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翌日の午前十時。朝食を済ました俺、陽宮さん、ブレイバーのみんなは作戦会議室に集合していた。
「多少、成長スピードに誤差がありますが、今日のうちに叩けば問題ないと思われますので予定に変更はございません」
陽宮さんがテーブルのモニターで事前に決めておいた進行ルートを一から説明し直す。どうやら絶界樹の成長は徐々にスピードを増して来て、文献から割り出したスピードよりもかなり早く一つの木になったらしいが、まだ葉も生やしておらず伸びきってもいないので心配はいらないとの事だった。
「んじゃ、落下地点は変わりなくパターンAで行こう。成上は俺達、樫倉のサポートの元で地点に辿り着き次第、禁秘の理を絶界樹に突き刺す。後は状況に応じて速やかに陸路及び空路で離脱する。みんな、危険が少ないからって油断はするなよ。もう既に予想は外れているんだ。何が起こっても冷静に対処出来るように常に気は張っておけ」
海堂さんが言い終えると、了解。と声を揃えて敬礼するブレイバー。それに一拍遅れて慌てて敬礼すると、陽宮さんは頭を掻きながら俺に視線を移した。
「一応、成上君は今回の最重要任務を負っています。だからと言って気負わずに。気楽にとは言えませんがきっと大丈夫です」
陽宮さんなりの激励だろうか。力強く頷いて答えたが、改めて最重要任務なんて言われてしまうとかえって気負ってしまう。折角、忘れていたのに。
「よし! それではこれより絶界樹殲滅作戦を開始する! 行くぞ!」
「おう!」
拳を挙げて咆哮するブレイバー。俺はやっぱり一拍遅れて弱々しく拳を上げる。結局、最後までこのノリに着いていけなかった。
最初にここへ来た時のヘリポートから出発する。俺が乗るヘリは海堂さんとはずみちゃんの三人とパイロットの計四人。ブレイバートップの成績を誇るパートナーに隊長自らそれのサポートをするあたりが俺の役割の重要性を物語っていた。
「そんな顔すんな。終わったらちょっと遅い昼飯といこうじゃねーか!」
固まっていた体が海堂さんに背中を叩かれたせいで、まるで魔法が解けたように力が抜ける。まだ会って二日しか経っていないのに、俺は海堂さんがいればどうにでもなる気がしている事に気付いて、同時に彼が何故、隊長なのかが分かった気がした。
「見て! 絶界樹よ!」
はずみちゃんが窓の外に視線を移す。そこにはあるはずの富士山の姿が無く、大きな木の幹が今も尚、天に向かって伸び続けていた。
「こりゃ……でっけーなんてもんじゃねーな。富士山がすっぽり包まれちまってる。ここまでいっちまったらもう木じゃねーだろ」
海堂さんの言葉通りだった。あんなもの見た事も想像した事もない。でか過ぎる、壮大すぎてまるでファンタジーの世界に迷い込んだ気分だ。
「あの! そう言えば……国民のみなさんは一体どうしているんでしょうか?」
「ん? なんだテレビ見てねーのか。あんなもん隠せる訳ねーからな。しっかり総理自ら会見で説明してたぜ?」
「絶界樹の事を? それってパニックになっちゃいません? 俺、あんなの見たらこの世の終わりを想像しちゃうと思うんですけど」
「そこらへんはちゃんと分かってるわよ。だから半径三十キロ圏内の人は一応、非難してもらっているわ。でもしっかり勇者の事も説明してあるからパニックにはなってないわよ。ネットにも京耶君が剣台平野で狼狽えている映像が沢山流れているから信じない人がいるわけがないわ。善くも悪くもみんな安心して見守ってるわよ」
「って事は……」
「残念だったな。今日は報道完全シャットアウトだ。何かあったら問題だからな。だからお前が勇者としての責任を果たすシーンは俺達しか見てないよ」
「……そうですか」
嬉しいような悲しいような。でも俺が剣を引き抜いた直後の映像が流れているなら、帰ったら学校内はおろか町内でもきっと引っ張りだこだろうな。もしかしたら国から表彰されたりしちゃって。勇者。英雄。救世主。どれも響きが良い。どうせならこんな学ランじゃなくてそれっぽい服で来たかったけどテレビが来てないならどうだっていいや。
「ほら。アホ面下げて浮かれてんじゃねーよ。そろそろだ」
頭を軽く小突かれて我に返ると、はずみちゃんが手早く自分の体に俺を固定する。いよいよ本番だ。和らいでいた緊張が少しだけ戻って来る。大丈夫だ。昨日あれだけ飛んだんだ。同じようにやればいい。
海堂さんが扉を開けて体の全身に風が吹き付ける。海堂さんが外へ身を乗り出して俺とはずみちゃんに振り返った。
「行くぞ!」
海堂さんが飛び立つ。間髪入れずに俺とはずみちゃんも後を追った。上空に投げ出した体はやはりまだこわばってしまうが、それよりもこうして間近で見る絶界樹の恐ろしさに震えてしまった。その壮大で非現実的過ぎる姿は人間の力なんてまるで及ばない気がした。先端は今でも大きく太い幹達が絡まり合って上空へと伸びている。その姿は紛れもなくそれが生きている証拠だった。
「よし! 京耶君! 着地するよ!」
俺達は木の根もと部分に分散して降り立ち、みんな同じように一度空を見上げた。
大きいなんてもんじゃない。こうやって目の前にしてもまだ信じられない。
「よし! 予定通りだ。このまま進んで中腹まで行ったら、成上! お前の出番だ! 頼むぞ!」
海堂さんが手を挙げて前方へと振り下ろす。ブレイバー達は海堂さんを先頭にして、俺とはずみちゃんを囲んでガードするような形で進み出した。
木の上を歩いている不思議な感覚。どんなに太く広がっていても材質は木に変わりない。ただそこには砂利や砂はおろか草の一本も生えておらず、生き物も一匹も見当たらない。まるであの絶界樹以外の存在を許さないかのごとく、静かで虚無感が渦巻いている空間が広がっていた。
俺達の足音だけがやたらと響く。急がず慌てず着実に歩を進め、ポイントを目指す。何事も無く順調に思えたがブレイバー達の張りつめた気が伝わって来て俺も気が緩まない。
一歩。一歩。
じりじりと距離を詰めて行く。ポイントまであと少し。一歩。一歩。
海堂さんが手を挙げて、進軍が止まった。
「到着だ。成上。準備しろ」
海堂さんのもとまではずみちゃんと進み、俺はホルダーを開けて鞘から剣を抜く。そこから放射状に広がるように一定の距離を開けて見守るブレイバー達。はずみちゃんは隣で俺を見守っている。海堂さんはその逆隣で銃を構えていた。
「……いきます」
俺は剣を逆手に両手で持つ。そして目一杯腕を上へ伸ばした。
頼むぞ、禁秘の理。何で俺を勇者に選んだのか分からないがしっかり全うしてやるからお前も頼んだぞ。
……これ、刺した瞬間に爆発とかしないよな?
一瞬よぎった変な考えが体を固めてしまう。脳からの命令を体が聞いてくれない。
「大丈夫……京耶君。私がいる」
はずみちゃんがポンと肩に手を置く。固まったまま首だけ動かし目を合わせると、はずみちゃんは目を逸らす事無く頷いた。俺は唇をかんで正面に向き直る。もう一度剣を握る手に力を込めた。こんなの空から飛び降りるのに比べたら恐くも何ともない。やってやる! いけーーーーー!
ガツンッ!
あれ?
ガツッ! ガツッ!
おかしいな?
ガツッ! ガツッ! ガツガツッ!
「……そんな……なんでだよ!」
ガツッ! ガツッ! ガツッ! ガツッ!
「おい! どうした!」
海堂さんが俺の肩を掴む。俺は何度も剣を振り下ろし続ける。
「嘘でしょ……どういうこと?」
はずみちゃんが俺の肩を掴む手に力を入れた。
刺さらない。
剣が刺さらないのだ。
どうやっても弾き返されてしまい、絶界樹には傷一つ着ける事が出来ない。
「なんでだよ……! さされよ! くそ! さされ! さ・さ・れ!」
目一杯力を込めて振り下ろすも、剣は虚しく何度も弾き返されてしまう。
「どうなってやがる……おい! 成上! 剣をしっかり握って切っ先を突き立てろ!」
海堂さんの指示通りに絶界樹に突き立ててギュッと握りしめる。押し込もうとしても切っ先すら入っていかない。
「よし! そのまま! 樫倉! 手を貸せ!」
海堂さんとはずみちゃんが俺の手に両手を重ねる。
「フルパワーで行くぞ! せーの!」
途端に物凄い負荷が腕にかかる。俺は必死に剣を握りしめながら自分も下に向かって力を込めた。
「うおおおおおお!」
それでも切っ先すら入っていかない。剣が刺さりそうな感触すらなかった。
「おい! お前らも手伝ってくれ!」
海堂さんの呼びかけに広がっていたみんなが集まり出す。全員で俺の手を介して禁秘の理に力を込める。
「おおおおおおおおおおおお!」
今度は俺の腕が耐えきれず、剣から離れてしまいブレイバー達もろともその場に崩れてしまった。
「海堂隊長!」
ブレイバーの一人が指示を仰ぐ。海堂さんは首を横に振った。
「仕方ない。一旦引き上げるぞ」
小型無線でヘリを呼ぶ。俺達は足早にパターンCの合流地点へと向かった。
ほとんど麓の平地にも木は埋め尽くすように広がっていて、見上げた先はさっきよりも高い位置に先端を向けていた。
「よし! 退却だ! 体勢を立て直す! 戻ったら各自作戦会議室に集合!」
了解! と声を揃えて各自のヘリに乗り込む。俺は返事をしている余裕もなかった。頭がパニック状態で体が動かず、はずみちゃんにほとんど引っ張られる形で移動し、ヘリに乗り込んだ。それでも剣を握る手には力が込められていて離そうとしない。まるで俺は禁秘の理にしがみつくように剣をしまわずにずっと握りしめていた。
「陽宮。どういう事だ。こんな状況は想定していないぞ」
飛び立つヘリの中で海堂さんが本部にいるであろう陽宮さんと交信する。海堂さんの見た事もない切迫した雰囲気に状況が予定外過ぎた事がわかった。でも、俺は隣で俺の腕を強く握りしめるはずみちゃんの手よりも逆の手に握られている剣の感触に神経が集中していた。
何が何だか分からない。剣の感触は本物だ。でもこいつは絶界樹に刺さらなかった。じゃあ俺が今握っているこの剣は一体何なんだ。
目の前で陽宮さんと交信を続けている海堂さんの声がえらく遠くに聞こえる。ヘリの飛ぶ音がまるで嘘のように感じる。
「大丈夫……きっと何とかなる……大丈夫」
隣で俺を励ますように何度も同じ事を呟いているはずみちゃんの声だけがハッキリと聞こえた。
大丈夫。何とかなる。大丈夫。きっと何とかなる。
心の中でその言葉を何度も追い続けている内に俺の手から剣が零れ落ちる。
カランカランと音を立てて床に寝てしまった剣。
俺、何でここにいるんだーーーー?
※
施設に到着早々、作戦会議室へと向かう。おぼつかない俺の足取りを支えるように並走するはずみちゃん。施設内はどこもかしこも騒がしく慌ただしく、まるで数時間前の出発時が別世界に思えた。
「一体どういう事なんだ!」
作戦会議室に集まった面々に海堂さんが激高する。陽宮さんを始め、各セクションの責任者が一同に揃っているようで席は埋まっており、俺と海堂さん以外のブレイバー達は席に座らず後ろに並んでいた。
「海堂。落ち着け。今も原因究明に急いでいるが、このケースはどう考えてもおかしい」
陽宮さんが資料を座っている面々に回す。
「見てもらえば分かる通り。出土した文献には禁秘の理が刺さらないと言った件は記述されておらず、また刺す為の条件も何一つ記されていない。どれも突き刺して終わっている。それだけなんだ。だから今回のようなケースは除外して動いて来た。しかし、このような事態に鳴ってしまっては自分達で仮説を立てなければならない。そこでだ。文献に目を通してもらって気付いた事があると思うが、剣を突き刺して終わるの他にもう一つ共通している事項がある。それから考え得るケースが……」
海堂さんが資料を置いて陽宮さんに視線を送る。
「全国に広がってから剣を突き刺している。だな」
「その通り。ただそうならないと刺さらないのなら何故記述されていない? そして記述されていないのなら昔の勇者達は俺達と同じような失敗をしたはずのなのに、その記述もない。だからどう考えてもおかしいんだ。日本を守る為に語り継がれているはずの伝承にそんな大事な事を記述していないなんて考えられない。それに、この仮説に賭けるには可能性があまりにも低い上にリスクが大き過ぎる」
陽宮さんは資料をテーブルに置いて溜め息をついた。
「確かに。全国に絶界樹が生えてそれに実が出来ている状態じゃ俺達だけでは防げないし、自衛隊や他の部隊の力を借りても足りるかわからんな」
海堂さんはすうっと息を吸って立ち上がり、テーブルをバンと叩いた。
「しかしこうしている間にも絶界樹は伸び続けているんだ! それを何もせずにただ眺めているんじゃ俺達がいる意味がないだろう! 明日もう一度出撃だ!」
陽宮さんも立ち上がる。
「そうですね。私たちもそれまでに出来うる限りを尽くしましょう。まだ何か見落としているものがあるかも知れない。時間はありません。明日の出撃までに何とか解決策を見つけましょう」
立ち上がった陽宮さんと海堂さんは視線を交差する。それに賛同するように座っていた責任者達も立ち上がり、互いに頷き合った。俺も立ち上がる。そして腰に下げている剣に手を置いた。
考えるんだ。何がいけなかったんだ。何を間違えたんだ。
解散して作戦会議室を後にする面々は何かを決心したように力強い雰囲気を纏っていた。しかし表情にはやはり影があって一抹の不安を拭いきれないでいるのも感じられた。
俺は陽宮さんに言って、資料を貰い部屋に戻る。修学旅行で行くと言うのに、あまりちゃんと勉強して来なかった事を今更悔やんでいた。
日本を救った数々の勇者達。俺もその一人なんだ。現代の勇者なんだ。わからない何て言っていられない。出来ないなんて言っていられない。この世にタダ一人の勇者である俺が諦めた瞬間に日本が終わってしまうんだ。やるしかない。逃げ場はないんだ。やるか死ぬかだ。
ちくしょう! 絶対に生きてやる!
とは言え、初めて真面目に読むこの文献は、既にこの伝奇災害対策課の人達が穴があく程掘り下げた後なのだ。となればここは男子高校生ならではの肩の力の抜けた解釈の仕方が重要になって来るだろう。真面目にふざけて、集中しながら肩の力は抜いて。自分で考えておきながら随分難しいやり方だが文句は言っていられない。諦めてしまえばそれは死に直結しているのだから。
まずは大まかな流れ。
伝説の中で勇者がやっている事は同じなので、当たり前だが数ある割にはほとんど似通ったものだ。これならむしろ一つだけ読めば良いと思えるくらいに。
なので、高校生の感性に従い、ここは一つに焦点を絞ってみる。
第一にキッカケ。始まり方は俺の時と同じだった。勇者が剣を抜き、絶界樹が生える。
そしてそこからが問題だ。何故か勇者は直ぐに絶界樹のもとへは行かずに、伝説は絶界樹の説明に重きを置いたものになる。成長の仕方から葉と実が生えてって所、そしてそれが全国に広がる所までしっかりと説明されている。そして不思議な事にそれが終わるともう勇者が絶界樹に禁秘の理を突き刺すシーンになってしまう。
そして無事に日本が救われたの結びで終わり。
何なんだろう、この違和感は。絶界樹が成長している間に何もしなかったわけがないのに、まるで何もせずにずっと観察していたかのような説明。それなのに液体を出さずに実を処理する方法は書かれている。誰がどうやって試したかも書いていないのに。ここで出土した中で一番古いものを読んでみるが、内容は変わらない。やっぱりどうやって調べたかは書いていないのだ。
普通、伝説って起こった出来事に人物がどういう行動をとったかを重点的に書かないか?
無論、後世に残す為に対処法は書いておく必要があるにせよ、これではあまりに内容が薄過ぎる。昔の人に取ってこの絶界樹は取るに足らない出来事だったのだろうか。だが、この文面には暗黙の了解のようなものも感じられないし、何かが隠されているようにはまるで思えない。ただただ内容が薄い。これでは確かに今日、剣を突き刺して終わりだろうと思ってしまうはずだ。
まいったぞ。「高校生の感性で」なんて偉そうな事考えておきながら、至った考えは今日ついさっき不可能を証明されたばかりのものだ。
「まいったな。情報が少なすぎてさっきの陽宮さんが言った仮説くらいしか行き着く場所がない。でもこんな憶測だけでわざわざ最終局面まで待つなんてリスクが大き過ぎるし。あーもうくっそー……下らない事しか浮かばねー……」
「一人言でマイナスな事言ってると気分までマイナスになるらしいわよ」
「ええ?」
振り返ればいつの間にかはずみちゃんが扉の内側に立っていた。また開く音に気付けなかったみたいだ。
「そうやって根詰めても出ないアイデアは出ないわ。そう言う時は一旦離れましょう。と言う訳で行きましょー」
チョイチョイと手招きして扉を開ける。何処へ行くかも分からないがとりあえず俺も部屋を出た。確かに思考回路は袋小路に迷い込んでいたので、一旦リセットするのもアリだ。
「なぁ。気になったんだけど毎回ちゃんとノックしてるよね?」
「失礼ね。してますよ。そんな叩き割る程やらないけど普通にね。もちろん反応ないから勝手に入ると京耶君いつも自分ワールドに入ってんだもん」
「んー。そう言われると……」
「ちゃんとこれからもノックするから。だからちゃんと気付いてよ」
「わかりました……」
よろしい。と言ってはずみちゃんと俺はエレベーターの前に立つ。
「これ……って事は監視フロア?」
「展望フロア!」
別に同じ意味だろう。と思っても口には出さない。余計な事は言わないに限る。
乗り込んだエレベーターは上昇を始める。四角い箱の中で俺もはずみちゃんも口を開く事はなかった。
エレベーターを下りて展望フロアを見渡すが、やっぱり人はいない。みんな打開策を考えるのに必死なのだろう。監視係は恐らくモニターでチェックしながら正確な成長スピードを割り出すのに四苦八苦しているはずだ。こんな予想外だらけでは。
「はいはい。座った座った」
先に座ったはずみちゃんがバンバンとベンチを叩く。少し間を空けて隣に座る俺の顔の前にパンが飛び出して来た。
「うわ!」
「へへーん! 驚いた? どうせお昼食べてないんでしょ? 夕食まで食堂閉まっちゃうからこれ貰っておいた! どうぞ。お腹がすいてたら良いアイデアも浮かばないわよ?」
はずみちゃんからパンを受け取り、ありがとう。と呟くように言う。そして手に持った大きめな揚げパンを頬張ると、口中にカレーの味が広がった。
「んー! んめー!」
大きなカレーパンを一口食べる度に声を上げる俺を見てはずみちゃんはケラケラと笑い始める。
「昔っからカレーパン好きだよね!」
「やっぱりカレーパンがパンの中では一番好きだな! それは一生変わらない!」
「今の京耶君見てるとそんな気がするよ!」
腹も減っていたし、好物のカレーパンと言う事もあって俺は手を止めずに全力で食い続けた。大きめに作られているが、この腹具合ならあと三個は食えた。
「ふう。ありがとう。ごちそうさま」
「いえいえ。どういたしまして」
互いに頭を下げ合う。何だかようやく空気が和らいだ気がした。
「ねぇ見てあれ」
はずみちゃんが窓の外を指差す。その方向には絶界樹が鎮座している。既に幹は伸びきっていて今度は所々に枝が生え始めていた。
「こうして見ると改めてとんでもないものと戦ってるんだって気付くよね。明日にはきっと葉も生えててもっと木みたいになってるんだろーなー」
「うん。そうだろうね」
「絶界樹か……まるで異世界に迷い込んじゃったみたい」
「残念ながら俺達が生きる世界の現実だ。でも……」
「でも?」
「ううん。どうにかしなきゃなー……」
でも。の後は言わないでおこう。さっきはずみちゃんに言われたばかりだ。マイナスな事を言うと気分までマイナスになってしまう。もしかしたら死んでしまうかもなんて口にしたら、それこそ、どん底まで気分は落ちてしまうだろうし。
それにしても、カレーパンを食べただけで随分と色んな事に気が回るようになったな。はずみちゃんと話していて気分も落ち着いたし、これは何か新しいアイデアが生まれてしまうかもな。
「ねぇ京耶君」
「おう。なんだ」
はずみちゃんはベンチから足を伸ばして組むと何やらもじもじと手をいじり始めた。
「どうしたんだよ」
「んー……何ていうかさ……私ね。京耶君が勇者で良かったって思えるの」
「何だよ急に」
「いや、その……知ってる人だからっていうのもあるかも知れないんだけどさ。京耶君ならきっと何とかしてくれるって気持ちになるんだよね」
「ははは……あんなにはずみちゃんに助けてもらってばっかだったのに?」
「昔の話でしょ。今はもう違うって一目で分かったよ。だからね決めたんだ。私頑張るって。京耶君のパートナーとしての務めを全力で果たそうって。そしたら何だか京耶君が何とかしてくれそうな……そんな気がするんだ」
「他力本願のようで絶妙なプレッシャーをかけてくるんだな。そんな事言われたら俺も頑張るしかないじゃん。って事はここに連れて来てくれたのも務めを果たしたって事か」
はずみちゃんに視線を移すと、はずみちゃんは首を横に振った。
「んーん。これは幼なじみとしてほっとけなかっただけ。それだけだよ」
「そ、そっか……」
はずみちゃんは少しだけ俯いていて、俺はまた窓の外にいる絶界樹に目を向ける。久しぶりに会ったって言うのに俺はちっとも変わった所を見せれていない。もちろんはずみちゃんも内面は変わっていないのだが、それは全て良い所だ。今みたいに他人の事ばっかり気遣う所や、素直な所、よく笑う所によく食べる所。俺が持っていない良い所を今も持ち続けている。
「宣言したら何だかスッキリしちゃった。そろそろ戻ろっか」
「おう。そうだな」
俺だって変わったんだ。変われたんだ。だからそれをはずみちゃんに見せなきゃ。いつまで経っても守ってもらってばっかじゃダメだ。
チャンスは明日だ。明日、必ず成功させて日本を救ってみせる。
はずみちゃんの期待に答えて見せる。
それが出来た時に初めて俺は自分に自信が持てる気がする。
はずみちゃんと別れて部屋に戻り、俺はもう一度文献と向き合った。何度も何度も繰り返し読む。何処かにヒントはないか、ちょっとしたとっかかりでいい。この状況を打開するキッカケになる何かがあるはずなんだ。
「くそ……」
だが、どんなに繰り返し読んでも結果は同じだった。スッキリした頭に閃きは生まれず、またいらぬ感情が支配し始めていく。たまらず部屋を出て、俺は本部へと向かった。
カードキーをかざして扉を開ける。騒々しいくらいに色んな声が飛び、所狭しと人が隙間を縫うように動き続けている。今、ここには色んなセクションから人々が集結し、打開策に向けての情報交換、情報収集が行われていた。互いの知識や考えをぶつけ合って新たな考えを生み出す。みんな自分一人の考えに限界を感じているんだろう。
「成上君。どうしました?」
せわしなく動き続ける人の波に視線をうろうろさせていた俺に陽宮さんが声をかけて来る。
「あ、ちょうど良かった。実は部屋で一人で考えてても埒があかなくて思わずここへ来てしまったんですけど……何か進展ありました?」
陽宮さんはため息混じりに首を振る。これだけの人が知識を総動員してぶつけあってもダメなのか。
「ちょっとここだと邪魔になってしまいますから廊下に出ましょうか」
「は、はい」
陽宮さんに連れられ、本部の扉の横に向かい合って立つ。扉が閉まると喧噪もほとんど聞こえて来ない。壁に背を預けた陽宮さんは頭をポリポリと掻いて口を開いた。
「正直な所……あまり芳しくない状況です。元々シンプルな伝説の上に少ない情報量ですからみんな考えに詰まってしまい、とんでもない所と結び合わせてまるでこじつけのような論理を交わしているようになっています。このままでは有効な打開策が見つかるとは思えません」
「じゃあ! どうするんですか!」
たまらず声を荒げてしまう。陽宮さんの言葉はそのまま日本絶滅を意味するのと同じだからだ。
「それでも私たちは情報を集めて考えを巡らせる事しか出来ません。だからやるしかないんです。今、本日の作戦中の映像をチェックしている所です。何かおかしな点がないかと一つ一つチェックしています。それで何か見つかるかと言われれば何とも言えませんが……」
陽宮さんの表情が曇る。あんなに表情を変えなかった男がこうして目の前でこんな顔をするなんてどれだけまずい状況なんだ。
「な、何か俺に出来る事ってありますか?」
陽宮さんは俺の言葉にまた頭をポリポリと掻く。
「そうですね……成上君には禁秘の理を調べてもらうのが良いかもしれません。昨日やった実験とかではなく、実際に持てるのは君しかいないわけですから、所有者にしかわからない何かがあるかも知れない。お願い出来ますか?」
「もちろんです。何か見つかったら直ぐに知らせます」
俺は頷く。陽宮さんも頷き返すと、俺達は別れて陽宮さんは本部に俺は部屋へと戻った。
何でも良い。何か手がかりを。
二人の、いやここにいる全員の願いはただ一つだ。どんなものでもいい。キッカケを見つけるんだ。見つけなきゃ……終わりだ。
部屋に戻って床に落ちている鞘を拾った。ホルダーを外して剣を抜く。こうして見るとやはりキレイだ。誰かが磨いていた訳でもないのにどこからでも光を反射する程にピカピカでそれは年月を全く感じさせない。けど、それだけだ。握った所で力が溢れてくる訳でもないし、振り下ろしてみてもブンと風を切る音が聞こえるだけ。重さはそれなりでこんな自分でも片手で持っていられる。大した装飾も無く王道の形をしていて特色するべきところはない。
「あとは……名前か」
禁秘の理。この名前の意味は文献には書かれていない。最初の勇者が引き抜いた時からこの名前になっている。誰がつけたんだろうか。勇者か、それとも……
それとこの名前。禁秘と書いてヒメゴトと読む。ヒメゴトとは、そのまんま秘め事の事だろう。つまり「秘密」だ。そして理。コトワリとは物事の道理や理由の事だ。つまり秘密の道理、もしくは秘密の理由。道理って確か正しい道とか筋道って意味だから、コトワリの解釈で意味もまた変わってきそうだ。
と言うより、どちらにしろ一体なんでこんな名前なんだろう。勇者が持つ伝説の剣にしてはいささか違和感がないか?
普通だったらムラサメとかクサナギとか、もっと言ってしまえばザンテツケンとか英語で言えばエクスカリバーとかそんな名前だよな。シンプルで響きがカッコいいやつ。称えられる勇者が持つ剣の名前が秘密の道理とか秘密の理由なんてやっぱりちょっとおかしい。これは絶対に理由があるはずだ。
しかし、頼りの文献がこれじゃ何を考えても当てずっぽうに過ぎない。良い線ついていると思うんだけど、その先がないんだよな。せめて俺の前にこの剣を抜いた人が生きていてくれたらなぁ。
俺は剣を天井に向けて光を色んな場所に反射させる。文献には勇者の名前が載っているものが一つもないので調べようもない事はわかっていた。
「そういや……」
俺がこの剣を抜いた時、簡単に抜けてしまってそのままパニックになっちゃったからあんまり良く覚えてないんだよな。わけもわからず逃げて、ここに連れて来られて。
「うーん……一応、聞いてみるか。出来る限りの事はしないとな」
俺は部屋を出て本部へと向かった。幸い、扉を開けると近くに陽宮さんがいたので探す手間はかからなかった。
「え? 剣台平野に?」
俺の相談に陽宮さんは目を丸くする。
「そうなんです。あの時すごくバタバタしちゃってて良く覚えてないから。望み薄ですけど、もしかしたら何か見落としているものがあるかも知れないって思って」
「そうですね……まぁ確かにあそこは避難圏内なので今は人がいませんけど。うん、でもそうですね。勇者にしかわからない何かがあるかも知れない。わかりました。ヘリの手配をしておきますから成上君は樫倉さんを呼んで一緒に行って来て下さい。恐らくブレイバーの人達は今、作戦会議室に集まっていると思うので」
「はずみちゃん……樫倉さんも一緒にですか?」
「パートナーなんだから当然でしょう。彼女は何かあった時に君を守る任務を持っているんだから何か行動する時は常にペアを組んでが鉄則です。さあ呼んで来て下さい」
陽宮さんは扉を開けて俺を本部から押し出した。インドア系に見えるのにやはり力が強い。
俺は作戦会議室に向かい、はずみちゃんに同行を願うと本人はもちろん会議中だった他のブレイバー達もそれが当然であるかのように俺とはずみちゃんを送り出した。
「何か必要だったら直ぐに連絡してくれ。飛んでいくから」
海堂さんは部屋を後にする俺に真剣な表情でそう言うと、返事も待たずにまた作戦会議に戻ってしまった。
「剣台平野よね。久しぶりだわ」
「行った事あるの?」
「小さい頃に一度だけね。それはやっぱり抜けなかったけど」
はずみちゃんは俺の腰に下がっている剣を指差す。そういや、はずみちゃんは幼稚園児の頃よくアニメに出て来る勇者の話をすると止まらなかったな。女の子なのに恋い焦がれていた訳ではなく、自分もなりたいと言う男の子特有の願望からだったけど。
陽宮さんのもとへ戻ると、既に手配は済んでいて俺達は降下訓練の時に行った一台用のヘリポートへ向かった。
早速、ヘリに乗り込んで出発する。日が暮れるにはまだ少し時間があるが、向こうでどれだけ時間を費やすのかも分からないので今は一分一秒が惜しい。
「ねぇねぇ! 向こうに着いたらさ、どうやって剣を抜いたかやって見せてよ!」
剣台平野に向かうヘリの中、はずみちゃんの言葉で俺はこの剣を抜いた時の台詞を思い出す。
(さぁ! 禁秘の理よ! 俺に力を貸してくれー!)
吹っ切れた俺の最高の演技は、もう一度やってくれと言われても出来るものではない。あの時の雰囲気と勢いがなければあれは成立しない。はずみちゃんしか見ていない中であれをやるなんて公開処刑だ。
「いや。普通だよ。普通。ただホントに抜いたら抜けちゃった感じ。あっけないもんだったよ」
「えー。何よそれ。自分興味ないですみたいな雰囲気出してる癖にちゃっかり抜こうとしちゃってる感じ? 気持ち悪いね!」
「いや……あの……違う。そういう感じじゃなくて」
「えー? じゃあホントはすごく興味あるけど周りがみんな興味ないから言い出せなくて、ちょっとそこら辺見てくるわーとか言いながら、何気なく剣に近寄って、チラチラ辺りを確認しながらみんなの目線が違う方にいった瞬間にこっそり抜いた感じ? 気持ち悪いね!」
「何なんだよその想像力」
「だって伝説の剣を抜くのに普通なんてあるわけないじゃない。伝説の剣よ? 俺、現実見てますから。なんて人はそんなの抜こうとする訳ないじゃない。少しでも信じてるから夢見てるから抜こうとするんでしょ? それを普通にだなんて恥ずかしがっているとしか思えないわよ」
確かに。拓人は本気で抜こうとしていたし、俺はホントに興味がなかったから抜こうとなんてしなかった。拓人に無理矢理行動させられた形だ。
待てよ。そしたら拓人が無理矢理誘わなければこの世にまだ勇者は現れていないんじゃないか? そして俺はそれからも抜こうとはせず勇者は現れないまま日本は終わる。だとすると拓人は真の救世主なのかも知れない。けど、調子に乗りそうだから黙っておこう。
「あ。着いたみたいよ」
ヘリは剣台から少し離れたバスの駐車場に下りた。ここから俺はあの施設に向かったんだよな。ついこの前の事なのがなんだか信じられない。
剣台平野は陽宮さんの言う通り人の気配は全く無く、こうして改めて見てみると剣が無ければ世界的にも有名な観光地とは思えない程、平凡なただの平地だった。
「なつかしーなー。あれだよね剣が刺さってた台」
並んで歩くはずみちゃんが指を指す。剣が抜かれた台は形こそそれなりに整っているものの、ただの岩のようだ。
「あ。ちゃんと剣が刺さってた跡が残ってるね」
台に手をついて覗くはずみちゃんの横で俺は台の上に登る。辺りを見回してみるがもちろん何も無い。剣にも変化は見られないし、俺にも変化は無い。
ホルダーを外して剣を抜く。やっぱり何も変わっていない。
「もう一回突き刺したら抜けなくなったりしてね」
「いやいや。そんな事起こったら勇者交代だろ」
はずみちゃんは台の下から俺を見上げていた。剣の穴を見る。そんな事……ないよな。
剣を逆手に持って振り上げた。深呼吸。そして一気に振り下ろす。
ガキッ!
剣はしっかり入って岩の感触が柄まで響いて来る。でも、スカスカと抜けてしまった。
「不思議。どうやって刺さってたんだろ?」
「ホントだよな。それも分からないし、分からない事だらけだ」
剣をしまって台からジャンプする。一応、ぐるっと台の周りを確認したが何も見つかりはしなかった。
「無駄足だったか……」
「そんな事無いでしょ。まだ全部回った訳じゃないし色々見てみましょうよ。ほら案内板とか伝説について書かれてるし何か発見あるかも。対策課の人達も見落としが絶対にない訳じゃないから可能性はあるわ」
「まぁね。一応見ておくか。折角来たんだしやれる事は全部やっておこう」
「その通り。それで何も見つからなかったら、ここには何も無かったって知れた事になるからやっぱり無駄足じゃないわ」
はずみちゃんは笑って俺の肩を叩く。結構痛かった。
「良い事言ってるけど。何か……何も無い前提で話してないか?」
「またまた! 期待し過ぎは禁物よ。こう言う時はダメで元々って思わなきゃ! だから京耶君は結果が振るわない度に悩んじゃうのよ」
「そうかな? でも、そうかもな」
「そうなの!」
またパシンと俺の肩に衝撃が走る。音は小気味良いのだが結構痛いからもう少し加減して欲しい。
結局、その後も何も見つからずに俺達は剣台平野を後にする。思ったより時間をくってしまい、ヘリが飛び立った時にはもうほとんど日が沈みかけていた。
「戻ったら次は……どこに手を付けようか……」
「まずは夕食でしょ! しっかり食べてそれから考えましょうよ!」
「ん? ああ。そうだな」
それはそうなんだけど、しっかり食べた後に俺は何をすれば良いんだろうか。文献はもうお手上げだし、剣も気になるところがない。これでもし、他のみんなも何も見つけられなかったら打開策無しで出発する事になる。もし、それで今日と同じ結果だったら打つ手無しだ。
「また根詰めてる顔してるわよ京耶君」
顔を上げると向かいに座るはずみちゃんは溜め息をついた。
「何か考えるにしても休憩は必要よ。ずっと頭が働かせてたらどんどん鈍くなるわ。せめて夕食食べ終わるまでは頭を休ませた方がいい」
「……はずみちゃんは何でそんなに冷静なんだ」
「そう見える?」
「うん……なんか余裕に見えるよ。どうしてだ? もしかしたら日本も俺達も死んじゃうかも知れないんだぜ?」
「そんなのわかってる」
「じゃあなんで……」
「パートナーが冷静さを欠いていたら京耶君どう思う?」
「え? とりあえず……落ち着かせるかな」
「でしょ? だから私は自分で自分を騙してるの。落ち着いてると思い込むようにしているだけよ。ホントは不安もあるけど、それは見ないようにしてるわ」
「別にそんな無理しなくても」
「無理はしてないわよ。言ったでしょ? 京耶君なら何とかしてくれるんじゃないかって思うって。だから不安も微々たるものよ。私が少しでも不安がってたらきっと京耶君は励ましてくれる。でもそれじゃサポート役は失格。京耶君は全力で打開策について考える。私はそれを邪魔する事無く全力でサポートする。それがベストを尽くすって事じゃない」
「それはそうかも知れないけど……」
「だから! 今はパートナーの言う事を聞いて。全力を尽くす為に今は脳を休ませて。私は楽観しているわけじゃない。全力でサポートしたいだけなの。だからあなたのパートナーを信じて頂戴」
真っ直ぐ俺を見つめるその瞳には揺るぎない信念が見えた気がした。はずみちゃんは俺を全力で信じてくれている。パートナーとしてのベストを尽くそうとしている。ならば俺も俺を信じてくれているはずみちゃんの思いに答えてベストを尽くそう。信じよう。
「少し……寝るわ」
「うん。着いたら起こしてあげる」
ありがとう。と俺は目を閉じて頭の中を空っぽにする。真っ白になっては浮かんで来る言葉を消しゴムをかけるように消していく。何も考えない。無だ。今は全力で休む。そして全力で飯を食い、全力で頭を回転させる。だから今は何も考えない。