第9話 脱出
アルターが、少し仮眠してから移動しようと提案したので、岩陰で眠った。どのくらい時間がたっただろうか。おれはウヤータの声で目を覚ました。
「街の方角から燈火が見える。追っ手だわ」
アルターはもう起きていて、目をこらして街の方向を見ていた。そして、急ごうと言って、岩場を出て、街道を東に向かって歩き出した。
ウヤータは最後尾に居て、後ろや左右に神経をとがらしていた。そして小声で、しかしはっきりと言った。
「囲まれている」
先頭を行くアルターは、
「大丈夫さ、幸い、月は線のように細いし、ほとんど何も見えないさ。きっとうまくいくよ」
おれは急に緊張して、なんとか助かりたいと思った。だがウヤータの声で自分の情けなさを恥じた。
「ヤヒト、王子を絶対に助けるよ。わたしとあなたで」
ウヤータは戦闘力が高い。王子は百人力だ。おれは自分が足手まといになっているような気がした。おれにはできることがない。
アルターはおれの心の動きをキャッチして、言った。
「ヤヒト、君もそろそろ星から来たことを思い出すんだ。きみはすごいパワーを秘めている。ぼくにはわかるよ。君の心の力は、望む結末を呼び寄せる」
アルターが勘違いをしていると思い、おれは言った。
「アルター、おれは思い通りに事が運んだことなんて一度だってないよ」
「いや、ヤヒト、君は何もかも、望み通りの人生を歩んできたはずだよ。生まれた場所も、両親も、境涯も、すべて思い通りなんだ」
「おいおいアルター、おれはこんな砂漠は嫌いだし、両親の顔も名前も知らないし、アジトでは一番下っ端だし、何もかもうまくいってないとしか思えないな」
アルターは、
「君は誰かを探すために最適な場所と時代を選んで生まれてきたんだ。そして天涯孤独となって自由に生きる人生を望んだんだ。さらに君は責任のある立場になることを嫌ったんだ。
過去に責任のある立場で、発狂するほど嫌なことがあったからなんだ。だから君の願いは100パーセント叶えられているのさ。自分で望んだものに囲まれて生きているのに不満に思うなんておかしいよ」
おれは思った。アルターはしょせん王族の出だ。おれの境遇がわかっていない。
「アルター、アジトでのおれの寝床は、屋根すらないんだ。そんなこと望むわけないだろう」
「いや、君は望んだんだ。星を見つめながら眠りたいとね。そして屋根すらない環境を不憫に思ってもらいたい、少しでも人から優しい心を向けてもらいたい。憐れんでもらいたいが邪魔はされたくない。そういう願いがごちゃまぜになって、すべての願いが叶った状態を、自分で作ったんだ。だから、願ったり叶ったり100パーセントの世界に住んでいるのさ。リアル魔法使いなのさ。そしてそれはこの世界の人、全員そうなんだ」
おれは、おれの方が正しいとアルターに認めさせること、自分にとってウヤータが大切な人であるという気持ちを暗にほのめかせようと、ウヤータを目の縁に捉えながら言った。
「そうは思えないな、例えばだけど、大切に思っている人が殺されたとする。それが望んだ結果と言われても納得できないよ」
アルターは言う。
「ごめん、ごめん、極端なことを例えにあげるんだね。人の生き死には自分だけが望んで起こる結果じゃないと思う。もっと複雑で、もっと慎重に話をするべきだと思うよ。
人は2度死ぬって聞いたことがあるけれど、1度目の死は肉体の死、2度目の死は、人々の記憶から消えてしまう時って言われているね。心の中で生き続けている限り、2度目の死は訪れない。だから本当の・・・」
「静かに」
王子の言葉が終わらないうちに、ウヤータが小声でおれとアルターの会話を遮った。
異変が起きていた。おれたちの周囲、大きめの声なら聞こえるくらいの距離に、新王の兵がぐるりと囲んでいた。
いつの間に、こんなに大勢の兵が。
ウヤータが言う。
「左側の前方に囲みの薄いところがあります。突破するならあそこです。敵の囲みが完成する前に、早く! 王子は一番後ろに下がってください。ヤヒト、行くよ」
ウヤータが砂利まじりの砂地を蹴って跳躍する。新王の兵は燈火を手に持ったまま、囲みを狭めてきたが、ウヤータのスピードにはかなわなかった。おれも王子も懸命に走った。このまま走れば囲みを突破できる。先頭のウヤータはもう囲みの外側に出ている。
よし、行ける。そう思った時だった。ウヤータが叫んだ。
「だめー!」
その瞬間、わずかな月明かりと、敵の燈火でうっすらと見えていたウヤータの疾走する姿が、フッと消えた。おれと王子は何事が起きたのかわからず、ウヤータの後を追うように走った。
「ああっ! 崖だ!」
おれたちが走る前方に、漆黒の空間があった。おれの声にかぶって、ウヤータの心の声が聞こえた。
〝伏せて!〟
王子はまるで石につまずいたかのように、前のめりに倒れ込んだ。王子にもウヤータの心の声が聞こえていたんだ。おれも倒れ込むように砂地に伏せた。
ズザザー、
つきだした両手でブレーキを掛ける。止まらなかったら谷底行きだ。砂と小石が手のひらと、顎に当たって痛い。左手に石だろうか、何か大きなものがぶつかった。それは、おれの手に押された勢いで、周りの石や砂を巻き込んで、ガラガラと大きな音を立てながら谷底に転がり落ちた。
「落ちたみたいです」
後ろで大人の声がする。新王の兵士だ。
「油断するな、あの王子だからな」
もう一人、別の声がした。その時、おれのすぐ隣りの闇から何かが飛び出した。
唐突に、キン、ガチャっと、金属がぶつかり合う音が、闇間を割った。
細い月とわずかな燈火の中を、まるで鳥のように空を舞って、敵兵の頭上から肉薄したそれは、たちまち二人の兵を倒してしまった。ウヤータだった。
呆然と立ち尽くす兵をよく見てみると、燈火を両手で持って、兵が大勢いるように見せていただけだった。少し離れたところから、
「槍兵がやられた! 退却だ」
と甲高い声が聞こえ、残りの兵は街の方向に消えていった。