー」
「まさかエスカさん!? 何その姿!?」
「質問は後ー! 早く行ってー!」
緊張感のない催促に釈然としない思いを抱きながら、まあエスカさんなら大丈夫かとまだ動ける弓兵や魔法使いを連れて正門側へと城壁上を移動していく。
アリスには見えていなかった。エスカに次々と襲い掛かっては瞬殺されて亜空間に仕舞われていく魔物たちが。
そして、バーナードと遠距離攻撃組で仕留める数を超える魔物たちを捌き始めたために正門側に寄っていた魔物たちがエスカのいる裏門側へ流れるようになり、その上アリスたちが合流したことで一気に正門側には光明が見えた。
斥候のスミカは侵入した魔物たちの足取りを追っていたが、正門でフェニックスと対峙していたミノタウロスを除いて他の魔物たちは見つけた時にはすでに仕留められており、ホーンウルフだけ死体が見つからなかったが、玄関を破壊された家の中で赤ん坊を抱きしめていたロナーに事情を聞くと、恐らくエスカが仕留めたのだろうことがわかった。
そして、ホムンクルスの体を手に入れたエスカが周囲に居なかったので、恐らくスタンピードに向かったのだろうことが推測できた。
スミカが正門付近で指揮をとっているギルドマスターに報告に行くのとアリスが正門側に応援に駆け付けたのがほぼ同時だった。
城壁に駆け上りアリスから話を聞くと、エスカが1人で大丈夫だというのでこちらに来たとのこと。
スミカはその話から1人で大丈夫というよりは、エスカがあまり自分の戦いを人に見せたくないという意図が感じ取れた。そして、本来斥候としては戦力不明な者の戦いは見ておきたいし、保護者を名乗り出た以上助けに行かなければならないと思いつつ、彼の戦いを見るべきではないのではないかという奇妙な悪寒がスミカの足をそこに留まらせた。
スミカとアリスが合流しているのを目ざとく見つけたリナリアは二人によってきて、状況を聞き出した。するとここ数週間で一番目を輝かせて城壁から飛び降りた。
「こうしちゃおれん。 いてもたってもいられない。 師匠の戦いを見届けなくては!」
何の補助魔法もなしに飛び降りれば骨折はまず間違いない、下手をすれば死ぬような高さを腰丈の柵でも飛び越えるような気軽さで飛び降りたリナリアを魔獣たちが襲い掛かるが、リナリアに触れる前にバタバタと力を失って倒れて行った。
リナリアは特に何か魔法を行使しているような形跡はなかった。その様子を見ていた魔法使いや弓兵たちは、やはりリナリアは異常だと思い知らされたのだった。
そしてその姿を見たスミカは考えを改め、裏門へと走り出した。当然、城壁外をぐるっと回る遠回りではなく、市街を突っ切る直線ルートで、である。
的がたくさんあるのは喜ばしい事だ。
体術とウインドバレットを組み合わせた戦術で近中距離戦をこなしていたが、範囲殲滅魔法を試してみようと効果を私から半径20メートルほどに絞って絶対零度に冷やした。
しかしこれは失敗だった。物言わぬ氷像と化した魔物たちがそよ風によって次々と倒れ、粉砕してしまった。素材として使用できなくなってしまったのだ。
次に剣術を使用することにした。稼働し始めたばかりの素体では満足に動けないだろうが、重要なのは術理である。相手との間合い、急所、重心の偏り、そしてタイミング。これらを掌握するならば、剣を握れさえすれば十分に相手を死に至らしめることができる。
亜空間に仕舞ってあった王都で安売りしていた練習用の剣を取り出すと、並み居る魔物の角をいなし、血管の太い急所を切りつけ、喉や心臓を突いた。単調な攻撃しかできない魔物たちでは少々物足りないが、物量があることでそれなりに手ごたえがあったともいえる。
剣術も問題ない様だ。
期待以上だった素体の出来に満足した私は魔物の討伐を継続しつつ、ミノタウロス戦を観戦していた予備頭脳を使っていくつかの目を穴に向かわせた。さっきから次々と沸いてきていてキリがない。
「おおう」
そして穴の中を探り始めた私は現実を突きつけられた。
飢餓に苦しむ目、錯乱した様子の動物、興奮状態の魔物たちが争いあうことなく穴の中でぎゅうぎゅう詰めになっていて、それが今まで討伐された数をゆうに超えている。全容を把握する前に目が素早い何かに、あるいは偶発的事故によって破壊されてしまった。防御力もなく、早く移動できる訳でもないが、ささやかな虫程度の存在感を目ざとく感知できるものが居たようだ。地上とは違い、閉鎖的な空間であって距離もとりづらかったから、驚くほどの事でもないかもしれない。
しかし、ここまでみんなが疲弊した状態で半分も討伐できていないのか。
こうなると、空腹を満たすためというだけではなく、地下に迷い込んでしまって出られなくなっていた魔物たちが地上を目指しているなど、他にも穴から這い出るモチベーションがあるのかもしれない。
地上にいる分の魔物たちの密度はだいぶ下げられたから、正門側へ移動して穴に直接突入していこうとした矢先、リナリアが走ってやってきた。
リナリアが通る傍から魔物たちがバタバタと力を失って倒れていく様子は何度見ても怖気が走る。
「師匠~!!」
「なんだリナリア、正門はどうした」
「師匠! そのお姿! 完全復活ですね!!」
「聞いてないな」
直線ルートでショートカットしたはずのスミカはリナリアより一足遅れて城壁から外を観察し始めた。手伝うつもりで状況も知らずに突っ込んで自分の手に負えず、結局リナリアやエスカに助けられるという事態を回避するためだった。
「アレがエスカの前世の姿」
リナリアにもエスカにも魔物たちは近付くことが出来ずに沈んでいく。
斥候であるスミカは視力が高く、エスカの容姿が鮮明に見て取れた。
「どこかで見た事があるような……」
スミカは一瞬そう考えたが、ただのデジャブだろうと首を横に振った。
「今はそれよりこれからどうするか考えなくては」
魔物たちの残存戦力やエスカとリナリアが討伐するスピードを確認しているうちに、スミカは違和感を覚えた。
最初は二人とも強いなあくらいにしか思っていなかったが、それにしても異常だ。
「二人とも、詠唱とか魔法陣は……?」
悪魔の力を借り受けるために契約を結び、力を行使する時には詠唱、または魔法陣で力を引き出すという手続きを踏む必要がある。だから魔法使いは絶対的な力を持つようで、実際には発動に時間がかかったり、何度も複雑な詠唱や魔法陣を再現しなければならない場面では、疲労が蓄積していくことになる。
スミカは冒険者時代にパーティメンバーに教えてもらった生活魔法程度しか使えないが、この原則は身に染みている。
しかし、二人の魔法を放つテンポは異様な早さだった。というより、重複して複数の魔法が展開されているようにも見える。
改めて考えてみると二人がまともに魔法を使っているのをまともに観察するのは初めてかもしれない。
スミカは一度、エスカと最初に遭遇した時に致命傷を負わされた。あれは声が聞き取れない距離で詠唱をしたためだと考えていたが、そうではなかったのだ。
「まさか本当に魔王……」
思わず自分で口にした言葉で、既視感の正体を思い出した。
教会が出している子供向けの絵本で、奇跡により不老不死となった神聖魔法使いであり、神の化身と呼ばれた女性がおさめる国を滅ぼした魔王が確か白髪の少年の姿をしているという話だった。
その後30年にわたって魔王は世界の国々と対立していたが、突如として姿を消した。
それがつい15年ほど前だった。
勇者に討伐されたとか、寿命で死んだとかいろいろと噂があったものの、死体の確認は終ぞできず、世界に平和がもたらされたのだった。
いくつかの事実はギルドの資料でも裏付けをとっている。
自分が信仰している宗教ではあるが、職業柄一方の情報を鵜呑みにはできないし、教会も自分たちの正しさを主張したがる節があるので、善悪に関しては特に信用ならないのだが、ギルドの資料は信用できる。
ギルドの資料では魔王とは呼称されておらず、ただ、名称不明、あるいは二つ名の「白い悪夢」と呼ばれていた。
悪寒の正体を知ったスミカは正門へと急いだ。
さてと、スミカは私が世界でどう呼ばれていたのか勘付いたようだな。一目散に正門へと走っていった。
まあ私のやることは変わらない。
「リナリア、このまま正門側へ移動し、洞窟内を直接叩く。手分けしたいが地上にわき出した分を頼めるか」
「ハイ! 師匠!」
うん、いい返事だ。周囲の魔物たちはまだまばらに残っているものの、この程度であればアタッカーでも対処できるだろうという数にまで減らしながら正門へと向かった。
正門では相変わらずバーサーカーが単独で大剣を振るい、アリスやフードを被った魔法使いなどが遠距離攻撃をしているが、アタッカーの出番はすぐそこまで来ていた。
遠距離攻撃を担当している者たちがリタイアにより激減していたのだ。
「な、なんだァ!? ガキィ!! あぶねえぞ!!」
バーサーカーが気遣って声を掛けてくれた。優しいね。
リナリアの存在に気付くとさらにバーサーカーは私を連れて城壁内に避難するよう叫びながら、援護しようと近付いてきた。
恐らく、外に居る子供をリナリアが見つけて保護してきたと思っているのだろう。
これでもこのバーサーカーより年上なんだがね。
「心配は無用だバーナード。 この方は援軍だ」
「気遣いありがとう。これから私は単独で洞窟内の魔物の殲滅に入る。君たちはリナリアと共に漏れ出た魔物たちを討伐すべくもうひと踏ん張りしてくれ」
「こ、この子供がかァ??」
何かを感じ取ったのか呼び方がガキから子供へと変わった。
「問答する時間が惜しい。では行ってくる」
「行ってらっしゃいませ。師匠!!」
バーサーカーは襲い来る魔物を捌きながら目を白黒させている。
スミカがギルドマスターらしき初老の男と話している姿を複眼でとらえながら、私は穴の中へ飛び込んだ。
戦闘中思い直したのだが、もしかすると予備頭脳は作成にこそ魔法が必要だが、一度作られてしまえばスタンドアローン状態で、どこへでも行けるのではないか、仮に本体の赤子が死んだとしても、動き続けられるのではないかという可能性に気付いたのだ。
気付いたら試さずにはいられない。
ひとまず魔物の殲滅は本当にやるとしても、その後地底都市を経由して王都へでも行こうかと考えている。リブラと約束もしたしね。
それに体よくリナリアと別行動になれた。
久しぶりの自由に魔物だらけの暗闇に飛び込んでいるという陰鬱な事実とは裏腹に、未来が明るく開けているように私には見えた。