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砂かけ娘、ダンジョンでも砂かける

作者: 塩狸

妖怪砂かけ娘、ダンジョンに到着


「おいで」

「一緒に行こう」

「大丈夫」

シルクハットを被った、皺の深い姿勢のいい老人。

「どこへ?」

「どこだろう」

白い手袋した手を差し出され、握り返すと、砂浜から淡々と歩き、老人が足を止めたのは、港だった。

「心配はいらないよ」

大きな船。

大きな船。

他の人間たちと一緒に乗り込む。



今思えば、あれは死者の国への船だった。

でも老人は、

「心配はいらないよ」

と。

そう。

ふと目を覚ました感覚で辺りを見回すと、そんなに広くない石畳の通路。

天井も壁も、石。

気配を探る。

下も上も深く、長い。

足を擦ると、少しジャリッとする。

いい擦り心地。

少し離れた場所で人の気配。

でも、砂があれば、隠れられる。

たった1粒の砂があれば、彼女はそこに隠れられる。

そもそも砂を出せるから、砂がなければ、砂を出して隠れればいいだけ。

指先から手の平から、足先からも出るけれど、足袋を履いているから、使うのは主に手の平。

しばらくその場で、風の流れてくる方向、地下なのか地上なのか、立ち止まったままでいると、下から、人の声が近付いてきた。

「……」

彼女は、すっとその場に落ちるように消える。

「このダンジョンも、そろそろ俺たちじゃ無理だな」

「次、どこ行く?」

「隣の国に現れたって、ただ中級者向け」

「あー、もう遅い、中級者多いよなぁ」

「旅の資金くらいなら出来たし、少し遠くまで行ってみようよ」

若い男、3人。

見慣れない服、1人が、見慣れない毛まみれの獣を背負っている。

楽しそうに嬉しそうにしているのは、収穫があったからだろう。

仲も良さそうな、長年慣れ親しんだもの達特有の、力の抜けた声、歩き方。

「そろそろ獲物を背負うの代わろう」

「あぁ、助かる。……悪い、ちょっと休んでいいか」

「おぅ、水、もうないか?」

「……なぁ、お前、顔色変だ」

「そうかな……」

壁に凭れた1人が、ふーと大きく息を吐く。

「なぁ、お前、さっきの魔物、こいつだよ、こいつに毒喰らってないか?」

「……そうかも」

声に力がなくなっていく。

「時間差か、解毒!」

「ないよ!色違うと毒も違うのかよ!」

「待ってろ!上行って買ってくる!」

「俺も!水汲んでくるから!」

2人が真っ青になって、紫色の獣を置いて駆けていく。

2人の空気からして、逃げるわけではなく、本気で解毒剤を、水を持ってくる様子。

「……」

「……ごめん」

力ない呟き。

「……」

「毒、回るの早いや……」

「……」

「楽しかったよ……お前らとのダンジョン」

残された1人が、ずるりとその場に倒れ、ゴンと頭が落ちる。

頭に巻いていた布が擦れ、

「……あの」

声を掛けてみる。

「……?」

「まだ、生きたいですか?」

「幻聴……?」

「ご自由に取って構いませんが、聞いてるのはこちらです」

「そうだな、まだ……」

生きたい、と目を覆う布に小さく、水滴が染みる。

それなら。

手の平を軽く男に向ける。

「?……何っ……?……えっ何……?」

「あなたの身体を砂に埋めて、毒を抜いているだけです」

真下を砂にして、頭だけ出ている人間スイカ割りの姿勢。

布は相変わらず目許に掛かっているからこちらの姿は見られない。

「……?……?」

「身体、楽になってるでしょう?」

「あ、あぁ……」

本当だ、と男の身体の力が抜ける。

一瞬で土気色だった唇の色も、元の、少しかさ付いた唇の色に戻っている。

「なんで……これ、……君は?」

どうしてか?

どうしてでしょうね。

本当に。

「……」

この人たちが、楽しそうにしていたからでしょうか。

男の背後に回り、背を向けて歩きながら砂で男を引き上げて地面に寝かせる。

毒は抜いたけれど、それだけ。

消耗した体力は戻りにくいはず。

だから、そう簡単には、追ってこれない。

先は、すぐに曲がり角。

「あのっ!ありがとう!」

疲弊しつつ精一杯の声が届いた。

あら。

(どういたしまして)


ここは、どこなのだろう。

たんじょん、と言っていた。

ダンジョン。

(灯りが、……ある)

明るい光が高い位置に一定の距離を保ち、灯されている。

(火ではない?)

ふわふわりとした球体が、白く発光している。

通路は続くけれど、分かれ道になっていたり。

人の気配はない。

同胞の気配もない。

下に降りたのは、人と鉢合わせないため。

それだけ。

壁に、僅かな線。

「……?」

押してみると、ゴゴゴ……と勝手に開き、階段が現れた。

「あら……あら」

(随分と、凝ってる……)

下りの階段。

こちらも灯りがある。

灯りとなる球体を観察したいのに、背が低すぎて届かない。

「……」

砂を壁に当てるように出して固くし、階段状にしてから上がり、小さな囲いに入った球体の灯りを眺める。

ピンポン玉程度の大きさ、熱さはない。

蓋はない枠だけなのに、球体は浮いている。

触れてみると、

「ふにふにしているのね」

手に取れた。

「……」

噛ってみたけど、噛みきれず、元に戻る。

弾力のあるゴムのような。

味はないけれど。

元に戻すと、また浮く。

(不思議)

階段を降りて、作った階段を戻す。

本来の階段を降りていくと、廊下と木の扉。

好奇心だけで開いてみると、天井もとても高く、広い空間が広がっていた。

ただ殺風景で、なにもない。

「???」

ただ、前方に木の扉があり、その扉が開き、骸骨が現れた。

「骸骨」

5体。

立派な洋剣を持っている。

残念ながら、意志疎通は出来そうもなく、こちらをただ倒すだけの対象とだけは、組み込まれている。

ただ、それだけの骸骨。

砂は無限にあるけれど、たまには、

(骨の粉塵が混じってもいい)

と彼女は思う。

その場で地面の下に落として、粉塵にしてしまう。

地面には、剣が5本。

特に欲しくもなく、骸骨が出てきた扉を開くと、

「あら、宝箱」

夢がある。

開くと中身は、短剣。

「残念」

特に興味はない。

骸骨が上がって来たであろう階段が、すぐ先に見える。

(この方たちは、どこから来たのかしら)

階段は幅が小さく、小さな彼女の足でも降りやすい。

親切設計。

彼女のいた世界には、ダンジョンは存在しなかった。

ここは、別の国かと思ったけれど、

「……ううん」

(あの船、あれは、知らない世界へ行くための船だったのね)

人なら死者の国へ向かうけれど、彼女は死ぬことは出来ない。

だから、別の世界に、辿り着いた。

(長い階段)

目を凝らしても、壁に切れ目はない。

ただ、先に不自然な段差が1つ。

その脇には、小さな切れ目。

(?)

敢えて踏んでみると、

「?」

どうやら軽すぎて反応してくれない。

「ふんっ」

その場で飛んで見ると、微かに段差が下がり、左手の壁の一部がズッと下がり、

ヒュッ!

と短い槍が飛んできた。

「……」

指先で摘み受け止め、たった1本だけれど、

(毒……)

また毒。

よく目を凝らすと、踏んだ階段の段差には赤黒い血の染み。

もう大昔から、最近まで、染み込んでいる。

染みに気を取られているうちに、槍が飛んできた壁は閉まっていた。

槍は、誰かが来た時のために、階段へ置いておく。

親切にしても、きっとバチは当たらない。

「……」

壁に耳を当ててみる。

分厚いどころの騒ぎではない。

奥行きの先がない。

(地下なのかしら)

階段を降りると、左右に別れ道。

降りた先の、目の前の壁に耳を当てる。

(誰もいない)

膝を付いて地面に耳を当てる。

(……深い……とても……)

「ねぇ、どちらへ行けばいいと思う?」

人が落としていった微かな砂たちに訊ねれば、

「……」

砂たちはさらさらと集まり、矢印を右に作ってくれる。

「ありがとう」

自分達も連れていって欲しいと言うため、手の平で吸い込み、進む。

砂たちの微かな記憶で、この世界を、少しばかり知る。

若い人間の男たちのやりとりで、何となく知ってはいたけれど、ダンジョンだけがこの世界の全てではなく、地上と、空がある。

ダンジョンは、幾つもある。

形や深さ広さはそれぞれだけれど、共通しているのは、ダンジョンは人間がとても好き。

そのため、人の好む美味しい罠を仕掛けて、誘い込む。

「なら、私は歓迎されないかもしれない」

強制的に追い出されることはなさそうだけれど、それは、

「ダンジョン側の生き物」

と判断されているからかもしれないから。

右の手の平を下に向けて歩き、砂を吸い取っていく。

「朝も夜もないのね」

また、きっと人なら見逃す、先の地面の違和感。

(上から?)

その場で上を見ると、天井に微かな切れ目。

無駄に起動させる必要もなく、避けて通る。

不意に。

「水袋?」

コロリコロリと何か転がってきた。

「すらいむ、スライムね」

立ち止まって待っていると、コロリコロリと転がり、彼女の周りを一周してから、またコロリコロリと転がっていく。

「?」

謎ばかり。


扉に辿り着いた。

扉は手前から5つ。

一番手前の扉を開けば。

「お話はできますか?」

『……』

あの3人が抱えていた、毛むくじゃらな獣と似ている。

小振りだけれど、彼女よりかは遥かに大きく、手と爪が大きく鋭い。

色は黄色く、横幅の大きく広く、立ち姿もお顔も、猿に似ている。

骸骨のように、こちらも、戦う部屋、として設定されているらしく。

(人が喜ぶような作りになっているのね)

鋭く大きな歯を剥き出しにする黄色い猿を、

『……!?』

首まで埋めて、

「お話はできますか?」

訊ねれば。

この離れた距離でも大きな塊の唾が飛んできた。

(まぁ……)

片手を上げて、砂で受け止め、落とす。

(唾も毒)

「お話はできますか?」

『……』

いまいましそうな顔。

「……出来ないのなら、結構です」

沈めようとすると、

『出来る出来る出来る!!』

出来る。

しわがれているけれど、声にはとても張りがある。

元々の声が、しわがれた声の模様。

「紫色も、あなたのお仲間です?」

『いやぁ、あいつからは、いとこ、くらいかな?』

向こうは遅効性の毒、こちらは速効性の毒と。

「どこからいらして?」

『俺は雇われだよ。多分、別の世界なんじゃねぇかな』

別の世界。

この世界では、別の世界でも行き来は珍しくないのか。

「条件は?」

『月が2回ぐるりとするまで』

ニュアンス的に、多分地球の月の巡りとは違う。

「お外には?」

『ここの?いやいや、怖くて出たくない、あいつら人間等が、よってたかって襲ってくるだろ』

ぶんぶん頭を振る。

「それはあなたの毒が、貴重なのですか?」

『それもあるけど、こっちの毛もだな』

確かに暖かそう。

『あんたさんは、新人さんか?』

「いえ、迷子で」

『あぁ、あぁ。そうか、そりゃ悪かったな。はぐれた人の子だと思ったんだよ』

人に見えるらしい。

「こちらこそ」

ずるっと持ち上げて黄色い身体の獣を地面から出すと、ザラザラと落ちる砂。

『おおぅ。……あんたさん、雇われたばかりか?多分、あんたさんの階層は、ここより遥かに下だよ』

下。

『うんうん、階層を間違えて配置されたんだな、見た目で判断されたのかもしれない』

砂を落としながら教えてくれる。

「あなたも、強く感じるけれど」

『一応中階層だからな。でも、いやいや、あんたとじゃ、話にならない』

あんた強すぎる、とうんうんと褒めて貰えた。

『もうすぐ休憩になるから、少しだけど下まで付き合うよ』

「それは、ご親切に」

『魔物は助け合いの精神よ』

親切なお方。

部屋は複数あり、順番で休憩があると。

『滅多にないけど、全員不在か、戦ってる時は、扉が開かないんだ』

「夜は?」

『人はいつでも来るから、でも、うちも夜行性は少なくないからな、そこは順繰りでやってる』

時間の感覚は何となく解ると。

足音が聞こえる。

『おっと悪い、なんだ?あんたは敵じゃないからか?ここが今は敵なしと思われて、人間が来たよ』

来る時は音は聞こえなかったのに、こちらから足音や話し声がよく聞こえる。

「えぇ、では、隠れてますね」

『頼む』

すっと足許に落ちると、

『おぅ?』

驚かれた。

重く幅の広い足音、そうでもない足音。

体重だけではない、鎧の重さの混じった鈍いものもある。

7人。

(多い気がするけれど)

下へ下へ行くなら、少ない位なのだろうか。

扉が開き、黄色い猿が対峙する。

金属の鎧は4人。

残りの1人はローブ、更に残りの2人は、ただの旅人のような格好だったり。

(皆が皆が戦うわけではない……?)

眺めていると、旅人の格好をした2人はどうやら全くの素人で、ローブの人間の後ろに立ち、唾や、あの曲がった足のまま思ったよりも早く走り、更に飛び跳ねる猿から、庇うように杖を振り回している。

鎧の1人が、遠くからの援護をするらしく、火薬?ではなく、小さな煙幕のようなものを投げて、黄色い猿の動きを止めている。

猿は何のそのと真上に跳躍し、唾を吐く。

戦闘能力のない2人に向かい。

前に立つローブの人間が杖を回し円を描くと、なにやら丸い輪が出来、唾を弾く。

魔法?

それよりも。

黄色い猿の唾液が気になる。

さっきは吸い取らなかったから。

(毒は、どんな毒なのしら、ニトログリセリンのようなもの?)

もしくは、蜂の様な?

鎧に唾を向けない所を見ると、効かないらしい。

跳躍だけでなく、片足で斜めに下がり、そう思ったらまた跳躍。

動きが予測できない。

(まぁ、凄い……)

「あっ!」

黄色い猿が援護する人間の元へ飛び、至近距離で唾液を飛ばす。

「待て!」

「うわぁっ!!」

(ニトログリセリン系)

当たった髪が、皮膚が、小さな爆発?を起こしている。

「撤退!撤退!!」

(まぁっ)

まだ、これからなのに。

ドアへ向かう人間たちの足許の微かな砂を丸くし、増やし。

「うわっ!?」

「なっ……ぬぉっ!?」

「なに、ひぇっ!!」

「待っ……なんだ!?」

順繰りに転がし、

(正々堂々と、最後まで戦うのが冒険者、探索者だと思うのです)

尻餅を付いては立ち上がり、またゴロゴロ転がる人間たちに、黄色い猿が笑いを堪えながら、

『て、撤退する場合は、後追いはしないんだ』

止めてやってくれ、と小声で、肩を震わせている。

(あら)

「それはごめんなさい」

砂を戻すと、

「あ、歩けるっ!」

「今のうちだっ!」

一目散にドアへ向かい、出ていった。

黄色い猿は、

「ふ、ふふっ、笑わせないでくれ、またもしあいつらと対峙した時に、思い出して困るだろ」

と言いながら、またおかしそうに身体を揺らしている。

「色々と、ルールがあるのですね」

『そうだな。無尽蔵に飲み込むと、人が足りなくなるから』

少しの血の量だけでも違うらしい。

そしてそれは、それだけはどのダンジョンでも同じだと。

「人は、ダンジョンに入らないと、生きていけないの?」

「いや、そんなことはないと思うぞ。ただ、地上にあるものより、効果も質も良かったり、一度で採れる量が違ったりするらしい」

「あの人たちの中には、戦わない人もいたけれど」

『雇った人間と雇われた人間だろうな、このダンジョンの中で加工しないとダメなものもあるから、加工したい人間が、雇ったんだろうよ』

ダンジョンの中で。

『地上に出すと溶けたり消えたりな』

「とても不思議」

『そうか?珍しくないぞ』

ダンジョンは、人が欲しいけれど、人がいない場所にも出現すると言う。

「仕事は終わりだ、こっちから行ける」

と少しだけ背の低いドアに向かい、ドアを開けると、狭い通路。

その先にドアが見えるけれど。

『……どうした?』

「……」

見えないけれど確かにある、もやりとした柔かな壁に阻まれる。

手を伸ばすと、やんわりと拒絶され。

「……私は、どうやら雇われた者じゃ、ないみたいです」

『入れないのか?』

「えぇ」

残念。

どっち付かずの存在は、ここでも変わらない。

『そうか。……じゃあ、あっちだな』

黄色い猿が気にした様子もなく、指差すのは、壁。

目を凝らすと、確かに切れ目がある。

『俺に勝つと開くんだよ』

「開くかしら?」

『開くだろ、勝ってるし』

黄色い猿と共に向かうと、

『下に降りるんだっけか?』

聞かれる。

「えぇ」

『あんたさ、パッと見、人間に見えるから、地上に出ても大丈夫だと思うぞ』

「あら、そう?そうかしら?」

『あぁ。でさ、また、地上のことでも、教えに来てくれよ、なんなら、他のダンジョンの話も』

その場でピョンピョン跳ねる。

「あなたは、好奇心旺盛なのね」

『そうかもな、あんたからなら、面白い話も聞けそうだなって思ったんだよ』

「あなたは、死なないのですか?」

『俺は分身だ』

「分身?」

忍者?

触っても?と訊ねると、

「あぁ」

ニッと笑い、頭を突き出してくる。

「ふわふわで温かい……、ちゃんと、そのままなのね」

柔らかくて、長毛の猫の様。

『これもダンジョンの特性だ、人間は知らない情報だ』

それは。

「重大な秘密ね」

『重大な秘密だ』

小さく笑い合う。

「色々と教えてくれてありがとう」

いい人に会えた。

『こちらこそ、また来てくれ』

「近いうちに」

壁を押すと、ズズズ……と下がり、ゆっくりと降りていく。

また階段。

『あぁ、待て待て』

「?」

『どこの階層かは分からないけど、宝箱にローブがある』

ローブ。

『そう、もし、その珍しい髪やドレスが気になるなら、ローブを羽織ればいい、多少は目立たなくなるだろ』

髪色も着物はこちらでは、少なくとも黄色い猿には異質なもの。

「そうします、本当にありがとう」

『またな』

「また」

中に入ると、扉がまた上がっていく。

閉まりきるまで手を振り、目的が出来たことを有り難く思う。

見知らぬ世界。

悪目立ちすることは、まだ、避けたい。



広い廊下、狭い廊下、罠もたくさん。

何もない場所にある宝箱は、ほぼ仕掛けがあり、

『……』

「お話はできませんか?」

『……』

開いて、どろどろとした手のようなものが伸びてくるけれど、顔のスレスレで動きが止まり、手は硬直する。

「お話は、できませんか?」

『……』

無理そうならば、宝箱を閉める。

立ち上がると、不意に灯りが消えた。

「あら……」

暗闇に人の形。

「お話はできませんか?」

『……』

敵意の中に、少しの知性。

(影でも埋められるのかしら)

『……!?……!?』

今は、彼女の背後にいるそれを、埋められた。

周りが明るくなり、黒い、多分頭と思われる部分だけが、ぼんやりと浮き出ている。

「お話はできますか?」

『……ダンジョン?』

「?」

『ダンジョンそのものが、……話しているのか?』

低い、いい声。

「いえ、迷子です」

『……?』

「ごめんなさい、別の世界から来て、少し、お話を出来る方を探していまして」

『ダンジョン側のミスか……?』

「どうでしょう、すみません、知性のある方を探していますの」

『知性は低いけど、会話くらいなら出来る』

砂から出すと、また暗闇に包まれる。

「凄い……」

『あんたは、何だ。親か身内がだいぶ下の階層の奴だったりするのか?』

「いえ、私1人でここに飛ばされてしまいまして」

『はー、珍しいな』

珍しいらしい。

「あなたも雇われているのですか?」

『俺は応募した』

「まぁ」

『2ヵ所目だ、1ヶ所目は、踏破されたんだ』

「踏破されると、どうなるんです?」

『機能しなくなる』

機能しなくなる。

『ダンジョンの魔法が溶ける』

すると、中にいる雇われ主たちは、住んでいる世界などに戻されるんだそう。

「……」

もし、自分がダンジョンを踏破したら、またあの世界に、戻るのだろうか。

『しかし参ったな、迷子なんてパターンは初めてなんだ』

「あぁ、いえ。ローブを見付けたら、上に、地上に出てみようかと思っていまして」

『ローブ?……あぁ』

髪と着物で納得された。

「あなたは、周りを暗闇にして、それからどうなさるおつもりだったのです?」

『ん?大概背後から身体を包むな、するとパニックになって剣やら何やらを振り回すから、すると別の仲間にあたって怪我をする』

「えぇ」

『人は代わりがそんなには利かないみたいだから、1人でも怪我をすると、勝手に撤退してく』

そんなには。

「この階でも、殺しはご法度ですか?」

『ここの階層だと、こちらから積極的にはな。勿論振り回された剣やら斧やらで仲間の人間が死ぬこともあるよ』

影はその場であぐらをかくのがぼんやりと分かる。

目の前に正座すると、

『変わった座り方だな』

珍しがられた。

「代わりがそんなには、と言うのは?」

『ここは知らないけど、下の階に行くとあるんだよ、回復?生き返り?に等しい品物がさ。それが上でも売られてると聞いた』

人がダンジョンに潜る理由が少し解った気がする。

「色々とありがとうございます」

立ち上がると、

『いや、いいよ』

暗闇もゆらりと揺れ、

『なぁ、少し付き合ってもいいか?』

「下にですか?」

『あぁ、もう休憩に入るし、そうすると自由時間だ、他の邪魔しなければ、別に自由に動いていいんだ』

「外にもですか?」

『勿論』

このままだと、少し目立つけどな、と影は笑い、今はぼんやりと人の形、服を着た形をしている。

影は影だし、ダンジョン側のものは、罠は一切反応しないと言う。

だから。

『罠が反応する?』

驚かれた。

「えぇ、なので、雇用されたわけでもなく」

『そりゃ困ったね』

「でも、あなたも含め、親切な方もいるから大丈夫です」

と答えると、影が笑う。

「?」

『親切じゃなくて、怖いんだよ、あんたが』

「まぁ」

そうだったのか。

「で、でも、また話に来てくれって言ってくれましたし?」

指先を合わせて、あれは社交辞令だったのかしら、と黄色い猿を思い出すと、

『それは、きっと本音だ。あんたが怖くなくなったんだろう』

「……あなたは?」

『少し怖い』

「ではなぜ付いてくるのです?」

『好奇心だよ、まぁ少しは、心配でもある』

「???」

『楽しいってことだ』

難しい。

影にも触れさせてもらったけれど。

「すり抜けるのですね」

『意識すれば、ほら』

「あら」

少しふわりとする。

なるほどこれでさっきのように背後に周り、攻撃すると。

『しかし、ローブか』

「ご存知?」

『いや、服は着ないしな』

ごもっともなお返事。

歩きながら、罠を避けながら。

『可愛いダンジョンがある、なんて聞いたことがある』

可愛いダンジョン?

『可愛いリボンやドレスが、宝箱入っている』

「あら?」

『強さが桁違いで、金持ちが雇う冒険者でも中盤手前でへばってると聞いたな』

「どこにあるのでしょうか」

『外で聞けば多分、分かるんじゃないか、ダンジョンの位置だけは公平に知らされるから』

可愛いものが好きなのかと聞かれ、

「えぇ、でも、かっこいいものも好きです」

『もう少し下へ行けば、宝箱にあるものは、そこそこに価値が付くようになる。それを持って地上に出て、売れば可愛いダンジョンがある国までは行けるんじゃないか』

「まぁ、まぁ。素敵なご提案、感謝します」

楽しみも出来、拳を作って肘から下を振ると、上からノーモーションで何か降ってきた。

「あら」

気づけなかった。

大量の砂なのだから当然かもしれない。

(ただの砂……?)

砂たちは、無条件に手の平に吸われて行く。

なぜ、ここに不意打ちの砂がと思っていると。

「あら?」

目の前に、明らかにお薬を打たれたような、虎に似た大型の生き物。

なるほど、まずは目眩ましの砂。

虎はふらふら千鳥足で、

「具合が悪そうですけど……?」

『あれはただの酒好きだ、酔拳が得意』

「ネタ枠、と言われるものですの?」

『いや、本気で強い』

あら。

「では、欲しいです」

酔っぱらいでは、大してお話も出来なさそうですし。

分身なら尚更、躊躇は必要なし。

『グルルッ……?』

そのまま砂で覆い粒子にしていく。

『……吸い取ったものは、何かに使えるのか?』

「若干の強い砂として、採れた分だけですけど」

近道と言われる鉄格子がハマッた廊下は砂になり抜け、影も普通にすり抜けてくる。



扉が見つかり近づいたけれど、中から金属音、怒声が聞こえる。

『他の人間と戦っている』

「邪魔してはよくないですね」

先へ進むと、また扉。

『さっきの酔拳が5体いるな』

「それは僥倖です」

一度倒し、来た扉から出て、もう一度入っても、獣は現れることはないと言う。

(倒してしまったんですものね)

お酒の混じった砂が出来た。

道を進みながら、ふと罠の種類を知りたくなり、両足で飛んで踏んでみると、横は勿論、下からも、上からもドロドロの何かが落ちてきたり。

それは泥で作った傘で防ぎ、定番の落とし穴なども、多くある。

以前、影がいたダンジョンは、もっと洞穴で洞窟っぽかったと言う。

『こう、自然派だったな』

「自然派」

『氷柱がそのまま攻撃してくるタイプだ』

「それは、擬態がとても楽しいですね」

『そうそう、代わりに、ここの、こういうトラップらしいトラップは珍しいんだ』

それぞれに特性があると。

「お料理ダンジョン、おもちゃダンジョンはないのかしら?」

『どうだろうな、可愛いダンジョンがだいぶ異質で異様だからな』

料理が好きなのか?

と聞かれ、

「いえ、目に楽しいものが好きです」

先の分かれ道を、どちらに進むか迷うと、

『あぁ、だからその霜髪と淡紫か』

なるほどと、しみじみと隣から視線を感じる。

「あら、私は目に楽しいですか?」

『俺は黒いからな』

「まぁ、黒はとてもかっこいいですわ」

『……』

照れているのか、返事は貰えない。

その無言の影の指差す右へ向かうと、隠し扉。

開けてみると、

「まぁ、滑り台の様」

高さはなく、段差もなく、つるつるとした細い筒のような空間が繋がっている。

『近道だ。その前に、宝箱、あれには布が敷かれているだろう、あれをどっかから取ってきて敷いて滑ればいい』

「このままでも大丈夫ですよ?」

『綺麗なドレスだ、大事にしろ』

身体同様に、劣化することはないのだけれど、

「えぇ」

野暮なことは言わず、近くの扉を開き、ろくに相手も見もせずに埋めて、長い剣が収まっている宝箱から布だけを抜き出して、部屋から出る。

「お待たせしました」

『あぁ。これは、2階層スルーできるんだけど、実力ないと、当然そのまま死ぬ』

人によっては見付けられない方がいいタイプの隠し扉の模様。

しゃがみこんで、布を敷き、そこにぺたりと座り込み、布を掴むと、

「ひゃっ」

つるりと滑り、ふわっと落ちていく。

すぐに影も滑り降りてくる。

「結構スピード出ますのね」

『俺が擦りきれそうだ』

「うふふっ」

笑ってしまうと、影も笑う。

たまに螺旋階段のようにくるくると周り、徐々に坂が緩くなり、行き止まりに見えた低い壁が開いていく。

「空気が少し冷たいですね」

『人間には結構寒いんじゃないか』

白い吐息が漏れるけれど、振り返っても、影の口辺りからは、何も見えない。

『ん?』

「いえ」

坂道が終わり、そう大きくない天井も高くない空間の部屋。

灯りも、ほどほど。

「……人の気配が、名残が全くないなと思いましたの」

『そうだな、この、上くらいが、まだ何とか人が来られる限界なのかもそれない』

そう、死んだ人間の残り香すらない。

『そうだ、ここくらいだと、こんな風に、もうわざわざ扉を用意しないんだ、不意討ち上等だから気を付けろ』

「ふふ、ですね」

私、透明人間なんて、初めて見ました。

隣に現れたので、真下に落としましたけれど。

それが3体続き。

(どれも、同一の個体なのですね)

砂も透明になるかもしれません。

『お?さすがに慎重になっているか?』

足の歩みの遅さを指摘された。

「えぇ、知らない場所ですし」

透明人間の粒子を味わいながら回収しながら歩くため、若干摺り足にもなる。

そのまま、扉のない通路に抜けたけれど。

「更に見通しも悪くなるんですね」

『そう、すぐ行き止まりでストレスを溜めてくる』

「でも、目の前に隠し扉」

『お?』

僅かな切れ目に砂がひかり、キラキラしながら、奥に宝箱と教えてくれる。

『目がいいな』

「気付きませんでした?」

『無理だ。……見付けさせる気がないやつだな』

相当金になるぞと教えてもらえる。

楽しみです、と壁を押すと、

『んん?』

見えるのは宝箱ではなく階段。

階段の上がった先に、宝箱。

「大仰ですのね」

「きっと当たりだ」

開くと、

「小瓶です」

『あぁ、魔物にも効く、治癒の液体だ』

「飲み物ですか?」

『あぁ、しかも3本、大当たりなんだけどな』

あまりピンと来ていない彼女に、影は呆れた様に肩辺りを竦める。

「旅の資金として大事に保存しておきます」

『そうしろ』

ローブを探しに再び部屋を出て階段を見つけ降りていくと。


『ん?』

『お?』

『え、誰?』

また骸骨だけど、鎧を身に付けている。

3人で床に座り込み、カードゲームをしている。

(あら、骸骨でも、透明人間より強いのかしら?)

影が、色々とはしょりつつ、彼女のことを説明してくれている。

『うんうん。それは解った。で、透明人間は?』

『それが、いなかったんだよ』

『えー?いやまさかぁ?』

『サボり?』

『そんなことあるかなぁ?』

『いや、透明人間の個室はそのまま抜けられたぞ』

『『『えー!?』』』

3体は驚いた後、

『自分達は、骨休め的な立ち位置なんだよ~』

と骸骨たちが教えてくれる。

これから、最難関に挑む人間たちに向けての、

「サービス階層」

「ボーナス階層」

「休憩階層」

らしい。

ならば。

「あまり強くないのですか?」

訊ねれば。

『『『……やってみる?』』』

骸骨だけれど、声色で、にまーりとしているのが分かる。

「えぇ」

お願いします、と言ってみたけれど。

『ああああぁ!!知ってる!!これ「果実割り」だよこれ!』

『イーッ!イーッ!目隠しして頭カチ割られるあれぇぇぇ!!』

『うわぁぁぁ!!ずっとこれ!?いやだ、助けて助けて怖い怖い怖い!!』

あわあわしていて、楽しい。

発狂寸前とも言えるけれど。

『……出してやれ』

「そうですわね」

骨の味は大して珍しくもないし、美味しくもない。

元に戻すと、

『うわー!びっくりしたー!』

『こわー!こわー!』

『夢に見るー!今日絶対夢に見るー!』

四つん這いでゼーハーしている。

何だかとても、人間臭い。

人の形をした骸骨でもあるし、元は、人なのかしら。


『ローブを探してる?』

『ここの宝箱は、骨の笛だよ』

『はーい、どうぞ』

手渡してくれた。

「まぁ、ありがとう」

どこの、何の骨だろう。

小さい小さい角の形。

鬼の角?

何ができるのだろう。

『骸骨の軍勢を召喚できるよ』

『強くないけど数はいる』

『ハッタリが効くよ』

上階の治癒の瓶と比べると。

随分、こう、色がない。

「……」

『いやいや、ほらっ!僕たちサービス階だし!』

『家来とかさ、それっぽさ大事よ!?』

『ほらほらっ、ローブ!そう、ローブの場所を一緒に探してあげよう!』

仕事はいいのかしら。

「君に埋められたことで、一仕事したことになったから」

楽なお仕事ですこと。

『トラウマだよ!?』

『永遠の地獄を覚悟したよ!?』

『夢に見るよ!?』

それはさっきも聞きましたわ。

『ローブは、もしかしたら案外上階なのかもしれない』

影の独り言。

階段を降りながら罠を強く踏んでしまい、珍しく発動し、止めるのも面倒で屈んだら、

『おっ?』

『ん?』

『おや』

ちょうど振り返った1人の眼球部分にスコンッと槍がヒットした。

「あら?」

『ちょっと迫力でた?』

『でたでた』

『いいね』

結果オーライ。

「仲良しなのね」

『ずっと一緒だしね』

『ね』

『うん』

仲良しは、とてもいいこと。

「どなたか、ローブの性能は知ってまして?」

訊ねると、

『いや、俺は知らない』

『多分、防御だよね』

『ローブだしね』

『毒にも効きそう』

なるほど、そういう。

長い階段を降りる前に、

「あら、いますね」

蛇。

大きな大きな、多分蛇の胴体。

「お話は可能かしら?」

『知性と大きさは比例しないな』

『では、僕たちは』

『ここで』

『待ってるねー』

確かにここなら、蛇の巨体は入ってこられないけれど。

「舌は伸びると思うけど、大丈夫かしら?」

『『『上階で待ってます!』』』

軽いせいか足がとても早い。

ガッシャガッシャと退散していく。

「お話はできますか?」

階段を降りると、

『……』

「あら、本当にとても大きい」

『驚かないな』

影の声。

「驚いてます」

『……』

話は、出来ないらしい。

ただ巨体ゆえ、僅かに動くだけでも、

『おい』

「平気です」

片手を伸ばして、向かってくる尻尾の先に触れれば。

『……!?』

そこから、砂になっていく。

が、蛇は砂になっていく手前で自分の身体を、噛み付いて切り落とし、

(あら、血は赤いのですね……)

口を開き、案の定、長い舌を伸ばしてきたため。

「……」

手を払い、砂を大量に掛けてやれば。

『……ガーッ……!!……ゲェェェ……ッ!!』

目にも入ったらしい。

『……加減をしてやれ』

呆れた声。

「してますわ」

だって。

「このまま死ぬのと、撤退、どちらにします?」

選択肢を残したあげるのだから。

『ガーッ……ガーッ……』

えずきながら巨体を引き摺って、逃げるように奥へ消えていく。

真っ暗で先が見えない。

もしかして。

「ご同胞がいらっしゃる?」

『あぁ、でも戦わないし戦えない、影に特化してる仲間だよ』

まぁ。

「ここは、演出がお洒落なのね」

『ドラマチックでないと、人気が出にくいからなぁ』

なるほど、どこも、人を呼ぶ努力をしていると。

ここの階層の影が、隠していた宝箱をちらちらして見せてくる。

「お面……?」

マスカレードマスクと呼ばれるものに似た、白と金縁のマスク。

『あんたには、ちょっとサイズがでかいな』

「えぇ」

『あっ!』

『いいな!』

『お面だ!』

いつの間にか降りてきていた、骸骨3人組がいた。

「これは、どんな風に使うのかしら?」

『人の顔になる』

『人の顔に見える』

『人に擬態出来る』

この3人組は、たまに地上に出ているのだと言う。

マントを羽織り、仮面を付けて。

「それは、とてもアクティブですのね」

『ダンジョンで顔に傷ができた者も少なくないから、仮面を着けてる人間も、そんなに珍しくないんだよ』

これはちょっと違うけどな、と影。

「高く売れまして?」

『そうだな。そこいらの店では、それを買い取る金が、店を売っても足りない』

あら、思ったよりいいお値段。

『上に戻りがてら、適当に宝箱を開けて、そこそこに売れる物を持っていけばいい』

「そうします」

地上はどんなところですか?と3人組に訊ねれば。

『ここら辺はわりと賑やかかな』

『ダンジョンに入らず、ダンジョンの周りを点々と移動しながら仕事してる人もいるよ』

『人を見る目は、少し必要かな』

では。

「ダンジョン内での揉め事は、ダンジョン内でのことだからと、全て片付けられているのでしょうか?」

『……うーん』

『そうでもない』

『だから入らない人間もいる』

「?」

だから入らない?

『因果応報がとにかく強いと聞くぞ』

影が教えてくれる。

『ダンジョンを、存在するかもわからない神が作ったと言われる所以でもある』

神。

『ダンジョン内で犯した罪は、地上で償う』

と言われていると。

「ここでお仕事している人たちを殺めることとは違うのかしら?」

『それは、こちらも仕事だと割りきっているから。ただ、もう抵抗できない者を無駄にいたぶったりすると、必ずどこかしらで、同等の罰が下る』

それは。

拍手をしたくなるほど。

「とても素敵なルールね」

俄然、この世界が好きになった。

「そんなルールがないと、好き放題やる人間たちの済む世界だぞ?」

「私がいた場所は、好き放題して、因果応報はない、逃げ得の世界でしたから」

『『『……』』』

『……そうか』

その場の空気が、ずんと重くなった。

「あら、あら。嫌な気分にさせてごめんなさい。皆さんも、色々と教えてくれてありがとう」

頭を下げると。

『いやいや、こちらこそ』

『うんうん。あ、 僕たちの階にもさ、また遊びに来てよ』

『なんなら、地上でも会えたら嬉しい』

「あら、それなら、見掛けたら是非、声を掛けて下さいな」

『かけるよ!』

『楽しかった!』

『またね!』

3人組が手を振って階段を上がっていく。

「えっと、では12階?が最下層なのかしら?」

出口は、と当たりを見回すと。

『……あー待て待て』

「?」

『ダンジョンは、基本、卑怯なんだ。下になるにつれて、また更に2体用意したりする』

「それは、また宝箱が出るのでしょうか?」

『……多分』

影の言葉通り、左右の影から2体ずるりずるり現れてくれたけれど。

もう面倒なので、そのまま砂に落とすして回収させてもらう。

新しい味。

『……逞しいな』

影の呟きは、褒め言葉として受け取っておく。

今度こそ影も消え、また影が隠していた大きめの宝箱からは。

「まぁ、ありました」

丁寧に畳まれたローブが出てきたけれど。

「ううん…」

『予想はしていたどな』

「そうなんですの?なら、言ってくださればよかったのに」

『いや、楽しみにしてそうだったから……』

大人用のローブは、とにかく長い。

引き摺って歩くにしても、手もすっぽり隠れ、顔など何も見えない。

裁縫セットどころか、ハサミも持ち合わせてはいない。

もう1つは、くるくると巻かれた紙。

「地図でしょうか?」

『待て待て待てっ』

「?」

『迂闊に開くと地上に戻る』

特殊な転移魔法が施されており、開くと多分地上か、1階にまで戻されると。

「そうなのですね。……教えてくれてありがとう」

意図せずダンジョンから抜けてしまうところだった。

「あぁ、いや」

影が、ふーっと息を吐く。

「……ごめんなさい、お守りも大変よね」

『あぁ、違う。勝手に付いてきてるのは、こっちだからな』

「あら」

優しい影。

他人を放っておけないタイプなのかもしれない。



もし、それも砂になってしまいそうなら、俺が持っていようかと影の言葉に甘えて、持っていた仮面とローブを渡すと。

ズ、スズ……

と自分達のいる地面が下がりだした。

「?」

空間そのものの一部が、ゆっくりと下がっていく。

『最後は、最下層様自らが、招いてくれるみたいだな』

「途中からの参戦だから、ズルをしたみたいで、若干、気が咎めます……」

『いや、あそこ程度が、あんたには正しい出発地点だ』

色々な場所で、漁って読んでいた作品や、こっそり忍び込んで観ていた映画では、物語の最後は竜か魔王か、人か。

自分が観たものでは、その3択が多かったけれど。

ここは、竜だった。

大きな大きな空間でも、狭そうな、大きな竜。

羽は小さく、どうやって飛ぶのか。

眺めていると、

『嬢ちゃん、まだ埋めるな』

影に止められる。

「あら?あんた、ではなく、嬢ちゃん、ですの?」

『そこかよ、……でなくて』

「はい」

『これは売れる。切って小さくして肉にすれば売れるし、角も細かくすれば売れる』

「内臓は?」

『詰めるものがあればな』

「では、宝箱はどうでしょう?」

『あれは木箱だ、体液が漏れる』

先手で向こうから火を吹いて来たため、片手で壁を作り止める。

『……余裕だな』

「一応は。唯一無二の存在なため、多少は、 頑丈に作られたのだと思います」

『……』

「内臓を捨てていいならば、排泄器官から砂を挿し込んでお腹を埋めてしまいましょうか」

『え、えげつないな』

「では、大きく鋭利な刃物を形作り、首を切り落とします?」

細かいものは無理だけれど、大きな造形なら形成しやすい。

『おおぅ、何でもできるな』

「あら、褒められてしまいしました」

火が止まった。

『話は聞かなくていいのか?』

「えぇ、もう十分です」

よく見ると、この空間自体に、大きな膜が張られている。

この竜を留めるための。

力だけはあるけれど、知性は低いのか。

竜が地上に出て行かないための、ダンジョンを無駄に破壊されないための、強靭な、膜。

二度目の火を吹かれる。

(ううん……?)

『どうした?』

「まだ階層がありそうな気がしまして」

『そうなのか?』

「あまりに『力』しか感じないので」

『?』

「最後の主は、力と知性を持つ者が、そこにあるべきかと思います」

また火が止む。

影は、少し考えた後、

『予測でしかないが「このダンジョンでは」そうではないだ』

「あら?」

『他のダンジョンなら、そうなのかもしれない』

「ここは『パワー系と呼ばれるダンジョン』と思えばいいのかしら?」

『そうそう、力こそ全てダンジョン、だ』

「うふふっ」

火では埒が明かないと気づいたらしく、竜が片足を上げてきたため、残った地面の片足の下の砂を丸めてやると、すぐにバランスを崩し。

『……!?』

ドドーンッ!!

と地震並みの音と振動で背後にひっくり返った。

「あら」

そして、自慢の角と思われる頭の鋭い角が地面にめり込んで、仰向けの姿で、もがいている。

「……」

『……!!……!!』

降参、降参と、何となく伝わってきた。

撤退と、多分、降参の言葉も、きっとそれ以上は手出しは出来ない。

ならば、肉にすることも、砂にして吸い込むこともできず。

「残念です」

『……おぅ』

宝箱のもので勘弁してくれ、到達おめでとう、ともぼんやり伝わってくる。

「ありがとうございます」

宝箱は、

「まぁ、綺麗」

換金できそうな大小の宝石たちがたくさんと、

『これだよ、生き戻りの薬』

瓶は同じ形だけれど、液体の色が赤い。

そして、やはり巻かれた紙も入っている。

『あ、あのー……』

影の声ではなく、若い声が響く。

「?」

『角を、抜くのを手伝ってもらえませんか……?』

ひっくり返った竜の声だ。

その部分を砂にしてやると、モゴモゴと起き上がる。

『失礼、お手数お掛けしたね』

「お話が、できるのですね」

『情が沸くと殺しにくくなるから、滅多に話さないんだけどね』

ここには、まだ人は来ていない。

では。

「ダンジョンで働いてからは、長いんですの?」

『割りとね、荒稼ぎしたら、遊んでの繰り返し』

自由気まま。

「どこでも雇われます?」

『そうでもないね、タイミング悪く同じ強さの個体が何体も被ってたりすると、他を勧められる』

確かに、この竜レベルは1体で十分なのだろう。

『人からするとだけどね』

と、キョロキョロして、

『?』

首を捻っている。

『君が僕を倒したのに、ダンジョン達成、お仕事終わりにならないな、と思って』

確かに。

『全部の階層をクリアしてないからか……?』

影の疑問符が含まれた声。

『あー、ここはそうなのかもね』

うんうんと頷く竜。

色々な条件も違うらしい。

そうならば。

「このまま、制覇はせずに地上に行こうかしら」

『えっ!?』

『ええっ?』

「やっぱり、中盤からの乱入ですし、こちらの働き手さんたちの、ご厚意や道案内などで、ここまで来てしまったので……」

やっぱり、反則の様な気が拭えず。

『あー……』

と、

『そっかぁ』

と、それぞれ、しばしの沈黙のあと。

『僕はまださ、ここでのんびり待ちたいし、なんならまた来てよ』

『嬢ちゃんが、それでいいならいいけど』

強き者は無欲か、と呟きがくっついてくる。

『あとその最後の巻物はね、ここで使わなければ、例えば3階で開くと、ここに移動できるよ』

「まぁ?」

『見学がてら、歩いて戻り、欲しいものがあったら受け取って行けばいい』

影のアドバイスもあり、

「そうします」

『またねー♪』

「えぇ、また」

帰りは、階段。

『上りは、罠は反応しないようになっている』

「あら?」

至れり尽くせり。



「色々と、本当にありがとうございました」

影の階層まで、宝箱を開きつつ、順調に上がってきた。

『……おぅ』

顔はなくとも、影がこちらをじっと見下ろしているのは分かる。

「……?」

『俺に』

「はい」

『この、仮面とローブを貸してくれないか』

意外な申し出。

「あら。勿論です、と言いたいのけれど、お貸しする前に、理由だけ、お窺いしても?」

ただの好奇心ですが、と付け加えると。

『あぁ。……俺は、嬢ちゃんと、地上に出てみたい』

「あら?」

『地上にも、子供は少なからずそこらにいるけれど、さすがに嬢ちゃん1人だと、その見た目からして、悪目立ちが過ぎる』

「えぇ」

『俺がこの仮面とローブを被れば、嬢ちゃんの親か身内には見えるだろうし、多少は不自然さも誤魔化せる』

理由は解ったけれど。

「どうして、……そこまでしてくれるのです?」

彼女の問いかけに、影は、口ごもることなく。

『可愛いダンジョンへ行くんだろ?実は俺も入ってみたいんだ』

その言葉に、嘘は見えず。

「まぁ、あなたも可愛いものが好きなのです?」

『少しな』

あら、あら。

「ここのお仕事は大丈夫ですの?」

『代わりは多くいるし、影は分身も他のものより多いから』

そのまま抜けて終わりだと。

「アバウトですのね」

『人よりは自由だな』

で、どうだろうかと、訊ねられ。

「願ってもありません」

頷くと、

『感謝する、ありがとう』

影がすっとどこからか出したローブを羽織り、仮面を付けた。

「あ……らら?」

長めの黒髪、切れ長な薄紫色の瞳がどこかアンニュイに、こちらを見下ろしていた。

『お嬢さん好みの姿か?』

「ふふ、どうかしら?」

ニヒルな微笑みが似合う唇。

白い手袋の片手を伸ばされ、手を伸ばすと、繋がれる。

「ローブの内側はどうなっていますの?」

『洋館にでも住んでいそうな形状の服になっているな』

「あら、素敵です」

後で見せてもらいましょう。

近道を駆使せず、探索がてら、のんびりと上がっていく。

5階で、黄色い猿の気配を探ったけれど、休憩中らしく、どうやらこちら側、にはいないらしく、何も感じない。

『あぁ、これだ』

廊下の床に隠された宝箱を開くと、巻物が出てくる。

ここまで来たら、中途半端に探索者とすれ違うより、地上に出てしまった方がいいだろうと。

ほどほどに宝箱は開けてきたし、宝石もある。

上階の価値の低いものは、地上にもたくさん出ているからと。

影は、片手で彼女の手を繋ぎ、片手で巻物を持った影が、唇で紐をほどき。

「……?」

『……』

次の瞬間には、広い石畳の空間。

外のざわめきと風、眩しさ。

「まぁ……」

『おぉ……』

地上は1階に、いた。



小さな宿の2階。

「ダンジョンの遺跡の入り口が見えます」

『本当だ、これから入っていく奴もいるな』

こじんまりとした街は、ダンジョンの出現前からあり、ダンジョンが出来てからもっと賑わいつつあると。

ダンジョンの入り口を周りを囲むように一通りの店はあり、宿も多い。

換金所も幾つかあり、換金する物によって店は違うし、店を持たない者も多くいると。

小さな店で換金だけすると、男はすぐに宿を取り、

『拠点は大事だ』

と、ベッドに腰を下ろす。

『食事はできるのか?』

「えぇ、何でも食べられます」

『何でも……』

「何でも、です」

『寝込みを襲うなよ?』

「まぁ、心外です」

『冗談だ。……俺も何か食べる行為をしてみたい』

「屋台のようなお店もありましたわ」

手を繋がれて、街へ向かう。

『まずは地図だな。移動は、……なんだろうな』

「馬と、馬車みたいですね……ここは、少し、古い時代なのですね」

『お?なんだ、こう、先の時?から来たのか』

「多少です。……影さんは、お酒は嗜まれます?」

お酒の看板も多い。

『気になるけれどな、今はやめておこう』

カップと湯気のが描かれた木彫りの看板の店に入ってみる。

「とてもいい香りです」

珈琲の香り。

若い女が、ハァイと手を上げてカウンターから出てきた。

『珈琲2つと、何か食べるものを』

「肉の煮込みとサンドイッチあるよ?」

人も言葉は通じる。

耳を通じて脳内で、勝手に翻訳されている感覚はある。

(便利なチップでも、身体に埋め込まれたのでしょうか)

『どっちがいい?』

「サンドイッチを」

『サンドイッチ2つ』

「ハーイ」

カウンターに戻る若い女を見送り、

「こう、2号店、みたいなダンジョンはないのかしら?」

目の前の、人に模した影に視線を戻す。

『……?』

「同じ誰かが、離れた場所に別のダンジョンも作ってる、と言えばいいのかしら」

『あぁ、……どうなんだろうな』

なぜ?

と薄紫色の瞳が細まる。

「ボーナスポイント的に、1号店から2号点への移動できる巻物とかないのかしらって思いましたの」

『あぁ、それはいいな』

影が笑う。

『でも、この世界を、多少は見て、知りたいのだろう?』

「そうなんですけど、可愛いダンジョンが、海底にでもあったら、大変ですから」

『おぉ、海底か』

思いもしなかった、と影が呟く。

「お話を聞く限りは、大丈夫そうですけれど」

『そうだな』

海底……と影がほうほうと興味深そうに1人で頷いていとる、焼かれた少し黒っぽいパンに、厚切り肉と野菜が挟まっている。

「豪華だな」

「今はこの街、ダンジョンで潤ってるしね、還元、還元」

2人のやりとりを待ちきれずに手に持って、

「はむ」

と、噛み付いてしまうけれど、

「うん、うんっ。……とても美味しいです」

好奇心でのつまみ食いや拾い食いではなく、店で注文してもらい、自分のために作られたそれは。

何だか、自分の存在を、認められた様な嬉しさもあり。

「あぁ、美味いな」

影も頷き、若い女は、やったねと喜びながら珈琲も運んで来たくれたけれど。

影が何か頼んでいる。

「……?」

若い女は、そうだったと戻ると、

「子供のお客さんは珍しいから」

白い液体の入った小さめのカップと、茶色い砂糖の深い小皿。

影が、こちらの珈琲に牛乳か、山羊の乳かと砂糖を落として混ぜてくれる。

「おーおー、甲斐甲斐しいね」

「やかましい」

若い女の軽口に、影も軽く返し、カップの中で薄茶色になったそれを勧められる。

「いただきます」

温かく、柔らかく、ほんのり甘くてほろ苦い液体が身体に落ちていく。

「どうだ?」

とても、とても美味しいのだけれども。

「も、もう少しお砂糖を」

「あはは、味覚は見た目どおりか」

「どういう意味です?」

眉を寄せて見せると、影は肩を竦めて、そのまま珈琲を啜る。

(まぁ、大人ですのね)

「ダンジョンは、たくさんありますの?」

「あるけどな、多分、ここまでって数の上限はあると思うんだよな」

上限。

「1つ消えたら1つできる、みたいな?」

「そう、でも誰も入れない雪山や、嬢ちゃんの言う、海底なんかにある場合もあるだろうから、そのうち、新しいダンジョンを出すために、人が躍起になって1つを潰しに行くかもな」

そのダンジョンは、散歩がてらに歩いて行ける距離に乱立しているわけではなく、次のダンジョン行きの乗り合い馬車などはあるし、運転手を雇っている探索者もいるよと、若い女が教えてくれる。

「親切だな」

「どうせ遠くから来た人たちでしょ、お礼を弾んでよ」

なるほど。

「これからこのダンジョンはさ、噂を聞き付けた強者たちが、どんどん来るよ、そしたらもっと賑わってくるから」

楽しみなんだ、と若い女は笑う。

影が多めにコインを支払い、また影に手を繋がれて店を出る。

子供たちも姿もある。

そう酷い格好もしておらず、楽しそうにお使いをしたり、親と歩いているけれど、確かに、同じ小さな子供でも、彼女は、一目も二目も、他人の目を惹く。

若い女に教えて貰った、すぐ近くの装備屋へ向かうと、影とお揃いの、白い小さなショートローブを見繕って貰い、頭から被らせられる。

外に出ると、視線が半分は減った。

「あの」

『ん?』

「うまく言えないのだけれど、因果応報の逆はないのでしょうか?」

『んん?』

「えっと、ダンジョンの中で、例えば自分の身体を刃物なんかで傷付けて、血を吸わせます」

すると、地上で何か、いいことがあるのではと、浅はかな考えを持つものもいるではないかと、思ったのだけれど。

『恩恵的なものか』

「えぇ」

『……考えたこともなかったな』

それも答えを探しに行こう、と影が笑う。



『疲れてないか?』

歩きながら、影に聞かれた。

「平気です、少し歩いてお腹を減らして、夜ご飯に備えたいですし」

『……冒険者を雇うくらいの金持ちは、お茶の時間を作るらしいとに聞いたぞ』

「えぇ、えぇ、そうですわ」

失念していた。

「おやつの時間、ですわね」

『なんだ、その。金持ちが多そうな街やダンジョンのある場所へ行けば、甘いものもありそうだ』

「影さんも甘党です?」

『どうだろう、珈琲はあのままがいいけれど、甘いものを合わせるのはよさそうだと思ったな』

「では、可愛いダンジョンの前に、甘いもののある場所へたくさん寄り道しましょう♪」

「いいな」

立ち並ぶ屋台にも、水で溶いた粉を揚げて砂糖でまぶしたような菓子もあるけれど。

(うぅん、申し訳ないけれど、匂いからして油が……)

そう鼻は鋭くなくても、古い匂いを感じる。

砂にしてとも吸いたくない。

影も同じらしい。

ここでは、冒険、探索、戦いが最優先で、食は二の次だと思われる。

(ダンジョンからして、パワー系、ですものね)

散策がてら、ダンジョンから離れた街の外れへ向かうと、馬車が数台停まり、看板が立ててある。

「読めます?」

『あぁ、単純だ。西と一言。西側にあるダンジョン行きだな』

なるほどこちらが西側。

「皆様、旅支度が多め」

『遠いのか、山を越えるのかもな』

ぐるりと街を回るように歩くと、テントが多く張られ、

『少しでも宿代を節約してる冒険者、旅人の人間たちだ』

住人ならば、最低限の家や食事などは保証されると言う。

テントから出てきた冒険者らしい男に、影が声を掛けられる。

情報を買わないかと、持ち掛けられている様子。

影が地図が欲しいと答えると、

「地図なら南の方に、ベテランがいる」

と。

男がその情報に対しコインを渡し、今は北の方に歩いているため、最後に寄ろうと、周りる広がる畑や果樹園を見掛け、いい香りに近付くと、少し熟した梨のようなものが、ごろごろとカゴに詰められて売られている。

子供がおこづかい稼ぎに、店番をしているらしい。

影が指を1本立て、ナイフはないかと訊ね、子供が腰に付けた小さなナイフを貸してくれる。

男が細目に梨に切り目を入れて、一欠片を口に運ばれる。

シャクリと甘くて瑞々しい。

「美味しいです」

影も口に含み、うんうんと頷いている。

蔦と種だけになったものは、影が口の中に噛まずに放り込んだ。

「ここは、キッチンがあるお部屋などは、借りられるのでしょうか」

「家事場付きか、んん、一軒家とかか?」

子供にナイフを返し、カゴの隣にコインを置いた影は、また彼女の手を繋ぎ、

『料理をするのか?』

とローブ越しの小さな頭を見下ろす。

「いえ、したみたいと思っただけです、あの果物をジャムにしたいなと」

『売っているだろう?』

「たくさん食べたいのです」

瓶で売られてはいたけれど、どちらかというと、冒険者たちが隣の街や国へ帰る時に土産物として買っていく、そんな立ち位置の品物。

嵩張らないためにか、瓶も小さめ。

『うーん、家を借りられるのはどこだ……?』

反対しない影も、やはりかなりの甘党と、彼女は笑う。


ーーー


踏破され、打ち捨てられたダンジョンの周りに、土と、甘い木苺の種を蒔き。


湖畔の、長らく人気のない山小屋の前に、齧ったリンゴの種を植えてみる。


桃が産地の国で、彼女は桃に傾倒し、

「決めました、ここに家に買います!」

『待て待て早まるな!?』

影を驚かせたり。


『おい嬢ちゃん!なんか髪が溶けてないか!?』

「あら?」

楽しい水浴びは少し危険だったり。


路銀稼ぎのダンジョンでは。

『……何をした?』

「ババネロ入りの砂を大きな瞳に掛けただけです」

『えげつねぇなぁ……おい』


なかなかに、

「可愛いダンジョン」

は、遠く、遠く。


それでも。

「楽しいです♪」

『あぁ、楽しいな』

今日も、見知らぬ世界を、影と、手を繋いで歩く。


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