2話 エンカウント
汚れた男
松原 嘆門
小雨は本降りに入りズボンの裾を重くしていた。
「はぁ...はぁ...はぁ....」
「若ぇんじゃねぇのか? 息が上がりっぱなしだぜ」
もう自分がどこへ逃げているのかも分からない、路地から路地へ普段入らない様な道を行くばかり。
「くそ、また5つ!」
背後から伸びる白線をギリギリで躱せるように、また知らない角を曲がってしまった。
「曲がってるだけじゃ巻けねぇぞ!」
少しずつ男の声が近くなり、ゆっくりと確実に距離が縮まって居るのを感じていた、引き離せず焦っていたのだ。
「うがぁっ」
そんな焦りを待っていたかの様に暗闇から現れた室外機に、必然かのように足元を取られ転ぶ。
「ったく、あの婆さんよりめんどかったぞ」
すぐ撒けると思って路地に飛び込んだ自分の考えに深く後悔する。
(しくじった、なんて間の悪い室外機なんだ! こんな誰に知られず、薄暗い中で息絶えるなんて、嫌だ)
そんな心の声も虚しく、汚れた男は、起き上がろうとする俺の左足を掴む。
「おしまいだ..」
バキっなんて綺麗な音じゃない、もっと鈍く、もっと打ち付けるような、ゴキュとでも言おう音が俺の足から、左足から鳴っている、2度。
「あがっぁぁあああぁぁぁ」
「そんな叫ぶなよ、路地ったって気づかれちまう」
痛いなんて物じゃない、折られた足を潰されたのだ。
左足を抑え蹲る自分に、優しく蹴りを入れながら、男はゴタゴタと喋り出す。
「あの爺さんには本当に腹が立ってよ、警察も最近結構やるもんだからさ、本当にイライラが溜まっててよ、お前みたいななんも苦労も知らねえ様なガキ見つけた時は、正直興奮したぜ?」
優しかった蹴りが少しづつ威力を増し、呻く自分の事などお構い無しに甚振る。
「ただ、お前も少し面倒だったからよ、一瞬で...一瞬で殺そうと思ったのに逃げるから行けないんだぜ? 途中で盗んだ物も落とすし最悪だよったく!」
「あがっ..あぅがっ」
出血と恐怖で意識が朦朧としてきている。
ここで死を迎えるのか、痛みで辛うじて保つ意識の中、眼に入る泥水でさえ忘れる程のこの苦痛は俺の人生で2回目になる、そんな事を思っていた。
右足からゴキュっと聞き覚えのある音が、4度鳴った。
「はっぁがぁ...ふはぁ...ぁぁぁああぁ」
「もう声にも鳴らねぇか」
もう何も考えられる気がしなかった、ただ早く死にたくなった。
「ねぇ、楽しそうな事してるね」
白い1本の線が入った黒髪の少年は純粋な顔でたずねる。
「なんだ、またガキかよ」
少年はこの異様な光景に怖気付く素振りも、唖然もせずただ、疑問をぶつけてきたのだ、汚れた男が蹲る高校生を甚振るこの現状よりも、少年の異様な純粋さの方が際立つ程に、汚れた男もその少年にフランス人形を始めてみた時の様な奇妙感を抱く。
「何見てんだよ」
「おじさん楽しそうだったから」
「見世物じゃねぇぞ、さっさと帰んな」
少年の蒼い瞳が、けが人、汚れた男、けが人の順番で動き、薄ら笑顔が、満面の笑みに変わる。
「おじさんにするよ!」
少年は背中から錆切った包丁を取りだし、走り出す。