第5話 ネザ、分身の術をつかう
6月30日
何となく、日記をつけてみることにした。
梅雨明けを思わせる快晴と33度の気温。梅雨の間は水やりをしなくていいが、夏は毎日水をあげないと植物はしおれてしまう。今日もジョウロで水やり開始。おれはネザに聞きたいことが山ほどあった。が、しょせん植物、人間さまにわからないことを聞いてもしょうがない。
「おはようネザ。今、水をあげるからね」
「おはよ」
なんか、高貴なイメージからちょっと遠ざかったような返事にいささか戸惑ったが、水やりをしていると。
「一つお願いがあるんだけど、いいかな」
と、ネザの声がした。
「ん、なんでしょう」とおれ。
「『君の名は』を見たいんだ~」
「えっ、って、映画? どうして映画のこと知ってるの」
「毎日この家の前を通る女性たちが、めっちゃよかった、もう3回見た、とか話してるから、見てみたいの」
家の近くには巨大な総合病院があり、そこに勤務している看護師たちが、うちのバラを見るためにちょっと遠回りをしていることは知っていた。
「映画を見るったって。どうするの? 植木鉢に移すの?」
「わたしの足もとに落ち葉が一枚あるでしょ。それに新しい葉っぱを半分切り取って一枚半にして重ね合わせてね。それが私の分身になるから」
「へー、そうなの? それはそうとその言葉遣いは、高貴なネザさまとちょっとイメージ違うんですけど」
「なにいってるの。わたしは何年も町の人たちの会話を聞いてるの。これが今風よ」
「ですけどねー。まあいいです」
おれは一枚半の葉っぱを適当な封筒に入れた。『君の名は』は話題の映画なので、おれも見てみたかったからちょうどいい。近所のMOVIX亀有で見ることにした。
ネザに聞いてみる。
「葉っぱが枯れないように工夫した方がいいのかな?」
「とりあえずこのままでいいよ。ありがとう」
上映まで時間があるので、もうちょっと気の利いた封筒はないか文房具屋に立ち寄った。封筒にもいろいろあるんだな、と思っているとネザが、
「あー、今、目の前にある封筒に入れて!」
この和紙の封筒のことだろうな。なんとなくわかった。しかし、人間さまより偉そうじゃないか? こういうものなのか。まぁ、深く考えるのはよそう。しょせん植物と会話しているのが不思議なんだもんな。上映時間が迫ったので、映画館に向かった。
映画はおもしろかった。
ネザが言う。
「ラストシーンでは思わす自分の名前が出そうになったよ。今の名前ではない。とても古い名前が出そうになった」
ネザは初めて映画を見たので興奮気味。
「この葉っぱはどうしたらいい?」
おれが聞くと、
「一枚はこのまま封筒に入れてください。半分の葉っぱは、器に水を入れて浮かべてほしい」
ふむ。じゃ、そうするか。おれは醬油皿を用意して水を入れ、半分の葉っぱを皿に置いた。