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僕の故郷1

 学校の帰り道、少し用事があって学校の南にある高台の方へ行った。用事と言ったって大したことじゃない。蝮ヶ池八幡宮に友達の習字の作品が展示されたというから、字の下手な連中数人が集まって見に行ったんだ。この神社は学校から南へ二百メートル程行ったところにある。入口は通りに面していて、鳥居があって、そこをくぐると両側を松とかクヌギとかで囲まれた参道が東に延びている。そこを少し入って短い石段を上ると左手に手水場、右手に社務所があってお札やお守りを売っている、いや、置いてある。そう、これは買うもんじゃない、頂いて代金、いや、いわゆる志をお納めする、というなかなか持って回ったような言い方をしなきゃならないものらしい。うちのお兄ちゃんがそこいらあたり、なかなかうるさいものだから。でも確かに理屈には適っているようだ。そんな商売、あっ、いやいや、お勤め―――をしてくれている窓口があって、要するにその窓口と手水場との間を過ぎると長い上りの階段がある、勿論石の階段。

 そこを上って行くわけだ。僕ら小学生にとってはちょろいもんだけど、参拝のおじいさんおばあさんにとっては、ちょっときつい石段だ。けれど有難い氏神様だからということで、この時も数人のお年寄りが頑張って上っていた。そんなふうふう言ってるおじいさんおばあさんを追い越して、僕らは目的地へと駆け上って行く。

 神社は二三の踊り場をはさんで、五十段くらい上ったところにある。本殿のほかに幾つか由緒不明の御社とかがあって、よく分からないけれどそれぞれに賽銭箱がしつらえてあって、と言うことは複数の神様がござるに違いない、けれどどんな神様が鎮座してござるのかは僕らには分からない。(まあ大人だってその大部分はご存知なかろう)取り敢えず僕らは、それぞれ家から持参した小銭を気前よく、あっちへじゃらじゃらこっちへじゃらじゃら賽銭箱に投入しつつ、ひょこひょこぱんぱんひょこ、と参拝を済まし、早速習字作品を展示してある大きな広報板を見に行った。ああ、あれが何とかちゃんのだ、こっちは何とか君のだよ、と僕らは大いに盛り上がる。やっぱり上手だねえ、うん、どうしたらこんな風に書けるんだろうね。

 僕らは大いに感心した。何でこんなに堂々と書けるんだろう。何でこんなに大人みたいに筆を操れるんだろう。何でこんなに力がこもっているんだろう。ところが自分達の字ときたら、自信なさげにおどおどしているし、絵具で書いてるみたいだし、ただ何となくなぞってるだけでひょろひょろしてるし、でもまあなんだね、そんな字でも子どもらしくていいんじゃないの、ぎゃはははは、なんて自虐と居直りで笑い飛ばし、あとは恒例、学校では出来ないいろいろな話題で大いに盛り上がった。

 いい加減喋り疲れて、さあ帰ろうかということになった。そのままさっきの石段を下って帰る人もいたけど、僕と幾人かはこの神社の裏側から帰ることにした。この神社は高台のてっぺんにあるんじゃない。中腹とまでは言わないけれど、一段低いところにあるんだ。そしてその裏口も、また石段を十何段か上がる必要がある。僕らは上り切ったところの鳥居をくぐって神社の外に出た。それからそこに面した道を北の方へ歩いて行くと、さっきまでいた神社が左手の足下にある。ちょっと下がったところにお社の屋根ばかりが良く見える。見下ろしているようなことになってしまっていて、畏れ多いことだけどこればかりは致し方ないことだ。

 そのまま右へ左へとくねくねした道を歩きながら、じゃ僕はここで、とか僕はこっちの方だから、とか一人々々別れて行く。ああそう、さようならとその都度言っていたんだけど、気が付いたら最後の一人にそう声をかけていた。いつの間にか僕は一人だ。そうなのか、僕はそのまま一人で家の方向へ向けて歩いて行った。

 この高台はいわゆる高級住宅街というやつで、所々どこかの会社の社宅みたいなのもあるけれど、ほとんどの部分は立派な家や大きなマンションで占められている。広い庭、それを囲む高い立派な塀、そしてその向こうに屋根だけが見えている、その本体は間違いなく豪邸、というような家々。西洋のお城みたいな共同住宅、横幅から見て一つ一つの区分家屋は大きいんだろうな、高層ではないけれど―――大体高くする必要なんかないでしょう、もともと高いところにあるんだから、というようないくつかのマンション。名古屋にもお金持ちは案外沢山いるみたいだ。

 そういう住宅街を歩いて行くと、急に左手の視界が開けた。北方向の見晴らしが途端に良くなった。今まで視界を遮っていた樹々やら家やらが途切れたところに出たらしく、目の前にナゴヤドームがでんと居座り、眼下には僕らの小学校、そしてあのナゴヤドームのまわりには千種、東、名東、守山の町並みがずらりと現れたんだ。

 僕は思わず、おお、と声を上げそうになった。そのパノラマが僕には途方もないものに思われたからだった。何故だか分からない。これぐらいの光景なら、勿論これまで何度となく見る機会があったはずだ。テレビ塔や東山タワー、では高すぎて比較にならないか、だったら覚王山の交差点から東西方向をながめた時とか、平和公園の高いところから東方向をながめた時とか。だから何を今さら、という疑問も当然少しはある。でも実際何故か大きな衝撃を受けたんだ。そして僕はそのままその風景を眺めながらゆっくりと歩を進めた。すると間もなく家に帰るために通らなくてはならない北へと下る坂道に出た。

 当たり前だけどこの坂道からの風景もこれまでと同じ風景だった。ところで僕はこれまでこの坂道を通ったことが何度かある。けれどそれは上りばかりで下ったことは一度もない。上りの時は―――僕らはやっぱり元気なんだろう、上り終えても振り返ることなくそのままさっさと目的地へと歩き続けたものだから、この景色を見ることは一度もなかったということだ。もしこれがさっき蝮ヶ池の参道で追い越したおじいさんおばあさんみたいな人達だったら、この坂道を苦労して上った後、それまでの苦労を確認するかのようにやれやれと後ろを振り返って見るに違いない。その点、僕らはあまり振り返るということをしない。だからこの景色をこれまで見損なってきたんだろう。

 それから暫く僕はここで景色を眺めた後、家に帰るため坂道を下り始めた。この坂道はかなりの急斜面だった。駆け下りる必要もなかったのでゆっくり下りた。下半身を前に出すような格好になるので背筋が伸びる。こうやって下って行くに従って景色は刻々と変化していく。堂々としていたナゴヤドームは、段々この辺りの建物に隠れて行く。これらの建物は、上から見下ろしていると色形とりどりの屋根が優って神秘の面持ちを見せていたけれど、高台から下りて来るに従ってそうした異次元感が失われてくる。僕は不思議でならなかった。ただ高いところから見た風景から段々下の方に下りてきた風景との違いだけなのに。

 高台から下りきったらいつもの風景が広がっていた。いつもの当たり前の平凡な日常的な光景が、何でもない穏やかな様子でこちらを見下ろしている。こういう風景がここから僕の家まで続いている。そして僕の家もこういう風景の一部なんだろう。そうしてやっぱり僕ら自身もこんなような風景の一部なんだろう、か。

 これはあまり愉快な考えではない。けれどもっと面白くないことも何故だか否応なく頭の中に浮かんで来る。それはさっき高台の上でやたらと感心したこととも一致する。つまり、いつも上の方にいる人達と下の方にいる人達とはこういうところからも違ってくるんじゃないか、ということだ。上の方の人達と下の方の人達とは、いつもながめている風景が違うんだ。日々見ている景色が違うんだ。そうして受け取る印象が違うんだ。で、自分自身に対する態度、自分自身に対する評価、自分自身に対する自信、とかいろいろな面においてどうしてもその影響を受けるわけで、そうなると上の方の人達と下の方の人達では元から違っているということになる。だから皆の心はそれぞれもともとの故郷にいつまでもずっと居続けることになろう。そして僕の故郷は、あの高台とそこから続く覚王山のふもとにある、そう、下の方のグループに属しているらしい。さっき高台の上で無闇に感心していたのも、その風景の中に僕の故郷がとぽんと沈み込んでいたからなんだろう。違いない。


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