第6話 地下へ
夜になった。ウヤータは胸の袋から小さな黒っぽい石を出してこう言った。
「こんな、人を不幸にする石なんかない方がいいんだわ」
自暴自棄になりそうなウヤータにおれは言った。
「それは大切なものなんだろう。アルターが言うには罪があるのは燃える石なんだろう。でもアルターは、それは石じゃないって言ったよね。その石のようなものに罪はないさ」
ウヤータは少し落ち着いたようで、おれに今日初めて視線を合わせてこう言った。
「ねえ、ヤヒトも、地下にある燃える石と水を見てみる? 地下に降りる階段の蓋はとても重くて わたし一人では開けられないの」
王家の秘密! 前王の秘密の場所に行ける! おれは這いつくばって地下通路の入り口を探し始めた。蓋ってどれだろう。
「ここ」
ウヤータが指で差した場所だけ、わずかに石畳がくぼんでいる。そこに指を入れて思いっきり上に持ち上げようとした。蓋は重すぎてまったく動かなかった。
「これを使って」
ウヤータが先のとがった棒を持ってきた。とがった部分を、蓋と石畳の間に刺した。おれとウヤータが一緒に棒をもって、なんとか蓋をこじ開けることができた。おれは初めての共同作業で喜びいっぱいになった。店の床には人が一人通れるくらいの階段が現れた。夜、わずかな月明かりに、地下に降りる階段が数段うっすらと見えたが、その下はまるで地獄に通じる穴のように真っ暗だった。
ウヤータが先に降り、おれは穴にすっぽり体が入ったところで、蓋を閉めようとした。
「まだ閉めないで」
ウヤータはそういうとおれの下で、なにか作業をしだした。カチッ、カチッ。その音とともに火花が散る。火打ち石か。ウヤータは木の葉をまいて固めたものに器用に火をつけた。さすが石の専門家だな。
「もう、閉めていいよ」
ウヤータが言うのでおれは渾身の力を込めて蓋を少しずつずらして何とか蓋を閉めることができた。蓋を閉めて、階段を降りだした。小さな火だけが頼りの洞窟の中、二人で寄り添うように進む。おれは王家の秘密の場所にいることと、どう遠慮してもウヤータに触れてしまう環境にいることで、うれしさがこみ上げてきた。どのくらい進んだだろうか。階段は7段くらいだったように思う。あとは平らな道を少しだけ背をかがめながら進んだ。しばらく進むと、
「ここ」
前を行くウヤータがそう言って立ち止まるとそこに、石で囲まれた一角があり、その中に一抱えもありそうな尖った石と、ドロッとした液体があった。わずかな灯りではよくは見えないが、これが燃える石と水なのか。これがアルターが言っていた何百年も止まない争いを生むものなのか。
おれがそれを見入っていると、ウヤータが大発見をした。地下通路の先、鋭角に曲がった死角の先に、ボヤっと何かの明かりが見えたのだ。ウヤータは慎重に前へと進み、曲がり角から顔だけ出して光の差す方を見た。おれもウヤータの下に潜り込んで、同じ方向を見た。地下道だった。ここまでの洞窟のような掘っただけの壁と違い、ちゃんと石組で補強してある。
その地下道の先、遠いところから反響音に混じって人の声がした。
「やれやれ、頑固な王子だ。前王の居所も、燃える石のありかもしゃべらない」
おれとウヤータは一気に緊張した。この先にアルターが居る! いったいここは何なのだ。おれたちが声を殺して潜んでいるうちに、遠くの方で、ガチャーンという大きな音がした。それ以来、地下道の向こうからの声は聞こえなくなった。きっと扉を閉めた音だろう。扉がある家は珍しいが、ここは王家の関係している場所なんだ。そう思うと緊張感はさらに増した。
(助けるよ)
ウヤータが目でおれに合図を送ってきた。おれは躊躇しながらも小さくうなずき、思い切ってウヤータの前に出た。もうウヤータの燈火は必要なかった。ウヤータの後ろに隠れるのもいやだった。おれはまったくの無音で行動した。所々曲がってはいたが通路は続いていた。鋭角に曲がった先に、数段の上り階段があった。そこを昇り、顔だけ上に出し辺りをうかがった。そこは牢屋と呼ばれるところらしかった。見たことはなかったが、同じアジトの人から聞いたことはあった。牢屋の中に誰か居る。アルターだ。おれはいったん階下にいるウヤータにうなずいてから、階段を上りきった。数歩進むうちにアルターがおれに気がついた。
「君は」
アルターはそういうと驚きの眼でおれを見た。アルターは昼間に刑場で見た柱に縛られたままだった。おれはアジトの連中からさまざまなことを教わっていたので、こんなロープをほどくのは簡単なことだった。おれは一言もしゃべらず、手だけを動かして無音でロープをほどいた。ウヤータは牢屋までは来なかった。合わせる顔がないのだろう、ウヤータは罪の意識でいっぱいに違いない。本当に悪いのはこのおれなのに。
だが罪悪感で萎れている場合ではない。おれはアルターの手を引き、来た道を戻った。先ほどの階段を下るとそこでウヤータは泣いていた。
アルターはちょっといたずらっぽい口調でおれに言った。
「君に手を引かれて逃げるのはこれで2度目だね」
ああっ、王子は少しでもこの場を明るくしようとして、こんな場違いなことを言っているんだ。おれはアルターに言った。
「王子、今日は女装はしてないんですね」
いつもの品のある服ではなく奴隷のような服を着せられていたアルター王子はニコッと笑うと、右手でおれを、左手でウヤータを抱きしめた。おれもウヤータにつられて泣いてしまった。でも、今は感傷に浸っている場合ではない、今やることは早く逃げることだ。
アルターは落ち着いたそぶりでこう言った。
「3年前に、万が一の事態に備えて王宮からの抜け道を掘っているときに、燃える石と水を掘り当ててしまったんだ。で、すぐに王家だけの秘密にした。新王はクーデターで王座を奪った。だから新王の兵士はこの抜け道を知らないんだ。安心していいよ」
アルターがそう言った時だった。ガチャーンという金属音が牢屋に響いた。
「あっ、王子がいない!」
アルターはとっさにおれたちが来た方の道を指さし、ウヤータを先頭に立たせて、ウヤータの肩をポンと叩いた。
さっきまで泣いていたウヤータは信じられないようなスピードで来た道を走りだした。山賊の一味だったというウヤータの言葉をおれは思い出した。おれなんかよりも、もっとつらく苦しい過去を持っているのが、その身のこなしで想像できた。だがそれもつかの間、燃える石のところまで戻って来たときにウヤータの足は急に止まってしまった。ここから先は真っ暗だ。王子が、
「ここからはぼくが先に行くよ」と微小な声で言った。その時、牢屋の方から
「あっ、抜け穴がある! こっちだ来い!」
という声がした。しまった見つかった。おれたちは王子、ウヤータ、おれの順番で手をつないで真っ暗な地下洞窟を進んだ。燃える石の所から出口まであと半分くらい、もう少しだ。だが、後ろからチラチラと灯火が瞬くのが見え始めた。追手が来る! すぐそこまで来ている。王子に逃げられたら兵は死刑だ、敵も必死なんだ。
おれたちは階段までたどり着いた。ここを登れば占い屋だ。アルターは、ウヤータを先に登らせようとして、ウヤータを前に出した。
「いたぞ!」
すぐ後ろから兵の声がした。ウヤータはまたもや俊敏な動作で階段を上り蓋を両手で押し上げた。
「開かない!」
ウヤータは叫び声をあげた。おれはこの地下道に入ろうとして、蓋を開けた時のあの重たい感覚を思い出した。
ウヤータひとりでは無理だ。アルターも同じことを思ったらしい、まだ階段の下にいたおれとアルターだったが、二人は同時に階段に殺到した。人ひとりがやっと通れるほどの狭い階段を二人同時に上り、三人で力を合わせて蓋を押し上げた。
おれは渾身の力を振り絞った。三人の腕がまっすぐ上に伸び切った。
「開いた!」
頭一つ分、おそらく足元では階段二つ分は上にいるウヤータを先に脱出させなければ、おれとアルターは外に出られない。
その時だった。おれの足首に何かが巻き付いた感覚がした。
「捕った!」
階段下、すぐ後ろで声がした。おれは構わずウヤータを逃がそうと、体の半分は外に出掛かっているウヤータを押し上げた。俺の右手はウヤータのおしりに、左手は足に当たった。おれはそのまま両手いっぱいに力を入れた。ウヤータのおしりにさわれた。手が丸いおしりを掴んだ。おれはこんな非常時にも、喜びの気持ちが湧いてきて、もう死んでもいいとさえ思った。
「こいつが王子か!」
その声とともに、兵の手がおれの足首に伸び、下に引っ張られた。もうアルターも体半分は外に出ていて、おれに向けて手を伸ばしてくれたがおれには届かなかった。
逃げてくれ。おれはさっき死んでもいいと思ったこと、この先、ウヤータやアルターに本当のことを話すのがつらいこと、ウヤータに嫌われるかもしれないことなどを一瞬の間に思い、力いっぱい叫んだ。
「逃げろヤヒト!」
おれは階段下まで引きずり降ろされ、二人の兵に押さえられた。
「ちっ! こいつ王子じゃないぞ」
「おれが王子だ、おれが王子だ」
おれはすぐばれるウソを連呼しつつ、二人が無事に逃げられることを祈った。