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石の中にも300年

 暗闇から姿を現したのは魔物の毛皮らしきものを肩から掛けたみすぼらしい男だった。眉間に寄った深い皺、焦点の定まらない視線、薄く開きっぱなしになった乾ききった口元。

 どれほど風呂に入っていないのか急激にアンモニアなど悪臭の原因となる成分の検出が増加した。地底に着いてから酸素量や毒ガスを早期に検出するために空気中の成分分析を常時行っていた。身体に害がある量ではないが、鼻が利けば酷い臭いを感じ取れたことだろう。私はその点、生贄として清潔に保護されていたから布も新品だし、すえた臭いもしない。

 さて、事の真相は生体の魔人が不老不死の魔法を制御できなくなったことが発端で、抵抗する術を持たない地底の住人たちが犠牲になっていたというところだろう。


 前世でとある国のとある教会で不老不死の現人神としてあがめられていた女が実は生体の魔人で、養育院で養っている孤児を養子に出すと偽装して実は生命力を奪っていたという事件があった。

 俗に神聖魔法と呼ばれている治癒を人々に齎していた彼女は自衛のために覚えたライフドレインを応用することで不老不死の魔法を発動できることに気付いた。彼女は人々に幸福をもたらすという高い理想のために長い寿命が必要だと考え、神とあがめられるまでの年月を費やし、人々を癒し、時に迷う者を導いた。いつしか彼女は生体を司るものに魅入られ、魔人と化した。

 私が彼女に偶然会ったのは、後進を育成し終わり自らの罪を隠し延命を止めた事で、暴走を起こしてしまった彼女が街を一つ骸の山に変えた頃だった。

 彼女はこれから自分の後を任せようとしていた青年の傍らで泣いていた。身を挺して彼女を止めようとした彼の生命力を彼女は吸い、正気を取り戻したのだった。

「知っていますか。人の寿命って本当は30年程度なんです。でも何故かわたくしたち……、魔人になったわたくしが同輩を名乗るのはおこがましいですね。人間たちは、個人差はありますが、5、60年生きる人も珍しくありません。わたくしにはそれが不思議でならないのです」

「何故そんな結論に至ったのですか」

「わたくしが幼い子供の全生命力を奪っても25年ほどしかもたないからです。若さを保とうとするとさらに多くの生体エネルギーを使用します」

「心臓を貫かれた今、あなたはあとどれくらい生きていられるのですか」

「あと1週間は生きていられると思います。先ほど生命力を奪ったばかりですから。心臓に治癒を施せばすっかり元通りになる事でしょう」

 無論彼女は自分に治癒をかけなかった。1週間もの間、心臓を貫いた大剣の痛み、喉の渇き、空腹感に耐え、風雨にさらされ、烏やハーピーに啄ばまれ苦しみぬいて死んでいった。

 私は彼女が息絶えるまでずっと見守っていた。


 なるほど、つまり私の生命力をこいつに吸わせればしばらくは正気を取り戻せるという事か。

 見た目から推察するに他人を犠牲にしたくなくて人が居ない場所を目指して皇帝土竜の巣を彷徨っていたら地底都市にたどり着いてしまったというところだろう。

 転生し魂の存在を体感している今考えてみると、魔人という奴は輪廻の輪から外れて迷っているようなものだから、暴走している奴は引導をくれてやって、輪廻に戻した方がよいのかもしれない。

魔法が魂と結びついているから、来世で同じ魔法を使うようになったら、ちょっとしたきっかけでまた魔人になってしまうかもしれないが、まあ、その時はその時だ。

 生体の魔人が私に近付こうとしている中、私たちの間を遮った者がいた。

 それは私の乳母をしてくれていた女性だ。

「やっぱりだめ。例えお岩様のお考えでも私たちと関係のない赤ん坊を犠牲にするなんて許せない」

「おい! 今になってその話を蒸し返すのか!? 誰かが犠牲にならないと甚大な被害が出る! 前回の悲劇を親父さんから聞いてるだろ!」

「若者を死なせたくなくて長老が身を捧げたら生贄が足りず、都市に侵入された挙句、応戦した多くの人が死んだ。でもそれが何? 赤ん坊を食べる前に私を食べればいい!」

 生体の魔人の耳には言葉が届かないようだ。よろよろと徐々に私たちに近付いてきている。乳母は私を背に庇うように両手を広げて生体の魔人を睨みつけている。

「だから食べるんじゃなくて生命力を吸い取るんだって! いやそんなことより、下がれ、そういう事ならお前の番じゃない、俺の役目だ!」

 ははあん? この女説明をいまいち理解していなくて、赤ん坊を生きたまま食い散らかされるような残酷な目に合わせるなら、いっそ一思いに殺すべきだと主張していたという事か。まあ事実、生命力を吸い取られるという事がどのような苦痛をもたらすかは私もあずかり知らぬところだ。

 いずれにせよ、私を守ろうというのならば、私も彼女らを守らねばなるまい。

 この場に居るものにライフドレインへの対抗魔法をかけたから、一度ずつならレジストできるはずだ。

 しかし、どうしたものか。

 下手に攻撃しようものなら、ライフドレインだけではなく生体魔法を駆使して反撃してくるだろう。生きる者にとって生体魔法は弱点以外の何物でもない。

 味方に治癒されるイメージしかないものも多いが、自分の体の中を自由自在にいじくりまわされていることに変わりはない。治癒は善意によって成立しているのである。

 傷を癒すのも、苦しみを与えるのも、命を奪うのも全ては延長線上にあるのだ。

 私はともかく無防備な一般市民である彼女らがライフドレインをされるたびに対抗魔法をかけ直すのは現実的ではない。そのため彼女らが近くにいるうちに攻撃魔法を仕掛けるのは躊躇われる。相手の手札がわからない中、反撃に転じられてしまっては巻き込んでしまう可能性がある。

 奴の暴走状態を解けないだろうか。そもそもの話、魔人というのは大抵寿命から解き放たれるものだというのに、不老不死の魔法を自分にかけたままにしているから欠乏して理性が飛んで暴走してしまうのだ。教会の女と言い生体の魔人は自覚せずに不老不死の魔法を発動してでもいるのだろうか。

 ともあれ、不老不死の魔法を解けないかやってみよう。

 ただしそれには少し時間がかかる。他人が自分にかけている魔法を強制的に解除するとなると、それに一点集中して5分くらいかかる。第二の予備頭脳を稼働するか?

 稼働テストもしていない予備頭脳をどちらに割り振るにしても、魔人相手に通用するかわからない。一度攻撃と認識されれば容赦なく反撃に入るだろう。失敗はできない。

 私が決定打にかける計画を思案しているうちにも魔人は近付き、もみ合っている乳母と男に触れようとしている。

 そこへ現れたのはヒロトアサノだった。彼は土属性の防御魔法が暴走して鉱石化していたはずだが。




 時は5分前に遡る。

 赤ん坊を連れた一行が生体の魔人を今かと待ち受けている時、カンナギ様と呼ばれる女性はヒロトアサノが鉱石化した像に祈りを捧げていた。彼女には特別な力はない。しかし、奇妙な予感がしていた。

 あの巨大なワームが天蓋から落ちてきた日から、像が脈動しているかのように感じられたのだ。

 人ならざる力の奔流が像の中で眠るヒロトアサノの意識を刺激しているような、何か今まで停滞していたものが動き出しそうな、そんな予感。

 「お岩様、本当に私の判断は正しかったのでしょうか。幼気な赤ん坊を民たちとは無縁であるからと言って犠牲にして生きていくなど、道理に外れた事をしてしまったのではないでしょうか」

 誰かが犠牲にならないといけない。

 身内可愛さに外から舞い込んできた反論もできない赤ん坊に都合のいい解釈をして、彼女たちが抱えている問題を解消するための身代わりにしたのだ。

 カンナギにとっても後悔が無いわけではない。しかし、ここを乗り切れば次は25年先だ。

 人々の納得を得るため神の代弁者として毅然として振舞わなければならない。

 様々な状況が彼女を追い詰めていた。

 涙を一筋流しながら、彼女はヒロトアサノの像の相貌を見る。生体の魔人と戦った時のまま、眉間に皺をよせ、何かを叫んでいる。300年の間に都市にはいろいろあった。それでも25年程度の間を空けて生体の魔人が必ず来るという状況で、その話は確実に伝え続けられた。

 彼は最後まで戦ったのだ。

 いや、彼の戦いはまだ終わってはいないのかもしれない。

 乳母を任せているロナーを訪問した時、赤ん坊がカンナギの指を握った温もりを思い出す。

「ヒロトアサノ様、彼女を御霊喰から助けて」

 その言葉が投げかけられた瞬間だったのは偶然に過ぎないが、ヒロトアサノの像が光を帯び、鉱石化が解けた。

「クソ、しくじった。自分の魔法で動けなくなってちゃしょうがねえ」

 ヒロトアサノは周囲を見回す。記憶にある洞窟ではない。足元には目を見開いて彼を凝視している司祭風の服を着た女性が跪いている。

「すまないが、ここはどこだ」

「あの……」

「いや、大丈夫だ。湖が見えるからあっちだな」

 ヒロトアサノは地形を無視して飛ぶように洞窟へ向かった。足元に階段状に足場を発生させては消すのを繰り返す、彼の最速の移動手段だった。空中でも岩を作り出す彼を追跡できるものは地上にはいなかった。

 300年の時を経て彼は復活したのであった。




「一体こりゃあどういうことだ? ゲイリーはどうした?」

 洞窟に着くなり40を迎えるかという男性が床に置かれた赤ん坊である私、後方で様子を窺っている若者、乳母と引率の男が生体の魔人を前にもみ合っている状況に困惑していた。

 ヒロトアサノはともに戦っていたはずの元軍属の男、殉死したゲイリーを探しているようだった。

 ヒロトアサノの像はカンナギと呼ばれている女性の引率で一度見に行ったことがある。当時の事は目撃者からの証言の伝聞でしか知りようがないが、ヒロトアサノが防御中に土属性魔法が暴走して鉱石化、防御がなくなった元軍属の男ゲイリーがそのままライフドレインを喰らったという話だったはずだ。

 彼が鉱石化していた300年の間の事は当然知りようがない。

「お前ら、赤ん坊を連れて下がってろ! ここは俺がやる!」

 ヒロトは叫ぶ。

「今度はしくじらねえ」

 乳母が慌てて私を抱きかかえると、引率の男と共に後方へ下がった。

 この好機を逃す私ではない。私は即座に不老不死の魔法解除を開始した。

「グレートロックウォール!!」

 幾重にも格子状に岩が突き出てきて、生体の魔人と私たちを隔てる。しかし、時間稼ぎとしては30秒も持たなかった。生体の魔人が大地の魔法を使用して生成された防御壁に穴を空けたのだ。

 これは何も不可解なことではない。生体魔法を極めたものが、大地の魔法を使用できないという制限はないのだ。

 ヒロトがこの事実に驚愕しているという事は300年前は生体の魔人は大地の魔法を使用しなかったのだろう。長年皇帝土竜の巣を行き来する中で偶然身に着けたか、もともと高貴な家の者で、教養として大地の魔法を身に着けていたのか。

 大地の魔人であるヒロトと正面から大地の魔法だけで戦えば無論ヒロトに軍配が上がるだろうが、生体魔法と大地魔法を両方、あるいは他にも使える魔法があるかもしれない状況で戦わなければならないのだ。まともに戦ったら勝ち目はない。

 時間稼ぎさえしてくれれば私が何とか出来るだろうが、得意の大地の魔法が思ったよりも有効打にならない現状、どれほどの時間を稼げるだろうか。

 私はと言えば、乳母にきつく抱きかかえられてどんどん現場から離れて行っている。他の魔法使いよりは遠距離でも魔法を届かせられる私だが、少し離れすぎているかもしれない。

 もし解除魔法が届かなかったらゴメン、ヒロト。




 予想外に相手も大地魔法を使用してきたのでほんの少しの時間しか稼げなかったが、他の人々をこの場から避難させることが出来たことにヒロトはほっとしていた。

 都市の住人が1万人を超えようと赤ん坊が生まれれば自分に報告が来ていたのに、あの白髪の赤ん坊に見覚えが無かったことに疑問はあるが、今は目の前の敵だ。

 自分もゲイリーも倒れて戦線離脱したところを住民に助けられたのだろうと考えたヒロトは戦えるものが少人数では限界があると考えた。この地に招いた人々は戦いに心も体も、肉親とのつながりも引き裂かれたような傷ついた人々だから、戦いは自分が引き受けようとしていた。

 それが現実はどうだ?

 守ろうとした対象に助けられた事実を受け止めなければならない。無論この都市に来たばかりの頃であれば剣をとって戦えなどととても言えなかったが、彼らはこの地で休養をとり、立ち上がるべき時に立ち上がれるようになっていたのだ。

 この戦いが終わったらみんなと都市の防備について相談しようと心に決め、土壁に穴を空けてこちらに顔を見せた生体の魔人にストーンショットを放った。石礫をショットガンのように射出する独自の攻撃魔法である。転移前の世界では猟師がショットガンを撃っても当たり所によっては猪を一発で仕留められないと聞いたことがあるが、魔法は偉大である。シベリアトラくらいの大きさの中型の魔獣はこれ一発で安定して倒せる。

 見事命中した。生体の魔人の体は石礫がぶつかった衝撃で倒れた。

 だが奴は上体を起こした。被弾箇所からは血が噴き出している。皮膚を突き破って骨が露出し、内臓にまで達していることが予想される。妙に固い。期待したほどの傷は与えられていない。

 生体の魔人は先ほどと同じような力ないフラフラとした足取りで立ち上がり、ヒロトに向き合った。

敵意を感知されたとヒロトは直感した。

 近付かせては駄目だ。

 ストーンショットをバシュッ、バシュッと可能な限り早いテンポで撃ち続けた。

 生体の魔人は回復しながら徐々に避け始めている。

 じりじりと下がりながら攻撃を続ける。防御を展開する余裕はない。そもそも撃退が目的なのだから、時間稼ぎにもならない防御をする意味はない。

 ついに生体の魔人の被弾ペースを回復ペースが上回った。焦点が定まりヒロトを睨みつけたと思うと、急加速して接近した。生体魔法の間合いだ。

「くそっ」

 ヒロトは破れかぶれで後方に飛び退いた。

 敵が伸ばした手をぎりぎりで躱すことはできたが、逃げてどうする?

 有効な攻撃手段もない中、敵を引き付けたまま攻撃どころか防衛手段さえ持たない住人に近付いて大丈夫なのか?

 ヘイトが自分にだけ定まってくれるならば、ぐるっと一回りして皇帝土竜の巣の奥へ誘導すればいい。

 そううまくいく訳がないと知りつつ、ヒロトには選択肢も時間もなかった。あっという間に後ろを逃げる乳母たちに追いついてしまう。生体の魔人はまたもや急加速をし、今度はヒロトを飛び越え、乳母に迫った。狙いは――。

「赤ん坊だ!!」




 反撃してくる成人男性より、反撃能力のない赤ん坊にライフドレインをかければ全て終わる。自明の理だ。

 乳母は背後に迫る生体の魔人に気付き私を庇ってその場にうずくまった。既に発動され、後は手で触れるばかりという待機状態になっているライフドレインが私ではなく乳母に向けられる。当然、私がかけておいた対抗魔法でレジストが成功し、次のライフドレインが発動する前に不老不死の解除魔法の発動が間に合った。

「なん」

 不老不死の魔法が解けた生体の魔人に油断することなく雷撃魔法を加え、麻痺状態に陥らせた。

「わぎゃ!!」

 生体の魔人が何か言いかけたような気がしたが、気のせいだろう。

 ふぃー、ギリギリだったが何とかなってよかった。

 そして、こんな地底で雷が落ちたことに一同がどんな感想を持つかなどその時の私は考えていなかったのだ。


 不老不死の魔法はエネルギー不足で暴走状態に陥るが、これはエネルギーが枯渇して即時死亡するという訳ではなく、不老不死の状態を維持するためのエネルギーが枯渇したというだけに過ぎず、暴走状態の生体の魔人に魔法解除を施すとおおよそ20歳くらいの状態で正気を取り戻す。

 正気を取り戻し、麻痺状態から回復した生体の魔人は膝を折り、額を地面にめり込ませていた。背中には電撃が通った木の根のような跡が痛々しく走っている。

 ヒロトは一度拘束した生体の魔人にもう害はないと確信し、周囲の人から自分が約300年ぶりに目覚めた事を知らされ、詳しい状況を聞いていた。

 そして私はと言えば、乳母の腕の中で引率の男達に囲まれていた。

「今のって雷?」

「昔話でしか聞いたことないが、地上では雨と共に空間が裂けるような衝撃が走ることがあるという。まさにそれじゃなかったか」

「この赤ん坊から出たわよね」

 私は狸寝入りを決め込んでいた。

「そうか、ゲイリーは死んだか」

 ヒロトは知り合いが1人もいない状況でも、自分が迎え入れた者たちの子孫と旧知の仲のように接していた。ヒロトの敗北が多くの人々の死に直結してしまったことを気にしているようだった。

 いつの間にかカンナギと呼ばれた女性が合流し、膝をついた。

「ご復活おめでとうございます。御霊喰の調伏、お見事でございました」

「ええ……?」

 カンナギの言葉に躊躇うヒロト。

「さてと、こいつからも事情を聞いてみるか」

「事情を聞かずとも止めを刺せばよろしいのでは」

「お前、ちょっと怖いよ。犠牲になった人も多いし最終的にそうなるかもしれないけど、話を聞かずにってのはちょっと主義に反するかな」

「はっ。おい! 顔をあげろ!」

 尊大に呼びかけられた生体の魔人はおずおずと情けない顔でカンナギとヒロトを見上げる。一体何百年風呂に入っていないのだろうか。髪は伸ばしっぱなし、その辺で狩った魔獣の皮を鞣さずにそのまま着ているようで、体臭と混じってとにかく異常な成分が検出され続けている。

「一回風呂に入ろうか」

 ヒロトはずっと鉱石と化していたから少し汗臭いくらいだが、やはり相手の体臭が気になったようで、風呂に入ろうと声をかけた。

 頬はこけ、骨と皮だけのような様相の生体の魔人に事情を問い詰めるのは気が咎めたのだろう。

 私から電撃が放たれた件については魔法の天才かもしれないと、都市で面倒を見ようという話になりつつあった。




「結局何が暴走の原因だったんだ」

 ヒロトは単刀直入に生体の魔人へ問いかけた。公衆浴場を貸し切りにしてもらって、ヒロトと生体の魔人が隣り合って湯につかっている。

「きっかけは治癒魔法を反転して敵を倒した時だったと思う」

 生体の魔人は語り始めた。

 地上で生活していたころ、スタンピードが起こった。魔物の氾濫である。

 新米の神官として教会に所属していた彼、ピエルは冒険者、騎士、神官の合同部隊に後方での治癒要員として城塞都市防衛線に参加していた。

 オールドボアの突進が前線から後衛まで貫通し、ピエルのいる後方まで届いたのだ。ピエルは目前に教皇様が乗る豪奢な馬車よりもはるかに巨大な猪が高速で迫る中、とっさにそれまで単なる妄想でしかなかった治癒魔法を反転した魔法を発動した。結局慣性によって巨体に巻き込まれ重傷を負ったものの、オールドボアの討伐は彼の功績となった。

 この時史上初めてライフドレインの魔法が発明された。他者の自然治癒力を低下させると生命力と呼ぶべきエネルギーが遊離し、付近にいる者、大抵はライフドレインを行使したものに吸収される現象が確認されたのだ。

 生体を司るものは新たな魔法の誕生に歓喜し、ピエルを自らの眷属、すなわち生体の魔人の末席に加えることとした。

 どの魔法を使おうと魔人化したものは輪廻の輪から外れ、寿命に縛られなくなるが、ライフドレインを操るピエルが魔人化したことで不老不死という魔法が付随的に発生した。その後、ライフドレインを覚えた者は熟練することで魔人化せずとも不老不死を実現するに至ることになったのである。

 しかし、ピエルは不老不死の魔法が自分に掛っていることを自覚していなかった。

 魔人化した後も敬虔な信徒として神に仕え続けたピエルは、20年ほど経過した時それなりの地位にいたが、唐突な飢餓感に突き動かされることになる。

 不老不死の魔法の継続が困難であることを知らせる危機信号だが、ピエルは飢餓感の原因を知りえなかった。気付いた時には肉親のように慕いあっていた秘書が彼の腕の中で眠っていた。

 ピエルは逃げるように教会を離れた。親しい人を手にかけてしまった悲しみ、この正体不明の飢餓感がいつまた襲い来たり、正気を失って誰かの命を奪ってしまうかもしれない恐ろしさ。彼は人のいないところを探し彷徨った。首都から郊外へ、郊外から森へ。

 そして森深くに皇帝土竜の掘った穴を見つけ出したのであった。

「あのスタンピードか」

 ヒロトはその時すでに大地の魔人として地底都市を開発していた。地上で王国が建国されてしばらく経過していて治安が安定していたため、地上にほとんど出なかったヒロトが、スタンピードについて知ったのは全てが終わった後だった。

 そのため討伐には参加していないが、多くの孤児や未亡人を生み出すことになった出来事だったことは記憶している。当時、かなりの人数を地底都市に迎え入れることになった。

「俺はあんたを責められるような人間じゃねえ。俺だって魔法を暴走させちまって、みんなに迷惑をかけた。俺や、あんたがやったこと、亡くなった人たちについて詳らかにして、どう罪を償うか人々に問おうと思う」

「あなたはこの都市の創設者じゃないのか。異論は勿論ないが、単純な疑問だ。一方的に沙汰を言い渡してもいい立場にいるのに、住民に選択を委ねるのか」

「そうだ、俺は日本人だから民主主義的に物事を決めるのさ」

「ニホンジン……?」

 その後、ヒロトはカンナギを通し各区域から代表者を選出させ、議論を重ねた。

 ヒロトは自分の敗北が今日までの犠牲の原因だという事、地上への行き来ができる唯一の人間であったため、鉱石化していた期間、住民たちが望んでも地上へ戻ることが出来なくなっていた責任をどうとるべきか問うた。

 ピエルはライフドレインをした人間だけでなく、初回のヒロトとの交戦時、また前回の錯乱時、都市に侵入し殺害した人々の分についての責任も問われた。

 ヒロトについては都市を開発し生活に不自由のない環境を整えてあったことで、地上への行き来が不可能になったところで不便はなかったという意見が主流で責任を問う声は上がらなかった。今後、都市に居住を続け、希望者を地上に行かせてあげて欲しいという声があったのでヒロトは承諾したが、長い間地底生活を続けた者たち、そしてヒロト自身も300年の間地上の変化を知らないため、適応するには大きな障害があるかもしれない。

 ピエルに両親や祖父母を殺害されたという被害者からの陳情は少なくなかったが、地底生活においてはわずかな傷病も死に直結するため、ヒロトの監督下で治癒を行使することで罪を償うというところに落ち着いた。




 私が狸寝入りを決め込んでいる間に色々な話し合いがなされたが、乳母を務めてくれていた女性、ロナーが私にだいぶご執心で、以前より甘やかされて少し怖いくらいだった。

 恐らくピエルの襲撃時に身を挺して守ろうとしたことで自分の感情に自覚的になったのだろう。人は試練に直面した時に自分の本質に気付かされるものだ。

 とはいえ、平穏な日は長くは続かない。難しい話が続く中、赤ん坊の私はロナーと湖のほとりを散歩していた。近付いてきたヒロトたちが私の処遇についてロナーたちの意見を聞きながら、これまでの経緯を確認しようとしたとき、ロナーが籠に私を寝かしつけた一瞬を狙って、ロックイグアナが籠を強奪、逃げ込んだ先の洞窟でワームがロックイグアナを丸のみ、そしてその巨大ワームに皇帝土竜が食いついて巣穴に逃げ込んだ。

 もうええて。

 私は皇帝土竜の髭に取っ手が絡まった籠の中で成り行きに任せていた。

「赤ちゃんが!!」

 ロナーは遮二無二洞窟の中へ皇帝土竜と私を追いかけてきた。

「おいおい! どうしようってんだ! 皇帝土竜なんかまともにやったらひとたまりもないぞ!!」

 ヒロトは声をかけつつ、カンナギに指示を出した。

「とりあえず赤ん坊の救出をする。皇帝土竜の移動範囲は広大だ、時間がかかるかもしれん。復活したばかりで悪いが後を任せる」

「我々は300年もの間あなたの復活をお待ちしていたのですから、お安い御用です。心配なさらず行ってらっしゃいませ」

 ヒロトは自分が帰る場所が未だそこに健在だという事に言い知れぬ感動をおぼえた。

 市街地では彼らの先祖に教えたドラムや手製の弦楽器で思い思いの音楽が奏でられている。生体の魔人の脅威がなくなり、ヒロトが復活したことを連日祝い続けていた。

 カンナギに返答した。

「おう、すぐ戻る。ピエルも連れてくぞ!」

 そのやり取りを最後に、聴音の魔法の範囲外となってしまった。

 皇帝土竜はほぼ目が見えず、広い空間を好まない。一本が成人男性の身長ほどもある巨大な3本の爪で土も硬い岩盤も関係なく掘り進む。時に以前掘った穴を進むこともあるが、不意に横穴を掘り始めることもある。基準はわからないが、皇帝土竜が地中を進む様子などそうそう見られるものではないからつい魅入ってしまった。

 乳母のいる生活は快適だったが、やはり周囲に人が居ると行動が制限されるという事を痛感した。幸いここで作り出した第2の予備頭脳も問題なく稼働しているから、片方をメンテナンスや休息に回してもう片方を稼働させるという事の繰り返しで1人でも生きていくことが出来るだろう。

 ……ところでこの皇帝土竜は私をどこへ連れて行くのだろう。

 というかこいつは咥えているワームしか気にしておらず、私が絡まっていることにすら気付いていない様子だ。私と共にワームから吐き出されたロックイグアナはとっくに逃げてしまっていた。

 ロナーが私を案ずる声はいつの間にか聞こえなくなっていた。追いつけないと納得すれば帰るだろう。こんな唐突な別れではあるが、どのみちこの体では別れの挨拶もできないし、ちょうどいい機会だったと思う。

 ヒロトが復活した今、彼ら地底都市の民の幸福を祈ろう。

 私はそうして皇帝土竜と共に地上を目指すことにしたのだった。


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