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「起きて! 京耶君! 起きて!」
「んん……ふぁあ」
体を揺すられてゆっくり目を開ける。何だか変な夢だった。
「なぁ」
「ん? どーしたの?」
「小さい頃さ。トンネルで手繋ごうって約束したっけ?」
はずみちゃんは揺する手を止めて懐かしそうに笑い出す。
「あー。あったねぇ。でもその後直ぐに私が引っ越しちゃって結局出来なかったんだよね。チャンスはあったはずなのになぁ。何でやらなかったんだろ? でも急にどうしたの?」
「いや。何かその夢見てた」
「あらあら? 懐かしの再会が影響してるんじゃないですか?」
「たまたまだよ!」
顔が少し熱を帯びているのは寝起きのせいじゃない。はずみちゃんは意地悪そうに笑って肩を突ついて来た。
その約束自体は事実だったんだな。でも、あの時にはずみちゃんが言ってた約束とは違うみたいだ。これは久しぶりの再会で守ったんだってわかるような約束ではないし。
「京耶君! それより!」
「あぁそっか。何かあったの?」
「今、陽宮さんから連絡が入ってブレイバーのみんなが戻ってくるみたいなの。隊長と数名だけど。多分、状況が固まって落ち着いたんだと思う。だからきっとみんな少し冷静になってきているはずだから陽宮さんの予想が正しければもうすぐ出られるはずよ」
前の壁に掛けられている時計を見ると、まだ数時間しか経っていなかった。たったこれだけの時間で状況を落ち着かせるとは流石ブレイバー。精鋭って言うのはやっぱり伊達じゃない。
テーブルに投げたままだった剣を取り、鞘にしまう。少し寝たおかげでちょっと頭がスッキリした。
「それと。ここから出たらどうしようか」
「そうだなぁ。今の段階じゃ出来る事もなさそうだしな……」
待機が解かれても結局、自由に場所を移動出来るだけで待機には変わりない現状。それでも何か出来る事を探していないと落ち着かない。
カシャ!
はずみちゃんとあれこれ話していると会議室の扉が開いた。
「よう! 話は聞いたぞ! 何だかおかしな事になってるみたいじゃないか!」
海堂さんだった。恐らく陽宮さんに俺達の事を聞いたのだろう。何だか楽しそうにしているのが癪だったが、ここまで面白がってくれると逆に清々しくもあった。
「隊長! こっちは腹立って仕方ないんですから!」
ふくれるはずみちゃんに海堂さんは、わりいわりい。と手を挙げながら俺達の向かいにドカッと座った。
「まぁ大丈夫だよ。今のとこは俺達ブレイバーが交代制で回していけるレベルだしな。これからの準備も着々と進めている。最終的にどうなるかはわからないけど、やるべき事は決まったようなもんだからもう迷う事は無いだろう。だから安心しろ」
テーブルに両肘をついて顎を乗せながら海堂さんはニッコリ笑った。表情からも安心しろと言われているようだった。
「でも、何か進展がないといずれは海堂さん達だけじゃ防ぎきれませんよね?」
「そうだな。恐らく自衛隊や他の国からも派遣してもらう事になるかもな。それにそれでも防げるかどうかわからん」
絶望的な状況なのには変わりないようだ。きっとこのまま行けばいずれ、はずみちゃんも出撃しなければならなくなるだろう。俺はその時、また見送る事しか出来ないのか。
「でもな。希望が無い訳じゃない」
海堂さんは俺を見つめて言う。希望がある。まさか何かわかったのか。
「希望って何ですか?」
「お前だよ」
「お、俺!」
「そうだ。前にも話があっただろう。文献はどれも全国に広がってからだからそうならないと剣は効かないんじゃないのかってな。賭けみたいなもんだが、それがある限りまだ諦めるわけにはいかない。まぁダメでも諦めないけどな!」
海堂さんは立ち上がる。
「ま。結局は成上頼りなんだよ。でもお前と言う希望があるからこそみんな頑張れるんだ。だからな……」
海堂さんは俺の後ろに回って、俺の頭にポンと手を置いた。
「偽物とか本物とかどうだっていい。最後まで勇者でいろ。それがお前の任務だ」
海堂さんに連れられて俺とはずみちゃんは作戦会議室を出た。はずみちゃんは体を動かして来ると言って一人で訓練場に走って行った。俺と海堂さんは俺の部屋の前で別れて海堂さんはそのまま、また出撃するみたいだった。
「ちょっくら偵察も兼ねて回ってくるわ。土産は期待すんなよ」
そう言って手を振りながら去る海堂さんの背中は不安を感じさせず、それがまた俺の不安も取り除いてくれるとても頼もしい後ろ姿だった。
見えなくなるまでその姿を見送って、俺は部屋に戻る。ベッドに腰を下ろしてテレビの電源を点けるとどの局も緊急特番ばかりだった。
地域事の非難場所の説明や、絶界樹の発生状況。また文献から読み解く勇者の伝説について。どこからどこまで情報に規制が入っているのかも分からないが、どこも勇者は何をしているんだと言う事は絶対に言わなかった。テレビ自ら不安を煽ってパニックを起こすような真似はしないんだろうけど、それを見ている人達の中でその事を考えない人はいないんじゃないかと思う。禁秘の理を持つ勇者がそれを絶界樹に突き刺し、日本は救われる。なら早くやってくれよと思うのが普通だろう。
「現在、絶界樹は東北地方まで根を伸ばし始めており富士の絶界樹以外はまだ成長しきるまでに時間がかかりそうですが引き続き注意が必要です。避難勧告をされた地域の方は速やかに避難して下さい。尚、当番組は引き続き絶界樹の情報を放送していきます」
アナウンサーの女性が資料を何回も捲りながら流暢に喋っている。俺の事には全く触れない。勇者ではなく成上京椰の事だ。ネットに動画が上がってバレバレな筈だが、その事にはあからさまにわざと触れないようにしている。ここはきっと規制が入っているんだろう。つまり、政府側は俺にそう言う配慮をする程に、もう俺を勇者として見ていないのだ。
テレビを消してベッドに横たわる。見上げた天井には染み一つない。海堂さんの言葉が頭の中で再生される。
(偽物とか本物とかどうだっていい。最後まで勇者でいろ)
つまりはこうなってしまった以上、俺はどちらにしろ最後まで勇者でいなければならないのだ。それが例え嘘になったとしても。全国民を騙す事になったとしても。
最後の最後までみんなの希望であり続けなければならないのだ。
俺が死ぬまで。みんな死ぬまで。
勇者ってもっと簡単に捉えていた。楽なもんだと思っていた。木に剣を突き刺して、名誉を得て、教科書なんかに載っちゃったりしちゃって未来永劫語り継がれる。だから剣を抜いた時は驚いてすごく動揺したくせに、一度理解してしまえばすんなり受け入れて後悔は少しも無かった。
今、初めて後悔している。何も分かっていなかった時の不安以上の不安に押しつぶされそうになっている。俺は今になってようやく勇者とはなんなのかを理解した。だから恐くて仕方が無かった。
勇む者。
俺は例え何も出来なくたって、みんなの前で勇んでいなければならない。希望であり続けなければならない。先頭に立って戦っているフリをしなくてはならない。
勇気。勇敢。勇壮。勇武。勇猛。
どれも似たような意味で俺には似合わない。勇者とはそれを全てその心に持っている人間の事を指すんだ。伝説の剣を持っているからとかではない。何も持っていなくとも勇者は勇者なんだ。ただ伝説の件を引き抜いただけでその気になっていた俺はただの自信過剰な間抜けだ。
(偽物とか本物とかどうだっていい。最後まで勇者でいろ)
「わかってるよ! わかってる……」
ベッドを思いっきり叩いても海堂さんの言葉は消えない。何度も何度も頭の中に浮かび上がって来る。後には引けない事くらい分かってる。でも、自分で自分を勇者じゃないんじゃないかって疑ってしまっている今の俺にはまだ割り切れる程の覚悟が無かった。
俺は勇者じゃないんじゃないかと言う疑問は裏を返せば、まだ自分を勇者だと思っていたいという願望でもある。こんなあやふやな状態じゃ自分の実の振り方を決められる筈無い。まるで志望校が決まっていない受験生だ。何をすればいいかもわからず、動き出せずにいる。俺はやっぱりただの高校二年生なんだな。でも……でも……
「じゃあ何で……何で俺に剣がぬけたんだよぅ……」
手の平で顔を覆う。悲しいのか悔しいのか情けないのか恐いのかわからないが、どっと溢れ出した感情は水滴となって俺の目からとめどなく流れていく。誰も見ていないのにそれを隠して声を押し殺す。止めようと思っても全然止まらなかった。むしろ勢いを増して込み上げて来る感情は爆発寸前でかろうじて押さえていたが、今にも部屋の中をめちゃくちゃに暴れてしまいたい衝動に駆られていた。
「ちくしょう……ちくしょう」
ベッドをバンバンと叩く。痛くもないし音もならない。起き上がって思いっきり殴りつける。何度も何度も殴って殴って感情を吐き出す。言葉にならないから声にならないから俺はひたすらベッドを殴りつけた。こんなになっても騒音や物の破損、自分の怪我を気にしている自分の理性が憎らしい。
どれだけ殴っただろう。数えきれないくらい打ち込んだ拳の跡は一つもついていない。ばっと手の平で皺を伸ばせば今まで通りのベッドだった。
ようやく虚しくなり、うつ伏せで倒れ込む。心の中はグチャグチャだった。
ベッドに横になってもなかなか寝付けないまま何時間も動けずにいる。そう言えば今日、何か食べたっけ。そう考え出すと少し腹が減って来た。
「成上君。ちょっといいですか」
「うわ!」
突然かけられた声に慌てて起き上がると陽宮さんが立っていた。毎度、気が緩んでいるとは言え、こう何回も入った後に気付くなんて、ここの人達は気配を消す訓練でも受けているのだろうか。
「失礼するよ」
陽宮さんは机から椅子を引いて座り、ベッドの上で上体を起こした俺と向かい合う。
「どうしたんですかいきなり」
「実は、いよいよ全国に避難勧告が出される事になりまして。もうすぐ総理の会見が始まります」
「……そうですか」
「先に話しておきますが、内容としては絶界樹が全国に広がるまでそう時間はかからない事と勇者についてです」
「俺ですか?」
「そうですね。ですが素性についてではありません。おっと、もう始まりますね。テレビを見てもらえば理解出来ると思いますので」
陽宮さんはテレビの電源を点けた。チャンネル操作をしない所を見ると全ての局で同じものを中継しているのだろう。即席で作られたような簡素な会見場に総理大臣が現れる。記者も並んでおらず、そこには総理大臣だけが壇上に立ちモニター越しにこちらを見つめながら口を開いた。
「えー現在。絶界樹が近畿、北陸地方にまで根を伸ばし始めております。絶界樹についての危険性及び生態の説明については皆さんニュースで既知の事と思いますが、関東では富士以外にも二本ほど実をつける程に成長しており、現在、特別に編制された部隊が実から液体が流れ出すのを防いでいるような状況です。またこれにより先々の事を懸念して現在、隣国にも応援の要請をしております。そしてこの危機を乗り越えるにはみなさんの協力が必要です。現時刻より全国に避難警報が発令されます。ですがみなさん。どうかパニックを起こさずこちらの指示に従って下さい。指定された避難場所には既に準備が整っておりますのでご安心を。また避難場所はこの会見が終わり次第、地域事にお知らせしますので何卒ご協力ください。そして絶界樹に対する唯一の対処法である禁秘の理を持つ勇者についてですが。現在、その力を溜め込んでいる最中でございます。文献には書かれていませんでしたが、絶界樹を一撃で根絶させる為には力を溜める必要があるらしく、少しばかり時間を要します。しかし目処はたっており、あと一週間程で力が溜め終わり絶界樹は根絶出来るとの事です。ですからみなさん。一週間避難施設で耐え忍んで下さい。指示に従い速やかに行動して頂ければ、それまでみなさんに危害が及ぶ事は絶対にありません。国が全勢力を持って阻止します。ですから一週間の辛抱です。よろしくお願いします。全国民が協力し合ってこの状況を乗り越えましょう」
総理大臣が一礼して壇上を去ると直ぐにニュース画面に切り替わって各地の避難場所が流れ始めた。
「と言う事です。テレビはこれからしばらくは絶界樹の情報と避難場所を流し続けるだけになります」
テレビがプツンと切れて陽宮さんはリモコンをテーブルに置いた。
「あ、あの。避難警報の事は分かったんですけど……力を溜めてるっていうのは一体? それと一週間って?」
総理の言った言葉は嘘が混じっていた。俺は力なんか溜めていない。それに一週間の辛抱なんて言ってしまったら、それを越えてしまった時どう弁解するつもりなんだ。
「そうですね。あれは国民が不安に駆られてパニック状態にならないように配慮した結果です。ああしておけば何故絶界樹に剣で攻撃しないのかという疑問も解決し、一週間と期限を提示すれば頑張れますし、安心もするでしょうから」
「でも……まだ解決法もわかっていないのにそんな事言って期限が過ぎたらどうするんですか?」
「どうしようもありませんよ」
「え? どういう事ですか?」
「日ごと変わっていく成長スピードを計算してこちらの戦力状況を合わせてみた結果。一週間で私たちの力は増え続ける絶界樹に及ばなくなり、実から液体が流れるのをを防げなくなります」
「な! でも、それでもまだ持ちこたえられるんじゃ!」
「いいえ。そうなったら恐らく数時間で日本の生物は全て死滅するでしょう」
「じゃあ一週間って……」
陽宮さんは立ち上がり溜め息をついた。
「えぇ。死へのカウントダウンです」
目の前が真っ暗になった。俺達の命はあと一週間で途絶えてしまう。
「ですから。成上君は今後、この施設から一切出ないで下さい。一週間で救われるとわかった記者達はきっと力を溜めているあなたを探してスクープを狙ってきますから。でも、ここなら安心です」
俺は俯いて陽宮さんの足下を眺める。返事は出来なかった。死んでしまうならこんなとこに監禁されていたくないし家族や友達に会いたい。死ぬのならせめて一目だけでも会っておきたい。
陽宮さんの足が扉の方へ進んでいく。そして扉の前で止まった。
「言っておきますが。私は少しも諦めていません。最後の最後まで足掻いてやるつもりです。それに海堂ほど割り切った考え方は出来ませんが、やはり私もこの日本を救えるのは勇者である君だけだと思っています。だから成上君は自分の責務を果たして下さい。最後まで。高校二年生の男子には重た過ぎるでしょうが最後の最後まで貫いて下さい。ここにいる人間はみんなもう覚悟が決まりました。だからもう君の事をとやかく言ったりはしません。ですから後は自分で覚悟を決めて下さい。周りを言い訳にせず自らが決めた覚悟ならきっと最後まで貫き通せるでしょうから」
では。と陽宮さんが部屋から出て行く。あの人もまだ希望を捨てていない。俺をまだ勇者だと信じてくれている。海堂さんとは少し違うが、勇者であり続けろと俺に言う。どんなに重たくても背負っていけと言う。ただの高校二年生に。
「無茶苦茶だよな……」
深い溜め息が漏れる。俺にはもう迷っている暇はないのかも知れない。
剣を腰に差したまま部屋を出る。廊下で何人かとすれ違ったが声を掛けられたりもしなければ変な視線を送られる事も無かった。足は無意識に食堂へ向かっていて昼の二時前という閉店間際な時間帯のせいか人はほとんどいなかった。
とりあえず適当にご飯と鯖の味噌煮と味噌汁をよそって席に着く。腹も減りすぎると逆に食べる気がしない。一人の食事はちょっと寂しくて美味しい筈の料理も少し味気なく感じる。目の前でバカみたいな量を食べているはずみちゃんがいないだけで食後のコーヒーも飲む気がしない。手早く食事を済ませて食堂を出る。施設内ならどこへ行っても良いとの事だが、俺のカードキーでは自分の部屋と作戦会議室と本部しか入れない。だとしたらやっぱり部屋に戻るしか選択肢はなかった。でも、俺は部屋の前を通り過ぎて何処へ向かうでも無く廊下を歩き続ける。誰でも良いから話し相手が欲しかった。生まれて初めて心の底から相談したいと思っている今の心境は自分らしくない。小さい頃は何も言わずに黙って耐えているだけで、はずみちゃんが引っ越してからは何だって自分で答えを出して解決して来たつもりだった。だから今回も自分で決められると思ったのに。ダメみたいだ。
誰かに会う為にあてど無く歩いてみたが、そう簡単に会える筈も無く俺はブラブラと歩き続けた。もちろん何人かとすれ違ったが会話もする事無く素通りする。誰でも良いなんて思いながら、俺にはそんな相談が出来る奴なんてそう多くはない。はずみちゃんと海堂さんと陽宮さんくらい。三人だけだ。だとするとあてど無く歩くよりも、海堂さんには会えないかも知れないが本部にはきっと陽宮さんがいるし、陽宮さんにお願いすれば訓練場に入らせてくれるだろう。はずみちゃんもきっとそこにいるはずだ。でも俺はそうしなかった。理由は自分でも分からない。でも、認めたくなかったのかも知れない。こんな自分を。相談する為に会いに行くんじゃなくてたまたま会ったからたまたま話してみたくらいの感じが欲しかったのかも。この期に及んでまだそうやって形を気にしているなら俺は大した奴だ。ことさら嫌味っぽく言えばだけど。
つまりはそれすら認めたくないのだ。いよいよ始末に負えないな。