モグラも歩けば壁を破壊する
「来た」
唐突に顔を持ち上げたリナリアを唖然として見つめるロック。
精霊の住まうという森から自身の目的だった薬草を手に入れて帰還したが、リナリアの師匠については何の情報も得られないままだったロックは冒険者ギルドに併設された酒場で管を巻いていたリナリアに捕まって相手をさせられていた。
昼下がりの閑散としたギルドでは今日の依頼にありつけなかった冒険者が1人やけ酒を飲んでいるばかりだった。
「刮目せよ! 我が師匠、エスカの魂の輝きを!!!!」
酔いが深まっておかしくなったくらいにしか思っていなかったロックの耳をつんざくような轟音が城壁の方から聞こえた。
「なんだ!?」
城塞都市を囲む塀が崩れたらしい。やにわに街道が騒がしくなる。
「リナリアさん! 何が起こっているんですか!?」
「知らんッッ!! だが、師匠が近くにいる!!!」
そこへ、1人の騎士が冒険者ギルドへ飛び込んでくる。
「皇帝土竜だっ! 騎士団が今対応しているが、冒険者も対応できるように準備をしてくれ!」
それだけ一方的に叫ぶと返事も待たずにとんぼ返りしていった。
「すみません、お師匠様の姿を見た事が無いのですが皇帝土竜に転生したという事ですか……?」
「そんな訳があるか! 赤ん坊の姿を見たと言っただろう! 皇帝土竜に追われているのかもしれない」
「普通なら地上に出た皇帝土竜はすぐに地中に戻るはずですが」
ギルドの出入り口に向かって歩き出したリナリアはぴたりと立ち止まり、ロックを振り返った。
「くっく、普通なら、な」
不敵に笑うとリナリアは外へ飛び出した。
絡まった髭が取れないまま地上へ飛び出してしまった。
運悪くどこかの城塞都市の城壁を崩してしまったようだ。皇帝土竜が地表に飛び出した記録なぞ何十年もなかったはずだ。そんな場に居合わせるとは。本当に運が悪い。
それにしてもこいつ、地底都市から1日も置かずに地表に到達するとは、大地属性魔法を駆使して地中を泳ぐように進むワームより速いぞ。グネグネと蛇行する穴を掘りながらだというのに驚異的だ。
それにしても、髭に絡まっていたおかげで皇帝土竜の動きをつぶさに観察することが出来た。こいつらが掘った穴がダンジョン化するという仮説もあるいは真実なのかもしれない。
それにしても、まさか地表に飛び出してしまうとは。存在は知られていても見た事はない人が大半という幻の魔獣なのに。
門からはいくらか離れていたから門番や検問待ちの列には被害がない様だが、岩盤に比べたら焼き菓子程度のやわらかさに過ぎない城壁は皇帝土竜の前に何の意味もなさなかった。
地表に出たことに驚いて地中に逃げ帰るというのが、伝聞にある皇帝土竜の動きだが、この皇帝土竜は地表に出てきたことにそれほどショックを受けておらず周囲の状況を知ろうと鼻をひくひくさせている。ひくつくたびに髭に絡まっている私にゆさゆさと振動が伝わる。
門番や騎士たちはその巨体に攻めあぐねているようだ。何せ爪一本だけで自分たちの背丈ほどもあるのだ。
咥えていた全長5メートルはあろうかというワームは道中食べきってしまったので、体力を回復するためにも次の獲物を探しているのかもしれない。
次の獲物とくれば……。
リナリアは一直線に破壊された城壁の方へと駆けていく。ロックはそれに追随したが、いくら研究が本職とは言えフィールドワークをしている彼が追いつけない速さだった。恐らく風魔法か何かを併用しているに違いない。
地中から飛び出した皇帝土竜は高さ8メートルほどの城壁を破壊してから周囲を伺っているようだが、地中に逃げ帰る様子はない。琥珀色の短い体毛がふわふわしていて、先端の尖った鼻をひくひくさせながら、あてどなくつぶらな瞳を右往左往させている。基本的に4足歩行らしいが、立ち上がって発達した前足を胸元に引き寄せて爪を垂らしている様子はどこか可愛らしい。
リナリアは城壁の傍にたどり着くなり陣形を組んでいる騎士たちに撤退するよう叫んだ。
「下がれ!! 皇帝土竜は獲物を探している!」
騎士たちがその言葉に反応するよりも早く皇帝土竜は城壁ほどもある背丈よりも高く前足を振り上げ、騎士たちに向けて爪を振り下ろした。
「アースウォール!」
誰かが放った魔法で地面が隆起し、皇帝土竜の爪から騎士たちを守ろうとしたが、城壁と同じく粉々に砕かれてしまった。騎士たちは爪の直撃を避けられたが、飛び散るアースウォールの破片に巻き込まれた。たった一撃でほとんどが戦意喪失しており、何人かは頭を強く打ったり、鎧越しとは言え強烈な打撃を喰らって足の骨を折ったらしくまともに立ち上がれそうにない者もいる。
騎士たちに近寄ってきたのは地底から皇帝土竜を追ってきたヒロトたちだった。ヒロトは迷っていたロナーと合流すると、大地魔法を使用し気配がする方へ皇帝土竜が掘った穴を無視してショートカットしたが、地表に出るまでに追いつくことが出来なかった。
「ピエル、治癒だ! 治り次第退避させろ!」
「分かりました」
ヒロトはそう叫ぶと、皇帝土竜を拘束しようとアースバインドを唱えた。
迫りくる無数の土や岩石混じりの触腕は、何本か皇帝土竜に切り落とされつつも、手数で押し切って拘束に成功した。皇帝土竜は逃れようと見悶えている。巨大な触腕はぱらぱらと細かい破片を落しながら岩石とは思えない柔軟さで皇帝土竜を離さない。
しかし、一方であの巨体にダメージを与える攻撃手段がその場には無かった。
城壁の上部に設置されているバリスタは当然外側を向いており、壁を破壊し内側に踏み込んだ皇帝土竜に照準を合わせるのは困難だった。
魔法使いでも高位の実力者でなければバリスタを超えるような威力は出せない。
ヒロトは少しでも気を抜くと皇帝土竜が触腕を破壊するので、次々と拘束しては破壊されるのを繰り返しており、攻撃魔法に気を回すことが出来ない。
ピエルは治癒を終えるとロナーと共に負傷者の移動を手伝っている。騎士ほど重症ではないが他にも壁の破片に巻き込まれ怪我を負った領民がいた。
そこへリナリアと、一息遅れてロックが到着した。
「冒険者か! 何か攻撃手段はないか!?」
ヒロトの呼びかけにリナリアは通用するかわからないがいくつか試してみよう、と答えた。
「口元に赤ん坊が引っかかっている! 気を付けて攻撃してくれ!」
「承知した。動きを止められるよう手足を狙う」
右手をかざして魔法陣代わりの詠唱を開始したリナリアにロックは質問する。魂魄の魔人であるリナリアは魂魄魔法を詠唱なしに使用できるが、他属性の魔法に関しては魔法陣や詠唱を必要とするから、ロックから見て魂魄魔法以外の魔法を放とうとしていることが見て取れた。
「リナリアさん、例のあれは」
「人が多いところではちょっとな。しかし、師匠は何故沈黙している? 昼寝の時間か?」
リナリアは彼女を知るものからすれば小手調べのようなファイアボールを撃ち始めたが、毛先が焦げるばかりだった。
ヒロトはリナリアの実力を知らないため、善意でやってくれているものと思い、威力が弱いことを責められなかった。
「おい、無理をするな。他に攻撃手段がないなら状況をギルドか領主に伝達してくれ!」
ヒロトは実力が低いのに役に立とうと無理をしていると考え、リナリアたちに退がるよう指示した。
しかし攻撃力が足りない今、あてになるような実力のある冒険者は近場の依頼は滅多に受けないから、領内にいなければ早くとも帰還は夕方、場合によっては何日後かになる可能性もある。
近場の森で薬草採取やゴブリン退治をしている若手は当然、そんな大威力の攻撃手段を持たない。
騎士団の多くは戦意喪失中、領主の持つ兵力には魔法騎士は居ないから、騎士団の応援が駆け付けたとしても、先ほどと同じような結果になることは目に見えていた。
皇帝土竜は一向に地中に逃げ帰る気配を見せず、じり貧の様相を呈していた。
ウーム、地上に出られたのは良いがリナリアがいるため、大人しくしていようと傍観していたが、どうも劣勢らしい。いつの間にかヒロトやロナーもいる。
皇帝土竜とヒロトの大地魔法を単純に比較すればややヒロトが優勢だろうが、体格差も含めて考えればヒロトは圧倒的に不利だ。今も周囲への被害を考えて攻撃に転ずることが出来ず、岩石製の触腕で皇帝土竜を押しとどめるのが精いっぱいだ。
リナリアはしょぼいファイアボールしか撃ってないが、どういうつもりだろうか?
まさか、私が焦れて魔法を使って皇帝土竜をどうにかしたところを告発、私の存在を白日の下に晒して私の発明や知識を奪う足掛かりにするつもりでは?
なんて恐ろしい女なのだ。あんなのを弟子に取っていたと思うだけで背筋がゾッとする。
そうなると私が攻撃するのは得策ではないな。地底都市での雷撃魔法から学んだよ、私は。人前で派手な魔法は使うべきじゃないって。
かといってこのままヒロト任せにしていてはいずれ死人が出かねない。何らかのサポートをする義務が私にはあるだろう。
何しろこの皇帝土竜は私が地中で止めを刺し損ねて手傷を負ったせいで地表に飛び出したのだからな。あるいは習性と異なる動きをしているのも私の攻撃のせいかもしれない。
……いや、こんな大事になるとは思わないじゃん。
地表が近いのを探知して皇帝土竜の足を止めるつもりだったんだよ。今更さらに強い攻撃魔法でとどめを刺したら明らかにおかしいと思われるし、目立たないように義務を果たさなければ。
しかし、この火力不足の状況をどうすれば打開できるのか。
戦意をなんとか奮い立たせて戻ってきた騎士たちは長い槍を持ち出して、皇帝土竜に近付こうとしているが、ヒロトの触腕は破壊されては再生するのを繰り返しているから、抵抗している皇帝土竜に巻き込まれるだけでも命の保証はない。
そもそも、あんな縫い針みたいな棒でつついたところで皇帝土竜にとっては致命傷にならないだろう。私もまあまあ強めの魔法を撃ったのにこいつを驚かせて終わったからな。
そう思っていると、私のすぐ上、鼻の頭に巨大な矢が刺さった。どうやらバリスタを強引にこちらへ向けたようだ。これにはさすがの皇帝土竜も一瞬怯んだ。
この瞬間に攻撃魔法をたたみかけられれば良いのだが、破れかぶれの一発だったため、次の瞬間には皇帝土竜の爪がバリスタへ向かっていた。射手は瓦礫に紛れながら城壁の上から落ちていく。バリスタは城壁の破片と共に飛んで行ってしまった。
攻撃手段が潰えたかに見えた。
「早く終わってよかったね」
拠点としているカザフ辺境伯領城塞都市に帰還途中の冒険者パーティ、グレーウルフ。元宮廷魔術師のアリスは聖職者リリーと予定より早く終わった依頼を喜び合いながら街道を歩いていた。まだ昼前だから、このまま休まず歩き続ければ昼食を城塞都市の贔屓にしている食堂で食べられそうだ。
元々堅実な仕事ぶりのグレーウルフだったが、不死鳥の森での経験から神経質なほど緻密な計画を立てるようになっていて、以前より早く依頼を遂行できるようになっていた。
そこへ通りかかったのが馬を駆って急ぐクノイチのスミカだった。
「ちょうどよかった! いま城塞都市に皇帝土竜が出現して対応に追われている! 奴は逃げ出さず城壁内でランチにするつもりらしい。私はこのまま周辺の冒険者や魔術師をかき集めてくる!」
それを聞いた面々は了承の意を示すと走り出した。スミカもそのまま反対方向へ馬を走らせる。
皇帝土竜の背中に衝撃を感じて振り返るとそこには以前森で出会った魔女っ娘が立っていた。傍では聖職者がタンク役とアタック役にヒールをかけている。恐らくここまで走ってきた疲労を癒しているのだろう。
皇帝土竜の背中からは煙が立ち上っており、皮膚の温度からして重度の火傷を負ったようだ。
「皇帝土竜の口元に赤ん坊がいます!!」
ヒロトが声を掛けるよりも先に聖職者が振り返った皇帝土竜の口元に私が入った籠が引っかかっているのを見つけ叫んだ。よく観察していて偉いね。
そういえばあの魔女っ娘、森で私の契約数見ただけで錯乱していたな。探知魔法を使わなければいいが。
「うそでしょ……? 森に居たのってあの赤ん坊……?」
そうかー。敵の戦力を見極めること考えたら当然契約数確認するかー。
とにかく気をしっかり持ってくれ。リナリアはやる気ないし、私も本気を出せないし、君しか攻撃手段を持っている者はいないんだ。
「しっかりしろ! 俺はよじ登ってあの赤ん坊を助けるから援護を頼む! ヴァンダはアリスとリリーを守れ!」
「おうよ!」
「そ、そうよね」
リーダーの叱咤に元宮廷魔術師のアリスはハッと気づいたように返答する。リリーは事前に用意していた魔法陣を描いた羊皮紙を専用のポーチから取り出して発動させた。羊皮紙は青白い炎をあげて燃え尽きた。
「速度を向上させるバフをかけました。転ばないように気を付けてください」
リーダーはトントンとステップを踏み体の動きを確認すると返事もせずに走り出した。
火傷を負った皇帝土竜はより激しく暴れ出していた。ヒロトの触腕は次々に破壊され今にも拘束が解けてしまいそうだ。
そんな不安定な足場の上で体毛を掴み、振り回す前足に巻き込まれないようにしゃがみこみ、器用に立ち回りながら冒険者たちのリーダーはあっという間に私の元へたどり着いた。
ナイフを抜き、絡まっていた髭を断ち切ると私を抱えて飛び降りた。そこへ突風が吹き付け、私とリーダーを皇帝土竜から遠ざけ、無事に着地した。どうやらアリスの風魔法だったらしい。流石元宮廷魔術師。風と火は十分な威力を持っているようだ。
彼らの連携を見て下手な口出しは不要と考えたのかヒロトは皇帝土竜の拘束に集中した。
そこへ何組かの冒険者たちを引き連れて来たのは森で私が攻撃した斥候役の女だった。あいつ生きていたのか。
魔術師を優先してリリーが生体魔法で疲労を癒すと一斉に攻撃魔法を放ち始めた。
それぞれの攻撃がバリスタの一撃に匹敵する程度で、少しずつ皇帝土竜の体力を削っていた。一撃で止めを刺せないため、苦しんでいる皇帝土竜に同情してしまうが、他に手段がない以上私たちに出来ることはないのだ。
そして乱戦に持ち込まれたのは私にとって好都合だった。今はアリスも含めて7人の魔法使いが攻撃を行っているが、属性も威力もバラバラで、誰がどの魔法を放ったか不明瞭な今を逃す手はない。私は一般に四属性魔法と呼ばれる火、土、風、水の魔法を使用して他の魔法使いに紛れて攻撃を開始した。
ここからは持久戦だ。ヒロトが動きを止め、魔法使いたちが攻撃魔法を放つ。アタッカーやタンク、戻ってきた騎士たちは飛び散る瓦礫から魔法使いたちを守り、怪我や疲弊した者たちを聖職者たちが癒す。
瓦礫の中からバリスタによる一撃を放った兵士が引きずり出されるのが見えた。虫の息だが、生体の魔人であるピエルに掛れば治癒は可能だろう。
領民たちも食料を持ち寄り、城塞都市が一丸となって対応した。
昼頃に始まったこの戦いは陽が沈んでも続き、深夜頃ようやく皇帝土竜は抵抗しなくなった。出血量から言ってももう立ち上がることはないだろう。
攻撃を止めた人々はしかし、勝鬨を上げる事無くその場に座り込んだ。皇帝土竜は苦しそうに息をするばかりで爪一本動かさない。あの猛攻の中爪は一本も欠けずに残っている。
しかし、肉体はそうはいかず、体毛は半分以上剥げ、ウィンドスラッシュによる切り傷、ファイアバーストによる火傷、ロックストライクによる打撲と一つ一つはそれほど重症ではないが、全身にダメージは行き渡っていた。
周囲には大量の血が流れだし、うっすらと立ち上る湯気が篝火に照らされていた。人々は周囲で焚火を始め、暖を取りながら動き出さないか交代で仮眠をとりながら見守った。この大きさでは心臓や動脈を突き刺して確実に失血死させるという事が困難だった。
とうとう一夜が明け、呼吸が止まったのを見て近づき、グレーウルフのリーダーがロングソードで皇帝土竜の前足を刺し、微動だにしないことを確認してようやく討伐完了が宣言された。
夜通し対応していた冒険者たちのうち何組かは宿に戻り、付近でマントにくるまって仮眠をとり始める者もいた。領民たちの殆どは今日も仕事があるのだろう。城壁外で畑を管理している農夫たちは一時城壁内に避難していたが、早々に家に帰っていった。戦いで飛び散った瓦礫で住居や店舗が破損し、補修を始めなければならない者もいる。騎士はまだ残っており、後方に居た領主に指示を受けて交代で見張りと領内の巡回をし始めた。混乱の中で火事場泥棒に対する警戒や、周囲の森から盗賊や魔物が破られた城壁から侵入するのを防ごうとしているのだろう。
冒険者たちと交代でギルドから解体を手掛ける職員がやって来て、ロングソードほどもある超大型種解体用の包丁でてきぱきと解体を始めた。
私は皇帝土竜の髭に引っかかっていた所をリーダーに助け出されてから、リリーが後方に避難させようとしているところをロナーに見つかり保護されていた所を、さらにリナリアに見つかり、ロナーとリナリアのどちらが私を保護するか牽制しあっているところへ、アリスとスミカが合流し、魔法の才能があるなら宮廷魔術師の卵を養成する施設へ預けるべきだの、魔法暴走から生存した“強い”私が保護すべきだの各々勝手なことを言っていた。私はほとぼりが冷めたら逃げ出そうと思って狸寝入りを決め込んでいたのだが……。
「師匠、どういう魔法か知りませんが、前世の記憶、ありますよね? 喋れますよね?」
「え?」
一同から驚きの声が漏れたが、誰一人それがあり得ないことだと否定する様子はなかった。リナリアと不意に山頂で遭遇した時にうっかり喋っただけでなく、各地での振る舞いが思い出される。
やっぱりだめか。
『諸君、そこのリナリアが言うように保護は不要だ。私は独りの男子として生きていける』
「え、でもあなた、今女の子よ?」
他がどこからともなく聞こえてくる音響魔法による発声に驚いている中、ロナーだけは私の言葉そのものに対して疑問を呈した。
え? 私今女の子なの?
「ロナーといったか、師匠は前世でも身長が伸び悩んでいたショタおじだったから、女子みたいなものだったよ」
「しょたおじ……?」
おい、リナリア、一般人にあの頭のおかしい中央ギルドマスターの妄言を刷り込むんじゃない。
いや、そこじゃない。男子か女子かは今大きな問題じゃない。
『とにかく私は独りで生きていけるから放っておいてくれ』
「あなた、1人でって、まだ離乳もできてないのにおっぱいどうするのよ」
『そんなものは獣の血を飲めば事足りる』
周囲の全員がざわついたのが分かった。
「し、師匠。ほんとにそんな食事で今まで生きて来たんですか……?」
「私たちがあの時撤退しなければ……」
ロナーは青ざめ、アリスやスミカは涙を流している。
え? なんかおかしいこと言った?
「決まりましたね」
「そうね」
「そうだな」
「まったくです」
「「「「全員で保護します!!!!!!」」」」
全員の意志が完全に一致した瞬間だった。
女性陣が助け出された赤ん坊を中心にして盛り上がっている傍ではギルドマスターのジョージと領主のカザフ辺境伯が話し込んでいた。
「では、報酬の分配はそのように」
「ええ。しかし、死者が出なかったのは不幸中の幸いでしたな」
事実城壁の一部は崩壊し、大地魔法による触腕と皇帝土竜がもつれ合っていた箇所は地形が変わっていた。
「あの馬鹿げた効果の神聖魔法と言ったら。ただの村人のような恰好をしてたが、どこの誰だったのか」
周囲で野宿していた冒険者は夜が明けて宿をとりに戻った。今日は依頼を受ける者は多くはないだろう。騎士たちは見張りを続けている。
彼らは不死鳥の森から溢れ出てくる魔獣との戦いが日常であったため、皇帝土竜が伝承通りに広い場所を嫌ってすぐに地中へ潜らなかったことをそれほど疑問には思っていなかった。魔獣に限らず野生生物はある程度の習性が知られていても予想外の動きをするものだ。今回は大規模な被害がもたらされたが、備えていなかった訳ではない。
度々目撃される不死鳥がいつ襲撃してくるか、人よりも一回り大きいオークが群れを成して都市を襲ってきたら。辺境の城塞都市は他の城塞都市からの侵略の他に、魔獣被害に対応しなければならないものだ。
つい先日も広大な不死鳥の森を挟んで反対側の、隣国に属する城塞都市がスタンピードを防ぎきれず壊滅したばかりだった。何人かの生き残りが近隣の村へ保護を求めて発覚した。
城塞都市を陥落した魔獣たちは食料にありついた後、各地に分散していったようだと調査に入った斥候から報告がもたらされた。
新たな城塞都市、新たな村が出来ても魔獣や盗賊、場合によっては別の城塞都市の侵略を受け、滅ぼされるという事が繰り返されていて、この世界の文明は長い間停滞していた。
「ところで、あの土魔法の使い手と神聖魔法の使い手は」
「あっという間に居なくなってしまいましたな。主要な働きをした彼らには特別な褒章を渡したかったが」
ヒロトとピエルはロナーが地上に残ると言い張るので心配はしたが、赤ん坊を中心に気の合う相手を見つけたようだったので無理に連れ帰る事はしなかった。着の身着のままやってきた彼らはひとまず地底都市に戻ることにしたのだった。ヒロトがいる今、いつだって地上にはやって来られる。地底都市の住民の要望によってはまた近いうちに戻ってくることもあるだろう。
「防衛体制について見直しも必要ですかな」
「これほどの魔獣が頻繁に襲ってくるとは思いたくはないが、攻撃力不足を痛感したよ。移動式のバリスタくらいは急いで手配するとしよう」
「冒険者ギルドも各支部との連携を密にしていく必要がありますな」
「人間同士でも争う中、戦力の争奪戦になりそうだ。彼の魔術師も果たしてどこの勢力の手のものか」
「課題は山積みですが」
「それでもやらねばなるまい。領地と領民を守ることが私の仕事なのだから」
二人は視線を合わせるとどちらからともなくその場を後にし、自らの役目を果たしに歩み出した。
皇帝土竜の解体は順調だった。革は防具やブーツに、爪は剣やナイフに加工されることだろう。
肉はさっそく調理に回され、広場で昼前から功労者たちや領民たちに振舞われた。食べきれない分は塩漬けにされて保存食になる。間もなく来る冬季を越すために十分な備蓄となるだろう。
何人かの研究者が魔獣の死骸やはぎとられた素材の鑑定をしたり、足跡の大きさを測っている。
「所長、魔獣図鑑への反映確認しました」
「さすがに仕事が早いな」
魔獣図鑑と呼ばれた分厚い書物には今回の調査で判明した足跡の形状や大きさ、魔獣の攻撃手段、どれほどの攻撃を受けて倒れたかを示す体力値の目安といった情報が浮き上がってきていた。
研究所の所長も話にしか聞いたことがないが、王都では他人の目を通して世界を見通す者がいて、その者が原本に書き込むと、各地に配布されている写本に魔獣の特徴が書き出されるらしい。そこで、各地に調査研究できるものが派遣され、各種数値の計測をする体制が整えられている。
当然魔獣図鑑は貴重なので、基本は冒険者ギルド内での閲覧のみが認められていて、持ち出せるのは権限を持っている一部の研究者くらいのものである。
「それにしてもここのところ新種の出現数多くないですか?」
「皇帝土竜は新種という訳ではない。幻と言われ目撃者が少ないから魔獣図鑑に詳しく載っていなかっただけだ」
「……」
「しかし、新種が増えていることも事実だ。皇帝土竜の知られている習性に反する動きも気になる」
「やはり何か良からぬことの予兆とか」
「悪い方にばかり考えても仕方あるまい。重要なのは推測を元に検証を重ねていくことだ。冒険者ギルドにも魔獣の分布調査を普段より多めに依頼しよう。我々もフィールドワークが増えることを覚悟しておけよ」
話し込んでいる二人の研究者の元へ、皇帝土竜の串焼きが差し入れられた。
肌寒い風が所長と呼ばれた壮年の男の頬を撫でた。目元を隠す魔道具がきらりと光り、串焼きを頬張る助手らしきうら若い女性をそのレンズに反射する。
どこからか鈴金虫の鳴き声が秋の終わりを知らせていた。まだ昼を回ったくらいだというのに、少し肌寒い。
後年小氷期と呼ばれるこの時代の厳しい冬が間もなく訪れようとしていた。
どうやら、私はこの3人の女性と1人の元弟子に保護されて生活することになりそうだ。
保護など必要ないのに。
4人は共同生活するための家を借りようと盛り上がっている。そろそろ冬も近いし、火山が近いとは言え備えは必要だろう。私が生きていた時代、地域とは差があるかもしれないが、一冬を越せる量の薪を用意するだけでも一苦労だ。リナリアの伝手で城壁内に住めそうなのは悔しいが有り難い。
春になって離乳が出来たら、4人から離れてまた森で暮らそう。昔住んでいた小屋がどうなっているか調べるのもいい。
そんなことを考えながらロナーから授乳していると隣でその様子を見ていたアリスがふと質問した。
「そういや、前世のおじさんの記憶があるらしいけど、抵抗はないの?」
「赤ちゃんは赤ちゃんよ」
『気休めになるか知らんが、目が発達していないから見えてないよ』
「へー、赤ん坊の視野ってそうなんだ」
「お気遣いなく。私、もうあなたを守るって決めましたから」
戦闘力で言えば4人の中でロナーが最も貧弱だ。しかし、その言葉にはどこか安心感を覚えた。