6 これって壁ドンってやつですか?
速水はじっとわたしを見ている。
手を伸ばせばすぐに届きそうな距離をどうにかしたくて、でも壁に付いた速水の腕に通せんぼされて、逆側にすり抜けようとしたら腕をつかまれた。
これって、壁ドンってやつ???
つかまれた腕が熱い。
心臓の音を聞かれてしまうんじゃないかと恥ずかしくなって、
「は、離して」
速水の手を振りほどこうとしたけれど、わたしの腕を取る速水の力は強くて。でもなぜかどこか優しくて。
速水は黙ってわたしをじっと見たまま。
その眼差しに、なぜか胸の辺りがきゅうと締めつけられるように痛んだ。
「女の子を担いで帰ってきて、シャワー浴びたいとか言われて、もちろんやましい気持ちはないけどちょっとは期待して自分もシャワー浴びて出てきたら相手は生足丸出しでぐーすか寝てて……俺だって健康な27の男なんですけど」
「へ?」
ん? なんか話の方向がおかしいような。
「だから。俺だってなかったことにはできないってこと。女の子からしたら醜態さらしたってことなんだろうけど、こっちだって一晩女の子の生足短パン姿見るとか一種の拷問だったんだからな」
ああ、そっちね……。
昨日のことね。過去の話じゃなくて。
え、じゃあやっぱりこの人は、わたしの知ってる速水じゃない?
「正直、村上があんなに酒強いなんて驚いたけどな」
「えっ」
今、村上、って言ったよね?
昔と同じ響きに、心臓が止まりそうになる。
「もしかして、わたしのこと覚えてるの?」
「高校が一緒だった村上彩香だろ。知らんぷりしてるから、俺と知り合いだってこと、知られたくないのかと思った」
わたしは息を呑む。
やっぱり、この人は。
わたしが失恋した速水廉、だった。
そう思った瞬間、顔がカッと熱くなった。
「な、なら、速水も知らんぷりしてればよかったじゃない! わたしを送るとか、断ろうと思えば断われたでしょう?!」
「あんな泥酔してる女の子、知らない子だったとしても一人で帰せるわけないだろう。しかもそれが気になってる子なら尚更だ」
気になってるって……!
わたしを振ったことを?
昔振った女の子のことを気に病むなんて、速水らしくて笑ってしまう。
速水はいつも優しかった。でもその優しさは、時に残酷で。
「もう気にしなくていいよ」
わたしは緩く微笑んで、速水の手を振り払った。
10年も前のことなんだから。
それにわたしはもう、あの恋から立ち直ろうとしてるんだから。
「だからもう、 このまま帰って」
連絡先なんか交換しない。もう後ろは振り返らない。
前だけを見て、進んでいくんだから。
そう決めたんだから。
速水は何か言おうとしたけれど、結局スマホをジャケットにねじこんで靴を履いた。
「……ないから」
低い呟きはドアを閉める音にかき消されてよく聞こえなかった。
でも関係ない。
これで本当におしまい。
わたしの拗らせ失恋は、最後の最後まで拗れて、やっと終わった。
そう思うのに。
なぜか心に隙間風が吹いているような気がしてしまう。
そんな違和感を忘れたくて、わたしはその後、一心不乱に洗濯と掃除と料理に休日を費やした。
♢
「そう、俺は今度こそあきらめない」
速水がそう言って去っていったことを、彩香はもちろん知らない。
♢
夕方、愛美からLINEがきた。
『きのう、だいじょうぶだった?』
そうだ!! 連絡し忘れていた。
愛美のことだ、きっと心配してくれていたはず。
わたしは明日からの一週間のお弁当の仕込み(と言っても卵焼きとマカロニサラダを作っているだけなのだが)を中断し、愛美に返信した。
『ごめん、ぜんぜん大丈夫だったから。飲み会でつぶれるとか、ほんと醜態。久しぶりだったからかな 汗』
すると、すぐに『それな』というスタンプとメッセージが。
『これからはもっと遊んで免疫を取り戻さなくちゃ』
ふふ、愛美らしい。
『そうだね』と返しておく。
そのときキッチンタイマーが鳴ったので、茹でていたマカロニを湯切りしてボウルに移し、カニカマとかキュウリとか調味料を混ぜていく。
その間にもスマホはブーブー鳴っている。
愛美ったらなんだろう。
新たな飲み会のお誘いかな。
そうだといい。
今度こそ、新しい恋愛につながるような出会いがありますように。
勝手に次の飲み会の誘いだと思ったわたしは、マカロニサラダを完成させてからスマホを手に取った。
愛美からきたスタンプとメッセージにわたしはじっと見入る。
「なんで……嘘でしょ?!」
穴の開くほど見るってこういうことを言うんだと思う。
『来週の土曜日、昨日のメンバー八人で後楽園遊園地行くことになったから予定空けておいてね!』




